この世に存在しない異界駅「きさらぎ駅」と現代の神隠し/朝里樹

文=朝里 樹 イラスト=Saen Fonda

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    17年前にネットの住人をざわつかせた都市伝説「きさらぎ駅」が、いま、メディアで再び脚光を浴びている。怪奇愛好家の朝里樹氏がその魅力を考察した!

    日常に潜んでいた異界への入り口

     インターネット上で語られる都市伝説、きさらぎ駅。1990年代後半、一般家庭にパソコンが普及し、多くの人々がインターネットを通して距離や年齢を問わずに交流できるようになった時代、このインターネット上でも多くの都市伝説が生まれ、語り継がれるようになった。
     きさらぎ駅もそんなネット上の都市伝説のひとつだ。本稿では、そのルーツや歴史を辿り、きさらぎ駅について考察してみたいと思う。

     きさらぎ駅の発端は2004年1月8日まで遡る。電子掲示板2ちゃんねる(現5ちゃんねる)のオカルト板に立てられたスレッド「身の回りで変なことが起こったら実況するスレ26」にある書き込みがなされた。

     いつもと同じ通勤電車に乗ったはずなのに、電車が20分以上停まらない、という旨の書き込みで、時刻は夜の11時過ぎだった。
     こうしてきさらぎ駅はリアルタイムで現在の状況が語られる形で進行した。

    「はすみ」と名乗るこの女性は、やがて電車が見知らぬ駅に停車したことを報告する。その駅の名前こそが「きさらぎ駅」だった。
     はすみはこのきさらぎ駅で降りてしまうが、駅は無人駅で、駅舎から出ると周囲には草原と山以外には何もなく、タクシーも見つからない。はすみは両親に電話し、迎えにきてくれるように頼むが、両親にもきさらぎ駅の場所がわからない。携帯電話でも位置情報にエラーが発生し、はすみは線路沿いに歩きながら民家を捜すことにする。
     しかし結局民家は見つからず、線路沿いに進むにつれて次第に遠くから太鼓を鳴らすような音や鈴の音が聞こえてきた。恐ろしくなったはすみは2ちゃんねるに書き込み、助言を求めながら進みつづけるが、突然だれかに声をかけられ、振り返ると片足のない老爺(ろうや)が立っていて、突然消えるという怪異に遭遇する。
     はすみはそのまま駅に戻ることもできずに前に進みつづけ、トンネルを抜けたところで何者かと遭遇し、その人物に車で近くの駅まで送ってもらえることとなったと報告する。しかしその車はどんどん山の方へ向かっていき、運転手がわけの分からない言葉を発しはじめたことを書き込み、隙を見て逃げようと思う、と報告したところで彼女の書き込みは途絶える。
     今でもはすみのその後はわからないままだ。

     以上がきさらぎ駅の概要だが、これがただ単にひとりの人間が電車に乗った後、行方不明になった、という事件であれば、通常は失踪事件として扱われるだろう。つまり誘拐や事故が疑われる。
     しかしきさらぎ駅はそうではない。現実に発生した出来事なのかどうかは確かめる術はないものの、ネット上で語られたこの体験談は、単なる失踪ではなく、明らかに現実とは異なる、いわば異界に入ってしまった話となっている。

    異界へ連れ去った誘拐犯は電車

     異界へと侵入し、もしくは連れ去られてしまった人の話は古くから語られている。
     山で天狗に攫(さら)われ、数日たってから戻ってきた、という話やそのまま見つからなかった、死体で見つかった、などという話は戦前の日本の山村地域ではありふれていた。
     また有名な昔話でも「浦島太郎」では主人公の浦島太郎が竜宮城に向かい、そのまま長いときを元の世界に戻ってこなかったという話が語られているし、「鼠浄土」(おむすびころりん)では転がったおむすびを追っていった老爺が鼠たちの世界に迷い込み、そこでもてなしを受ける。

     このように不思議な世界に入ってしまうという話はさほど珍しいものではない。
     ではきさらぎ駅において何か特徴的だったかといえば、この異界への迷い込む手段として電車を、迷い込む先として駅を使ったこと、そしてインターネット上の電子掲示板を利用してその体験をリアルタイムで実況したことだ。これらの要素について考えてみたい。
     まずきさらぎ駅では通常の失踪事件と違い、誘拐犯を日常にありふれたもの、すなわち電車としている。電車は動く密室であり、一度乗れば簡単に降りることはできない。自分がどこに運ばれるか分からない上、通常の誘拐事件と違い、無機物に運ばれるゆえ誘拐犯の意思や意図が全く分からない無気味さがある。
     また電車が辿り着くのは現実に存在するはずのない「きさらぎ駅」だが、日本全国の駅にでも精通していなければ最初はこれが実在する駅なのかしない駅なのかはわからない。

     天狗や異界の存在など簡単には受け入れられ難い現代社会だが、きさらぎ駅はこうして少しずつ現実世界から異界へと舞台が移り変わっていく。そしてその過程をリアルタイムで語ることを可能にしたのが電子掲示板の存在だ。
     通常、異界へ迷い込んだ人間の体験談は、そこから帰還した人間が話す形でしか知ることができない。そうでなければ失踪し、そのまま帰ってこなかった人間や、死体で見つかった人間の身の上に起こったことを残された人間が想像し、天狗に攫われた、神に連れていかれた、などと解釈するだけだが、現代日本ではそんな解釈をする者はほとんどいない。
     しかし、きさらぎ駅は携帯電話という電波さえ届けばインターネットに接続できる機械、そして電子掲示板というインターネットを通じて不特定多数の人間と繋がることができる場所を利用した。
     加えて匿名掲示板という性質上、きさらぎ駅に迷い込んだ「はすみ」という個人を特定できる者はおらず、掲示板に書き込まれたことだけがはすみの状況を知る手がかりとなっている。
     電子掲示板、特に2ちゃんねるは不特定多数の人々が、その身分を明かさないままインターネット上で交流できる場所だ。
     人々は匿名で掲示板に書き込み、明確な名前を持たない者同士でやり取りすることが多い。一応個人を判別する手段としてIDが付与されるが、2ちゃんねるではそれも日付が変われば変わるし、意図的に変える手段もある。つまり長期間にわたり同一人物を追いかけることが非常に難しい。
     そしてきさらぎ駅の場合、このように個人を特定しにくい電子掲示板を通し、失踪者本人が不思議な世界に迷い込んだ状況をリアルタイムで報告することで、怪異が発生しているとしかいえない状況を作り上げた。

    ネットでの実況がリアリティを高めた

     異界へ迷い込むという話自体は古典的であるものの、電車や駅、電子掲示板など、現代のものをいくつも利用し、現代ならではの都市伝説として語られているのが、このきさらぎ駅の特徴なのだ。
     しかし、不思議な世界へ向かう電車や駅の話が今までになかったかといえばそうではない。 何らかの体験談としてはきさらぎ駅以前はあまり見かけないが、創作の中で語られた例は多い。

     1941年には宮沢賢治の名作『銀河鉄道の夜』が発表されている。この作品では列車は「銀河ステーション」などの架空の駅に停まる他、主人公ジョバンニは友人カムパネルラとともに銀河鉄道を旅するが、後にカムパネルラはすでに死んでいることが明かされる。
     また1960年にアメリカで放映された大人気SFドラマ『トワイライト・ゾーン』(日本放送時の題名『未知の世界』)の第30話「ウィロビー駅にて停車」(日本放送時の題名「敗北者」)では、「ウィロビー駅」という架空の駅が登場する。
     この話の主人公、ガート・ウィリアムズは広告会社に勤めているが、仕事では上司には責められ、会社では妻に冷たい態度を取られ、人生に疲れている。そんなガートが11月の雪の中を電車で通勤している途中、うたた寝をして目を覚ますと、電車は当時から70年以上も過去の温かな時代のアメリカに存在する「ウィロビー駅」という名前の駅に停まっていた。
     やがてもう一度目を覚ますと、ガートは現実に戻ってくる。
     その後、3度目に訪れたウィロビー駅で、ついにガートはウィロビー駅で降りる。
     しかし、現実ではガートは走行中の電車から飛び降り、即死していた。そしてガートの亡骸を遺体搬送車が運んでいく。その車には「ウィロビー&サン葬儀社」と記されていた。

     また水木しげるの貸本時代の漫画『鬼太郎夜話』の一編「顔の中の敵」では「幽霊列車」という列車が登場する。この列車は臨終駅、火葬場駅、骨壺駅といった死とその後のプロセスを連想させる名前を持った駅に停まっていくが、実は幽霊列車自体鬼太郎が見せていた幻で、恐ろしくなって列車から飛び降りた乗客の人狼が頭を石にぶつけて砕き、死んでしまうという展開が語られる。この話はアレンジを加えながら、何度もアニメ化されている『墓場鬼太郎』及び『ゲゲゲの鬼太郎』の中で、第1期と同じ世界観を共有する『ゲゲゲの鬼太郎』第2期を除き、7度にわたって映像化されている。
     他にも1966年放送の特撮ドラマ『ウルトラQ』では、本放送時に放映されなかった「あけてくれ!」という最終回にて異次元列車が登場する。この列車は時間や空間を超越した理想郷へと人を乗せていく列車だが、一度降りると二度と乗車することができないと語られている。
     以上のように不思議な世界へと向かう電車、そしてその世界にある駅、という要素は珍しいものではない。
     これがインターネットを通し、リアルタイムの体験談として語ることできさらぎ駅は今までにない都市伝説として生まれたのだと考えられる。

    きさらぎ駅はネット時代の神隠し

     このようにきさらぎ駅は古典的な要素と現代ならではの要素が組み合わさっている。
     そしてきさらぎ駅における電車、つまり人を異界へと連れ去る存在が、過去、特に戦前に語られた話では天狗や神などの人ならざるものたちに比定されていたことは先述した。そしてかつてこのような失踪はかつて「神隠し」と呼ばれることが多かった。

     では次に、古くから人の消失とともに語られてきたこの「神隠し」現象ときさらぎ駅を比較してみよう。
     小松和彦著『神隠しと日本人』によれば、神隠し事件の類型は大きく3つに分けられるという。ひとつ目が神隠しにあった人間が無事な姿で発見されるもので、小松氏はこれを「神隠しA型」と呼んでいるため、これに倣おう。このパターンはさらに神隠しの間の体験を覚えているパターンと覚えていないパターンに分けられ、覚えている場合は神隠し時の状況を当事者が語り、そこに天狗などが登場する場合が多い。
     次は神隠しに遭った人間がいっさい発見されないパターンで、同書では「神隠しB型」としている。この場合、失踪を神隠しと判断するのは失踪者を知る周囲の人々、つまり第三者となる。
     最後は神隠しに遭った人間が死体で見つかるパターンだ。この場合も第三者が失踪の原因を神隠しと判断することになる。
     本来、自ら異界へ行ったと報告するのは、失踪者が帰還し、自分が置かれていた状況を語ることができる状態にある神隠しA型に限られる。
     そして結末であるが、神隠し譚では帰還、失踪、死亡のいずれかの結末を迎えるが、きさらぎ駅では電子掲示板の書き込みが途絶えるという形で失踪、つまり神隠しB型の結末を迎える。
     通常、神隠しB型は神隠しに遭った本人の行方が不明なままであるため、神隠しに遭っている間にどのような体験をしたのか語られることはない。しかしきさらぎ駅はリアルタイムで自分の状況を伝えることで、神隠しに遭っている状態にありながらその状況を伝え、最後には失踪した。

     つまりきさらぎ駅と神隠しのA型、B型を比較してみると、どちらにも完全に当てはまらないが、どちらの要素も持ち合わせる特殊な型として神隠しの要素を持つことがわかる。これを可能にしたのがインターネット、そして電子掲示板の存在だ。
     加えて、きさらぎ駅は細かいところで神隠しを彷彿とさせる要素が盛り込まれている。たとえばきさらぎ駅の話では途中に鈴と太鼓の音が聞こえたとある。先述の『神隠しと日本人』や、松谷みよ子編著『現代民話考1 河童・天狗・神かくし』によれば、近代以前、神隠し事件が起きた際には、失踪者を捜す際、太鼓や鉦の音を出して失踪した人間呼びかけたという。
     またきさらぎ駅では最後にはすみを近くの駅まで送ってくれると告げる人間が現れるが、神隠しから帰還した体験談では、天狗や神などの存在が失踪者を現実世界に送り届けてくれた、という話が多い。太鼓等の音も帰還を案内してくれる存在も、通常の神隠し体験であれば現実世界へ戻るためのものだが、意図的か偶然か、きさらぎ駅では逆にはすみを追い詰める存在として登場している。
     先述の『神隠しと日本人』では、現代社会ではかつては「神隠し」と呼ばれるような事件に、現代では「神隠し」のラベルを貼らなくなったと表現している。「きさらぎ駅」もまた、神隠しというラベルを貼られることは少ないだろう。

     しかし、きさらぎ駅は現代社会にいくらでも存在する電車や駅を利用したことで不思議な場所へと迷い込んでしまい、その様子をリアルタイムで電子掲示板で実況することで、人ならざる何かによって異界へ連れ込まれたことを語る。その中には古くから語られてきた神隠しの要素がちらちらと顔を見せる。
     そう考えると、きさらぎ駅はネット時代だからこそ生まれた「現代の神隠し」といえるのではないだろうか。

    いまだささやかれる異界駅の存在

     そしてこのきさらぎ駅以降、ネット上ではさまざまに不思議な駅に入ってしまった体験談が語られるようになった。きさらぎ駅と繋(つな)がったという「やみ駅」、未来的な都会の景色が広がっていたという「つきのみや駅」、あの世へと人を運ぶ「ごしょう駅」など、その種類は多岐に渡る。

     またきさらぎ駅に迷い込んだという話も、Twitterを中心に語られるようになった。
     未知の世界というものは、われわれにとって非常に魅力的なものだ。幻想的なものでも恐ろしいものでも、自分の知らない世界へ行ったという体験は人の興味を惹きつける。特に天狗や神の仕業による神隠しが語られなくなったように、世界の謎の多くが現実的な知識に則って解釈されるようになった現代は、そういった未知から遠いところになってしまったからなおさらだ。

     そんな中、きさらぎ駅は現代の技術を使い、不思議な世界へ迷い込むひとりの人間の過程をそのまま実況する形で新たな神隠し譚を生み出した。
     話自体の完成度が高いこともあり、きさらぎ駅は恐ろしい話であるとともに、それを読んだ人々にとって非常に魅力的な体験談だったのではないかと思う。だからこそ「自分もきさらぎ駅と同じように電車に乗っていたら不思議な世界へ行った」という、類似した体験談を語ろうとするフォロワーたちを生み出したのではないか。
     きさらぎ駅は現代だからこそ生まれた神隠しであった。そして同時に、現代社会に生きる私たちを未知の魅力へと連れていってくれる存在でもあった。それゆえに生まれてから16年以上の時を経た今でもなお、人々に語り継がれているのではないだろうか。

    朝里樹

    1990年北海道生まれ。公務員として働くかたわら、在野で都市伝説の収集・研究を行う。

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