それは仏か化け物か? 山の怪現象「ブロッケンの妖怪」に見る〝自然な怪異〟/黒史郎・妖怪補遺々々

文=黒史郎

    近年、登山ブームと相まって、流行している山の怪談。それを文献から発掘していく本連載で、筆者がどんなことに注目したかといえば……「ブロッケン現象」である! ーー ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」だ!

    山の怪異といえば

     もうすぐ、待ちに待った夏休みです。そろそろ、海や山でアウトドアなレジャーを楽しむ計画を立てている方もいらっしゃるでしょう。
     今回のテーマは「山」。
     山は妖怪の宝庫ですが、なかなか出会えるものではありません。
     そこで、「妖怪補遺々々」では、もしかしたらあなたも出会えるかもしれない、そんな「妖怪」をご紹介いたします。

     昭和発行の妖怪・怪奇系の書籍や記事を読んでいますと、【ブロッケンの妖怪】という妖怪をたびたび目にします。どのようなものか、いくつか挙げてみます。
     
    ●ブロッケンの妖怪
     ドイツの山ブロッケンは、妖怪や魔女の集まる場所とされていたが、現代でも頂上に登ると霧の中に巨大な人影が映ることがある。自然現象の1つである。
    ーー聖 咲奇『世界の妖怪全百科』(小学館)

    ●山の怪物ブロッケン
     雲や霧の立ち込めた山頂に突然、ぼんやりと人影が浮かび上がる。山の怪物「ブロッケン」とは、朝や夕方に太陽光を受けた自分の影が反対側の雲や霧に大きく映り込んだものである。いつでも見えるわけではなく、太陽光がさし、雲や霧の厚さが映り込みやすい状態の時だけ現れる。
    ーー佐伯誠一「お化けの化学」『週刊少年サンデー』1964年33号

    ●ブロッケン現象
     ドイツのハルツ山脈ブロッケン山には、遭難者の幽霊がたくさん出る。朝か夕方、雲や霧が立ち込めている時、大きな姿が空中に現れる。はじめはぼんやりとだが、次第にはっきりと見えてくる。これを目撃し、びっくりして死んでしまった登山者も多いという。
     マッターホルンをイギリスのウィンパー隊が初登頂した時、ロープが切れて3名の隊員が死んだ。その直後、空中に大きな十字架が現れ、身の毛がよだったというが、これらはブロッケン現象というものであり、正体は雲や霧に映った登山者自身の影であるらしい。「海ぼうず」も同じ原理で起こる現象である
    ーー「怪談手帳」『週刊少年サンデー増刊』1967年夏休み怪奇とまんが傑作号

    ●ブロッケン妖怪
     ドイツのブロッケン山の頂上でよく見られる。ニュッと突然空中にあらわれて、人を驚かす。遭難者の幽霊ではないかといわれている。
    ーー『ビッグマガジン』「まんが王 1970年7月号ふろく」

    自然現象だけど妖怪

     (一部を除いて)はっきり「自然現象」であるといい切っています。
     無茶苦茶な内容でも実話として通す昭和の児童向け怪奇系書籍で、ここまで「超常的なものではない」と自ら明示している「妖怪」は珍しいかもしれません。
     たしかに「科学的に正体が判明された妖怪」も妖怪研究の範疇ではあります。それに、子どもたちは不思議なものが好きですが、科学的な話も大好き。名称に「妖怪」とついてもいますし、「世界の妖怪」に加わっていても、抵抗なく受け入れていたのではないでしょうか。

     古い記録では明治6年発行『変異弁 一名 天変地異拾遺』の「空中に人の顕わる事」で、【「ぶろけん」山の幽鬼】として書かれています。

    鳥山啓『変異弁 一名 天変地異拾遺』(書林会社)

     数年前、日耳曼(ぜるまん)国の人が「はあつ」という山に登って「ぶろけん」という所で西南のほうを眺めていると、巨人(おおびと)が立っているのを目にします。
     そこに山風が吹いて、その人が帽子を落とさないように手でおさえると、巨人も同じ動きをしました。その人が腰を屈めて礼をすると、巨人も礼を返します。その人が他の人を呼んでくると、巨人も二人になっています。この巨人、人と同じことをするのです。
     土地の人はこれを「ぶろけん」山の幽鬼と呼んでいた、とあります。
     その後にはちゃんと、この現象の仕組みについて説明されています。このころからもう、【ブロッケンの妖怪】は自然現象だという認識があったのですね。

    『変異弁 一名 天変地異拾遺』の「ぶろけん」山の幽鬼】

    ブロッケンと御来迎

    「ブロッケンの妖怪」は、昭和32年発行『週刊朝日』の表紙になっています。

    「週刊朝日」昭和32年

     妖怪というより、神々しい1枚です。
     同誌のコラム「作画の精神」によると、長編記録映画『大自然に羽搏くもの』の撮影で山形県の大朝日岳の頂上で野営を続けていた時に撮られたものだそうです。
     太陽が西に没せんとする刹那、東の空に丸い7色の光が輝いて、その下には人のシルエットが蠢いていたのを目撃したそうです。これはその時にカメラマンが撮ったもので、撮影後、この光景はすぐに消えてしまったといいます。

     とても神秘的です。こんな光景を見たら、手を合わせて拝んでしまいそうですね。
     そうなんです。
     この現象は、大変ありがたいものとしても知られているのです。
     それが、【御来迎】です。

     昭和4年発行『運動の話』に「ブロッケンのお化け」という話が収録されています。
     この話の中で、【御来迎】とは、日の出のとき、山頂に立っている人の像が光環の中に入るもので、これを仏の御像だと考えていたーーとあります。今日では「御来光」といって、日の出を指す言葉になったのだと。

    『運動の話』の「ブロッケンのお化け」

     昭和38年発行『登山の先駆者たち』には、天保の頃に目撃された【ブロッケン現象】について書かれています。

     江戸後期、僧の播隆が飛騨の槍ヶ岳を開山時のこと。登山道を開くため、彼は付近の木を伐り、草を刈って道を開いて、「槍」の絶頂を伐り広げて小祠を作りました。そこに仏像や銅像の釈迦仏を安置し、頂上仏安置の落慶供養を行ったとき、「荘厳な仏の後光」を拝することができたといいます。

     これが【ブロッケン現象】であるというのです。

    【御来迎】とは【ブロッケンの妖怪】と同じ現象のようですが、仏様とお化けでは、まるで扱いも違ってきます。それに厳密にいうと、そのふたつには違うところもあるようなのです。

     昭和16年発行『野山の理科研究』には、山に登ると雲の上に後光を放つ仏様を見ることがあると書いており、その仏様は頭の周りに後光が差していて、後光は幾重にも重なることもあれば一重のこともあって、時には後光が美しい7色になるのだそうです。

     これも自分自身の影が映ったものですが、現れるのには条件があります。
     正面に真っ白な雲があって、後ろは晴れて太陽が照り輝いていなければならないのです。 
     これも先述した【御来迎】でしょう。

     同書には【ブロッケンのお化】というものもあるとし、次のように説明しています。
     これは大きな輝く輪の中に、薄暗い大変大きなお化けが現れるもので、見ている人のするように手を上げ、足を動かし、物まねをします。電燈の火影が障子に映って自分と同じ動きをするのと同じで、人の影が山上の雲の上に映っているものなのです。
     後光を放つ仏様と同じ現象ではありますが、完全に同じというわけでもではなく、仏様は頭の周りに輪があって、7色の光を放つことがあるという有難い姿ですが、【ブロッケンのお化】のほうは、ただ影の像がぼんやり映り、輪がたいへん大きく、頭にではなく、像の全体を取り巻いているのだといいます。

     どうも、周囲の雲の速さの関係で、後光のさす仏様になったり、【ブロッケンのお化】になったりするようなのです。

    『野山の理科研究』の「ブロッケンのお化」

    御来迎と御来光

    【御来迎】と似た字並びと音を持つ【御来光】という言葉があります。
     ふたつの言葉を40年代発行の辞書で引いてみますと、
    【御来迎】ーーごらいごう
    ① 臨終の際に、仏が極楽から迎えに来ること。
    ② 朝か夕方の高山で、霧に自分の影が投影され、その頭辺に紅環があらわれる現象。
    ③ ご来光
    【御来光】ーーごらいこう
     高山の頂上で見る壮大な日の出。ごらいごう。
    「御来迎」は「ご来光」であり、「御来光」は「ごらいごう」ということです。
     どっちがどっちなのか、わからなくなってきます。
     この混乱は、かなり前から生じていたようです。

     大正13年発行『地理教育 第八巻 続山と水号』では、【御来迎】という言葉の扱いにちょっと怒っています。
     通俗に用いられる【御来迎】は、朝日の東天に昇るものをいうが、真の【御来迎】はそういうものではない! ーーと。
     これは仏や菩薩の霊が出現し来られるのを迎えることの意味で、朝か夕方、霧の中に仏像のごとき大きな影が見えることをいうのだ、とあります。
     また、像の周囲には仏像の後光に似た光輪が現れますが、これはきわめて稀な現象で、多くは仏像だけしか見えないのだそうです。光輪のない像は多くの登山者が山頂で朝夕に見ることができるものなのだと。ちなみに【御来迎】の像の大きさは、人と霧との距離の大小によって違ってくるもので、光輪の現れる理由は虹と同じ。日光が水滴内に入って屈折反射する際、分散するために生じるスペクトルの一種だそうです。

    【御来迎】と【御来光】の意味が混同されているという話ですが、昭和8年発行『大気中の光象』に、このような「理由」がありました。
     明治時代に西洋の学問が入ってきた際、【ブロッケンのお化】のことも知られるようになりました。すると、それまで【御来迎】と呼んでいた現象を、急に【ブロッケン・ゲシュペンスト(ゲシュペンストは「幽霊」「幻」の意味のドイツ語)】と呼びだし、しかしこれでは長すぎるというので、短くしてブロッケンと呼ばれ、元のブロッケンがなにかも知らない人たちは「ブロッケンが出た」といっていたそうです。有難みがゼロになりました。
     そして【御来迎】のほうは、哀しいかな、元の字を忘れられ、【御来光】と書かれるようになってしまいます。そのうえ、登山客の多い山の山室の番頭が、本当の【御来迎】はめったに出ない希少現象なので、客に気を利かせたつもりで、朝日を拝むことを【御来光】と呼んだ、という話があります。
     
     次回は、ちょっと怖いーーかもしれない【ブロッケンの妖怪】をご紹介いたします。

    【参考資料】
    針重敬喜『運動の話』(アルス)
    吉田弘『野山の理科研究』(研究社)
    鳥山啓『変異弁 一名 天変地異拾遺』(書林会社)
    藤原咲平『大気中の光象』鉄塔書院
    地理教育研究会『地理教育 第八巻 続山と水号』(中興館書店)
    「山頂の十字架は銀色に輝いていた」『サンデー毎日』昭和四十二年 10月1日号(毎日新聞社)
    『週刊朝日』昭和三十二年12月1日号(朝日新聞社)
    『ビッグマガジン』「まんが王 1970年7月号ふろく」(秋田書店)
    聖 咲奇『世界の妖怪全百科』(小学館)
    佐伯誠一「お化けの化学」『週刊少年サンデー』1964年33号(小学館)
    「怪談手帳」『週刊少年サンデー増刊』1967年夏休み怪奇とまんが傑作号(小学館)
    金田一京助監修『現代実用辞典』(講談社)

    黒史郎

    作家、怪異蒐集家。1974年、神奈川県生まれ。2007年「夜は一緒に散歩 しよ」で第1回「幽」怪談文学賞長編部門大賞を受賞してデビュー。実話怪談、怪奇文学などの著書多数。

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