亡妻との交霊を繰り返した…波田強一の情念/吉田悠軌・怪談解題
戦前、霊魂の不滅を信じた理工系科の学者がいた。死者との交霊をも〝実現〟していた彼の信念は、やがて悲劇的な結末を招く。近代スピリチュアリズム、心霊主義の負の一面を体現してしまった、ひとりの男の物語を追う
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吉田悠軌の怪談解題は、今回から「呪物編」と題して、いわくつきの呪物にまつわる怪談、そしてその読み解きをお届けする。オカルト研究者にして怪談の語り手でもある吉田のもとに届く、さまざまな呪物の怪。そこにはどんな「解」が隠されているのか。
目次
怪談とはだれかの体験を語る「コト」を扱うが、なかには具体的な形としての「モノ」が関わるケースもある。隠されたもの、触れてはいけないもの、なにかの呪いを秘めたもの……。近年では「呪物」と称されることも多いそれらのモノに、だれかの体験談が絡みあえば、奇妙なモノゴトとなってわれわれの前に現れる。
証拠物件ならぬ「怪談物件」とでも呼びたいような、呪物の話・語られる呪物について、今回から報告していこう。
「不思議な話の募集をされていたので、メッセージを送ります」
少し前、アユさん(仮名)という女性が私宛てに連絡をとってくれた。
「私の実家は山口県の田舎にあります。昔からの農家で、私の兄で21代目です」
その家に代々伝えられているモノについての話だという。
奥の間の仏壇。そこには参拝用の仏像とはまた別に、小さな木製の仏が置かれている。「削り仏」と呼ぶものなのだと、父親からは聞かされている。
また仏壇の上の天袋には、やや大きめの木箱がしまわれている。箱を開けるとさらに小さな木箱があり、その中に入っているものは父しか触ってはいけない。
「父いわく、『女子供が触ってはならない』と、曾祖父から伝えられているそうです」
ただ、父が取りだした中身を見せてもらったことなら、何度かある。
入っているのは巻物だ。成人男性の手のひらに収まるほど小ぶりな、古めかしい巻物である。そして父も曾祖父もだれも、これがどのような巻物かは把握していない。なぜならこれは、最後まで開いてはいけない巻物だから。
巻首の部分だけ、ほんの少し紐解くならばいい。だがもし終わりまで開けば、その者は正気を失ってしまう。父はそのように聞かされていたのだという。
「削り仏と巻物が、いつごろからうちにあるのか不明です。ただ、とにかく曽祖父の代より前なのは確かなようで」
事情を知っているのは、今は亡き曽祖父のみだった。それらは彼の父、つまりアユさんの高祖父が扱っていたモノだったからだ。


高祖父もまた農家を営んでいた。ただ同時に、この山口県の集落にて、霊能者の役割を負わされていたようだ。そのときに使っていたのが、削り仏と巻物だった。
削り仏は女性の親指ほどのサイズで、よく見ると左上の後光にあたる部分が削り取られている。
これは病に伏せった相談者のために使っていたらしい。病者の寝る布団の上でこれを削り、枕元へと破片をかける。するとたちまち病気が治るのだとか。 巻物はさらに攻撃的な呪物だ。
「近隣の人が蛇や狐に憑かれたら、うちまで運んできたらしいです」
その巻物をかざしながら経文を唱えると、憑き物を落とすことができるのだという。
曽祖父によれば、子供のころ、〝蛇憑き〟の女性が家に運ばれてきたことがあったそうだ。女性は見たこともないような動きで体を蠢かせたかと思うと、家の柱にくねくねと巻きついた。そこへ高祖父が、例の巻物をもって祈禱を行ない、憑いている蛇を撃退したのだ……と。
しかし曾祖父の代から霊能者稼業は廃され、ふたつの呪物は保管されるのみになった。そして巻物を最後まで開けてはいけない、というタブーだけが残ったのだ。
もしかしたら、この廃業には理由があったのかもしれない。なにしろ当家では4代続けて男子が早逝しているからだ。ちょうど曾祖父の兄弟から始まり、祖父や父の代も、そしてアユさんの弟も15歳で亡くなっているのだという。
「兄夫婦のところはひとり娘ですが、男児が生まれたら育たないのではないかと不安がっていますね」
また父親によれば、この家の「K」という姓は、自分たち一族しか存在しないのだという。確かにインターネットで調べた限りでは、「K」姓は非常に珍しく、日本全国で数十名ほど。一族のみという主張はあながち間違っていないかもしれない。
「そんな家系なのに、男子が大人まで育ちにくいというのは、なんだか呪われているような気もします……」
「見てはいけない巻物」というタブーについては、他に類例がないわけではない。マタギやイタコは独り立ちの際、師匠から巻物を受け渡される。それらは狩猟や口寄せに際し携行されるが、他人には中身を見せてならないとされる。こうした巻物は、職能の免許状であると同時に、それ自体が呪物としての性格を帯びているのだ。
ただ「見せるな」のタブーを破った際、強烈な罰が下るという話はあまり聞かない。やはりアユさんの家に伝わる巻物は特殊な事例なのだろうか。
そう思っていた矢先、偶然にも別の人物から似たような情報提供が届いた。
兵庫県尼崎市在住の太郎丸さん(ハンドルネーム)は、隣の西宮市にある高座岩(コーライ岩)という岩を調べているのだという。コーライ岩は武庫川上流にある長方形の大岩石だ。まるで祭壇のようなかたちをしたこの岩は、ある信仰の現場となっていた。
「この岩は龍宮につながっているという伝説がありまして。竜宮の乙姫はきれい好きなので、あえてこの岩を白馬の血で汚し、雨を降らせていたそうです」
いわゆる殺牛殺馬による雨乞い祭祀だ。牛馬の血を水場に流し、水神を怒らせることで降雨祈願をする習俗で、関西圏を中心に近年まで行われていた。この殺牛殺馬祭祀については、私も本誌連載をはじめ各方面で記事を書いている。
「コーライ岩には伊丹市からも雨乞いに来ることがあったようで、明治16年に行われた記録が残っているんですよね」
『伊丹市史』第6巻によれば、当時の大干ばつに悩んだ各村が、H村に雨乞いの相談をしにきた。そこで伊勢から白馬を買い求め、殺馬祭祀の雨乞いを行うことになる。
儀式を取り仕切ったのは、同村の戸長であるK家(アユさんの姓とは別)だった。白馬の血を一滴残さず桶に入れ、さらに若衆が馬の首の入った箱をかつぎ、コーライ岩に向かって行列を組む。先頭はK家の次男で、真っ白な死に装束に身を包み、手には一巻の巻物を携えていた。
コーライ岩に着いた彼らは、淵に首を落とし、血を岩一面に塗りつけた。その間、K家次男は巻物を紐解き、読経をあげつづける。一行が帰るころには風が吹き出し、豆粒ほどの雨が降り注ぎだした。その勢いは凄まじく、若衆が着ていた浴衣の藍が抜け落ち、次男と同じ白衣になってしまうほどだった。
その後、H村による雨乞いが行われた記録はない。ただ雨を乞う神仏の名を列記した巻物は、いまだ現存しているということだ。


『伊丹市史』による記述はそこまでだが、この巻物が気になった太郎丸さんが、各方面の資料からも調べてみたところ。
「巻物を見たものは3年目に死ぬ……といい伝えられていたんですよね」
巻物の中身はおそらく「大雲輪請雨経」。古来、請雨祈願の修法に用いられていた経典である。ただK家に伝わっていたそれは、儀式に用いた継承者すら早逝させてしまう、過激な呪物と見なされていた。『西宮市史』にも先述の雨乞いについての記述があり、はっきりと「巻物を読んだ人はやがて死ぬと伝えられている」と書かれている。
雨乞いの祭祀役を、K家当主や長男ではなく「次男」が担い、かつ「死に装束」で臨んだのは、そうした事情あってのことだった。
太郎丸さんが調べたところ、当該の巻物は現在、伊丹市の博物館が所蔵しているらしい。ただ館側からは「預かりもののため公開できない」との回答で、だれに確認許可をとればいいか困っているそうだ。
「『探偵! ナイトスクープ』にでも調査依頼すればいいのかなあ……」という太郎丸さんだが、ともかく私のほうでもリサーチを続けていきたい。


さて、アユさんの巻物に話を戻そう。
彼女自身もお子さんが生まれたばかりである。戸籍上はご主人の家系に移っているものの、K一族の「家の呪い」を怖がるのも無理はない。その不安を解消するには、巻物の正体を探るのが一番だろう。
父親ならば巻物を手に取り、少しだけ開くことができるはずとのことだったので、削り仏ともども画像を送ってもらうことにした。
アユさんによれば、やはり父親は自分以外のものが巻物に触れることにたいへんナーバスだったらしい。撮影のため近づいただけでも「××××になるぞ!」と、ここでは書けない言葉で怒られた。禁忌の理由は父すらも知らず、とにかく曾祖父から、いいつけを守れとだけ教えられているらしい。ただおかげで「ここまでしか開いたことがないし、これ以上開いてはいけない」箇所の画像を送ってもらうことができた。

まず巻首に明王らしき絵が、続いて梵字とそれを丸で囲んだ図が記されている。明王の名称はかすれているが、拡大すると「〇〇沙摩」の二字は判別できるので、「烏枢沙摩明王」かと思われる。
となると巻物の正体は「九重守経」で間違いないだろう。密教や修験道における小型の守護経であり、明王像や真言、曼荼羅などが書き記されている。南北朝末期から諸国行脚の修験者などが守り本尊として携帯し、江戸期からは大衆にも普及した。
大峰山寺では現在も「九重守経」を授与しており、「最強のお守り」のフレーズで知られている。一生に一度、最大のピンチのときにだけ開封すると利益があるそうだ。だいぶ世俗的な表現になっているが、ここにも秘匿のタブーを窺うことができる。
代表的な「九重守経」では、巻首に烏枢沙摩明王とその真言を置く。トイレの神様としても知られるように、不浄を祓い清めるのがこの明王だ。悪しきものを退け、憑きもの落としにも効果ありと期待されたのだろう。
代々農家であるアユさんのK家に、いつこの「九重守経」が伝えられたかは不明だ。しかもK家は少なくとも13代前から浄土真宗だそうで、密教との関わりはない。
以下は私の推測だが、明治の修験宗廃止令により、それまで地域の憑きもの落としを担っていた行者たちが姿を消す。しかし文明開化の世とはいえ、憑きものに悩まされる人々がいることに変わりはない。そこでK家の当主が(それまで行者たちが使っていた)「九重守経」や削り仏をもって、その役割を受け継ぐかたちになったのではないだろうか。
これは明治前期に行われた伊丹の雨乞いとも通じる。「大雲輪請雨経」も「九重守経」も、それ自体は各所に存在する類のものである。しかし宗教者でも職業霊能者でもない民間人が、地域の重要な祭祀役を担わされたとなれば事情は変わる。非プロフェッショナルの彼らが儀式に説得力を持たせるには、より巻物の神秘性・呪物性を高めなくてはならなかった。見るか触れれば死んでしまう、精神に異常をきたす、というように……。
これらの強烈な禁忌には、時代の変化という裏事情が関わっていたのではないか。ともあれアユさんには、心配しなくてもいいと伝えておくつもりだ。

(月刊ムー 2026年01月号)
吉田悠軌
怪談・オカルト研究家。1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、 オカルトや怪談の現場および資料研究をライフワークとする。
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