宇宙人はロボットか妖精か? デイドシティ・フラワーズ事件に見る「未知との遭遇」の説明不可能性

文=オオタケン

    1920年代のUFO事件を振り返ったら、そこにはロボットのような宇宙人が記録されていた? 現代の視点で再考する100年前のUFO事件について。

    宇宙探索の現場はロボットにおまかせ

     他の惑星で生命体が見つかった時、我々地球人はどのような行動を取るのだろう? 意志の疎通が可能な知的生命体であったのならば、そして地球からの距離が近ければ、地球人は彼らと直接的な交流を持つだろうか?

     もし技術力があれば、まず人間の代わりにロボットなどを相手の星へと送り込むのかもしれない。文明が進んでいるなら尚更、生身の人間を送る必要は無くなる。相手はどんな思考を持っているか分からない。その星の大気に含まれる有害物質や病原菌の問題もあるだろう。ロボットを送り込むのは、理にかなった方法とも思える。

     逆の場合、つまり高度な文明を持った宇宙人が地球を訪れる時も、同じような順序を踏むのではないか? つまりロボットが目撃されたというUFO事件を遡ってみれば、そこに宇宙人の可能性も見えてくるかもしれない。

    1920年代の「ロボットのような宇宙人」事例

     そう思い調べてみると、驚くべきことに初期の「ロボット事例」は1920年代に起きていた。これは「ロボット」という言葉がまだ一般的でない時期だ。そしてこの話、相当に奇妙なものであった。

    『デイドシティ・フラワーズ』と呼ばれるこの事例は、まさにハイストレンジネス事例の最右翼と言っていい内容だったのだ。

     1924年、当時9歳だったエブリン・ウェントは、アメリカのフロリダ州デイドシティにあったカトリック系のホーリーネーム修道院学校の校庭で遊んでいた。時間は昼間であった。
     彼女はふと、校庭で明るい光を感じた。その後、卵形の物体が地面の上にあることに気がついた。
     しばらくすると明かりが消え、物体からハッチのようなものが開き、小さなロボットのような存在が数体、出てきたという。それらは彼女よりも小さく、頭部は花のようで、顔は花弁で覆われていた。彼女は恐怖を感じなかったという。
     ロボットたちは武器のような装置を学校の理科棟に向かって運んでいた。エブリンは彼らに声をかけた。彼らがとても小さかったので、手を貸そうとしたのだ。ロボットたちは彼女に装置を託したが、エブリンには重すぎて動かすことはできなかった。
     ロボットたちは、理科棟で行われている実験を停止しない場合、その建物を破壊するつもりだとエブリンに語った。会話は普通の会話ではなく、テレパシーのようなもので会話をしたようだ。その後、彼らが円盤に戻ると、円盤はまっすぐ上昇し、1分間ほどホバリングして消えた。
     ロボットたちは去るとき、彼女に「一緒に行きたいか」と尋ねた。彼女は断ったが、彼らは35年後に彼女の元に戻ってくると約束した。彼女は待ったが、そのようなことは何も起こらなかった。だが理科棟の校舎は、後に起きたハリケーンが原因で破壊されてしまったとされる。

    ーーどこか掴みどころのない遭遇話だ。だが、エブリンには現実のものに見えたという。

     しかし、これは驚くべき事例である。
     前述したように「ロボット」という言葉は当時、一般的でなかった。ロボットという概念はチェコのカレル・チャペックが1920年に書いた戯曲『R・U・R』で初めて登場した物だが、エブリンの体験はそれからほんの数年後のことだ。

    1922年にアメリカで上演された『R.U.R.』の場面(画像=Wikipedia)。

     エブリンの話が真実であれば、宇宙のどこかに存在する知的生命体がロボットを使い地球の偵察をしていたのだ、という仮設も成り立つかもしれない。なお、これらの事件後の1940年台には世界的な一大UFO目撃ウェーブが起き、宇宙人の目撃も増加することになる。

    妖精とUFOの見間違い

     一方で、エブリンの見たものは妖精遭遇譚との類似が強く感じられる。この時代、イギリスでは有名な「コティングリー妖精事件」が起きていた。フランシス・グリフィスとエルシー・ライトという2人の少女が、1917年から1920年にかけて数枚の妖精の写真を撮影したという事件だ。当時、シャーロック・ホームズシリーズで知られるアーサー・コナン・ドイルが1920年に『The Strand Magazine』誌上で紹介したことにより、アメリカでも知られることとなった。この事件がアメリカの大衆文化に与えた影響はイギリス国内ほど大きくなかったが、一部の人達にとっては大きなインパクトだったようだ。

     また、イギリスの画家で児童文学者のシセリー・メアリー・バーカーが「花の妖精 (flower fairies) 」シリーズと呼ばれる、美しい花々とそれにまつわる妖精を描いた詩画集を1923年に発表している。彼女はこのシリーズで世界的な評価を得ていた。

     エブリンがこういった作品の影響を受けた可能性は十分にある。妖精はその美しさの裏に、子供を誘惑したり、秘密を知った者を連れ去ったりするという不吉な側面も併せ持つ存在だ。デイドシティ・フラワーズの振る舞いはまさにこういった妖精のようでもある。

     また、1900年にライマン・フランク・ボームによって書かれた『オズの魔法使い』に登場するブリキの木こり (Tin woodman) や、1918年に公開された無声映画『The Master Mystery』に出てくるオートマタ (『人間タンク』と邦訳された) など、ロボット的な存在は当時の子供も知識としては持っていたはずだ。当時はパルプ雑誌の勃興期であり、SFは庶民の娯楽として浸透し始めていた。エブリンの遭遇がこれらに影響下にあるかはわからないが、カトリック系修道院の庭で妖精を思わせる存在と出会ったことは特筆に値する。

    「オズの魔法使い」のブリキの木こり(1902年)(画像=Wikipedia)。

    「知らないもの」をどう説明するか

     説明の出来ない不思議な存在に出会ったとき、それを宇宙人ととらえるか、妖精ととらえるか、はたまた霊や或いは単純に幻覚だととらえるかは、目撃者の価値観に左右される。エブリンが何を見たのかはわからないが、何らかの奇妙な体験をしたことは間違いない。研究者の間では日射病やてんかんの発作が原因の幻覚であった可能性が示唆されてもいるが、体験自体は彼女にとって現実であったのだろう。

     目撃証言全体の奇妙さ、ロボットのような搭乗員の個性的な見た目など、強烈な印象を残す事例だが、デイドシティ・フラワーズ事件は余り知られておらず、研究も進んでいない。
     ひとつはエブリンがこの話を世間に話し始めたのは事件から50年後の1974年になってからだったためだ。当時のUFO研究家たちはエブリンに催眠術をかけ、なんとかさらなる記憶を引き出そうとしたという。だが残念ながら、エブリンには催眠がかからなかったようだ。

     個人的にはUFO研究で高名なジャック・ヴァレが著作『マゴニアへのパスポート』を書く前にこの事件のことを知っていれば、と残念でならない。1969年に出版された『マゴニア〜』は、宇宙人目撃事例と妖精譚の類似性を指摘し、その後のUFO研究に絶大な影響を与えた。当事例はヴァレの格好の興味の対象となったはずで、もっと詳細な調査がされていたのではないかと思う。

     事件が起きた時、アメリカは”狂騒の20年代”のまっただ中だった。第一次世界大戦が終わり、経済は急成長し、裕福になった庶民の生活には電化製品や自動車が入ってきた。映画などの娯楽も進化し、政治や文化、社会が大きく動いた時期だった。「デイドシティ・フラワーズ」は、そんな時代の急激な変化の中で生まれたフォークロアなのかもしれない。

    AIによるイメージ画像。はたして、エブリンが見たものは?

    オオタケン

    イーグルリバー事件のパンケーキを自作したこともあるユーフォロジスト。2005年に発足したUFOサークル「Spファイル友の会」が年一回発行している同人誌『UFO手帖』の寄稿者。

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