有人火星探査のためにクマムシ人間に変身!? 困難すぎる宇宙旅行を可能にする秘策2つ/久野友萬

文=久野友萬

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    有人火星着陸に向けた構想をどんどん推し進めるNASA。しかし、本当に人類は火星に行けるのか、とてつもない難題の数々を解説。そして究極の対応策2つとは――!?

    夢の火星旅行とはいうものの

     NASAは火星に人類が居住することを想定した実験を今年の夏から始めるそうだ。

     火星で人間が生活するとなると、基地の中で暮らすことになる。火星はほぼ真空で、わずかな大気は二酸化炭素。気温は氷点下55度~130度と、地球の南極で最も寒い時期が延々と続くようなものだ。とても基地の外では暮らせない。

     完全に閉鎖された空間で、4人の男女が1年暮らして健康状態やメンタルに起こる変化を調べる計画が「Crew Health and Performance Exploration Analog (CHAPEA)」であり、『マーズ・デューン・アルファ』という160平方メートルの施設を使って行われる。

     大気まで密閉するわけではなく、あくまで予行練習を兼ねた健康観察を行うようだ。しかし、火星のような過酷な環境で本当に人間は生活できるのか?

    画像は「NASA」より引用

    宇宙ステーションという地獄の空間

     宇宙旅行も身近になったもんだ!
     前澤社長が滞在した宇宙ステーションも身近!
     新たなフロンティア、それは宇宙!

     報道だけを見ているとそういう気持ちになる。言っておくが、大ウソである。

     以前、筆者は茨城県つくば市まで国際宇宙ステーションの日本モジュールを見に行ったことがある。
     デカい。大型トラックサイズの金属の円筒。アルミ製の巨大なドラム缶がイメージしやすいだろう。狭くはないが、機材に囲まれ、モジュール内のスペースは広めのワンルームぐらいか。ここに半年はきついなあと眺めていたら、
    「日のあたる側は150℃で、日陰はマイナス150℃、つまり表と裏で300度の温度差があるんです」
     と担当者。何の話かと思ったら、金属のドラム缶みたいなモジュールはそういう場所に行くのだという。

     宇宙には、空気がない。空気は熱を運んでくれるが、その空気がないから、日向と日陰の温度差が恐ろしいことになる。よく宇宙服を着た船外活動の様子が報じられるが、あれも日の当たるところは150度、影はマイナス150度だ。背中と腹とで温度差300度、それが宇宙。

    「日の当たる側は膨張しますし、日陰側はぎゅっと縮む。それに耐えられるように作らないといけないわけですね」

     缶ビールをバーナーであぶりながら、反対側を氷で冷やすようなものだ。そんなものに耐えられる缶ビールなど存在しないが、モジュールは耐えてみせる。さそごついのかと思ったら、担当者が壁を指さし、
    「このあたりが一番薄いんですが、5ミリですね」
     ちょっと待て。5ミリ? たったの5ミリメートルしかないの?
    「飛行機もそんなものですよ」
     薄くても安心、いやいやそうかもしれないが、5ミリって。
     戸板一枚、外は地獄の極真空。しかもだ。
    「軌道上は無重力なので、忘れてしまったものはフワフワ浮いてくる。それが飛び回るので、非常に危険です」

     人工衛星のネジや切り離したロケットの部品などが、毎秒数キロメートル(ピストルの弾でも毎秒200~600メートル)で飛んでくる。宇宙は広いからぶつかる可能性は低いが、もしも当たれば銃撃、いや砲撃されるようなものだ。

    船外活動を行う野口聡一さん。 画像は「Wikipedia」より引用

     選ばれし方々はともかく、一般人はストレスで頭がどうにかなりそうだ。しかも気分転換にちょっと外に出たくても、外は真空である。

     非常に暗い気分で筑波から帰ってきた。人間に宇宙は厳し過ぎる。本当に選びに選ばれた一部の人しか行けない。なのに、いきなり火星? 何をおっしゃるのやら。

    往復だけで2年半の宇宙暮らし

     火星まで片道250日、往復で500日、1年半だ。火星での滞在を1年としておよそ2年半。

     国際宇宙ステーションでは半年で100ミリシーベルトを被ばくするという。この100ミリシーベルトあたりが上限で、それ以上だと髪の毛が抜けたり水晶体が濁るなどの放射線障害が出る。

     地球から離れると、地磁気が防いでくれていた放射線をもろに浴びることになり、さらに被ばく量が跳ね上がる。アメリカの火星探査機が火星まで飛ぶ間に被ばくした線量から、宇宙飛行士は地球~火星の往復で660ミリシーベルトを被ばくすると推測できるそうだ。

     これに1年間の火星滞在を加えると、総被ばく量は800ミリシーベルトぐらいか。即死するような線量ではないが、ガンのリスクは桁違いに跳ね上がる。

     片道切符にもほどがある。火星行きに必要なのは特攻隊精神か?

     無重力空間では、骨に負担がかからないのでカルシウムが流れ出し、骨粗鬆症にもなる。1カ月間で平均1.5パーセントも骨密度が減る。これは骨粗しょう症患者のおよそ10倍なのだそうだ。

     心臓も弱り、筋肉も委縮する。宇宙では人体は急速に老化するのだ。

     火星まで行って帰ってくる、そのミッションをクリアするには人間は弱すぎる。空気がなければ死ぬし、温度差でも死ぬ。放射線でも死ぬ。無重力で急激に老化し、骨だけ見れば、1年で10才も年をとる。火星往復の2年半で20才以上も年をとってしまうのだ。

     それに、生命線である食糧や水も問題で、途中で足りませんでした、と地球から送るわけにもいかない。だから十分な量を用意しなければならないが、そうなると重量が増えて燃料が積めない。食糧も燃料も積もうとすれば、宇宙船がバカでかくなり、今度は地球から打ち上げられない。

    画像は「NASA」より引用

     ではどうするか? 方法は2つ。1つは超スピードの宇宙船で行って帰ってくる。今の宇宙船よりもはるかに速い、たとえば火星まで1カ月で行けるような宇宙船を作れば、放射線の影響も少なくなり、閉鎖環境のストレスも無視できる。何より食べ物も水も燃料もすべて積んでいける。

     NASAとDARPAが共同で開発中のエンジンは、原子力を利用する。核分裂で5000度の高温を作り、そこに水素などの推進剤を流し込み、高圧で噴射するのだ。熱核ロケットエンジンといい、理屈上、現在の液体燃料ロケットに比べて2~5倍の推進力がある。火星までの航行時間を一気に数分の1まで短縮できるという。

     実用化すれば、火星往復3カ月である。とても現実的なスケジュールだ。

     問題は核分裂炉を積んだロケットが、一発で打ち上がるのかどうかだ。スペースXのロケットも実用化までバンバン落ちているが、NASAは原子炉入りのロケットがバンバン落ちる事態を考慮しているのか、大変不安である。

     打ち上げは絶対にアメリカ国内だけでやっていただきたい。

    クマムシ人間、火星へ

     そしてもう一つが、人間を宇宙に合わせる方法だ。真空中でも死なない、気温差でもダメージを受けない、そんな人間を作り出せれば問題は解決する。

     人道的な話は置いておき、そんな対宇宙改造人間なんてできるのか?

     クマムシをご存じだろうか。地球上最強生物とされるクマムシは、最大で2ミリにも満たない微生物だ。それほど小さいが、足があり、頭があり、口もあって捕食する虫だ。

     クマムシは環境が悪化するクリプトビオシス=乾眠という状態になる(SF小説『三体』を読んだ人はわかるだろう。超高温にも耐える特殊な状態だ)。クリプトビオシスのクマムシは特殊なたんぱく質を分泌し、細胞を守る。摂氏100度からマイナス200度まで耐え、真空でも高放射線にさらされても平気で、何年経っても水を与えれば復活する。乾眠状態のクマムシはほぼ無敵なのだ。仮に人間がクマムシの特殊なたんぱく質を分泌できれば、人間の耐環境能力は桁違いに上がるだろう。

    イメージ画像:「Adobe Stock」

     中国の人民解放軍軍事科学アカデミーは、人間の幹細胞(iPS細胞のような未分化の細胞で、胃でも目でも脳でも、幹細胞が元になってできる)に、クマムシのクリプトビオシス関連の遺伝子を入れることに成功した。

     人間にクマムシをプラス。もはや歯止め知らずである。

     クマムシ遺伝子を組み込んだ人間の細胞は、9割が致死量のX線にも耐えたという。クマムシ人間の細胞は、クマムシ並みの耐環境能力を持つらしい。

     幹細胞なので骨髄に移植すれば、血液や免疫系を丸ごとクマムシのものに代えることができる。耐放射線人間の出来上がりだ。

     もし人間でもクリプトビオシスが可能なら(あくまで幹細胞レベルなので、体全体としてどうなるかは今後の研究である)、食料も水もいらない。目的地までカラカラのミイラのようになって寝ていき、着いたら水をかければいいのだ。

     なんて便利なんだ。これなら宇宙旅行どころか星間旅行も夢ではない。

     宇宙は人間を拒否するが、人間が宇宙を拒否しなければならない道理はないだろう。

     クマムシ人間が、人間なのかクマムシなのか別の何かはともかく、できるとわかれば、人間はやってしまうだろう。宇宙に行くには、耐放射線ワクチンとしてクマムシ遺伝子を打つ、そんな未来が来てもおかしくない。

     火星に住む際にはクマムシ怪人になり、干物になってお届けである。これには乾物屋もびっくりだろう。私たちを宇宙に連れ出すのは、キラキラしたビジュアルのテクノロジーばかりではないのだ。

    【参考】
    Nature ダイジェスト」、ほか

    久野友萬(ひさのゆーまん)

    サイエンスライター。1966年生まれ。富山大学理学部卒。企業取材からコラム、科学解説まで、科学をテーマに幅広く扱う。

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