赤マントに青ゲット……怪事・怪人はなぜ色をまとうのか/学校の怪談
放課後の静まり返った校舎、薄暗い廊下、そしてだれもいないはずのトイレで子供たちの間にひっそりと語り継がれる恐怖の物語をご存じだろうか。 学校のどこかに潜んでいるかもしれない、7つの物語にぜひ耳を傾けて
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昭和11年2月26日、日本を震撼させ、その後の歴史にも大きな影響を与えた一大事件は、数多くの怪談をも生み出していた。現場となった建物には、今も事件の記憶が刻みつけられているのだろうか。
首相公邸とは、総理大臣が住むために用意された建物である。
ただし、この家に住む歴代首相たちは、たびたび幽霊の影に悩まされてきた。
戦前、とある事情によって壊滅した公邸(旧官邸)は、30年以上も未使用の状態だった。しかし学生運動が極まった1968年、佐藤栄作は安全確保のため公邸に入居することに。
「あそこは人の住むところじゃない」と幽霊を恐れていた佐藤は、引越し当日、築地本願寺から僧侶を、日枝神社からは神官を呼び、法要とお祓いを前後して行なった。さらに「魔除けのため」に愛犬を住まわせ、邸内のあちこちには護符まで貼っていたという。
2005年に新官邸が建てられた後も、この建物は居住用の公邸として使用されつづける。
小泉純一郎は幽霊など怖くないと笑っていたが、入居前にきちんとお祓いをしていた。鳩山由紀夫の妻・幸夫人は「公邸で幽霊を見た」と周りの人に話しており、野田佳彦も公邸引っ越し前に「オバケが出るというので妻は内心嫌がっている」と記者たちに漏らしていた。安倍晋三が長らく公邸に引っ越さないのは幽霊のせいだとも噂された。
羽田孜の妻、綏子夫人はその著書『首相公邸 ハタキたたいて六十四日』にて、公邸の怪異について詳しく触れている。引っ越し当初、綏子夫人は公邸のあまりの荒廃ぶりに驚いたという。庭の草木は延び放題、窓枠には虫の死骸が詰まり、水回りは錆びつき腐っていた。
「公邸にただならぬ『何か』を感じたのは私だけではなかったらしく、細川首相の佳世子夫人はお子さんたちと同居されず、寝室を一室お使いになっただけで、残りの部屋にはお香を焚かれていたようです。私が下見にまいりましたときに、まだ残り香がたち込めていたのがとても印象的でした」
また息子・雄一郎が風呂場にて残り湯を流していたときのエピソードが凄まじい。湯水が詰まって溢れだしたので、なにかと思い排水溝に手を入れ、中のものを取り出した。それはなんと大量の髪の毛。家族のだれとも似つかない、長く黒い髪の毛が、びっしりと手に張りついていたのだ。
以降、雄一郎はクリスチャンながら、公邸敷地への清めの塩撒きを日課として欠かさなくなる。綏子夫人も知人づてに女性行者を呼んだところ、邸内に「霊などがうようよいる」と指摘されてしまう。また著書には書かれていないが、綏子夫人は「知人が中庭で軍服姿の幽霊を見たので、お祓いをした」ことを周囲に触れ回っていたそうだ。次の首相である村山富市も、世話役の次女が幽霊を怯えたため、公邸入りが遅れたという。
首相本人が自らの怪奇体験を語っている事例は少ないが、その希少なケースが森喜朗だ。
ある晩、森が公邸のベッドで寝ていると、奇妙な音が聞こえてきた。「ザックザック」という、大勢の人がブーツで行進しているような音だった。足音はだんだん自分の寝室に近づき、ドアの前にきたところでピタリと止んだ。扉越しに人の気配を感じる。それもひとりやふたりではない。
「だれだ! そこにいるのはっ!」
飛び起きざまに叫びつつ、ドアを蹴り開けた。しかし外にはだれもいない。すぐに秘書官に連絡を取ったが、公邸に人が入った痕跡はいっさいなかった。
じゃあ、今の足音はいったい……。と、森はそこではじめて背筋が寒くなったそうだ。彼は他にも「幽霊の足だけを見た」とも語っている。やはり兵隊のようなブーツをはいていたのだという。
麻生太郎は、村山富市・森喜朗の2名から「軍靴の音がする」体験談を聞かされていたそうだ。彼自身も公邸入りした当初、毎夜のように壁がゆらゆらと揺れる現象に見舞われている。あるとき「これからお世話になりますけどよろしくお願いします」と壁に向かって挨拶したところ、以降は壁が揺れなくなった。「あれはお化けかなあ」と思ったとのこと。
直近では岸田文雄や石破茂の就任時にも、公邸の幽霊についてマスコミから質問されている。しかしその幽霊とは、いったいなにを指しているのか?
多くの証言に共通するのは「軍人」であること。歴代の首相たちが恐れつつ、しかしだれもが明言を避けている存在。それは紛れもなく、二・二六事件の将校たちに違いないのだ。
首相公邸はかつて、五・一五事件や二・二六事件の襲撃を受けている。多くの血が流れた事故物件でもあるのだ。「軍服姿」「大勢のブーツの音」と言及されているのだから、その幽霊は明らかに二・二六事件のメンバーを指している。より具体的には、岡田啓介首相を殺害せんと突入した、栗原安秀(中尉)率いる一隊となるだろう。
ただしこの建物で死んだのは将校たちではない。五・一五事件では犬養毅、二・二六事件では岡田啓介と誤認された松尾伝蔵(首相の義弟かつ秘書)と護衛の警察官4名。しかしこれらのうち、だれひとりとして幽霊になったとの話は囁かれない。むしろ殺した側である栗原たちがクローズアップされているのは、なぜだろうか。
いやもちろん、将校たちの処刑場所である、渋谷のNHK放送センター付近でも怪談は語られている。明治後期から終戦まで、現在の代々木公園からNHKまでが練兵場、渋谷公会堂や神南小学校の区画は刑務所だった。そして刑務所側の端が処刑場となっており、将校たちはここで銃殺刑に処されている。国家と天皇への逆賊と見なされた彼らには、その後しばらく慰霊碑すらも建てられなかった。
同地は戦後、米軍ワシントンハイツから東京オリンピック選手村を経て、NHK本部センターが移転。その翌年、ようやく二・二六事件にまつわる慰霊碑、供養のための観音像が処刑地跡に建立される。しかしそれで彼らへの恐れが消えたわけではない。NHKのスタジオ付近には今も昔も、将校たちの霊が出没するとの怪談が囁かれつづけている。
そして彼らは、他にもさまざまな場所に現れている。
国会議事堂もそのひとつだ。よくテレビに映る本会議場は、左右に広がった建築の2・3階部分。議事堂のシンボルである中央塔は4~9階にあたるのだが、実は塔の5階以上については現在、国会議員ですら立入禁止となっている。いわば開かずの間ならぬ「開かずの塔」だ。
この中央棟の怪談で有名なのは、女性職員の霊だろう。戦前、9階の展望台から投身自殺した女性がいた。それ以来、無人の中央塔から夜ごと女の泣き声が聞こえてくるのだという。議事堂関係者の多くが知る怪談だが、こうした自殺事件があった記録はない。
讀賣新聞1960年8月5日付夕刊では、また別の怪談を紹介している。二・二六事件の主要メンバー、野中四郎(大尉)の霊にまつわる噂だ。事件当時、野中は一時的に国会議事堂を占拠し、中央塔のやぐらに立てこもっていた。記事によれば、戦後になってもなお、塔内部に響きわたる彼の呻き声を聞いた人々がいるのだという。
もっとも野中が自決したのは三宅坂の陸相官邸なので、議事堂からは300メートルほど地点がずれている。公邸と同じく、彼らの実際の死亡現場はあまり関係ないようだ。
中橋基明(中尉)のエピソードも興味深い。高橋是清を銃と軍刀で殺害し、皇居内に兵を待機させた彼も、事件後すみやかに処刑されている。その直後、所属していた近衛歩兵第3連隊の兵舎内(現・TBS赤坂サカス)にて、中橋の霊を見たという証言が続出する。
「処刑後間もなく中隊内に幽霊騒ぎが起こった。…(中略)…目撃者の話によると夜中寝しずまった頃銃架のあたりを上半身の姿でさまよっているとのことであった。そのため全員は恐怖に包まれ不寝番につく者がいなくなった」(『二・二六事件と郷土兵』編・埼玉県、1981年) 銃殺刑で下半身が切断されるはずもないが、上半身のみという異形の姿が語られている。それだけ中橋が、死後に強烈な怨霊となったはずとイメージされたからだろう。
中橋は生前、裏地に緋色をほどこした特製の将校マントを身にまとっていた。「返り血を浴びても目立たないからね」などと笑いながら、赤い裏地を見せびらかすように赤坂を闊歩していたという(澤地久枝『妻たちの二・二六事件』中央公論新社、1972年)。
ライターの朝倉喬司は『別冊宝島 怖い話の本』にて、中橋中尉こそ怪人赤マントの元ネタだったのではないかと推察している。その根拠は松谷みよ子『現代民話考7』に収録された、昭和11年(二・二六事件と同年)ころ、大久保小学校で赤マントの噂が発生したとの談話である。この「赤マント=二・二六事件元ネタ説」は人気を得て、多くの検証で言及されていく。ただし赤マント伝説について詳細な考察を行なっているブログ「瑣事加減」は同説を否定。これは話者の記憶違いである可能性が高く、怪人赤マントの噂の発生は昭和14年あたりだったはずと考察している。
とはいえここでは朝倉の「赤マント=二・二六事件元ネタ説」が広く支持されてしまったこと自体に注目したい。それは事実と異なる説ながら、人々の怪談的想像にうまくフィットしたのだ。高橋是清を血まみれに殺した中橋中尉こそが、怪人赤マントとして闊歩するにふさわしいのだ、と。
それだけではない。野中大尉は死後ずっと、国会議事堂の塔にたてこもりつづけている。栗原中尉率いる隊列は、今も首相公邸に軍靴の音を響かせている。彼らが死んだ場所は、そこではないのにもかかわらず。
それは、われわれが二・二六事件の将校たちを、祟りなす「御霊」に近い存在だと見なしているからだ。早良親王や菅原道真のような、時代と政治の奔流のなか、非業の死を遂げたものたち。
彼らの祟りは個人や現場ではなく、日本国という社会に及ぶ。私たちは恐れつつも、心のどこかで期待しているのだ。彼らはいまだ、クーデター作戦を行ないつづけているのではないか、と。そして時の首相たちに、必ず質問するのだ。「公邸の幽霊が怖くありませんか?」と。
(月刊ムー 2025年5月号掲載)
吉田悠軌
怪談・オカルト研究家。1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、 オカルトや怪談の現場および資料研究をライフワークとする。
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