人頭牛身、あるいは牛頭人身の「牛女」の祟り/朝里樹の都市伝説タイムトリップ

文=朝里樹 絵=本多翔

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    人の世に現れる異形の使者たち。現れるのは、幻か、あるいは祀られぬ魂が生んだ、祟りの形か。

    六甲に現れる牛頭人身の女

     都市伝説には高速で走って車やバイクを追いかけてくる女の怪がよく登場するが、兵庫県の山、甲山や六甲山にも人を高速で追いかける化け物がいる。その化け物は牛女と呼ばれている。牛女にはさまざまな姿がある。

     たとえば池田香代子・他編著『走るお婆さん』には次のような話が載せられている。

     甲山のあたりに道路の真ん中にもかかわらず岩がある。この岩はかつて工事で取りのぞこうとした際、工事関係者が次々とケガをしたり亡くなったりしたため、結局そのままにされたといういわくつきの岩だといわれている。ある夜、バイクに乗った若者たちがこの岩を蹴ったり、岩の周りで騒がしくしたりしたところ、遠くから獣のような女が追いかけてきた。若者たちは慌てて逃げたが、ひとりが転倒し、そのまま次々と事故が起きて全員死亡したという。ちなみにこの岩は「夫婦岩」という岩で、実在する。

     この話では牛女の容姿について「獣のような女」としか記されていないが、同書ではほかにも深夜に六甲山を車で走っていると、顔が人で体が牛の女がバイクに乗って走って追いかけてくるという話が紹介されている。

     この人頭牛身、あるいは牛頭人身の牛女の話は、木原浩勝・中山市朗著『新耳袋第一夜』や木原浩勝・市ヶ谷ハジメ・岡島正晃著『都市の穴』にも登場する。体が牛で顔が般若の姿をした牛女や、白い着物に角を生やした般若のような顔の女が牛女と呼ばれているという話が紹介されてるほか、やはり牛頭人身の牛女の話がある。

     それは木原氏がかつて友人から聞いた話で、その友人の中学校の先生が体験したことなのだという。その先生が甲山に植物採集に行ったとき、夕方帰ろうと山を下りていると、斜面に座り込んでいる人影が見えた。赤い着物を着た、女性のように思われたが、頭部が異常に大きい。先生が不思議に思って観察していると、女が立ち上がった。それは赤い着物を着た牛で、口からは血がしたたっていたという。

     このほかにも『都市の穴』には六甲山の峠道に現れ、道路に立って事故を発生させる牛頭人身の牛女の話がのせられており、『新耳袋第一夜』では甲山付近にあった祠が空襲で焼けた後、祠のあったあたりに大きな牛の頭をもち、着物を着た女の体をした化け物が現れ、焼けた犬か何かの死体を喰って口の周りを血に濡らしていた、という話や、同じく空襲で兵庫の町が焼けたとき、肉牛を大量に扱った屋敷から座敷牢に閉じ込められていた娘が逃げ出した。その娘はやはり牛の頭と女の体をもっていた、という話をのせている。

     まるで小松左京の『くだんのはは』のような話だが、注目したいのは「肉牛を大量に取り扱っていた屋敷」という部分だ。娘が奇妙な姿で生まれたのは、殺された牛たちの祟りではないかと推測される。

     そして時代を1000年以上さかのぼった平安時代初期の文献にも、殺した牛に地獄に連れていかれた男の話がある。そして男を襲った牛たちは、牛頭人身の姿で現れるのだ。

    牛を殺して漢神を祀ること

     その文献とは日本最古の仏教説話集『日本霊異記』で、巻五「漢神の祟により牛を殺して祭り、又放生の善を修して、現に善悪の報を得る縁」という話にその牛たちは現れる。内容は以下のようなものだ。

     聖武天皇の時代、摂津国東生郡(現在の大阪府東成区)の撫凹村に富裕な男が住んでいた。
     男は漢神の祟りを恐れ、毎年牛を1頭ずつ、7年間に合わせて7頭殺した。しかし祀り終わると急に重病にかかった。
     男は「この病は殺生の報いのためだろう」と考え、毎月欠かさず月の6日には心を浄め、仏の戒めを守り、生き物を売る人間から生き物を買い取って自然に返してやった。しかし7年後、妻子に「私が死んだら19日間はそのままにして、火葬しないでくれ」と伝えたのち、死んでしまった。
     妻子がそれを守って待っていると、9日後に遺体が生き返った。男が語ることには、死んだ後、頭は牛で体は人間の鬼のようなものが来て、自分を閻魔大王のもとに連れていった。すると閻魔大王は鬼たちに「この者がお前たちを殺したのか」とたずね、鬼が「はい、さようでございます」と答えた。そしてまな板と包丁をもってきて「至急判決を下してください。われわれを殺したように、この男を切って食べるのです」といった。
     しかしその直後、たくさんの者が現れて男を縛っていた縄を解いた。その者たちは男が命を助けたさまざまな生き物たちで、閻魔大王は最終的に数が多いこの生き物たちの話を尊重し、男を生き返らせたのだという。

     牛を殺して神に捧げる行為は東アジアで広く行われており、日本では791年、桓武天皇により「牛を殺して漢神を祀ること」を禁止する命令まで出されている。そのような背景と、この時代日本では新興宗教であった仏教を当時信仰されていた神の上に立てるために、この話は語られたのだろう。しかし、そのために牛たちは生け贄に捧げられて牛頭人身の化け物となったうえ、復讐も遂げられない哀れな存在とされてしまった。

     現代日本では神に捧げるために牛を殺すことはなくなったが、牛が殺されなくなったかといえばけっしてそうではない。食肉のためにたくさんの牛たちが殺されていることは確かだ。牛女もまた、殺された牛たちの恨みが生んだ化け物であり、人間たちに復讐するためにさ迷いつづけているのかもしれない。

    怪しい噂の絶えない夫婦岩(写真=朝日新聞社)。
    六甲山の南東に位置する甲山。人を高速で追う化け物の噂がある。

    (月刊ムー 2025年10月号掲載)

    朝里樹

    1990年北海道生まれ。怪異妖怪愛好家。在野で都市伝説の収集・研究を行う。

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