イギリスの「新ノストラダムス」が2024年を予言! 来年10月に起こるアジアの危機的事態とは?
現代イギリスを代表する超能力者、「新ノストラダムス」ことクレイグ・ハミルトン・パーカーが2024年の予言を発表! 10月に起こる日本にとって危機的事態とは?
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夏の風物詩の代表格でもあるスイカ、そして怪談。どちらも涼しくなるものですが、両者が組み合わされば効果は倍!?ーー ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」だ!
この原稿を書いている数日後の7月27日は、「西瓜(すいか)の日」です。
子どものころの夏休み。田舎の祖父母の家へ行くと、おやつには決まって西瓜が出てきました。広げた新聞紙の上で祖父が切ってくれた西瓜は、あまり甘くはなかったけれど、塩をふってかぶりつくと、しょっぱさの奥からジワッと甘みが広がって夏の味がしました。
今年の夏は記録的な厳しい猛暑が続いています。皆さんに少しでも涼しく過ごしていただこうと、冷やした「西瓜」のお話をご用意しました。
まずは、有名な西瓜の怪談小説、岡本綺堂「西瓜」のあらすじをどうぞ。
——夏休み。学生のM君は、静岡にある倉沢という友人の実家を訪ね、離れ座敷に半月あまり逗留していました。ある日、倉沢はM君に7冊の古い写本を見せました。彼の家の土蔵にあったもので、倉沢家の6代前の主人が書いた随筆なのだといいます。古書好きなM君の退屈しのぎになればと彼は写本を置いていってくれました。
写本は、雑多の事件、和歌、用務の記録などの書かれた覚え帳のようなものでした。M君は「稲城の怪事」と見出しのついた記事に関心を持ちます。それは享保19年のこと。御徒町(東京都台東区)の辺りにあった辻番所を、風呂敷包みを抱えた男が通りかかります。辻番が呼び止めて風呂敷の中身を訊ねると、この伊平という男は「西瓜」だと答えます。
ところが風呂敷を開けさせると、中から出てきたのは女の生首だったのです。
——翌朝、倉沢に「何か面白い記事はなかったか」と訊かれたM君は、「稲城の怪事」について話します。倉沢は「群衆妄覚」「一時の錯覚」だと、これを一笑に伏しますが、そんな彼の家には「西瓜を食べてはいけない」という奇妙な伝説があるとのこと。
200年ほど昔のこと。ある晩、又左衛門という百姓が、自分の西瓜畑に忍び込んだ物乞い風体の老婆を殴り殺してしまいます。その後、西瓜畑では殺された老婆の姿が目撃されるようになり、その畑で獲れた西瓜を食べた又左衛門の家の者が次々と死んでいきました。又左衛門の娘は婿を取って畑を潰しますが祟りは終わらず、今度は婿が出先で西瓜を食べて死んでしまい、こうしてこの家は滅んでしまいました。
倉沢家は、その又左衛門の畑があった土地に建っていたのです。そういう理由から倉沢家では西瓜を食べないようになったのですが、家族の中で彼ひとりだけ、平気で食べていました。
伝説の中の呪いは現代へと舞台を移し、無気味な余韻を残して物語は静かに幕を下ろします。
「西瓜が生首になる!」というショッキングな場面は想像を絶しますが、絵物語作家・画家の南村喬之が1968年刊行『週刊少年マガジン』32号「日本の怪談 大妖異」に、【人面すいか】として独自の「西瓜」を表現しています。
解説では「江戸の旗本やしきのすいか畑には、ときどき女の生首がなる。殺された老婆のうらみという。岡本綺堂「西瓜」から」とあります。昭和ならではといいますか、少年誌だろうとお構いなしの、まったく容赦ない恐怖描写です。この畑の持ち主のお百姓さんでしょうか。良い顔で戦慄しておりますね。おそらく同一人物らしきお百姓さんが『日本の妖怪大図鑑』にもおりました。
こちらも南村喬之による作品と思われます。このページで紹介されている【作物妖怪】は、キュウリや大根といった畑の作物に、死んだ人の霊が乗り移ったものだそうです。全身トゲのある葉に覆われた妖怪で、大きな重い首を手で支えながら移動し、人間に絡みついて血を吸います。畑荒らしの老婆の怨念は、西瓜畑だけでなく、他の作物の畑にも及んでいた——というわけではなく、綺堂の「西瓜」とは関係はないと思います。たぶん。
皆さんは、他に怖かった「西瓜」のお話はありますか? 私は、子どものころに読んで、夢に見るほど恐怖した「西瓜怪談」があります。勁文社『恐怖スリラー大百科』に収録されている「戦慄?スイカ体験」です。語り手の「僕」が、小学3年生の夏休みに体験したトラウマ級の「出来事」について語る、という怪談です。
——夏休み。毎朝、家の周りを掃除していた「僕」は、ある日、裏庭の垣根の隅に何かが落ちているのに気づきます。少し欠けた丸い形で、真っ赤なもの。通行人が西瓜でも落としたんだろうとポンッと蹴とばすと、ゴロンと転がった西瓜は西瓜ではなく、額を割られて首から切断された男性の頭部だった——という大変イヤなお話です。
岡本綺堂「西瓜」は、西瓜が生首に見える怪異が起きますが、こちらは西瓜だと思ったら生首だったという「事件」のお話。前者は創作ですが、後者は「読者の体験か、体験した人から直接聞き書きした」話とされていますが、本当にこんな事件があったのでしょうか。詳細は不明です……。
西瓜と人間の頭部は錯覚するほど似ているものなのでしょうか。
唐来山人著「怪談四更鐘」(天明8年)という黄表紙に、このような話があります。
——生まれつき乱暴な性質で、多くの人を殺した男がいました。それゆえ都に住むことができず、江戸に来て僅かな元手で商いを始めます。男は西瓜を担いで売り歩いていましたが、なぜかだれも買いません。それどころか道行く人たちは怖がって逃げていきます。だれも買わないのは当然でした。男が担いで売り歩いていたのは西瓜ではなく、男が殺した者たちの首だったのです——。
「怪談四更鐘」を収録している『百鬼繚乱』(国書刊行会)の解説には、この話は西瓜行商の姿に悪魔的な幻想が働いて生まれたものだろう、とあります。西瓜はやはり、その形状やサイズから、人間の頭部を連想させるのでしょう。割れば中から赤い果肉が現れ、赤い果汁を滴らせるところも、見る人によっては生首の割れた頭から血が零れる様になってしまうのです。
『和漢三才図会』には、西瓜は承応3年(1654年)に隠元禅師が入朝した際、インゲンマメなどの種と一緒に持ってきたもので、当時は青臭いにおいが嫌がられ、中身が赤くて血肉に似ているからと特に児女は食べなかった、とあります。「八十翁疇昔話」には、昔は町で売っても食べる者なく、道辻番などで切り売りしても中間(武士の最下級の者)くらいしか食べなかったとあります。その後、どんどん品種改良されていき、今ではとても甘くて美味しい西瓜を食べられますが、昔はあまりおいしいものではなく、子どもたちにとっては気味の悪い食べ物でもあったのでしょう。
西瓜の「人の頭」を連想させるという面は「食」においてはマイナスですが、「お化け」にする場合には、なかなか具合が良かったようです。
国際日本文化研究センター「怪異・妖怪画像データベース」で「西瓜」で検索しますと、「西瓜頭」のお化けや、口から種入りの果肉を覗かせる西瓜のお化けなど、西瓜モチーフのお化けがいくつか確認できます。いずれも西瓜という素材をそのまま「頭(顔)」とし、割れた箇所を「口」に見せるなどの表情を作る工夫もされていて、立派なお化けになっています。そこには生首めいたグロテスクな印象はなく、西瓜のヴィジュアルを前面に強く出しているからでしょう、お化けにしてはどれも愛くるしい姿・表情に見えます。
こちら、近年の玩具に見られる愛くるしい「西瓜のお化け」もご覧ください。
素材のフォルムを生かして「頭(顔)」に見立てた姿は、【提灯お化け】の見せ方と似ているように思います。提灯繋がりでいえば、ハロウィンのカボチャのランタン「ジャック・オー・ランタン」も作物が「頭」になったお化けですね。
西瓜のお化けは近年の児童書でも確認できます。
「おばけ屋シリーズ」『おばけ屋のおばけすいか』では、【やまんば】と【こなきじじい】が作った、たくさんの【おばけすいか】が登場します。これは目や口のある西瓜のお化けで、西瓜割りをしようとすると逃げてしまいます。やはり割られるのは嫌なのですね。
『はれときどきぶた』で知られる矢玉四郎作『すいかおばけのおよめさん』に登場するのは、西瓜の頭を持つ人型のお化けです。彼の住む「おばけの村」には【とまとおばけ】もいます。
高橋留美子『うる星やつら』に【スイカ様】という祟り神が登場します。
ある海辺の村で祀られている存在で、村人たちからは大変恐れられていますが、その姿は西瓜に手足がついた、とてもかわいい神様です。かわいいけど、これは祟ります。
過去に禁を破って、西瓜供養の日に西瓜を「十個」も食べてしまった男が、ひどい腹痛で10日間も苦しんだというのです。まあ、いうまでもなく、食べ過ぎによるただの腹痛なのですが……。
綺堂の「西瓜」では、西瓜を食べて死んだ人たちがいました。
倉沢の家で西瓜を食べない理由は、過去にそういう人たちがたくさんいたからです。
そもそも、西瓜を食べて死ぬとは、どういうことなのでしょうか。
西瓜に毒はありません。ただ、食べ方次第では危険かもしれないのです。
『和漢三才図会』では、西瓜を多食すると霍乱(暑気あたりの病)にかかり易くなり、終身、冷病となるので胃弱の者は食べてはならない、とあります。また、油餅と一緒に食べると脾臓を壊し、蕎麦と一緒に食べると体調を崩して死に至ることもあるそうです。
『阿波の俗信』「都市児童の俗信意識の調査」には、「西瓜と揚物を食べたら死ぬ」という俗信が採集されています。現代では、「食い合わせ」には科学的根拠がないといわれておりますが、西瓜と油ものとの食い合わせの悪さについては、どうやら迷信ではないようなのです。
西瓜は水分量が多いため、その分、胃液が薄まって消化能力を低下させてしまう恐れがあります。また、西瓜は身体から熱を逃す効果もありますが、あまり胃が冷えると消化能力は低下します。そこに、ただでさえ胃に負担をかける油ものを摂取すれば、お腹を壊すなどの体調不良を起こすのだそうです。
綺堂の「西瓜」で語られる西瓜を食べて死んだ人たちは、食べ過ぎや喰い合わせが原因ではなさそうです。やはり、殺された老婆の呪いなのでしょう。ただ、作品終盤で西瓜食による死因として「直腸カタル」という病名が出てきます。腸の炎症です。ここにきて実在する病名が出ることで、迷信・伝説の中で蠢いていた「呪い」が途端に迫真性を帯びだし、一層、西瓜に対する不穏な印象が強まっていきます。
綺堂の「西瓜」に登場する問題の西瓜は、複数の人の目がある中で、生首になったり、西瓜に戻ったりします。そして、西瓜に戻った時に割ると、中から1匹の生きた「青い蛙」が飛び出します。しかも、その脚には、長い髪の毛が絡みついている。この西瓜の出所を調べると、ある旗本屋敷から払い下げられたものであることがわかります。その屋敷の畑で獲れた野菜は品質も良いうえに安価なのですが、過去に、南瓜の中に蛇が入っていたということもあったそうです。畑ですから蛙や蛇がいても不思議はありませんが——。
何かの拍子に、作物の中に生き物が入ることは実際にあるのでしょうか。
随筆集『斉諧俗談』巻之五に、【怪瓜(あやしきうり)】という話が入っています。
御堂関白が物忌み(飲食を慎み、不浄を避ける)の中、その傍らには解脱寺の僧正観修、医師の忠明、武士義家の朝臣、陰陽師の清明がおりました。
五月一日、南都(古都奈良)より、早瓜を献上する者がありました。清明がこれを占うと、献上された瓜の中のひとつに毒があることが判ります。僧正の観修が念誦加持すると、ひとつの瓜が動きだします。医師の忠明が念入りにこれを調べ、2か所に針を刺すと、瓜は動かなくなりました。義家が刀でこの瓜を割ってみますと、中から小さな蛇が現れました。
蛇は義家の入れた一刀で首を切られていて、両目には忠明の針が刺さっていました。
清明の占いは、この蛇の持つ毒を察知したのでしょう。
随筆『関秘録』では、西瓜は「犬の糞」で作ると皮まで赤くなるとあり、これを食えば癩病になるとしています。『和漢三才図会』には、猫が西瓜を踏むと西瓜が「沙(じゃり)つく」とあり、こちら、毒性は帯びないようですが、実の中に砂が混じるということでしょう。それはそれで嫌ですね。
また、能楽の脇方の一派、春藤流の祖である春藤弦源七の弟子・笹井忠次郎は、西瓜を食べたために声が出なくなったという話があります。その後、笛の方で成功した彼は、水戸家にも召し出されて公儀にも出るほどの立派な人になったとか。ただ、源七方では忠次郎の件もあるため、家に西瓜を入れることになかったそうです。
声が出なくなるなんて、彼の食した西瓜の中にはいったい何が入っていたのでしょうか。
これは茨城県真壁郡協和町に伝わる、ある農家で起きた、夏の終わりの出来事です。
後作のために畑を手入れしていると、1本の西瓜の芽が出ていました。
それは、すくすくと伸び育ち、すぐに実が生りました。
しかし、西瓜の種など蒔いてはおらず、村内でも西瓜は見たことがありません。不思議に思って蔓の生えている根元を掘ってみますと、その根は太く、かなり深く続いています。
1メートルほど掘った時でした。土の中から人間の頭蓋骨が出てきました。
西瓜の芽は、その頭蓋骨の目から出ていたのです。
こんなことがあって、農家の人たちは初めて、霊魂の恐ろしさを知ったといいます。
以来、どんな作物でも自然に生えているものは怪しみ、食べたり育てたりはするなと伝えたそうです。
動物の死骸が細菌によって分解される際に発生する有毒物を「死毒/屍毒」といいます。
その死毒で育った西瓜は、食べて良いはずがありません。
しかし、こんなお話もあります。
南陵という講釈師の弟子に、とても西瓜好きな南州という弟子がいました。
ある日、彼が西瓜売りから買ったという西瓜は、切るとその断面が、赤っ面の女の顔になるのです。その西瓜だけでなく、他の人が同じ行商から買った西瓜でも、同じことが起きました。
これは妙だと後日、西瓜売りを捕まえて問い質すと、本人もわけがわからぬ様子。今朝から西瓜がまったく売れないので変だと思っていたといいます。
「切ってみます」と、西瓜売りが包丁で切ったところ、西瓜の断面に女の赤い顔が現れます。
お多福飴みたいに、切っても、切っても、同じ顔が出てくるので、青くなった西瓜売りは自分の村に飛んで帰ると、某家に駆け込みました。そこは自分にタダ同然で西瓜を分けてくれている家でした。その家の前の空き地では、なぜか種もまかないのに西瓜がたくさんなるので、家の主人が「売りに行ってはどうだ」と親切心で西瓜を分けてくれたのです。
その家の主人前で、西瓜売りは西瓜を割って見せました。
断面に浮かぶ真っ赤な女の顔を見た主人は、さすがに驚きを隠せません。
そして、「なるほど、あれじゃ……」と、話しだしました。
家の前の空き地には一本の榎が生えていて、昨年の7月、そこに物乞いの婆さんが倒れていたのだといいます。その婆さんは「動けないので一夜、この木の下で休ませてください」と頼むので、可哀そうに思った主人は、飯や薬を与え、数日、面倒をみていたのだといいます。婆さんは涙ながらに「この御恩は死んでも忘れません」といっていたのですが、その言葉から数日後、榎の下で亡くなっていたのだそうです。
しばらくすると、榎の近くに西瓜が生り、それは数えきれないほどに増えていきます。これが、とても甘くてみずみずしい西瓜なのです。しかし、たくさん生りすぎたのでとても食べ切れず、安価で譲ってくれたとのことでした。
それを聞いた西瓜売りは主人と相談し、西瓜の蔓の根を掘り起こしました。
すると、そこから頭蓋骨が出てきました。昨年、亡くなった物乞いの老婆のものです。
西瓜が生ったのは、老婆の恩返しだったのだろうと村人たちは噂したそうです。
『お化と幽霊怪談揃ひ』に収録されている「女の顔」という話です。
西瓜の中から真っ赤な顔面が出てきたら、普通は怨霊の祟りを疑わないでしょう。まさか老婆の恩返しだったとは……もう少し慎重に恩返ししてほしいものです。
同様の死骸から作物が生る話といえば、埋めた猫の死骸から毒カボチャが生る【猫南瓜】という有名な話があります。
【参考資料】
「斉諧俗談」『日本随筆大成』吉川弘文館
広瀬半之助「西瓜になった死霊」『茨城の民俗』第24号 茨城民俗会 1985年
『お化と幽霊怪談揃ひ』大文館書店 1919年 (次世代デジタルライブラリー)
柴田宵曲編『随筆辞典 衣食住編』東京堂出版
近藤瑞木編『百鬼繚乱 江戸怪談・妖怪絵巻集成』国書刊行会
『阿波の俗信』1942年
寺島良安『和漢三才図会』平凡社
松田修『植物と伝説』明文堂1935年
浜口一夫編『佐渡の民話』未来社 1959年
大伴昌司・構成「日本の怪談 大妖異」『週刊少年マガジン』1968年32号
中岡俊哉『日本の妖怪大図鑑』二見書房1978年
あわたのぶこ・文/ただはるよし・絵『おばけ屋のおばけすいか』小峰書店 2007年
矢玉四郎『すいかおばけのおよめさん』岩崎書店 2001年
黒史郎
作家、怪異蒐集家。1974年、神奈川県生まれ。2007年「夜は一緒に散歩 しよ」で第1回「幽」怪談文学賞長編部門大賞を受賞してデビュー。実話怪談、怪奇文学などの著書多数。
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