鬼もキツネも遊び仲間! 子供の遊びに忍び込む”異なるもの”たち/妖怪補遺々々

文・絵=黒史郎

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    ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」! 新年一発目は、『異』なるものと繋がろうとする子供たちの遊びから補遺々々します。

    遊戯に「異」が混じる

     奥成達『遊び図鑑』には、「ブタノコマギレ」「伝染病」「牛殺し」「子とろ子とろ」など、物騒な名称をもつ遊びが見られます。遊びの中には昔から、何らかの「残酷」は入っているものでした。戦争、いじめ、死を連想させられる遊びを、戦争やいじめや死だという意識は持たず遊びました。今でもテレビゲームなどで日々、子供たちは何かを殺し、あるいは殺され、それを平然と繰り返しています。
     また、子供は遊びの中にしばしば『異なるもの』を取り込みます。代表的なものは「鬼」でしょう。節分では豆を打ち付けられて追い回される弱い存在ですが、遊戯の中の鬼は絶対的な強さをもち、ある意味無敵で、元気に子供たちを追いかけます。触れられるだけで同じ鬼にしてしまう鬼、影を踏まれてはならない鬼、高い場所に手を出せない鬼――とさまざまな鬼があります。

     子供の遊びの中にある、こうした『異』は、子供たちの無邪気な発想から生まれたものもあれば、妖怪的な由来に紐づくものもあるようです。

     昭和6年発行『郷土』第一巻の佐竹盛富「子供の遊び」では、長野県更級郡上山田の子供たちが興じていた遊戯を、執筆者本人の思い出として紹介しています。そこには、『異』と積極的に繋がろうとする子供たちの姿がありました。

    歌う、こっくりさん

     同資料に見られる【こっくりさん】は、昭和オカルトブームのころに子供たちが夢中になって興じた、あの【コックリさん】とほぼ同じものです。ただ、やり方が違います。紙に10円玉を置いてやる方法ではないのです。
     まず、3本の箸をひとまとめにし、1か所を紐などで縛ります。次に。その三脚を開いて立たせ、その上に盆をひとつ乗せます。そして、子供たちは輪になって片手を前に出し、指先を軽く盆の上に触れ置き、みんなで口をそろえて、「こっくりさん、おのりな」と繰り返し唱えます。「おのり」とは「お乗り」、つまり「乗り移る」ことでしょう。
     するとだんだんとその盆が、こっくり、こっくりと動きだすので、
    「こっくりさん、なんの歌、うたいやしょな」
     そういいながら、みんなで好き勝手に歌を歌いだします。
     みんなが歌っている間も盆は、こっくり、こっくりと、不思議に面白く動くのだそうです。

    鬼気迫る、おこんこさん

     とくに女子がよくやっていた遊びとして、佐竹は【おかまいのり】をあげています。
     まず、お宮の庭に7、8人が集まり、その中のひとりが【おこんこさん】になります。これは、キツネのことのようです。
    【おこんこさん】は幣束、あるいは青木葉を折ったものを両手に掴み、「いなだいく(戴く、の意か。頭上に掲げてキツネの耳に見立てたものか)」。そして、【おこんこさん】を中心に他の女子たちは輪になり、口を揃えて、こう唱えます。
    《あさやま、はやま、はぐろのごんげん、かみしも、いわずに、なまかわ、びんずる、かあまの、かあみ》
     そのあいだ、【おこんこさん】は、ひと言も発さず、じっとしています。
     唱えごとに熱中する周りの女子たちは、次第に抑揚のある調子をつけだし、これが繰り返されると【おこんこさん】が「のって」きます。これは恐らく、歌のリズムに「乗る」と、「乗り移る」、どちらの意味でもあるのでしょう。手に持った青木葉が歌の調子に合わせて揺れ、だんだんと体が傾いていき、ついには倒れてしまいます。
     すると、周囲の女子たちは「わああっ」と声をあげて一斉に逃げだします。【おこんこさん】は逃げる女子たちを追いかけ、捕まった子は次の【おこんこさん】となります。

     佐竹は幼少のころ、自分の子守をしていた女の子が、この遊びをしていたのを見たのだそうです。彼女たちの遊んでいた稲荷社には、手ごろな大きさの木彫りの【おこんこさん】があり、これを青木葉の代わりに持つと、【おこんこさん】の「のり方」が良いといわれていたといいます。
     この遊びで【おこんこさん】がのった子供は、まるで本当に何かがとり憑いたかのように追いかけまわし、捕らえられた子供はむごい虐められ方をした、とあります。

     このように、キツネを呼び降ろした体で異常な行動や発言をし、あたかも『異』と繋がったかのような場を作りだす遊戯や占いの記録は、各地に見られました。

    隠されることへの恐れ

     遊びの中でも「かくれんぼ」にまつわる俗信はとくに多い印象です。よく見られるのが、遅い時間まで遊んでいると妖怪や人さらいに連れ去られるというものです。

     佐竹は自身の幼年時代を振り返り、次のような体験を記しています。

     家の近くに禅寺があり、その庭先に木造の小祠がありました。
    子供たちはここを【隠し神様】と呼んでいました。自分たちが名づけたのではなく、遠い先輩から伝え継がれてきた呼称だそうです。
     寺の庭で「草履かくし」や「かくねしょ(かくれんぼのことか)」といった遊びをするとき、みんな【隠し神様】のことを怖がっていました。なぜなら本当に「隠す」からです。
     草履隠しとは、みんなで草履を片方だけ隠し、いちばん先に鬼に見つけられてしまった子が次の鬼になるという遊戯です。自分で草履を隠すので隠し場所は判然としているのですが、どういうわけか見つけられず、日が暮れても出てこない。どうにもできず、【隠し神様】のお宮を捜してみると、消えた草履がひょっこり出てくる、というようなことがあったのです。
     きっと他の子供の悪戯だったのでしょうが、隠された方はそうは思いません。「【隠し神様】が隠したんだ!」と戦慄します。
     隠されるのが草履ならまだいいですが、「かくねしょ」をして遊んでいるときは、小さな祠の存在が恐ろしくてたまらなかったそうです。

     昔の子供たちはこうして、毎日の遊びの中で無自覚に『異』なるものと接していたのです。

    参考資料
    佐竹盛富「子供の遊び」『郷土』第一巻第二号

    (2021年1月8日記事を再編集)

    黒史郎

    作家、怪異蒐集家。1974年、神奈川県生まれ。2007年「夜は一緒に散歩 しよ」で第1回「幽」怪談文学賞長編部門大賞を受賞してデビュー。実話怪談、怪奇文学などの著書多数。

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