カバラの奥義により命を吹き込まれた「人造人間ゴーレム」/ムーペディア

文=羽仁 礼

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    毎回、「ムー」的な視点から、世界中にあふれる不可思議な事象や謎めいた事件を振り返っていくムーペディア。今回は、迫害されていたユダヤ人たちを守るために、土の塊から生みだされたゴーレムの伝説を取りあげる。

    カバラの奥義が生んだ 人造人間「ゴーレム」

     人間とは、つまるところどういった存在なのだろう。
     現代の生物学においては、人間といえども所詮哺乳類の一種に過ぎず、遺伝子レベルで比べるなら、チンバンジーとヒトの差は2パーセントもないという。もし地球外から来た異星人が地上の動物を観察し、分類するとしたら、ヒトのことは毛のない猿の一種、ハダカザルとでも命名するのではないだろうか。

     他方、ユダヤ教やキリスト教における伝統的な世界観では、人間は造物主たる神より、他の動物を支配するものとして創造された。そのために神は、自らの姿に似せて土くれを成形し、それに息を吹き込んで人類の祖アダムを生みだした。
     そこで、ユダヤ教の伝承では、カバラの奥義に通じた賢者たちは、この造物主の御業にならって人間を生みだすことができると信じられてきた。このようにして生まれた人造人間が「ゴーレム」だ。
     ゴーレムという言葉は本来、ヘブライ語で「不完全な存在」といった意味合いを持っていたようで、土の塊から形作られたばかりで魂の入っていない状態のアダムも、「ゴーレム」と呼ばれていたという。
     ゴーレムという言葉が人造人間の意味で用いられるようになったのは12世紀ごろからというが、ユダヤ教の賢者が人間を創ったという伝説は、それ以前の古い時代から伝えられている。
     たとえば、アダムの孫にあたるエノシュも人間を創ったといわれ、3世紀や4世紀のラビ(指導者)たちの中にも、人間だけでなく、神への生け贄に供するための子牛を創った者がいる。

     その後も、11世紀スペインのソロモン・イブン・ガビロールや12世紀のアブラハム・イブン・エズラ、16世紀プラハのラビ、レーヴ・ベン・ベサレル、18世紀ポーランドのエリヤ・ベン・ソロモンなど、多くの人物が実際にゴーレムを造ったと伝えられている。
     こうしたゴーレム伝説に関係する人物の中でも、もっとも有名なのがレーヴ・ベン・ベサレルである。

    ユダヤ人を守るために造られた土くれの巨人

     レーヴ・ベン・ベサレルは、1520年にチェコのプラハで生まれ、長じてユダヤ教の律法学者ラビとなった。律法学者といっても、実際にはユダヤ人社会における生活上のありとあらゆる相談に応じて判断を下し、また現地のユダヤ人社会を代表して時の権力者とかけあうこともあった。
     彼の時代のプラハは、同時代の西欧諸国の都市の中では、ユダヤ人にとって比較的住みやすい場所であったが、居住地区が市内の一角に限られていたことは他の諸都市と変わりない。また、1389年に起きた「ポグロム」(ユダヤ人に対する激しい迫害行為)のように、時折ユダヤ人への暴力行為も発生していた。

     レーヴがゴーレムを造ったのは、1580年のこととされている。
     このとき、何者かがユダヤ人居住区に死体を投げ込むという事件が起きた。ユダヤ人がキリスト教徒を殺害していると濡れ衣を着せようとしたのだ。レーヴはこの事件をどう解決したらよいかと神に祈り、「ゴーレムを造るように」との天啓を得た。

     翌朝レーヴは、自分の娘婿と弟子のひとりを呼び、ゴーレムを造る準備を始めた。7日目に諸準備が整うと、3人は沐浴を行って身を清め、白い衣服に身を包むと、深夜にプラハ市内を流れるヴルダヴァ川へ赴いた。川原で必要な分量の土を集めると、まずは「詩篇」の詩句を唱えて祈った。それから3人で土をこね、身長3メートル以上もある巨大な人型を造った。口や目、鼻、耳などの細部まで、生きた人間そっくりに成形した。

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    迫害され、苦しむユダヤ人たちを救うため、カバラの奥義を使ってゴーレムを造りだすレーヴ・ベン・ベサレル。
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    プラハ市内を流れるヴルダヴァ川。ゴーレムの体はこの川の土で造られた。

     土人形ができると、まずはレーヴの娘婿が、呪文を唱えながらその周囲を歩いて回った。1周回ると、湿っていた土が乾き、3度回るころには熱を帯びてきた。7周回り終えると、土人形は白熱した鉄のように光りはじめた。続いてレーヴの弟子が、やはり呪文を唱えながら7周回った。1周すると土人形の光が消え、回るに連れて爪や毛が生え、ついにはその表面に、人間の皮膚のようなうっすらとした光沢が生じた。最後にレーヴ自身が7周回り、神の名を記した護符をゴーレムの口の中に入れた。
     そして、3人が声を揃えて呪文を唱えると、ゴーレムが目を開け、のそのそと起きあがったのだ。

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    土くれから生みだされたゴーレムのイメージ。神の名を記した護符を口に入れて、命を吹き込む。

     レーヴの造りだしたゴーレムは、身の丈が非常に巨大であること、言葉を話さないことを除けば、外見上は普通の人間と変わりなかった。
     他方、ゴーレムはとてつもない怪力を持ち、鳥のように空を飛んだり、風のように早く動いたり、姿を消したりするなど、人間にはない不思議な能力も持っていた。主人の命令には絶対服従し、さまざまな能力を活かして、普通の人間にはできないという。

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    チェコではゴーレム伝説はポピュラーな物語として知られ、
    ゴーレムをモチーフにした土産物もたくさん作られている(筆者撮影)。

    使命を終えたゴーレムは今もプラハに眠る?

     レーヴがゴーレムに期待したのは、キリスト教徒の嫌がらせや冤罪からユダヤ人社会を守ることであった。「プリム」や「過越祭」など、ユダヤ教の重要な祝祭日には、ゴーレムを巡回させて陰謀を未然に防いだ。
     あるときには、ゲットーに働きにきていたキリスト教徒の女中が突然姿を消すという事件が起きた。すると、ユダヤ人が「シャバット(安息日)の儀式」でキリスト教徒の生き血を使用しており、この女中もそのために殺されたのだと証言する者が現れた。レーヴは、国中を捜してこの女中を見つけるようゴーレムに命じ、ゴーレムは何日も各地を走り回って、彼女を生きたまま連れ帰ってきたという。

     だが、キリスト教徒とユダヤ教徒の間に平穏が訪れると、ゴーレムの使命も終わることとなった。
     それは、1593年5月10日のことと伝えられている。
     ゴーレムを造りだした3人、すなわちレーヴと娘婿、そして弟子のひとりは、ゴーレムをシナゴーグの屋根裏部屋に連れていった。
     まずはゴーレムに眠るよう命じ、ゴーレムを起きあがらせたときの呪文を、3人で逆に唱えた。すると、ゴーレムの寝息が次第に細くなっていった。それから、レーヴが口から護符を取りだすと、ゴーレムの呼吸は止まった。その後は、造りだしたときと逆の順序で、前とは逆回りに、3人が7回ずつゴーレムの周囲を回った。
     すべての儀式が終わると、ゴーレムは単なる土の塊に戻っていた。その土くれを、3人は屋根裏部屋にあった本の切れ端や布切れで隠して去った。このとき、ゴーレムの残骸が隠された場所は、現在もプラハに残る旧新シナゴーグだと信じられている。

     旧新シナゴーグとは一見奇妙な名称だが、レーヴの存命当時に「新シナゴーグ」と呼ばれていたものが、その後、より新しいシナゴーグがいくつも建てられたため、現在は旧「新シナゴーグ」と呼ばれているのだ。

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    ヨゼホフ(旧ユダヤ人街)にある旧新シナゴーグ。この屋根裏にゴーレムの残骸が隠されていると伝わっている(写真=uslan Kalnitsky/
    Shutterstock.com)。
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    チェコの首都プラハの新市役所にあるレーヴの像。ユダヤの偉大なラビ(指導者)として知られる。

     またゴーレムを土に戻す方法については、別のやり方も伝わっている。
     たとえばエリヤ・ベン・ソロモンの場合、彼はゴーレムの額にヘブライ語で「真理」を意味する「emet」という文字を書き、土に戻すときには冒頭の一文字を消した。すると「met(死んだもの)」という意味になり、ゴーレムも土に帰ったという。また、ソロモン・イブン・ガビロールの場合は女性のゴーレムを作ったが、このゴーレムはロボットのように分解したり組み立てたりできたという。

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    ゴーレムを造ったと伝えられる哲学者ソロモン・イブン・ガビロール。
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    ラビのエリヤ・ベン・ソロモン

    現代まで語り次がれるゴーレムの伝説

     ところで、レーヴのゴーレムについては、いくつか後日談がある。
     まずは、レーヴの死後かなりたってから、ゴーレムを捜してプラハにやってきた、あるユダヤ教神学生の話がある。

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    旧ユダヤ人墓地にあるレーヴの墓(写真=Petr Bonek/Shutterstock.com))

     彼は、レーヴのゴーレムは女性だと信じていたようで、どこかでソロモン・イブン・ガビロールの逸話と混同が生じていたらしい。ともあれ、彼は首尾よくシナゴーグの屋根裏部屋で、人の形に集まった土の塊を見つけた。早速、口の部分に護符を差し込んだところ、表面の亀裂やひび割れがふさがってゴーレムが呼吸を始め、ついには起きあがった。
     ところが、起きあがったゴーレムは、際限なく大きくなっていった。ついには人間の形を失い、巨大な土の山が屋根裏部屋のほとんどを占めてしまった。さすがに恐ろしくなったこの学生は、手を伸ばして護符を引き抜いた。その瞬間、大量の土の塊が彼を押しつぶしてしまったという。

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    旧新シナゴーグ内部にはレーヴの椅子がある。彼の死後、だれも座ろうとはしないという(写真=marcobrivio.photo/Shutterstock.com)

     ゴーレムをめぐる逸話は、20世紀にも残っている。
     チェコのジャーナリスト、エゴン・エルヴィン・キッシュは、あるときゴーレム伝説の真偽を確かめるべく、自ら旧新シナゴーグを調査した。そして1925年、キッシュは「ゴーレムは密かにシナゴーグから運びだされ、郊外で埋葬されていた」と発表した。一方で、彼は親しい友人に対し、「シナゴーグの屋根裏でゴーレムを見つけた」と述べていたとの証言もある。 
     ゴーレムが現在どこに所在するか、本当のところは不明だが、レーヴのゴーレム伝説は、チェコではだれもが知っている有名な物語である。現代の人造人間であるロボットが、チェコの劇作家カレル・チャペックの作品で最初に登場したことも、偶然ではないようだ。

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    チェコの小説家、劇作家カレル・チャペック。戯曲『R.U.R』で初めて「ロ
    ボット」という言葉を作りだしたが、そのモチーフはゴーレム伝説が下敷き
    になっている。
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    『R.U.R』の舞台公演の様子。右から2番目と3番目がロボットの役だ。

    羽仁 礼

    ノンフィクション作家。中東、魔術、占星術などを中心に幅広く執筆。
    ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)創設会員、一般社団法人 超常現象情報研究センター主任研究員。

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