心身に入り込んだ先祖の障り「血濁」を癒す!/嶽啓道流 先祖供養法

取材協力=麒麟(き りん/嶽啓道杜頭) 文・構成=本田不二雄(神仏探偵)

    お盆の時期、先祖信仰の深奥と、ご先祖様との正しいつながり方を知るべく民俗信仰と呪術のエキスパート・まじない屋き りん堂店主・き りん師にご教授願おう。

    ご先祖さまとつながっているのが前提

     き りん師のいう〈先祖は私である〉は、反転させれば〈私は先祖である〉となる。
     もちろん、〈私〉はいまを生きる独立した個人であり、客観的には先祖とイコールではない。
     しかし、自分を形づくっているベースが無数の先祖にあると考えれば、何とも不思議で、ありがたくも思える反面、自分のネガティブな面に対しては、ときに恨めしくも思えてくる。
     き りん師の話には、しばしば「血濁」というワードが出てくる。相談者のさまざまな問題を考えるときのキーワードのひとつのようだ。
     師の話をまとめれば、「血濁」とは、文字通り「血の濁り」のことで、大きく「身体の病の因子」と「精神(心)の病の因子」に分けられるという。
     前者は、さまざまな病にかかわる遺伝的な要因を指し、後者は、子孫の精神衛生に影響をもたらす先祖の“心の傷”を指しているようだ。
    「このほか、環境の血濁というのもあるんです。その家独特の環境や習慣みたいものは脈々と引き継がれていく。思考のパターンもそう。その家に受け継がれたものは無意識のうちに子孫の中に入っています」
     ただし、個々によってそのあらわれは一様ではない。
    「隔世遺伝的に出ることもありますし。ただ、仮に親兄弟とはまったくちがう個性に見えても、先祖から備わったものの影響は意外と大きいと考えます」
     なお、「血の濁り」といえば、ネガティブな印象を抱くが、よくよく考えてみれば、病まない人はいないし、悩みや苦しみと無縁な人もいない。広くいえばその人特有の気質や性向に影響を与えるもので、無数の先祖たちとつながっている証でもある。 もちろん、先祖からは一族の優秀な気質や気風なども引き継いでいるわけで、決してマイナスばかりではない。
    「結局のところ、先祖からの因縁がどう出るかはわからない。むしろ、『こういう家系だから』という言葉を気にしすぎて余計に因縁を招いてしまう例だってあります」(き りん師)
     嶽啓道の教えは、「いいことも悪いことも“濁”あればこそ」。先祖からもらったものに対してどう思うか、それによってどんな行動を選ぶかによって、濁を清算し、ポジティブに転化することは可能だと師はいう。
    「先祖供養ですから、供養するのは先祖なのですが、実のところ、先祖から受け継いだ“内なる濁”を生む感性を供養する、ということなんですね」

    供養すべきは直系だけではない

     では、嶽啓道による先祖供養の作法はどのようなものか。
    「き りん堂では、年に4回、土用にあたって必ず出すおまじないのひとつに、『先祖累々おやすめまじない』があります」
    「『おやすめ』には、『休む』もあれば、『安寧』の意味もあります。『安』も『寧』も『やすらかに』の意なんですね。これらの意をこめて、先祖の〈やすらかなおやすみ〉を願うまじないなんです」
     なお、「累々」とは「積み重なっている、または連なり続くさま」をいうが、「先祖累々」とは、どのような対象を想定しているのだろうか。
    「あえて『累々』の文言を足しているのは、直系とか血縁の先祖もいれば、それに関わる人たち、関わった人たち、それらすべての故人への供養の思いを乗せているからです」
    「それぞれに柱(供養をする先祖ひとりを一柱とする)を立てて供養するのは結構なことですが、先の話でいえば7代=128柱を立てなければなりません。ところが、それぞれの代で兄弟姉妹がいて、養子縁組あり、離縁や再婚ありで、先祖関係者の実数は、実際は128ではとてもすまなくなります」
     確かに、それら「関係者」は供養すべきは直系だけではない戸籍をたどっても追いきれない一方で、それぞれの代の先祖に生じた問題は“濁”となって子孫に引き継がれる。決して無視はできないのだ。
    「だから、すべての先祖および関係者を対象に、一本の柱を建てて思いをつなげる。その一本柱に心を尽くすという供養を行っています」と、き りん師。
    「なかには末代まで祟ってやるとされた人もいるかもしれないし、浮気をされて恨み骨髄の奥さんもいたかもしれない。それらすべてをひっくるめて『心安寧にやすらいでください』という作法なのです」

    関東某県に伝わる旧家の一族墓。一族の祖とされる墓には寛永年間(江戸時代初期)の記銘がある。このような形で先祖が供養される例は現代ではまれである。

    基本は、まじない言葉を唱えて食事すること

     その具体的な作法とはどのようなものだろうか。
    「きりん堂と結縁していただいた方々に、『先祖累々おやすめまじない』をお伝えし、年4回の土用の期間、おまじない言葉を唱えてから食事を摂っていただくというものです」
     土用とは、「土旺用事」(土旺に用事をなす)の略で、立春・立夏・立秋・立冬の直前の約18日間をいう。つまり四季の変わり目にあたり、土(肚)が騒ぐ不安定な時期とされる一方、きりん師によれば「まじないが“入りやすい”」時期でもあるという。
     残念ながら、そのまじない言葉は、きりん堂有縁の方々それぞれに向けたもののため、ここでは公開できないが、ともあれ「おまじない言葉を唱えて食事する」というシンプルな作法である。
    「季節によっておまじないの言葉は少しずつ変えているのですが、要は先祖累々に『やすらぎませ』と祈る。それを唱えてご飯を食べると、おかげさま(精霊)を含めたご先祖様に食事が届く。これが血濁を調え、癒すことになります。ご先祖様たちは肉がないので、自分の身体を通して肉のない方たちを癒すという考え方です」
     なお、「供養」とは「敬意をもってもてなすこと」だが、文字通り「供え、養う」でもある。また、「養」には「食物によって身体をつくり心を豊かにする」意味がある。このシンプルな作法は、自分の血肉になるものを食べることを通して(すなわち私を通して)ご先祖様にお供え物を届けることなのである。き りん師によれば、食事は特別なものでなくてもいいという。
    ただ、お供え物だと考えれば、ジャンクなものは避け、体にいいものを意識するのがベターだろう。
     結果として、先祖への供養はイコール自分への供養になる。〈先祖は私である〉という嶽啓道のセオリーそのものである。

    き りん師(まじない屋き りん堂店主)。土着民俗宗教・嶽啓道「麒麟」の継承末子。
    祈願祈禱による祓い、鎮め、浄め、拓き(開運)のまじない作法に精通する。

    (月刊ムー 2024年9月号)

    本田不二雄

    ノンフィクションライター、神仏探偵あるいは神木探偵の異名でも知られる。神社や仏像など、日本の神仏世界の魅力を伝える書籍・雑誌の編集制作に携わる。

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