“垂れ乳”に子供を包んで連れ去るインドネシアの女妖怪「ウェウェ・ゴンベル」! 恐怖の背景にある悲しい物語とは?
民間伝承や怪談、都市伝説に登場する“主役”のキャラクターには、それぞれ何らかのメッセージが託されているといわれているが、村の子供たちをさらう“垂れ乳”の女妖怪「ウェウェ・ゴンベル」にはどんな“一分”が
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秋祭りの晩、夜道を無言で進む和装の集団。その行列には、ひとつ目の奇妙な人形が厳かに掲げられている。 飛鳥時代から続く古社に伝わる謎の祭礼「ひとつもの神事」には、失われゆく日本古来の宗教観と、今も息づく疫病鎮めの願いが秘められていた。
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現在の「令和」にまで至る継続的な元号制度が始まったのは、日本初の法典「大宝律令」が成立した「大宝」の時代である。対馬で初めて産出した国産の金が朝廷に献上され、「大きな宝を得た」と喜んだ文武天皇により制定された元号といわれる。
そんな記念すべき大宝元年(701年)に創建され、関東最古の八幡神社となったのが、茨城県下妻市に鎮座する「大宝八幡宮」だ。元号の読みはタイホウだが、神社は訛ってダイホウと呼ばれ、縁起がよい名称ゆえに、近年は宝くじ当選祈願の参拝客も多いという。
じつに1300年もの歴史を持つだけあって、この神社には様々な伝説や逸話が残されており、それらにまつわる伝統行事も継承されている。なかでも象徴的なのが「タバンカ祭(松明祭)」である。全国でも珍しい火祭りで、応安3年(1370年)に大宝寺別当坊の賢了院が出火した際、果敢にも畳と鍋蓋を使って消火したという故事を、儀礼的に再現したものである。
毎年9月の夜の祭りでは、白装束の氏子たちが燃えあがる御神火を囲み、畳と鍋蓋を力強く石畳に叩きつけて消火作業を演じるが、このときのバタンバタンという音からタバンカの名称がつけられたという。
また、青年氏子が松明を振り回しながら境内を駆け回り、その火の粉を浴びると火の災いから免れるとされる。筆者は当初タバンカ祭に興味を抱き、大宝八幡宮について調べていた。するとその過程で、室町時代から続くという、もうひとつの気になる伝統行事を発見した。その名も「ひとつもの神事」である。
そもそも「ヒトツモノ(ひとつもの)」とは、日本古来の祭礼行事の一種にして、渡り物や神幸などの主役として登場する人や人形を指す。諸説あるが、呼び名には、数詞のひとつ、一番目立つ、などの意味があるとされ、つまり“ひとつしかない神聖なもの”や“最初にお渡りするもの”といったように解釈がなされている。
もともとは神霊の依り代や、馬長(神事などで馬に乗る人)の風習だったともいわれ、平安時代以降に全国へ伝播した後に廃れたものの、同名の行事自体は現在も各地に存在する。ただし、ヒトツモノの対象や表記、実施方法などはそれぞれ異なるようだ。
たとえば、兵庫県高砂市にある曽根天満宮の「一ツ物神事」では、特別な扮装をした稚児がヒトツモノと見なされている。神が憑依する神童という理解から、祭りの初日は中近東風衣装の若い衆に肩車され、2日目は馬に乗せられ、地面に足がつかないようにして境内へ導かれるという。
このときの「ヨイヨイベー」という独特の掛け声は、ヘブライ語の「ヨム・ヨーベール(主の恵みの日)」に由来するという説もある。また、化粧をした稚児の額には「八」と書かれるが、これは「ヤー」と読み、すなわちヤハウェ(神)を指すともいわれる。
以上のような要素から、同地の神事に関しては、一説にはなんと“キリスト降誕祭”に由来すると考えられているようだ。
これはこれで興味深い話だが、大宝八幡宮のほうもかなり特異な内容といえる。比較的派手なタバンカ祭の影に隠れて目立たないが、この地の故事に由来することは共通し、何よりヒトツモノの対象に筆者は大いに目を奪われた。しばし勘案した結果、もともと予定していたタバンカ祭ではなく、その数日後のひとつもの神事へと向かうことにした。
大宝八幡宮のひとつもの神事は、毎年秋の例大祭の夜、9月15日の午後7時から厳かに執り行われる。筆者は少し早い午後5時ころには現地に到着したが、豊作を感謝する例大祭の行事は昼間がメインのため、すでに人気(ひとけ)はほぼなく、かろうじてあった参道の露店も後片づけ中だった。ところで、境内の中央には立派な拝殿があるが、その斜向かいのあたりには、「青龍権現社」という小さな祠がひっそりと建っている。青龍権現とは、かつて付近の大宝沼に棲んでいたとされる“白い大蛇”を指し、その霊を祀っているのだ。
当地の伝説によれば、昔々、毎年秋になると大蛇が近郊の村の家に白羽の矢を立て、そこに住む若い娘を人身御供として差しだすという風習が行われていた。生け贄を拒否すると大蛇が怒り、嵐や洪水を引き起こして作物が穫れなくなるため、人々は従うしかなかった。そこであるとき、村人たちが集まって考えた末“ひとつ目の藁人形”を作って娘の代わりに大蛇に差しだした。
すると驚いた大蛇は沼から退散し、村々には平和が訪れ、稔りが続いたという。めでたし、めでたし――といった内容で、まさに日本昔話そのものだ。そして何を隠そう、この大蛇伝説に由来するのが、ひとつもの神事なのである。
すっかり日も暮れ、定刻10分前になったころ、注連の襷をかけた法被姿の人々がワラワラと拝殿前に集まってきた。彼らは年番で祭事を任された“世
話人”と呼ばれる12人の氏子たちだ。
にわかに活気づいたあたりにはライトがまぶしく灯り、提灯や竹などの道具が次々に運ばれてくる。やがて、いよいよお目当てのヒトツモノ、すなわちひとつ目の藁人形が姿を現し、神前の賽銭箱上に安置された。
藁人形といえば、丑三つ時に五寸釘を刺す呪具として知られるが、これはより無気味でありながらどこか愛嬌もあり、その見た目はまるで『ゲゲゲの鬼太郎』の目玉おやじを彷彿とさせる。大きさは50センチほどで、どうやら世話人らが手作りしたものらしい。
午後7時10分ごろ、烏帽子を被った神職3人が揃い、世話人たちは全員整列。神職が藁人形を世話人代表の男性ひとりに手渡すと、そのまま一列になってゾロゾロと移動を開始した。東門から神社の外に出て、周辺の氏子区域を練り歩くのだ。
行列の先頭は神職が務め、次いで藁人形と世話人代表が続き、その後ろに他の世話人たちが連なり、街灯疎らな住宅街を足早に進む。このとき、代表以外の世話人たちは、先の割れた竹を地面に引きずり、ガリガリと音を鳴らしながら追従する。昔は等身大の藁人形を馬に乗せて練り歩いたらしく、竹の音はそれらを導く意味があったという。しかし掛け声はなく全員無言のため、怪音とともに暗闇を蠢く提灯の数々は、この世ならざる者たちの行列のようでもある。
もちろん、最も目立つひとつ目の藁人形は、世話人代表に十字架のごとく掲げられ、あたかも「頭が高い、控えおろう」とでもいいたげな印象。
ここは本当に現代の日本なのか? よく似た異界に迷い込んだのではないか――。一瞬、そんな妄想が頭をよぎるほど、目の前の光景は強烈で、そして幻想的でもあった。
もっとも、このただならぬ雰囲気は、見物人の少なさも要因のひとつであろう。タバンカ祭のような大衆芸能ではないとはいえ、これほど興味深い行事にもかかわらず、関係者以外で居合わせたのは、なんと筆者を含めわずか数人(予想よりもソーシャルディスタンス)だった。だがそれゆえ、独特な古来の宗教的儀式が、今日まで人知れず粛々と受け継がれている様子には、まさに“ひとつしかない神聖なもの”といった感じの尊さを覚える。
午後7時20分ごろ、行列はコの字状の順路を数百メートル歩いた末、大鳥居を潜り神社境内へ帰還した。わずか10分ほどの出来事だったが、体感ではもっと長い時間だったように思う。そして拝殿前に戻ると再び全員整列し、神職が藁人形を神前に奉って大祓詞(お祓いの祝詞)の奏上を行い、儀式はひと段落を迎えた。
だが、世話人たちにはまだやるべきことがある。この後は、彼らだけで少し離れた橋の上に移動し、年間行事の最後の仕事として、藁人形を川に投下するのである。どうやら虫送りのように、夜道を練り歩き、町内の罪や穢れ、災いを移した藁人形を川に流すことで、地域を清めるという意味合いがあるようだ。また、大蛇の怒りを鎮め、次の年の五穀豊穣を祈願するものでもあるという。
午後7時40分ごろ、大宝沼の名残である糸繰川に藁人形を流し、伝説を再現することで神事は終了となった。
それにしても、大蛇伝説に登場するひとつ目の藁人形は何なのか? まさかヒトツモノが訛ってひとつ目になったのか? ひとつ目といえば「ひとつ目小僧」が思い浮かぶが、民間伝承では他にも、山の神として各地にひとつ目の妖怪が語り継がれている。
たとえば、和歌山県熊野の山中には、一眼一足の妖怪「一本ダタラ」が棲むとされる。その名が古代製鉄所のタタラ(蹈鞴)に通じることからも、タタラ師などの山の鍛冶集団が祀った守護神と深い関係があるという。
すなわちそれは、古代の鍛冶神「天目一箇神(あめのまひのかみ)」である。「目一箇」が表す通り、ひとつ目の神だ。日本神話の天岩戸隠れの際は、天照大神を誘い出すべく祭りに使う刀斧・鉄鐸などを作り、後に地上に降りて鍛冶の技術をもたらしたとされる。この鍛冶の神(山の神)がひとつ目の理由は諸説あるものの、鍛冶師が鉄を鍛える時やタタラ師が火を見るときに片目を閉じる(職業病で失明する)から、という説が有力とされている。
一方、民俗学者・柳田國男は著書『一目小僧その他』のなかで、ひとつ目や一本足などの異形は、常人と区別するための神聖性の表れという見解を示している。その上で、大昔に人を神の眷属にすべく神祭の日に殺す風習があり、逃亡を防ぐ目的で生け贄の片目を潰し片足を折ったとする、衝撃的な起源の仮説をも論じている。
さらに、「妖怪とは零落した神である」という説(妖怪から神格化したアマビエの例もあるが)を唱え、ひとつ目小僧や一本ダタラなどは、天目一箇命が零落し妖怪化した姿だと考えたようだ。つまり、異形の人が神と同一視され、後に信仰を失った結果、妖怪になったという図式である。
ひとつ目の化け物なら台風も連想されるが、三重県桑名市にある多度大社の別宮「一目連神社」では、祭神に天目一箇神を祀り、台風の神として崇められている。この神が社殿を出ると暴風雨を巻き起こすとされるため、中部地方では不意に吹くつむじ風は「一目連」と呼んで妖怪扱いし、同時に洪水や暴風の際は危難を防ぐとも信じられてきた。ちなみに、逃げる表現で使う「一目散」の語源説もある。本来は多度山に棲む片目を失った龍神「一目龍」を祀ったものが、いつしか天目一箇神と同一視されるようになったという。
龍神信仰や大蛇伝説は日本各地に残されているが、水害の歴史を持つ場所であることが多い。昔の人は自然の猛威に畏敬の念を抱き、洪水などを龍神や大蛇の仕業として語り継ぎ、地元民に警鐘を鳴らし、水難除けを祈願したのであろう。もしかしたら、大宝地区の村人たちも蛇の道は蛇と考え、疾風怒濤と水難守護の両面性があるひとつ目の神に着目したのではないか。そして、その特徴を模したひとつ目の藁人形を使い、大蛇という災害を鎮めようとしたのかもしれない。
2020年の世の中は、新型コロナウイルスが猛威を振るい、いわば超大蛇級の災害に見舞われた。
今回のひとつもの神事でも、感染拡大防止の安全対策として、藁人形を川に流す際の世話人の数を減らすなど、一部内容の変更を余儀なくされたという。そうしたなかで最後に見た、暗闇の川に浮かぶひとつ目の藁人形の姿は、まるで神も仏も妖怪も一緒にして必死に祈願する、日本人独特の“藁にもすがる思い”を体現しているようでもあった。
世話人のひとりによれば、藁人形がちゃんと川を流れていくかどうかで、今後の行く末を占うという捉え方もあるそうだ。今年はその場で少し停滞した後、やがて無事に流れていったので、「きっと大丈夫」とのことだった。2021年は、人々にとって実りある一年となることを切に願う。
影市マオ
B級冒険オカルトサイト「超魔界帝国の逆襲」管理人。別名・大魔王。超常現象や心霊・珍スポット、奇祭などを現場リサーチしている。
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