61年間寝ない“不眠人間”の謎! ショートスリーパーの研究・実践の最前線に迫る

文=久野友萬

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    不眠人間やショートスリーパーと呼ばれる人たちの身体ではいったい何が起きているのか? 健康への影響は? 研究・実践の最前線に迫る!

    今話題の不眠人間

     何も食べない不食人間は時々話題になるが、今度は不眠人間だ。

     ベトナム人の農民、タイ・ゴック氏は61年にわたり寝ていない人間として、現地のテレビ取材も受ける有名人だ。20才の時に高熱で寝込んだ後、眠れなくなったという。しかし医学的な不眠治療を受けたことがなく、検査も受けていないため、医師は真偽を疑っている。

     中国には40年にわたり寝ていない女性がいて、検査の結果、起きている時に寝ている時と同じ脳波が出ていることがわかっている。起きていながら寝ているのだ。睡眠状態の女性は目を閉じることなく、10分程度、椅子に座っているとすぐに目を覚ました。本人は眠っている自覚がなかったという。

     タイ・ゴック氏も同様に短時間の睡眠をとっていると思われる。彼らは私たちのようにグーグー寝ているのではなく、おそらく魚のように数分間の睡眠を繰り返して24時間活動しているわけで、常人にできる技ではないし、決して真似すべきことでもない。

    超短時間睡眠の人たち

     タイパと言われ、映画も早回しで見る人たちが多い世の中である。いつまでも寝ていられないと酒は飲まず、夕飯を食べない人さえいるという。その究極形が超短時間睡眠者、スーパーショートスリーパーだろう。彼らは3時間以下、中には1時間の睡眠で元気に過ごしている。文字通り人生を2倍楽しめることになるわけだが、驚くことに一般社団法人 日本ショートスリーパー育成協会という団体まで存在し、短時間睡眠の普及に努めている。

     同協会のホームページによると短時間睡眠は技術であり、訓練で身につくのだそうだ。二度寝禁止、睡眠時間を記録する、15分以下の昼寝(=パワーナップ)をとるなど、正式なカリキュラムを受講することで短時間睡眠を体得できるという。

     最近はテレビでも短時間睡眠の特集が組まれ、ショートスリーパーが集まって夜通しゲームをして、朝の4時からサーフィンに興じる様子が放送された。

     また、密教の修行僧は不眠不休で護摩炊きを行い、陀羅尼助丸という苦い薬を噛んで眠気を覚ましながら、炎の中に不動明王の幻覚を見る。過度の睡眠不足で幻覚や幻聴を発生させるのだ。

     ヨガの行者にも断眠の修行があり、高位の行者ともなると10〜20年眠らないのが当たり前になるそうだ。タイ・ゴック氏のような短時間睡眠を修行で身につけたのかもしれない。

    睡眠時間と健康

     睡眠時間が極端に短いと早死にしそうな気もする。ラットを使った断眠実験では、2週間で脱毛や体温低下、運動性の低下などネガティブな症状が起きている。このように、まったく寝ないことはたしかに体に悪いのだが、だからといって寝ればいいというものでもないらしい。

     平成2年(1990年)と平成5年(1993年)に、全国11カ所の保健所の管轄で、がんや循環器疾患、糖尿病になっていない男女約10万人(40〜69歳)を対象として、睡眠と健康状態についてアンケート調査が行われた。その結果、平均睡眠時間は男性7.4時間、女性7.1時間だった。

     そして睡眠時間が10時間以上のグループは「年齢が高く、コーヒーを摂取している割合が少なく、余暇の運動頻度が多く、心理的ストレスがあると感じている人が多い」傾向があり、一方で睡眠時間が5時間以下の人は、「男性ではBMIが大きく、心理的ストレスがあると感じている人が多く、喫煙習慣や飲酒習慣がなく、独居の人が多い」(「睡眠時間と死亡リスクとの関連について」厚生労働省多目的コホート研究)ことがわかった。

    イメージ画像:「Adobe Stock」

     これだけ見ると、長時間睡眠の方が健康に感じるが、死亡率は「睡眠時間が7時間のグループと比べて、10時間以上では、死亡全体のリスクが男性で1.8倍、女性で1.7倍」(同)であり、短時間睡眠で死亡率の上昇はなかった。寝る子は死ぬのだ。

     ただし「短時間睡眠では、食欲を抑制するホルモンであるレプチンの分泌が低下し、食欲を高めるホルモンであるグレリンの分泌が増加することにより、結果的に食欲が増して肥満を引き起こす」そうである。寝ない子は太るのだ。

     とはいえ、うつ病の治療法には患者を徹夜させて治す断眠療法もある。要するに、短時間睡眠や断眠は使い方次第なのだ。

    ショートスリーパーの遺伝子

     技術面に頼らない真の短時間睡眠、すなわちショートスリーパーの遺伝子も発見されている。ADRB1とNPSR1と呼ばれる遺伝子は人間からカエルまで広く確認されているが、真のショートスリーパーはこれらに変異があり、生産されるアミノ酸の種類が変わる。同様の遺伝子変異を実験用マウスで起こしたところ、睡眠時間が1時間短縮し、活動時間が1時間伸びたという。人間のショートスリーパーに見られる過活動(極めて活動的な実業家になったり、疲れ知らずのスポーツマンになったり)との関連が注目されるところだ。

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     カルフォルニア大学神経学教授のイン・フイ・フー氏によれば、遺伝子レベルのショートスリーパーは4~6時間で休んだと感じるが、普通の人は同じ満足を得るのに7~8時間かかるという。

     こうした研究を欲しがるのは軍事関連だ。軍はいつの時代もスーパー兵士を夢想している。眠らず、疲れず、痛みも罪悪感も感じない、マシン以上にマシンとして戦う兵士だ。日本軍が特攻隊員に覚せい剤を配ったのは有名な話であり、ベトナム戦争では米軍はコカインやヘロインを使った。

    眠らない薬はあるのか

     では、眠らずに済む薬はあるのか? ないわけではないが、いずれも麻薬だ。

     覚せい剤は名前の通りに脳を覚醒させるが、同時に脳の代謝系を破壊する。以前、タレントの田代まさしに話を聞いたことがあるが、覚せい剤は「一回でも多すぎて千回でも足りない」薬なのだと語っていた。

     ショートスリーパーは寝なくても元気だが、薬で底上げした元気は反動がひどい。3日徹夜で2日寝込むといった状態になる。しかし、仕事があって寝込んでもいられないので、また薬を打つ。結局、脳が薬に順応し、薬がないと脳が起きていられなくなる。

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    「(薬を打ち続けると)血管が逃げるんですよ。注射がイヤだって、血管がするっと消える。体が反応して拒否するんですよ」(田代談)

     だから血管が見えているこめかみに打つ人もいるのだそうだ。恐ろしい話だ。

     過眠症(=ナルコプレシー)という病気がある。一日中、うつらうつらしている病気で、話している最中に眠ったり、運転中に急激な眠気を起こして事故を起こす。ナルコプレシーの治療薬であるリタリンやモダフィニルは中枢神経刺激薬という一種の覚せい剤で、麻薬取締法の規制を受けている。モダフィニルは発売当初、睡眠不要剤として米軍でもヘリコプターパイロットを使った実証実験が行われたが、望む結果は得られなかったようだ。

     薬で眠らずに戦う兵士は作れても、あくまで一時しのぎで、中長期では中毒者を増やすだけだ。スーパー兵士にはほど遠い。

    5日間、不眠不休で戦う兵士

     それでも、スーパー兵士誕生への試みは止まらない。

     DARPA(米国防総省国防先端技術開発局)の「メタボリックドミナンス(代謝支配性)」もしくは「ピーク・ソルジャー・パフォーマンス(=最高の兵士のパフォーマンス)」プロジェクトでは、兵士が5日にわたり眠らず、休まず、最高のパフォーマンスで活動することが可能かどうか検証中だ。非現実的に思えるが、断食で体が利用するケトン体を強制的に燃焼させる栄養補助食品や、栄養補給のための経皮パッチ、ケガをした時に急速に止血と治癒を行う救急キットの開発、睡眠をカットする睡眠不要薬の研究などを行っている。

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     その中で、特に注目されているのがオレキシンAという覚醒に関わる神経ペプチドの一種だ。30~36時間眠らせずフラフラになった猿にオレキシンAを点鼻し、十分な睡眠をとった猿、眠らせないままの猿との3グループで作業テストを行った。眠らせないままの猿はさんざんだったが、オレキシンAを点鼻した猿と、よく眠った猿のスコアには差がなかったという。

     このオレキシンAは安全面の検証が済んでいないことや高価格であるため、市販はされていない。ただし、オレキシンAの拮抗剤が睡眠薬として販売されている。覚醒を邪魔すれば眠れるという理屈だ。

     オレキシンAは絶食によって発現量が増加する。食べると眠くなる、食べないと目が冴えるのは消化器の負担だけではなく、オレキシンAが理由というわけだ。理屈では、ショートスリーパー遺伝子のない人は、食べる量を減らすことで睡眠時間をカットできることになる。仕事をこなしたい時は、ご飯を食べない方がいいのかもしれない。

    久野友萬(ひさのゆーまん)

    サイエンスライター。1966年生まれ。富山大学理学部卒。企業取材からコラム、科学解説まで、科学をテーマに幅広く扱う。

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