「オシラサマ」は家族であり神様であるーー陸前高田市立博物館の特別展が信仰現場となった理由

取材協力=陸前高田市立博物館

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    陸前高田市の博物館で開催されている「オシラサマ」の展示がSNSで大反響を呼んでいる。その理由とは……? 担当学芸員が、陸前高田の「日本一」の秘密を語る!

    SNSで大注目、渋い展示がいまアツい!

     いま、岩手県の陸前高田市立博物館で開催中のとある展示がアツい注目を集めている。

     その展示とは、特別展「陸前高田のオシラサマはいま」。陸前高田市に現存するオシラサマのうち、およそ3分の1にあたる111体もが一堂に会するという貴重な展示だ。

     オシラサマとは、男女あるいは馬と娘をかたどった一対の人形を祀る、東北地方の民間信仰だ。柳田國男の名著『遠野物語』にも登場する民俗学的にはおなじみの存在ではあるものの、必ずしも誰もが知っているというものでもない。むしろどちらかといえば「渋いテーマ」だが、今回このオシラサマ展が大きく注目を集めることになったのは、陸前高田市立博物館の公式SNSが発したこの投稿がきっかけだった。

     オシラサマから聞いた「以前の展示では誰も何もお供えをしてくれなかった」という声に配慮して、博物館が展示中のオシラサマにお菓子をお供えしたというのだ!
     ユニークな発信に多くのレスポンスが集まり、同館には「私もお供えしたい」とお菓子が届けられたり、大手新聞でもこの流れがとりあげられたりする異例の展開に。

     いったい、陸前高田市にとってオシラサマとはどんな存在なのか? そもそもオシラサマってどんな神さま……? 同展の担当学芸員でもある、陸前高田市立博物館の熊谷賢さんに話をうかがった。

    「オシラサマ」展の展示会場風景。陸前高田市立博物館提供(以下同)

    陸前高田は日本一の「オシラサマスポット」だった!

     じつは、陸前高田市立博物館でオシラサマの展示が開かれるのは、今回が3回目。一度目が昭和63年、二度目が平成18年で、今回の展示によって昭和、平成、令和とみっつの元号それぞれで開催されたことになる。

     どうしてそんなにオシラサマに思い入れが……? と思ってしまうが、なにを隠そう陸前高田市、全国の市町村のなかでオシラサマ所有世帯数第1位という、トップクラスの「オシラサマスポット」だったのだ!

     同市がオシラサマの大規模調査をおこなったのは、最初のオシラサマ展が開催された昭和63年。調査前にはオシラサマをもつのは70世帯くらいだろうといわれていたのだが、ふたを開けてみると「あのお宅にもあるよ」「あの家にも」と次々に情報が集まり、最終的には106世帯が所有していることが判明した。

     オシラサマ信仰は岩手、青森を中心に東北にひろく分布しているが、一自治体で100世帯をこえるのは陸前高田市だけ。押しも押されもせぬNo. 1なのだ。そんな「オシラサマのまち」としての陸前高田をもっと知ってもらいたいというのも、三度目のオシラサマ展を開催した理由のひとつだそう。

    ずらりと勢揃いした陸前高田のオシラサマは圧巻。

    オシラサマにマッチした陸前高田の風土

     それにしても、なぜ陸前高田にはそんなにオシラサマ信仰が残されているのだろう。

     熊谷さんは、陸前高田に根付く「古いものを大切にする」という風土も一因ではないかという。陸前高田のオシラサマ信仰は、家々で個別に管理する古い形態なのが特徴で、それがいいところでもあるが、そのために「陸前高田=オシラサマ」というイメージがあまり広まらないのかもしれないとのこと。

     ここで、より根本的なところで、オシラサマとはどんな神さまなのかを知ってほしい。

    「なかなか説明が難しいんですが、オシラサマはすごく不思議で、神さまだけれど神社でお祀りするような神さまとは違う。まるで家族の一員のように扱われる存在なんですよ」(熊谷さん)

     たとえば今回の展示でも、こんなことがあったという。

     ある日、展示にオシラサマを貸し出してくれたある家の人が、新品の布をもって博物館を訪れた。話を聞くと「博物館に展示された我が家のオシラサマをみたところ、着物が40年前のままだったのが気になった。これはぜひきれいな着物に着替えさせてあげたい、と思ってもってきた」とのこと。

     館では、どうぞどうぞと着物を新調してもらった。一般的に博物館は資料を借りてきたら展示して完了という面があり、展示中に資料の着せ替えをするというのはかなり珍しい話だ。

     熊谷さんは、この件はオシラサマと所有者との家族のような関係性を象徴するエピソードであり、また来館した人にも、展示のなかでいわば「オシラサマ信仰そのもの」をみてもらうことができたという意義もあったと考えているという。

    オシラサマの衣装は、古い衣のうえに重ね着するように新しい衣を加えていくことが多い。

     またある世帯ではおばあさんがオシラサマを守っており、展示のために借りてくるときには「うちのオシラサマは一度も家からでたことがないから、きっと喜ぶと思うよ」と、手を振って送り出してくれた。このお宅では今でも毎年1月に、新しい着物を着せるお祀りを続けているそうだ。

     熊谷さんのことばを借りれば、陸前高田のオシラサマは「今まさに現在進行形で信仰されている信仰物」なのだ。反響を呼んだSNSの投稿にも、「まるで『日本昔ばなし』の世界みたい」「ほっこりしました」といった反応が多く、熊谷さんは陸前高田のオシラサマ信仰がもつ空気感が伝わったのかな……と感じているそうだ。

    オシラサマは怖くない……?

     ところで近年、巷では「呪物」が大ブーム。そんななかで、オシラサマは一部で「祟る存在」「怖い神」として有名になったところもある。オシラサマの地として、そうした流れをどう思うのだろう?
     一度拝んだら一生拝まなければならない、扱いが難しい、怖い……というイメージが広まっていることは、熊谷さんも認識しているそうだが……。

    「もちろんオシラサマも神様ですから、粗末にすればバチがあたると考えるのは他の神様と同じです。ただオシラサマのバチには、戒め的な部分があるんです」

     たとえばオシラサマの怖い面としてよく知られるものに「祀っている間は肉を食べてはいけない、食べると口が曲がる」という話がある。なぜオシラサマが肉食を禁じるのか詳しいことはわかっていないのだが、ひとつの考えとしては、かつて日本では広く肉食がタブーとされていたため、オシラサマもそのように戒めたのではないかというものがある。
    「しちゃいけないといわれていることをすれば、当然バチがあたるよ」というのがオシラサマの戒めの本来の意味ではないか、という解釈だ。

     ちなみに現在では、オシラサマを祀る家でも肉食は禁止されていないという。ただ、家によっては今もオシラサマのお祭りの日だけは肉を食べないようにしている、自宅では肉を食べてはいけないが外食でならOK、などいろいろなパターンがあるそう。

    「貫頭型」のオシラサマ。

    博物館でおこった「ふしぎな話」

     神さまであり、家族のような身近な存在でもあり、現在進行形の信仰対象でもあるオシラサマ。それが100体以上も勢揃いしているからだろうか、今回の展示ではいくつか“ふしぎ”なこともあったそうだ。

     特別展ではオシラサマは基本的に立てて展示し、自立しにくいものは支えの棒をそえてケース内に設置している。ところが、一通り展示準備作業を終えて職員が会場を眺めていたところ、絶対に倒れるはずのないオシラサマが1体、倒れている。

     そんなはずはない、どうしたんだろう? とあらためて会場を見回したとき、気がついた。オシラサマにお供えするためにお菓子を用意していたのに、それをすっかり忘れていたのだ。その後慌ててオシラサマたちのもとにお菓子を置いて回ったという。

    「きっと倒れたオシラサマは親分肌で、全体を代表して『お菓子を忘れてるよ』と教えてくれたんでしょうね(笑)」

     業務を終えて帰る時も展示室からなんともいえない気配を感じることがあるそうだが、それも「オシラサマがいるんだから当然ですよね」と熊谷さん。不思議な体験もどこか違和感なく受け入れられてしまうのが、陸前高田でのオシラサマと人との距離感なのかもしれない。

    こちらは「包頭型」と呼ばれる、全体が衣にくるまれるスタイルのオシラサマ。

    県内外から「お供え」の希望が殺到中

     お供えといえば、博物館にはSNSの反響もあり「オシラサマにお供えをしたい」という人が県内外から、年齢も若者から年配まで幅広く訪ねてきているそう。オシラサマは人好きな神さまなので、この予想外の反響を喜んでいるだろうとのこと。
     またオシラサマは子供が大好きな神さまとしても知られるのだが、熊谷さんいわく、

    「400年以上前につくられたオシラサマからみたら現代人なんてみんな子供ですから、どなたが会いにきても喜ぶんじゃないでしょうか」

     展示ではオシラサマの絵を描くコーナーもあるそうで、こちらもどの年代の人でも参加OKだ。

    「天正十五年」の文字が確認できるオシラサマ。天正15年は西暦1587年。ざっと450年近く前から人間を見守ってきたオシラサマだ。

    オシラサマをとりまく現状と、今後のこと

     長く、世代を超えて継承されている陸前高田のオシラサマ文化。しかし、ずっと祀っていたおばあちゃんが亡くなってしまった、若者が都会に出てしまい空き家になった……など、ここ30年ほどでオシラサマを取り巻く状況にもさまざまな変化がある。

     特に近年の大きな課題は、オシラサマの声を聴くための「オシラサマアソバセ」という儀式をおこなうことができる民間信仰者「オガミサマ」の高齢化と減少だ。陸前高田では現在、現役のオガミサマはひとりだけになっており、高齢でかつ弟子もとっていないため、今ではオガミサマを頼まず家で独自にお祀りをするようになった世帯も少なくないそうだ。

     そしてもうひとつ、オシラサマ信仰に大きく影響を与えたのが、東日本大震災。陸前高田を襲った大津波だ。2011年3月11日、106あったオシラサマ所有世帯のうち17世帯が津波に襲われ、オシラサマとともに失われてしまったのだ。

     このため陸前高田に残るオシラサマ世帯は89に減ってしまったのだが、しかしなんと今回の展示にあわせた調査では、あらたに1軒オシラサマを祀る家が見つかるという大きな発見もあった。

     家で個別に祀るという性質上、今後も新たなオシラサマ所有世帯が発見される可能性はまだあるとのこと。同じテーマの展示を開催することの意義はこんなところにもある。また、震災がどのような影響を与えたのか、昭和から平成、平成から令和でどのように信仰形態がかわっているのかを確認することも、継続的にオシラサマを調査する大きな理由だという。

    「オシラサマにはオカルト的に怖い神というイメージがありますが、本当は暮らしに根ざしてずっと人に寄り添ってきてくれた神さまなんだということを知ってもらえたら嬉しいです。この展示をきっかけに、今でいう『オシラサマ推し』が増えてくれたらいいですね」(熊谷さん)

     今回の展示でも、会期後に一軒だけオシラサマアソバセをする予定のお宅があり、オシラサマからどんな感想が聞けるのか熊谷さんも今から楽しみにしているそうだ。

    会場でおこなわれた展示解説にも多くの人が集まり、熱心に耳を傾ける。

    特別展「陸前高田のオシラサマはいま」
    会場:陸前高田市立博物館 企画展示室(岩手県)
    会期:3月30日(日)まで
    料金:無料
    https://www.city.rikuzentakata.iwate.jp/soshiki/kanrika/hakubutsukan/event/8727.html

    陸前高田市立博物館

    webムー編集部

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