大河ドラマをムー的に楽しむ副読本「紫式部と源氏物語の謎55」/ムー民のためのブックガイド
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光源氏の終焉を暗示する『源氏物語』幻の巻。謎とされてきたその所在を大胆に推理する!
『源氏物語』は全部で54巻(正式には「54帖」という)から成る。
このうち光源氏が登場するのは第1巻「桐壺」から第41巻「幻」までで、第42巻「匂宮(におうみや)」からは、匂宮(光源氏の孫)と薫(表向きは光源氏の息子)を中心とするストーリーがはじまる。
ただし、第41巻と第42巻のあいだには、「雲隠(くもがくれ)」というタイトルのみで本文のない巻が存在する。そしてこの巻名は、物語全体の主人公・光源氏の死を象徴していると解されている。
というのも、第41巻「幻」の最後は、最愛の女性・紫の上を失った光源氏が出家の準備をしつつ、故人への追憶を重ねる日々を過ごすところで終わり、第42巻「匂宮」の冒頭は、「光源氏がお亡くなりになったのち……」という文章ではじまっているからだ。
つまり、光源氏の臨終に関する具体的な描写は何らないのだが、読者は、貴人の死の隠喩的表現でもある「雲隠」というタイトルによって、「幻」巻の最後から「匂宮」巻の冒頭までのあいだに源氏が亡くなっていたことを、それとなく知らされる仕掛けになっているのだ。
しかも、本文テキストの不在が、主人公の喪失を寓意してもいる。心憎いほどに奥床しい、脱帽のレトリックである。
ただし、この「雲隠」巻については、古来、解きがたい謎がある。
それは、このレトリックが原作者・紫式部のアイデアによるものなのか、それとも後代の人間が考えついたものなのか、という問題である。
この謎は、『源氏物語』の古写本を調べてゆくと、さらにやっかいなものとなる。
紫式部直筆の『源氏物語』原本ははやくに失われたらしく、この物語は写本によって伝えられてきた。現存最古の写本は鎌倉時代のもので、式部の時代からおよそ200年後に、当時流布した書写本をもとにまとめられたものだ。
そして、そのような中世にさかのぼる『源氏物語』の古写本をみると、各巻は独立した冊子(帖)になっていて、各冊子の表紙に「桐壺」「幻」などの巻名が記されている。
では、「雲隠」巻はどういう状態になっているのか。中身は白紙で、表紙に「雲隠」とのみ記された冊子が存在するのか――。
ふつうはそう考えるところだろうが、さにあらず。じつは、「雲隠」巻の冊子そのものが存在していないのだ。そのうえ、前後の巻に「雲隠」巻の存在を示唆するような文言や注が書かれているわけでもない。
ここからごく単純に、「『雲隠』巻は、もともと本文はもちろんタイトルも存在しなかった」と解することも、もちろんできる。これは、レトリックとしての「雲隠」巻は紫式部のアイデアではないとする説と結びつく。
だが、ここで発想をひっくり返すと、「当初は本文をもつ『雲隠』巻が実在していたのだが、写本をつくる際に書写し忘れられ、巻そのものが失われることになってしまったのだ」と解することもできてしまう。
つまり、現存する古写本の形態からすれば、「紫式部は『雲隠』巻をしっかり書いていたのだが、それが何らかのアクシデントにより丸ごと失われてしまい、幻の巻となったのだ」という見方も、成立しうるのである。
もっとも、この見方をとった場合には、「では、読者はどうやって〈幻の巻の存在〉を知るのか」という、ややこしい謎が新たに生じてしまうのだが……。
『源氏詞知(げんじことばしり)』という、室町時代の成立と推定される『源氏物語』の梗概書がある。このなかに、次のような記述がある。
「『雲隠』は全部で6巻(帖)から成っていて、『源氏物語』は本来は全60巻だった。ところがのちに『源氏物語』が非常に重んじられるようになると、このうちの『雲隠』6巻が選び出されて宇治の宝藏(ほうぞう)に収められた。そのため『雲隠』巻は世に伝わらなくなり、『源氏物語』は54巻になったのだ」
「宇治の宝蔵」というのは、摂政・関白を務めた藤原頼通(道長の息子)が永承7年(1052)に創建した、あの有名な宇治の平等院にあった巨大な経蔵のことである。この平等院の経蔵には、経典の他に、空海が唐から将来したという愛染明王像、「元興寺(がんごうじ)」と名づけられた琵琶の名器など、天下の名宝が集められて秘蔵された。そのため、「宇治の宝蔵」と称えられ、藤原摂関家の権勢のシンボルとなったのだ。藤原氏では、摂関に任じられて氏長者となった人間がこの経蔵の宝物を検分することがならいになり、余人がこれらを目にすることは許されなかったという。
その蔵の中に、テキストをもつ「雲隠」が――しかも6巻分も――秘宝として収められていたというのである。
もとより、この話は風説にすぎないが、かといって、根も葉もないまったくの与太話というわけでもなさそうだ。
というのも、宇治の宝蔵には『源氏物語』の貴重な古書が奉納されていた形跡があるからだ。
『光源氏物語本事(ほんのこと)』という鎌倉時代中期に書かれたとみられる文書によると、当時現存していた『源氏物語』の重要な伝本に、「宇治宝蔵本」と呼ばれるものがあったという。これはおそらく宇治の宝蔵に収められていた『源氏物語』の古写本のことで、藤原摂関家の重宝として大切に保管されていたのだろう。
平等院を創建した頼通の父・道長は紫式部の『源氏物語』執筆を後援したといわれている。このことを考えれば、この古写本は、紫式部自筆の『源氏物語』と非常に近い関係をもつものであったことが想像される。
いや、それは写本などではなく、式部が道長にお礼として贈った『源氏物語』自筆本のひとつだったのではないか。つまり、オリジナルの『源氏物語』だったのではないか――。
そしてその自筆本には、テキストをもつ「雲隠」巻がボーナストラックのようなかたちで付け加えられていたのではないだろうか――。
そんな想像にも駆られるが、いずれにしろ、宇治の宝蔵の収蔵品は何ひとつ現存していない。歴史をへるうちにすべて散逸してしまったからだ。
平安時代末期までに作成されたとみられる収蔵品リスト『平等院御経蔵目録』は残されているのだが、残念ながら、そこに「雲隠」の語を見出すことはできない。
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https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-90377-4
古川順弘
宗教・歴史系に強い「ムー」常連ライター。おもな著書に『仏像破壊の日本史』『紫式部と源氏物語の謎55』、近刊に『京都古社に隠された歴史の謎』など。
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