世界の転生思想ーー「生まれ変わり」と「前世の記憶」の基礎知識/世界ミステリー入門
世の中には、前世の記憶や、生前に負った傷跡に対応するあざなどを持つ人々が存在する。「生まれ変わり」や「転生」と呼ばれるこの現象は、活仏ダライ・ラマや聖者サイババに代表されるように、世界中で多くの事例が
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毎回、「ムー」的な視点から、世界中にあふれる不可思議な事象や謎めいた事件を振り返っていくムーペディア。今回は、独自の魔術体系を編みだし、20世紀初頭の世界に一大センセーションを巻き起こした稀代の魔術師を取りあげる。
アレイスター・クロウリー。独自の魔術体系を作りあげた魔術師で、詩人、作家、旅行家、アルピニストとしての顔も持ち、「20世紀最大の魔術師」と称された。
2002年、イギリスの公共放送BBCは、「100人の偉大なイギリス人」という番組を放映した。製作にあたっては世論調査を行い、現代までの英国史上傑出した人物100人を選んでランキングをつけた。このとき73位に選ばれたのがだれあろう、かのアレイスター・クロウリー(1875〜1947)であった。
クロウリーは「黙示録の獣」を自称し、〝20世紀最大の魔術師〞といわれる人物だ。同時代の世間の目は、麻薬常習者で同性愛者、はたまた悪魔崇拝者などと彼に対して常に厳しかったが、生涯何冊もの魔術指南書をしたためたばかりでなく、詩や小説も数多く残し、若いころは登山家としても知られていた。まずはその波瀾の生涯を振り返ってみよう。
クロウリーは1875年10月12日、イギリスのウォリックシャー州レミントン・スパで、富裕な醸造業者の子に生まれた。子どものころから頭脳明晰で知識欲も旺盛、4歳で『旧約聖書』の「創世記」を読んだというが、頑固でプライドが高く、反抗的な子どもでもあった。手を焼いた母親は、彼のことを「獣」と呼んだほどだ。
両親が熱心なキリスト教徒であったため、やがて宗教系の寄宿学校に入るが、彼の性格も災いしたのか、激しいいじめを受けて中退することになった。彼がキリスト教というものに強い反感を抱くようになったのは、このころからのようだ。
名門ケンブリッジ大学に入学すると英文学を専攻し、多くの詩を書いて学内誌に発表、チェス部では部長を務める傍ら登山にも熱中した。1897年にロシアを訪問した際には、外交官を志したこともある。
一方でオカルトへの関心を強め、同性愛に目覚めたのも在学中で、卒業後の1898年11月18日に魔術結社「ゴールデンドーン」に参入する。
クロウリーもまずは新規参入者「ニオファイト」の位階から始めることになるが、1年も経たずにすべての課程を修了、上級者のみに許される内陣への参入を求めた。
ところが、一部の団員が彼の素行を理由にそれを拒んだため、クロウリーは当時パリにいた団長のマクレガー・メイザースに直談判し、内陣に属する「アデプタス・マイナー」の位階を与えられる。
帰国後は、メイザースから全権代表に任命されたとして、ロンドンにある儀式用具や文書の押収を図った。しかし、これに反発した他の団員たちは、メイザースともどもクロウリーを追放した。
追放後、クロウリーは世界旅行に出る。父の遺産があったため、資金に事欠くことはなかった。このときは、メキシコからサンフランシスコ、ハワイを経て、短時間日本にも立ち寄っている。インドではヒンズー教や仏教についても学び、当時未踏峰だったK2登頂にも挑戦している。
1902年にパリを訪れると、フランスの芸術界に出入りし、このとき知り合った画家ジェラルド・ケリーの妹ローズと、2年後に結婚する。
1904年、クロウリーとローズは新婚旅行でエジプトのカイロに何か月か滞在した。クロウリーはカイロでも魔術を実践していたが、あるとき妻ローズがトランス状態に陥り、古代エジプトの神ホルスからのメッセージを受けた。
クロウリー自身も聖守護天使エイワスの声を聞くという経験をし、この声を書き留めたのが代表作『法の書』である。その中に述べられた「汝の欲するところを行え」という言葉は、以後クロウリーが生涯をかけて追求する、「テレマ」という宗教思想の根本となっている。
帰国したクロウリーを待っていたのは、かつての師、メイザースからの魔術攻撃であった。ネス湖畔で魔術にふけっていたクロウリーの雨合羽が突然燃えだす、飼い犬が次々と変死するといった怪事に対し、クロウリーはアブラメリン魔術で悪魔を呼びだし、それに対抗した。
1906年には再び世界一周に旅立ち、今回はヒマラヤ山脈のカンチェンジュンガ征服に挑んだが失敗、帰国したクロウリーを待っていたのは最愛の長女リリス病死の報だった。
しかし、翌1907年には次女ローラが産まれ、気持ちを立て直したクロウリーは魔術結社「銀の星」を結成、機関誌「エクイノックス」を創刊して、テレマの普及に努める。1909年にはアルジェリアで、エノク魔術における大悪魔コロンゾンの召喚も行っている。
1910年、この「エクイノックス」の記事がゴールデンドーンの秘密を暴いているとしてメイザースに訴えられたが、裁判には勝利した。
1912年には、ドイツの魔術結社「東方聖堂騎士団」を率いるテオドール・ロイスに認められて、イギリス支部ミステリア・ミスティカ・マキシマを設立する。ふたつの魔術団体を主宰するクロウリーの名は世間にも広まったが、それに比例してマス・メディアによる攻撃も強まっていった。
1914年、第1次世界大戦勃発直後に、クロウリーはアメリカ・ニューヨークに渡った。そこではドイツを支持する団体に加入し、その機関誌「ファーザーランド」の記者になった。
この行動は、じつはイギリス情報局に協力して、ニューヨークにおけるドイツの活動をスパイするためのものともいわれるが、ともあれ戦争の激化にともなって帰国できなくなり、活動資金も尽きてきた。
終戦後の1919年、困窮したクロウリーがロンドンに戻ると、今度は母親の遺産が手に入った。そこで彼が目指したのは、テレマを本格的に実践する施設の建設だった。
易を立ててイタリアのシチリア島にあるチェファルを選定し、そこで借りた民家を「テレマ僧院」と命名した。ここでクロウリーは愛人や弟子たちと一緒に暮らし、日々魔術を実践して過ごした。
しかし、そんなクロウリーについて、イギリス本国の大衆紙はしつこく悪口を書きたてた。そこで、イギリスとの関係を懸念したイタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニは、クロウリーをイタリアから追放し、テレマ僧院も閉鎖された。
追放後クロウリーは、東方聖堂騎士団の運営を正式にロイスから受け継いだ。しかし生活は次第に困窮し、住処を定めぬ放浪の生活を送った。薬物依存のために健康状態も悪化していた。
一時滞在したフランスからは、ドイツとの関係を疑われて追放された。新たに拠点としたドイツでは、1933年、魔術結社に敵対的なナチスが政権を握ったため、イギリスに帰国した。
ぜいたくな生活を続けたことで、1935年には自己破産を余儀なくされた。それでも執筆活動は精力的に続け、1938年からは有名なトート・タロットの制作に取り組んでいる。
第2次世界大戦中はロンドン大空襲を逃れて国内を転々とし、銀の星もミステリア・ミスティカ・マキシマも活動停止状態となった。
そして1947年12月1日、イーストサセックスの片田舎にあるネザーウッドにおいて、72歳の生涯を閉じた。彼が得意とした魔術も、人生の歯車を好転させることまではできなかったようだ。
一方クロウリーは、魔術の探求に関しては非常に熱心で真剣だった。
ゴールデンドーンで必須だったカバラやタロット、アブラメリン魔術やエノク魔術はもちろん、世界旅行の際には、各地の宗教や魔術的技法を貪欲に取り入れ、インドではタントラにも入門した。ヨーガや易も学び、イスラム神秘主義にも手を染めている。
性魔術やドラッグの使用も、クロウリーにとっては種々の魔術を研究する一環だったのかもしれない。召喚などの魔術実験を行った際には、緻密な記録を残している。そのやり方はまさに、彼のいう「魔術は科学である」という言葉を体現している。
そして、彼が生涯を通じて探求し、広めようとしたのが、テレマと呼ぶ独自の宗教観念であった。
彼は、20世紀に人類が「ホルスの時代」と呼ぶ新時代に入ると信じた。それまでの「オシリスの時代」には、キリスト教やイスラム教、仏教のような父性的宗教が世界を支配したのに対し、ホルスの時代には、人間が自分の運命に一層支配的な役割を果たすことになるという。その新時代にふさわしい新しい宗教運動こそが、テレマなのである。
そして、守護天使エイワスのメッセージにある「汝の欲するところを行え」という言葉がこの思想の原則であり、クロウリーは自分が新時代の〝預言者〞であると信じていたようだ。
この視点を重ねてみると、娘の死や離婚、度重なる追放や破産をものともせず、ひたすら魔術の探求を続けた彼の人生は、まさに自分の欲するところに従って突っ走った結果であるといえそうだ。
その後の魔術界におけるクロウリーの影響は大きい。
東方聖堂騎士団は彼の死後アメリカで活動を再開し、現在も存続している。今や世界的な魔術の新潮流となっているウィッカの創設者ジェラルド・ガードナーは、儀式を作る際にクロウリーの協力を求めた。サイエントロジー創設者ロン・ハバードもまた、アメリカ東方聖堂騎士団のメンバーだった。
ロック・ミュージック界への影響は、弟子であった映画監督ケネス・アンガーの役割が大きい。ビートルズはそのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のジャケットにクロウリーを登場させ、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジは、ネス湖畔のクロウリーの邸宅を買い取って所有していたことがある。
彼が述べたホルスの時代の到来という考えは、その後のニューエイジ思想を先取りするものといえるし、麻薬による魔術の実践やフリーセックス思想は、精神解放やヒッピー運動の先駆的なものともいえる。さらに時代に先駆けて、同性愛者に対する偏見にも反対している。
ある意味、時代が彼に追いついてきたといえるかもしれない。クロウリーが100人の偉大なイギリス人のひとりに選ばれたことは、こうした死後の再評価やポップカルチャーにおける人気が後押ししたものでもあるだろう。
●参考資料=『黄金の夜明け魔法大系6 性魔術の世界』(フランシス・キング著/国書刊行会)、『ムー特別編集事典シリーズ6 魔術』(学研)
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