遺伝子レベルで“ヒ素耐性”を獲得したアンデス住民の謎! 人類は今も絶賛進化中だった

文=仲田しんじ

    人間の肉体はこの先もまだまだ進化できるのか? 南米のアンデス山脈に暮らす人々が不思議な遺伝的優位性を獲得していることが研究によって判明している。この地の人々は、なんと限度量の20倍ものヒ素を摂取しても耐えられるのだ。

    異例のヒ素耐性能力

     ヒ素は人体に極めて深刻な急性・慢性の健康被害をもたらす毒物である。大量摂取すると嘔吐や多臓器不全などの急性中毒を発症、微量の長期摂取では皮膚の角化症、色素沈着、がんなどの慢性中毒を引き起こし、最悪の場合は死に至る。

     現在の日本ではまず見られないことだが、海外の特定地域では(自然由来や産業活動で排出された)ヒ素が地下水や河川水を汚染し、それを口にした住民に健康被害も起きている。

     南米アルゼンチンのアンデス山脈の高地も飲用水のヒ素含有量が多い地域だ。火山岩盤に自然に存在するヒ素が地下水に溶け出し、地域の水道水を汚染しており、ここに暮らす人々は通常であれば深刻な健康被害を受けるレベルの飲用水を飲み続けているのだ。

     世界保健機関(WHO)が定めた、飲料水中のヒ素の限度値は1リットルあたり10マイクログラムである。

     2012年に飲用水のろ過システムが設置されたものの、アルゼンチンのプナ・デ・アタカマ高原にある人里離れた高地の町サン・アントニオ・デ・ロス・コブレス(標高3774メートル)では、ろ過前の飲用水に1リットルあたり約200マイクログラムものヒ素が含まれており、これは限度値の20倍に相当する。

    ※サン・アントニオ・デ・ロス・コブレス 画像は「Wikipedia」より

     しかし、この地域には少なくとも7000年前から、多く見積もると1万1000年前から人が住んでいた可能性があるという。では、なぜこの地の人々は重篤な健康被害を免れているのか。危険なほど高濃度のヒ素をものともしない不思議な力は、何十年にもわたって科学者たちを困惑させてきた。

     1995年、科学者たちは現地出身の女性たちの尿に含まれる代謝産物を調査し、ヒ素を代謝する独特な能力を持もっていることが初めて示唆されている。この地の人々は、遺伝子レベルでヒ素への耐性を獲得しているのか。

    衝撃の遺伝子変異を確認

     スウェーデン・ウプサラ大学が2015年3月に学術誌「Molecular Biology and Evolution」で発表した研究では、南米大陸の西部全域の人々のDNAと比較することによって、サン・アントニオ・デ・ロス・コブレスに住む人々がヒ素をより安全に代謝するための遺伝子変異をもっている事実を浮き彫りになった。

    「環境への適応はゲノムの変化を促進するが、ヒトにおける事例は限られている。われわれのデータは、環境ストレス要因であるヒ素に対するヒトの適応を示す最初の証拠となる」(研究論文より)

    ※自然界のヒ素(自然砒) 画像は「Wikimedia Commons」より

     ヒ素が体内に入ると、酵素によっていくつかの化学形態に分解される。これらの中間形態の一つであるモノメチル化ヒ素(MMA)は特に毒性が強い一方、ジメチル化ヒ素(DMA)は、尿として体外に排出されやすい形態である。

     サン・アントニオ・デ・ロス・コブレスの住民は、毒性のある中間体の生成量が少なく、排泄しやすい形態の生成量が多い傾向があり、これは彼らの体がヒ素を処理する能力がきわめて高いことを示している。

     遺伝子レベルでこの謎を解明しようと考えた研究チームは、サンアントニオ・デ・ロス・コブレスの女性124人からDNAを採取し、ゲノム全体にわたる数百万の遺伝子マーカーを分析。さらに、国際プロジェクト「1000人ゲノム計画」から得られたペルーとコロンビアの公開ゲノムデータと比較した。

     その結果、サン・アントニオ・デ・ロス・コブレスの住民には、毒性の高いモノメチル化ヒ素を体外に排出しやすいジメチル化ヒ素へと変換する遺伝子変異が圧倒的に多いことが判明。この結果は、尿中のヒ素代謝物に関する1995年の研究結果と見事に一致するものであった。

    ※画像はYouTubeチャンネル「Curiosity Decoded」より

    過酷な環境に適応できる人間の能力

     ヒ素汚染は世界各地で発生しているが、サン・アントニオ・デ・ロス・コブレスほど高濃度のヒ素に長期間さらされてきた地域はごくわずかだ。同地の人々は何千年もの間、地下水に含まれるヒ素と共に暮らしてきており、その歳月はヒ素の毒性への耐性を自然淘汰によって獲得するのに十分な期間であったと考えられる。

     環境によって人間の新たな生物学的特性が生み出されるこうしたプロセスは、アンデス地域にとどまるものではない。たとえば青海チベット高原の標高4000メートルを超える高地で暮らす人々は、血液の粘度上昇(血液の濃縮)を防ぐための遺伝子変異を獲得している。また、北極圏のイヌイットは、クジラやアザラシの肉に含まれる大量の海洋性脂肪を安全に処理できる遺伝子変異を獲得し、血管疾患を避けている。

     こうしたケースは、極めて過酷な環境に直面した際、人間のゲノムはその試練に適応することを物語っている。われわれは往々にして、人間の進化はすでに完了したプロセスだと考えがちであるが、しかし進化とは変化し続ける環境の要求に対して現在進行形で適応していくプロセスでもある。どんなに過酷な環境であっても、生き延びる術を見つけ出せる可能性があることをこれらの人々が教えてくれているのだ。

     定期的な健康診断などで身体の異変をいち早く検知し、すぐに薬剤が処方される現代の医療だが、一方で過酷な環境に耐え忍んで新たな能力を獲得することもできる逞しい“生命力”がわれわれには元来備わっていることを時折思い返してみてもよさそうだ。

    【参考】
    https://www.sciencealert.com/humans-in-the-andes-seem-to-have-evolved-a-strange-genetic-ability

    仲田しんじ

    場末の酒場の片隅を好む都会の孤独な思索者でフリーライター。興味本位で考察と執筆の範囲を拡大中。
    ツイッター https://twitter.com/nakata66shinji

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