巨大霊長類の生き残りか山の神か!? 比婆山の獣人UMAヒバゴンの基礎知識

文=羽仁礼

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    毎回、「ムー」的な視点から、世界中にあふれる不可思議な事象や謎めいた事件を振り返っていくムーペディア。 今回は、昭和40年代から50年代にかけて、広島県の北東部に連なる比婆山連峰一帯で目撃された獣人UMAを取りあげる。

    山あいの町に出没した謎の生物「ヒバゴン」

     その奇妙な生物が最初に目撃されたのは、昭和45(1970)年7月20日のことだった。場所は広島県北部、島根県との県境にある比婆郡西城町(現在は庄原市)の油木地区で、国定公園に指定されている比婆山(標高1264メートル)の山麓に広がる地域だ。

    ヒバゴン出現の舞台となった庄原市西城町の風景。当時、謎の怪生物の出現によって、山あいの小さな町は大騒ぎとなった。

     その日の午後8時ごろ、軽トラックで帰宅中の丸崎安孝さんが、地域を南北に流れる六の原川の橋を渡り、ダムの手前にさしかかったところ、見たこともない生物が車の前を横切って山のほうに逃げ込んだ。大きさは子牛ほどもあり、ニホンザルにしては大きすぎた。
     丸崎さんはすぐに、近くに住む親類を連れて現場を捜索したが、足跡らしきものはなかった。その代わり、生物が逃げ込んだ山の斜面の雑草や雑木は、かなりの力で踏み倒されていた。

    初めてヒバゴンが目撃されたとされる西城町油木地区の林道。

     3日後の7月23日午前5時半ごろ、2件目の目撃があった。自宅から150メートルほど離れた草地で草刈りをしていた今藤実さんは、物音を聞いて顔を上げた。すると、すぐ目の前の草むらから異様な顔がのぞいていた。
     一瞬サルかと思ってカマを振り、「シィー、シィー」といって追い払おうとしたが、相手は動かない。よく見るとサルとは違う動物で、大きな目でにらみつけてくるので、急に恐ろしくなって自宅へ駆け込んだ。
     さらに7月30日にも3件目の目撃があり、噂はたちまち狭い集落内に広まった。
     住民の多くが、初めのうちはこれらの話を一笑に付していたが、謎の生物の目撃はその後も相次いだ。しかも、当初油木地区周辺に限られていた生物の出没地域は、すぐに近隣の町村にまで広がり、クリ園やトウモロコシ畑が荒らされるという事例も何件か報告された。
     そこで町は、この生物が人や作物に危害を加えることを恐れて警察にも相談し、地元の小学生には集団下校が勧められ、警官や保護者が帯同する騒ぎとなった。
     8月になって、地元の有力紙である中国新聞が事件について報道すると、謎の生物の存在は日本全土に知れ渡り、私設探検隊やテレビ、雑誌の取材陣などが町に殺到した。そして10月になると、中国新聞はこの生物に対し、「ヒバゴン」という愛称を用いるようになった。
     ヒバゴンはその後も断続的に人前に姿を見せ、足跡らしきものも何回も発見された。1974年8月には、庄原市濁川町でヒバゴンらしきものの写真も撮影されたが、その直後の10月11日、濁川町の県道での目撃を最後に、ヒバゴンはいったん姿を消した。

    昭和49(1974)年8月15日、比婆山連峰の懐にある広島県庄原市内で撮影された、ヒバゴンらしき生物の写真。林の中に逃げ込んだヒバゴンが木に飛びつく瞬間が捉えられている。
    西城町の温泉旅館にあるヒバゴンの油絵。旅館の先代が山でヒバゴンに遭遇したときの記憶をもとに、知人の画家に描いてもらったもので、ヒバゴンの特徴がよく捉えられているという。

     翌年の1975年6月には町役場に設置されていた類人猿係が廃止され、西城町もヒバゴン騒動終息宣言を出した。

    造成時にヒバゴンがしばしば目撃された「県民の森」。造成は1970年に始まったが、その時期に目撃が多発したのは、工事によってすみかを追われたヒバゴンが山をさまよっていたためか?
    ヒバゴンの主な目撃場所。

     ところが、終息宣言から5年経った1980年10月20日、同じ広島県の福山市山野町で、ヒバゴンそっくりのUMAが目撃された。
     この日の午前6時40分ごろ、朝の農作業を終えてトラックで帰宅途中の芝田清司さんが、黒いカッパを来たような人物が県道を歩いているのを見つけた。何の気なしに車を近づけると、身長1・5メートルほどのゴリラに似た怪物だったという。地元の山野町はさっそくこの怪物を「ヤマゴン」と命名し、観光の目玉にした。
     さらに1982年5月9日には、御調郡久井町(現在は三原市)でも、ふたりの少年が、身長2メートルほどで、しかも石斧を握る毛むくじゃらの怪物を目撃した。今度のUMAは「クイゴン」と呼ばれた。
     そしてこの事件以後、ヒバゴンらしき生物の目撃は完全に絶えている。

    1980年10月20日、福山市山野町で目撃された「ヤマゴン」のスケッチ。腹部以外は灰褐色の毛で覆われ、ゴリラに似た顔つきと筋肉質の体つきをしていたという。

    二足歩行をする獣人ヒバゴンの正体は?

     ヒバゴンの姿形に関し、目撃者の証言はかなり一致している。
     クイゴンについては身長2メートルとされるものの、ほとんどの場合、ヒバゴンは身長約1・5〜1・6メートルで、体重は80キロくらいと推定されている。
     人間の2倍ほどもある大きな逆三角形の頭にぎょろりとした大きな目を持ち、顔全体にも薄い毛が生えている。頭の毛は長さ5センチくらいで逆立っていて、全身が黒に近い褐色の毛で覆われている。ただし、ヤマゴンの体毛は灰褐色であった。
     さらに、ほとんどのケースで二足歩行が報告されており、その動きはゆっくりで、人間を恐れる気配は見せない。つまり、ヒマラヤのイエティや北アメリカのビッグフットなど、世界各地で目撃される典型的な獣人型のUMAである。

    当時のヒバゴンのイメージ。身長1.5~1.6メートル、体重80キロ程度のがっしりとした体つき、逆三角形の頭にぎょろりとした目を持ち、二足歩行をするという(画像は「庄原観光ナビ」より)。

     では、その正体は何だったのだろう。
     目撃者の多くがヒバゴンのことを「ゴリラに似ている」と表現している。確かに身長が1・6メートルに達する類人猿は、世界でもゴリラかオランウータンくらいしかいないが、当時こういった動物が動物園や飼育施設から逃げだしたという報告はない。それにこうした生物は、比婆山山麓の厳しい冬を耐えて生き延びることはできないと考えられる。
     日本に生息する野生動物で、該当するサイズを持つのはツキノワグマくらいであるが、ヒバゴンの目撃者は、目撃地域でクマを見たことはないと口を揃えている。それに訓練されていない野生のクマは、直立はできるが二足歩行はしない。
     全体的な外見はニホンザルにも似ているが、ニホンザルの体長はせいぜい60センチほどしかない。体長とは鼻の先から尾の付け根までの寸法ではあるが、ニホンザルが後足で立ちあがったとしてもせいぜい1メートルくらいにしかならず、伝えられるヒバゴンの身長よりずっと小さいのだ。
     さらに、目撃者は一様にニホンザル説に否定的である。第2の目撃者となった今藤さんはすぐ近くでヒバゴンとにらみ合い、サルではないと断言しているし、4人目の目撃者の谷平覚さんはヒバゴンが四つん這いになったところを背後から目撃したが、尻はサルのように赤くはなく、毛が生えていたと証言している。
     ヒバゴンの足跡は計15回発見されているが、大きさはまちまちで、縦が14センチから30センチ、幅が7センチから23センチと、かなりばらつきがある。
     1970年10月に最初に発見された足跡は、警察が石膏型を取って専門家に鑑定を依頼した。このときは人間のものとされたが、警察が足型を取る前に何人もの人が手を触れており、かなり変形していたことが判明している。どうやらこの鑑定も当てにならないようだ。
     1974年に撮影された写真についても、かなり不鮮明で決定的な証拠とはいえない。
     結局のところヒバゴンは、まさに正体不明の未確認動物としかいいようがないのだ。

    ヒバゴンの足跡。当時発見された足跡のうち、多くが人間のものとされたが、中には明らかに人間ともサルとも異なる足跡も含まれていた。
    1970年12月16日、比和町吾妻山池の原で発見されたヒバゴンの足跡の石膏型。足跡の大きさは全長21センチ、幅13センチ。

    森の奥で生き延びてきた巨大霊長類の生き残り?

     ただ一点気になることがある。それは、狒狒、覚、山地乳、猿神といった、全身毛むくじゃらでサルに似ているが、それよりもずっと大きな妖怪の話が、日本各地で数多く語られていることだ。特に狒狒や猿神については、武士や豪傑によって退治されたという伝承がいくつも残っている。

    『今昔画図続百鬼』に描かれた「狒狒」。山中に棲むどう猛な妖怪で、年を経たサルがこの妖怪になるともいわれる。

     これらの妖怪は、単なる空想の産物といえないこともない。だが、規格外に巨大なサルについては、近代にも目撃談がいくつか伝えられているのだ。実際西城町でも、ヒバゴン騒動の10年くらい前に大ザルが目撃されたと語る住民がいた。
     1890年、宮城県志田郡荒雄村で、現れた大ザルを槍で仕留めたことが新聞に報じられている。1899年1月には新潟県古志北魚沼南蒲原でも大ザルが退治されたが、身長4尺2寸というから1・26メートルくらいの大きさであった。
     そして1913年には、広島県芦品郡駅家町坊寺で、身長1・6メートル、全身が銀色の毛で覆われた巨大なサルが捕らえられたという報告もある。
     こうした実例を考えると、日本列島には大昔からニホンザルより遙かに巨大な霊長類が生息しつづけており、その最後の生き残りがヒバゴンだったのではないかとも思える。
     何しろ日本列島は、その67パーセントが森林に覆われているのだ。そうした中で、この種の生物が密かに生き延びてきた可能性は否定できないだろう。

    恐怖の対象から町おこしの人気者に

     ともあれ、出現当初は目撃者を恐怖させたヒバゴンであったが、西城町はすぐにヒバゴンのぬいぐるみを作ってイベントに参加させたり、ヒバゴン音頭を作って振りつけるなどして、積極的に町おこしに活用するようになった。
     今では、町の境界では幹線道路の脇にヒバゴンを描いた標識が設置されているし、ヒバゴン饅頭やヒバゴンの卵などのスイーツはいうに及ばず、味噌やほうれん草にもヒバゴンの名をつけた商品がいくつも開発されている。
     町のあちこちではキャラクター化されたヒバゴンのモチーフが見られ、ヒバゴンのラッピングバスも走るなど、西城町はいまやすっかりヒバゴンの町と化している。
     さらに2005年には、重松清の小説をもとにした映画『ヒナゴン』も公開され、2020年に比婆山で発見された新種の昆虫は、学名を「ラトロビウム・ヒバゴン」と名づけられた。
     昨年2023年5月26日にも、広島県警庄原署から西城町観光協会に引き渡されたヒバゴン足跡の石膏型のお披露目会も行われた。西城町観光協会が立ちあげたヒバゴン探検隊には、4月末時点で50名近い入隊申し込みがあり、まだまだ増える勢いだ。

    西城町では、あちこちでキャラクター化されたヒバゴンに出会う。かつて町を騒がせた怪物も、今では町のシンボルとして親しまれているのだ(写真提供=おかゆう)。

     このようにヒバゴンは、日本を代表するUMAとして、今でも強い人気を誇っている。
     さらに、西城町にまつわる謎はヒバゴンだけではない。ヒバゴン騒動の真っ最中であった1974年には、西城町ではツチノコも目撃されて騒ぎになっているのだ。
     町の外れに聳える比婆山は、そもそも『古事記』で国生み神話の神イザナミノミコトが葬られたと記されている霊地であり、イザナミノミコトの墓とされる御陵と呼ばれる遺跡も残る。
     また、西城町と同じ庄原市の本村町には、日本のピラミッドとして名高い葦嶽山が聳える。さらにいえば、1913年に大ザルが捕獲された駅家町の蛇円山では、大蛇の目撃も報告されている。
     西城町や庄原市だけでなく、広島県の他の地域にも、数々のミステリーが未解明で残されている。その中に、新たな未確認動物の存在があるかもしれない。

    芸備線・備後西城駅の自販機もヒバゴンデザインだ。

    ●参考資料=『未確認動物UMA大全』(並木伸一郎著/学研)、『私が愛したヒバゴンよ永遠に』(見越敏宏著/文芸社)、『UMA謎の未確認動物』(実吉達郎著/スポニチ出版)、webムー

    羽仁 礼

    ノンフィクション作家。中東、魔術、占星術などを中心に幅広く執筆。
    ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)創設会員、一般社団法人 超常現象情報研究センター主任研究員。

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