透視、念力、テレパシーを軍事利用していた? 知られざる旧ソ連・ロシアの超能力研究

文=泉 保也

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    東西冷戦がつづく1970年代、旧ソ連では、念動力やテレパシーなどの超能力研究が盛んに行われていた。念動力者ニーナ・クラギーナに代表される超能力者の研究は、軍事利用が目的となって発展していった。

    旧ソ連で行われた驚くべき念力実験

     異様なまでの緊迫感が漂うなか、白衣を着した立会人のだれもが息を殺し、固唾(かたず)を呑んで見守っていた。

     1970年3月10日。旧ソ連はレニングラード(現サンクトペテルブルク)にあるゲナーディ・セルゲーエフ博士の心理学研究室。ステンレス製の実験台の上にはリンゲル液を満たしたビーカーが置かれ、液体のなかではカエルの心臓がピクピクと搏動している。
     そこから75センチほど離れた椅子に坐る中年の女性が意識を集中し、心臓に向かって“念”を放射している。念力でカエルの心臓を止めようという実験だ。
     午前10時28分、念の放射開始。女性のほほに朱がさし、躰が小刻みに震えはじめた。
     5分、10分、15分、20分……。何の変化もないまま静寂の時間が流れる。カエルの心臓は強靭で、体外へ取りだしても数時間は搏動をつづける。23分が経過した午前10時51分、ついに変化が起こった。心臓の搏動がぴたりと止まったのだ。
     注視していた数人の科学者たちが息を一気に吐きだし、驚愕の歎声を洩らした。女性は肩の力を抜き、躰をリラックスさせる。面輪からも朱色が消えていく。
     拍手が湧き起こり、研究室の空気が揺れた。と、同時にカエルの心臓がピクッと震え、再び搏動をはじめた。搏動は1時間ほどつづいてから自然停止した。

     この実験はさらに驚くべき展開を見せる。念力によるカエルの心臓停止実験結果が公表されると、レニングラード在住の精神科医が実験の信憑性に疑問を投げかけ、自分を実験台にして心臓を止められるか、と噛みついてきたのだ。

     セルゲーエフ博士は危険すぎると拒んだが、精神科医は強硬姿勢を崩さず、前代未聞の人体実験が行われることになった。

     くだんの女性が念を放射しはじめた。セットされた心電計が精神科医の心電図を送りだす。実験開始から5分後、精神科医の脈搏数は急上昇し、躰がぶるぶると震えだした。心電図を睨んでいた立会人の医師は危険を察知し、実験をストップさせたのだった。

    驚異の超能力者ニーナ・クラギーナ

     驚異的な超能力を発揮したこの女性の名をニーナ・クラギーナという。本名ニネル・セルゲーブナ・クラギーナ。1920年、レニングラード生まれ。第2次世界大戦時の独ソ戦に無線通信士として従軍し、レーニン勲章を授与されるほどの活躍をした。戦後は通信路線補修士として働き、線路土木技師ビクトール・クラギーナと結婚し、2児の母となる。

    「ソ連の超能力界の女王」と称されたニーナ・クラギーナ。写真は念動力の実験の様子で、見事にマッチ箱を動かしてみせた。

     彼女が自分の超能力をはっきりと自覚するようになったのは、40歳も半ばを過ぎようかという1964年のことだった。むろん、それ以前にも友人のポケットの中身をいい当てて驚かれることはあったが、自分が超能力者であるとは思ってもいなかった。

     超能力に覚醒するきっかけは、ノイローゼによる入院によってもたらされた。入院生活の退屈を紛らわせるために、目隠しをしてカードの色を当てるという隠し芸を看護士に披露したところ百発百中。さらに、両足が麻痺して歩行不能の男性に触手治療を施して歩けるようにしたこともあった。

     噂は病院の内外に広まり、レニングラード大学の心理学者レオニード・ヴァシリエフ博士の耳にも届いた。博士は旧ソ連の超能力研究の草分け的存在であり、興味を抱いてクラギーナの超能力の研究に乗りだした。だが、研究開始直後の1966年に急死し、研究はゲナーディ・セルゲーエフ博士に引き継がれた。

    旧ソ連の超能力研究に尽力した心理学者レオニード・ヴァシリエフ博士。クラギーナの超能力に最初に注目した人物だ。
    クラギーナと実験を繰り返し、彼女の超能力を開花させたゲナーディ・セルゲーエフ博士。

     セルゲーエフ博士の指導のもと、彼女の超能力は次第に増強され、透視能力だけでなく、念力(念動力)も自在にコントロールできるようになった。念動力が発現した当初は、テーブル上のピンポン球を転がせる程度だったが、実験を重ねるうちに数百グラムの物体を動かせるようになり、ついには3キロもの重さの灰皿を移動させることに成功するのである。

    念動力でボールを操るクラギーナ。彼女が超能力を発揮するとき、体の周りに放電によるエネルギー場が形成されるという。
    クラギーナの念動力実験の様子は16ミリフィルムで撮影された。この写真は、そのフィルムから抜粋したもので、テーブルの上に置かれたマッチ棒が、彼女の念動力によって動き、集まっていくのがわかる。

    苦痛と不幸に満ちたクラギーナの人生

     クラギーナは一躍、時の人となり、その超能力実験はフィルムに収められ、映画としても一般公開されて人々の熱狂を呼んだ。

     だが、超能力の使用は副作用をもたらし、彼女の肉体を蝕(むしば)んだ。念力を発揮するときには、脊髄に刺すような激しい痛みが走る。躰は高熱を発し、手首の皮膚に火傷を負ったり、衣服の袖口が燃えあがったりすることもあった。
     血圧も異常に上昇し、脈搏数も110から160に、最高時には180にもなった。実験時間も通常は5分以内とし、その後少なくとも5分間休息しないと、血圧と脈搏数の異常上昇で失神状態に陥る。合計30分ほどの実験を終えると体重は2キロ減り、数日間は頭痛と不整脈に苦しめられる。

    優れた念動力を持ち、数々の実験を成功させたクラギーナだったが、超能力の使用は彼女の肉体に苛烈な苦痛をもたらす危険な行為でもあった。

     それでも、クラギーナは科学的研究のために献身的に実験に協力したが、相次ぐ不幸が彼女を襲う。

     1968年、彼女の母親が死亡すると、精神的ショックのためか、心臓発作を起こして寝たきり状態になってしまう。
     1970年、アメリカのふたりの女性ジャーナリストが共同で著した『ソ連・東欧の超科学』が出版されるや、全世界にセンセーションが巻き起こり、クラギーナもその嵐に巻き込まれた。
     同書の刊行直後から、アメリカのジャーナリズムは旧ソ連の超能力研究について扇情的な報道を執拗なまでに繰り返し、とくに超能力の軍事利用という側面を、憶測や推測のみで強調したのである。

     おりしも東西冷戦時代だ。旧ソ連の当局者はこれに過敏に反応し、超能力者と超能力研究者に激しい弾圧を加えた。一時は“ソ連の超能力界の女王”とまで賞賛されたクラギーナも例外ではなく、彼女の超能力実験はすべてインチキであり、彼女は国辱的ペテン師である、と指弾されたのだ。

     クラギーナは自らの名誉と尊厳を守るべく裁判に訴えて勝訴したものの、健康状態はもとに戻らず、1990年、失意のうちに数奇な人生の幕を閉じた。

    独裁者を驚愕させたメッシングの超能力

     旧ソ連の超能力の科学的研究の萌芽は1930年代にさかのぼる。前出のヴァシリエフ博士が、何かを念じることで他人の行動を操れるかもしれない、と研究をはじめたのがそのさきがけだった。

     前途はしかし、多難だった。唯心論を認めない独裁者スターリンが多くの超能力者や研究者を粛清したため、研究はほとんど進展しなかった。だが、皮肉なことに、そのスターリンがひとりの超能力者を信奉し、手厚く庇護することになる。

     頑迷固陋なスターリンを転向させたのは、“ソ連超能力界の帝王”と異称されたウルフ・メッシング。1899年、当時ロシア領だったワルシャワ近くのゴラ・カルワリア生まれのユダヤ人である。

    初代ソビエト連邦共産党書記長のヨシフ・スターリン。はじめは超能力を否定していたが、ウルフ・メッシングの実力を目の当たりにし、超能力を認めたという。
    強力なテレパシーの才能をスターリンに見せつけたウルフ・メッシング。

     メッシングは傑出した透視能力やテレパシー能力を発揮して多くの逸話を残しているが、白眉をなすのは次の一件だろう。

     彼は1937年の時点で、「ヒトラーは東へ向かえば死ぬ」と予言し、激怒したヒトラーがメッシングの首に20万マルクの賞金をかけたため、1939年にドイツ軍が東方のポーランドへ侵攻した直後、モスクワへ脱出した。

    オカルト的なことに興味を持っていたとして知られるアドルフ・ヒトラー。自身の死を予言され、賞金をかけてメッシングを捕らえようとした。

     そのモスクワで、スターリンに無理難題を命じられた。

    「本当に超能力があるのなら、ひとりでモスクワ国立銀行へ行き、10万ルーブルを奪ってこい」

     翌日、メッシングは銀行へ行き、現金出納係の前に紙片を差しだし、アタッシュケースを開いた。終始無言だが、意識を集中して出納係に念を送りつづけている。出納係は紙片をうやうやしく両手で受け取り、金庫から10万ルーブルを運んできた。メッシングは札束をアタッシュケースに詰め込み、悠然と銀行をあとにした。

     メッシングが出納係に差しだした紙片は、じつはノートから破り取った白紙の切れ端だったが、テレパシーによって小切手と信じ込ませたのである。

     スターリンは驚愕し、さらに同様の無理難題をいくつか命じたが、メッシングはことごとくクリアし、スターリンもサイキック・パワーの存在を信じるようになったのだ。

     それから20年余りを経た1960年代から70年代にかけて、旧ソ連は超能力大国として世界に冠絶するようになる。

     クラギーナのほか、皮膚視覚能力を持つローザ・クレショーワ、テレパシー能力者のユリ・カメンスキー、同じくテレパシー能力を持つカール・ニコライエフ……らが輩出するのである。

    旧ソ連にはクラギーナを筆頭に、たくさんの超能力者が存在した。写真は、指先で文字や色を感じる能力を持つローザ・クレショーワが、目を使わず、指で新聞を読んでいるところ。
    クレショーワの能力はガラス越しでも発揮され、その下に置かれた紙に書いてある文字を読み取ることもできた。

    軍事利用を目指したテレパシー実験

     その時代は同時に、超能力の軍事利用化の研究が国家規模で推進された時代でもあった。東西冷戦時代の当時の研究は、閉ざされた“鉄のカーテン”のためにその全貌をうかがい知ることは困難だが、カーテンの隙間から垣間見えた事例をいくつか紹介しよう。

     1967年、旧ソ連の原子力潜水艦が数匹の子ウサギを乗せて厚い氷に覆われた北極海の深海に潜航した。母ウサギは脳に電極を埋められ、モスクワの実験室で待機させられている。そして、あらかじめ決められた時刻に子ウサギを1匹ずつ殺していった。すると、母ウサギの脳は子ウサギが殺された瞬間ごとに正確に反応した。
     電波は水中を伝播しないので、潜航中の潜水艦と地上との交信は不能になる。だが、テレパシーによる通信は可能なのではないか、とウサギを使って実験してみたのである。

     潜航中の潜水艦と地上との交信が可能になれば、軍事的に計り知れないメリットがあることはあらためて強調するまでもなかろう。

     むろん、人間同士間のテレパシー実験も行われている。

     同じ1967年のことで、実験に起用されたテレパシー能力者はユリ・カメンスキーとカール・ニコライエフ。カメンスキーがモスクワの実験室から送信し、ニコライエフが800キロ離れたレニングラードで受信するという実験だ。

     カメンスキーは、ニコライエフを殴って叩きのめすシーンを思い浮かべて送信する。激しい感情のほうが伝わりやすいと考えてのことで、シーンを思い浮かべる時間は45秒間と15秒間の長短2種類。カメンスキーが指示どおりに送信すると、ニコライエフにセットされた脳波形は長短の変化を正確に記録した。大成功である。

     この実験時、15秒間の短いシーンをモールス信号の「トン」、45秒間の長いシーンを「ツー」に当てはめていた。ふたりの超能力者にはそのことを内密にしていたにもかかわらず、彼らは「ミグ」という言葉をテレパシーによるモールス信号で送受信することにも成功したのだった。

    800キロも離れた場所にいながら、テレパシー実験を成功させたカール・ニコライエフ(左端)とユリ・カメンスキー(右から2番目)。

     同じ超能力者の組み合わせで、レニングラードにいるカメンスキーからモスクワにいるニコライエフにテレパシー送信する実験も行われた。が、このときもふたりには明かすことなく、テレパシー能力を持つヴィクター・ミロダロンという第2の受信者をモスクワの別の実験室に配していた。

     ミロダロンは実験開始時刻を知らされていない。にもかかわらず、カメンスキーが送信した内容を正確にキャッチした。テレパシー通信の盗聴に成功したのだ。

     こうしたテレパシー能力はマインドコントロールにも利用できる。しかもマインドコントロールは70年代にはすでに実用化段階に達したといわれ、国際的な場で利用された例もある。1978年にフィリピンのバギオで開かれた世界チェス選手権大会がそれだ。

     チャンピオンは旧ソ連のアナトリ・カルポフで、挑戦者は旧ソ連からの亡命者ビクトール・コルチノイ。結局はカルポフがタイトルを防衛するのだが、競技は何度か中断した。コルチノイが「カルポフの応援団のひとりで、前から4列目にいるウラジミール・ズーカール博士(超心理学者)がテレパシーを送ってきて気を散らすので、自分は不利になっている」とたびたび抗議したからだ。

     にわかには信じがたい話だが、旧ソ連側は、博士を競技場の外へ出してほしいという要求に対して、前から7列目以内にとどまることを頑強に主張し、それを認めさせている。競技を観戦していた報道関係者も一様に、「明らかに超能力が使われた」という内容の記事を書いている。

    謎に包まれた超能力の軍事利用

     いずれにせよ、旧ソ連の超能力研究が大きなうねりとなって盛りあがった60~70年代、国内各地に何十か所もの政府直属の超能力研究所が設置され、多数の超能力者が養成されたという。

     超能力を軍事利用すれば、想像を絶する驚異的な威力を期待できる。極秘情報を盗むなどは序の口で、マインドコントロールによって一国の首脳を意のままに操れるだけでなく、国民全体をそれと気づかれぬうちに洗脳してロボット化することもできる。PK(サイコキネシス)能力を用いれば、コンピューター制御のミサイルであれ、その中枢部の回路を切断するだけで完全に破壊できるのだ。

     だが、旧ソ連は1977年以降、超能力研究に関する情報をいっさいの政府刊行物からシャットアウトしてしまった。

     1980年代には、故ブレジネフ書記長のお抱えヒーラーだったジュナ・ダビダシュビリ、同じくヒーリング能力を持つアラン・チュマク、テレビを通じて遠隔治療を行ったアナトーリ・カシピロスキーらの活躍が断片的に伝えられたが、超能力の軍事利用化についてはほとんどわかっていない。

    ブレジネフ書記長のヒーラーとして知られるジュナ・ダビダシュビリ(上)。1980年代に活躍が伝えられた旧ソ連の超能力者のひとりだ。

     1991年の崩壊後、旧ソ連の超能力研究の成果はアメリカに買い占められたともいわれる。だが、ロシアが現在も軍事大国であることに変わりはなく、超能力の軍事利用の実態は今なお厚いベールに覆われている。

    ●参考資料=『ソ連・東欧の超科学』(シーラ・オストランダー+リーン・スクロウダー著/照洲みのる訳/たま出版)、「戦慄!! 超能力戦争の実態を暴く!」(矢追純一/「ムー」33号所収)、「知られざるソ連の超能力」(秋山眞人+中野雄司/「ムー」128号所収)、「新世界秩序の裏で密かに進行する超能力戦争」(秋山眞人/「ムー」184号所収)ほか

    (月刊ムー2012年3月号初出)

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