1975年”甲府事件”現場に遺された放射性物質と”UFOの原子炉”の謎/雲英恒夫
日本の科学的UFO研究団体、JSPS(Japan Space Phenomena Society)の上級研究員・雲英恒夫が、有名なUFO遭遇事例「甲府事件」の確たる証拠を確認した。驚くべきデータを紹介
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1975年、夕闇迫る山梨県甲府市で、ふたりの少年がUFOを目撃した。後に「甲府事件」と称されることとなったこの出来事を驚愕発見とともに振り返る。
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2016年11月20日午後、大阪「阿倍野市民学習センター」にて、筆者が主宰する「日本宇宙現象研究会=JSPS」大阪支部長の林一男氏と「大阪UFOサークル=OUC」(山野涇氏主宰)による合同研修会が行われた。
そこで、修会で講師を務めた雲英(きら)恒夫氏(JSPS東京本部研究局スタッフ)により、日本最大のUFO事件に関する最大の謎となっていた出来事について、衝撃的な新事実が公表されたのである。
新事実とは、約40年前にUFOが着陸した農地の土壌に残された、15日間で半減するという性質をもった放射能に関するものであった。だが、それは本来、ありえないことなのだ。なぜなら、わずか半月程度では、自然界に存在する放射能の「減衰」は絶対に起こらないからだ。
この不可思議な放射能の発見者であり、放射線取扱技師資格を持つ高校教諭の前田進氏は、放射線源を特定すべく、茨城県那珂郡東海村のとある放射線研究所に、サンプルを持ち込んだ。
サンプルは主にガンマ線のエネルギー分布を測定する「ガンマ線スペクトロメーター」と呼ばれる機器にかけられた。その結果、該当する放射性核種(核種=原子核を構成する特定の原子の種類のこと)が23種も特定された。続けて測定の誤差を5パーセントまで広げたところ、すべてのガンマ線の元となる放射性元素を特定することができたのだ。
こうしてサンプル中の鉄、鉛、ルビジウムなどが、放射線であるアルファ線、重陽子線、陽子線、中性子線などの重粒子線を浴びて生じる放射線に似ているという事実が判明した。だが、放射能が微量であったため、確認できたのはここまでであった。
2016年夏、雲英氏は事件後、約40年を経た現在の技術ならその放射線源が特定できるのではないかと考え、当時の残留放射能の生データに改めて着目した。そして、減衰する放射線に最も合致する半減期曲線を求めてみた。すると、これまで数十種も該当していた放射線源が、なんとたった1種類の核種に絞られたのである(現在、元素は118種まで知られ、それを元とする放射性、非放射性を合わせて4540種の同位体元素が確認されている)。
そこで雲英氏は、生データに最も誤差が少なく合致する半減期曲線を求めた。その結果、残留放射能の半減期が、正確には14.2~14.8日であることが判明した。さらに、これに合致する半減期をもつ放射性元素を捜した雲英氏は驚愕した。該当する放射性元素がたった1種類しかなかったからである。
それは「リン32」だった。
リン。それは生命維持に不可欠な元素だが、自然界では放射能をまったくもたないリン31として存在する。一方でリン32は、原子炉から出る中性子線を浴びることで生成され、現在では医学研究用に売買されるほどポピュラーな放射線源だという。
では、なぜUFO着陸現場に、リン32が存在したのか? 雲英氏は次のように指摘した。
「このリン32こそ、農地に撒かれた肥料中のリン31が、放射線源からの中性子線を浴びて、放射化されたものです」
ではその放射線源とは、いったい何だったのか?
「それは“原子炉”です」
思いもよらぬ雲英氏の指摘に、会場内がどよめいた! 間髪を入れず、雲英氏は続けた。
「原子炉がUFOの動力源だったと考えられます。いかに厳重に遮蔽されていても、その原子炉から放射能がわずかに漏れることがあります。それが土壌中のリンや鉄を放射化させたとしか考えられません」
そう、放射線源は原子炉であった。そしてUFO内部に設置されたそ原子炉は、きわめて小型のものだったと想定されるのだ。
この放射能をもたらしたUFO着陸事件とは、1975年2月23日、山梨県甲府市で起きた、通称「甲府事件」と呼ばれる、日本UFO史に残る異星人遭遇事例のことである。
事件はふたりの少年(いずれも当時小学2年生)によるUFO目撃から始まった。日が暮れても遊びに夢中だった少年たちの近くに、オレンジ色に輝く大小2機のUFOが出現した。
そして、小さいほうのUFOが降下して、近くのブドウ畑に着陸した。ふたりは好奇心から接近、UFOを間近で観察したのである。さらには中から現れた醜悪な異星人を目撃したばかりか、少年のひとりが、その異星人に肩をたたかれたという。
この事件は当初、少年たちの虚言や妄想、または幻覚にすぎないとする、否定的な見方をされることが多かった。だが今回、残留放射能が自然界では存在しないリン32であったことが判明し、事件が現実のものだったと、科学的にも実証されたのだ。
「甲府事件」には、その予兆と呼ぶべき出来事があった。
事件の3日前、つまり1975年2月20日午後6時すぎ、山梨県都留(つる)市川棚に住むWさんが外出中、大小ふたつのオレンジ色に輝く物体が三つ峠方向に飛んでいくのを目撃していたのである。
このときの物体が甲府市に再び出現し「甲府事件」として日本のUFO研究史上にその名を残す、特筆すべき事件へと発展していったのだ。
以下、この事件について詳述してみる。
―—2月23日午後6時少し前、甲府市上町(かみちょう)に住む小学2年生のKくんとY君は、K君の自宅近くでローラースケート遊びに興じていた。そのときK君が、東にある達沢山(たつざわやま)上空にオレンジ色に輝く大小2つの飛行物体を発見し、Y君に知らせた。
事件は、ここから始まったといえる。
不思議に思ったふたりが眺めていると、ひとつは北の愛宕山(あたごやま)方向に向かって遠ざかったが、もうひとつがグングン接近してきて、近くに建つ3~4階建てアパートの高さほどの低空で停止した。頭上に見る物体は、明らかに空飛ぶ円盤の形をしていて、底部に回転する3つの装置がついていた。
やがて、その底部中央からカメラの望遠レンズに似た黒い筒状の物体が伸びてきて、カチリもしくはカチャリというシャッターを切ったような音を立てた。
頭上に停止する空飛ぶ円盤=UFO!
その事実を認識して怖くなったふたりは、すぐ近くの福王寺(ふくおうじ)墓地に逃げ込み、ローラースケートを脱いだ。しばらく後、そのUFOもまた愛宕山方向に飛び去った。
安心したふたりは、家路を急いだ。ところが途中、道の脇に広がるブドウ畑の中に、オレンジ色の光が炎のように輝いているのを目撃したのである。
少年たちは火事の可能性を考え、畦道を通ってブドウ畑へと向かった。数十メートル手前まで近づいたとき、明滅を繰り返していた光が弱くなった。それと同時にふたりの目に映ったのは、ブドウ畑に着陸した銀色のUFOだった。このときばかりは恐怖心より好奇心が勝ったふたりはUFOに接近、観察した。
機体の大きさは直径約2.5メートル、高さ約1.5メートル。表面はステンレスのような銀色で、全体が薄暗く輝いていたように見えた。そして回転する半球形のドーム部分。そこには半透明の四角い窓が複数個あり、黒い枠がはめ込まれていた。
少年たちは左右に分かれてUFOの周囲を歩き回った。その際、河野君は機体に黒い奇妙な文字とも記号ともつかないものが書かれているのに気づいた。それはシールを貼ったように少し浮き出ていた。
後にKくんのスケッチを見るかぎり、それは漢字のように各文字が独立しているが、象形文字の一種にも見える。反対側を回っていたY君もまた、河野君とは別に機体に浮き彫りされた同様のものを観察していた。
K君はさらに、しゃがみこんでUFOの底部にある3個の着陸用ギアを観察した。ギアの高さはいずれも約25センチで、完全に接地していた。そのとき回転していたドーム部分が停止した。立ち上がったK君が再び文字に見入っていると、突然ガチャンという音がして、文字の右横にあたる機体の一部が開き、手前に倒れて階段が出現した。その際に見えた内部には、無気味な姿の異星人がいた。
異星人の身長は約130センチ。顔は茶色で深い横皺が走り、口からは3本の銀色の牙が生えていた。手の指は4本、足には地下足袋のような二股に分かれたブーツを履いている。耳はウサギのように長く大きく、中央に穴が開いている。銀色の服をまとい、腰にベルトを巻いて肩から銃らしきものをさげていた。
このとき、K君の反対側にいたY君は、不意に後ろから肩を2度たたかれた。
K君だと思って振り向いたY君は、そこにK君が目撃したのと同じ異星人の顔を見たのである。
異星人はキュルキュルキュルという声を発した。Y君は驚愕と恐怖のあまり腰が抜け、その場に座りこんだ。そして、このままでは危険だと思い、死んだふりをした。だが、彼は死んだふりをしつつも、薄目を開けて異星人の様子を眺めていた。異星人はまるで軍人のように左腕と左足を高く振り上げながら早足で歩行、周囲を観察しているようだった。
やがてK君が血相を変えてやってきてY君を背負い、ブドウ畑を一目散に逃げ出した。畑のはずれでY君を降ろし、ふたりは振り返った。すると、UFOの開いたドアから内部の様子が見てとれた。
そこにはもう1体、身長約90センチの異星人が椅子に座り、操縦桿のようなものを握って前方のスクリーンを見ていた。壁は複雑な計器類で埋めつくされ、赤・黄・青などさまざまな色の光が点滅を繰り返していた。その光景を見つめていると突然、異星人がこちらを見たので、ふたりは再び逃げ出し、K君の家へ飛び込んだのである。
そのころK家では、両親とY君の両親が一緒に夕食をとっていた。日曜日ということもあり、Y夫妻は息子同士が同級生で、かつY氏にとって義理の兄にあたるK氏の家を訪問していたのだ。だが、午後6時をすぎても子どもたちが帰ってこない。そのため、ふたりの両親はそろそろ心配しはじめていた。
そのとき「UFOだ。宇宙人がいる!」と叫びながら、少年たちが家に飛び込んできた。そのただならぬ様子を見た母親たちは、「何いってるの? 遅いんだから早くごはん食べなさい!」と彼らをたしなめた。だが、ふたりは必死の形相で、一緒に来るよう母親たちの手を引っぱった。そこで、母親たちはY君の兄も連れて出て、真っ暗なブドウ畑付近を5人で見つめた。
すると、畑の中にドッジボール大の明滅するオレンジ色の光があった。数分後、光はいったん強くなり、やがて消えた。そして、光が強くなった際、Y君の兄もまた、異星人らしき人影を確かに見た。
直後、K君の母親から知らせを受け、父親たちが現場に駆けつけたが、消えかかっていた光は瞬時に闇のなかに吸い込まれてしまったのである。
事件による衝撃のせいか、当夜のY君は夜泣きをして両親を悩ませ、その後、数日間は熟睡できなかったという。また、K君も事件以降は夜、ひとりで外を歩けなくなっていた。
翌日、ふたりがクラスで異星人目撃事件を話したところ、大騒ぎになった。そこで担任のU教諭が昼休みにふたりを連れて現場に行くと、畑の中央付近にへこんだ部分がある。
この部分は教諭にとってはさほど変に見えなかったようだが、ふたりはそれが着陸脚の跡だと主張したという。その後、一報を受けた「山梨日日新聞」の協力で現地調査が行われ、以下のような物的証拠が見られた。
・ブドウ畑のコンクリート製の柱が1本折れ、2本が傾いたり倒れたりしていた。
・柱の上に張られたブドウのツルを這わせるための金網は、重い物を乗せたかのように大きく広がっていた。
・金網の針金はゆるんでいたが、切れてはいなかった。
・地面に数か所の穴とリヤカーの轍のような跡があった。
―—補足するなら、わがJSPSでは事件当時、4度にわたり詳細な調査を行っている。少年たちおよびその母親たちの証言を繰り返し検討するかぎり、彼らがウソをついているとは思えない。さらに当時、小学2年生という年齢からいっても、ふたりが互いの証言の辻褄を合わせたうえで偽証するということも考えられなかった。
加えて、彼らが目撃したUFOにしても異星人にしても、それまでに世界各地で目撃された事例と類似しているが、少年たちが、そうした事例に精通しているとは考えられないし、ありえない。結論としては、彼らは確かに見た、ということになる。
そして、冒頭で述べたとおり、現場から検出された残留放射能の放射線源が特定されたことで、もはや事件の信憑性は疑う余地のないものとなっているのだ。
実は当日の目撃者は、前出のWさんやふたりの少年だけではなかった。そのうちのひとりは、河野家から約300メートル東にある甲府市環境センターの管理人、A氏である。
A氏は当日午後6時30分ごろ、センターの中にいたが、犬が妙に吠えるので外に出てみた。すると、東の空を明滅しながら飛ぶ謎の物体を見つけた。それはいったん建物の陰に隠れた後、西側に現れた。一番星より明るく大きく、飛行機でもない。A氏は奇妙に思いつつ、眺めていたという。
また同じころ、保険外交員のSさんは、得意先に行くために同地域で車を走らせていたが、道の中央にふたりの子どもが立っているのに気づいた。ふたりは近づく車をよけようともせず、立ちつくしていた。Sさんは仕方なく車を道の端に寄せて、ふたりの横を通りぬけようとした。
そのとき、子どものひとりが車のフロントガラスに手をつけ、顔をぐっと近づけた。その顔たるや、なんと子どもどころか、どんな動物とも似ても似つかぬ醜悪で無気味なものだった。Sさんは恐怖心を抑えつつ、必死で仮装行列か何かの催しがあったのだろうと思いこもうとした。そして、夢中で車を走らせて帰宅したのである。
後にSさんが見た怪物の顔は、少年たちの見た異星人の顔と酷似していたことが判明している。
(月刊ムー 2017年3月号から抜粋再編集)
並木伸一郎
「ムー」創刊当初から寄稿するベテランライター。UFO研究団体ICER日本代表、日本宇宙現象研究会(JSPS)会長などを兼任。ロズウェルやエリア51をはじめ現地調査を重ねて考察し、独自の仮説を「ムー」や自身のYouTubeなどで発表している。
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