考えるな、踊れ! 第60回「キリスト祭」で新郷村の郷土史に組み込まれた超史実・古代ロマンを見た!

文=健部伸明 写真=高代彩生&健部伸明

    第60回を迎えた「キリスト祭」は郷土に根付いた歴史遺産となっている。現地ライターも驚いた新郷村のストレンジぶりをレポート。

    立て看板の奇跡

     去る6月2日、以前から耳にはしていたキリスト祭に、初めておそるおそる参列した。その時、軽い気持ちでX(旧Twitter)にアップしたこの写真が、自分としては初となる、奇跡の万バズを達成した。

     地元(青森県 南部地方 三戸郡 新郷村 戸来地区)の中学二年生が投稿した防犯標語が、最優秀賞に選ばれているのはよいのだが、それをよりにもよって「キリストの墓」の看板前に立てかけなくても……

     標語やタイトルが青、装飾が緑とどちらも同じ仕様であり、二つでワンセット感がハンパなく、偶然にしては出来過ぎである。「その行動」の主体(と罪)に関して、読み手が勝手にアダムとイヴ(原罪)、イエス(磔刑)、ユダ(裏切り)などと深読みしてしまう。
     さらに背後から半分だけ可愛い鼻面を覗かせているミニパト・スズキスイフト(DBA-ZD72S)が「こっそり見てるぞ! なんかやったら捕まえるぞ」と、無言の圧力をかけてきている。
     唯一赤い清涼飲料水のロゴが、本来はかなり目立つはずなのだが年月でかすれており、月桂冠に囲まれているのも何か意味深に思える。もしかしたらこれは月桂冠ではなくイエスの額に置かれた茨の冠であり、最後の晩餐で「飲みなさい、これは私の血である」として出された赤ワインの代わりなのだろうか?

    土産物屋《キリストっぷ》

     この看板の、道路を挟んだ対面には、売店である《キリストっぷ》がある。

     営業は日祝日の「十字架ら午後三時まで」ということ。土曜営業がテープで消され、実際以前来た時にはやっていなかったので、今回なかに入るのが楽しみでならなかった。

     あるわあるわ、ムー民なら垂涎のアイテムの数々。昨年のレポートと比較しても品目が増えているよう。さすが六十周年。還暦を迎えた祭りは一味違う。

     そのなかでも一際筆者の目を捕らえたのが「聖人」Tシャツである。読みが「せいんちゅ」とかって、センスの塊でしかない。映画化も決まった『聖☆おにいさん』をも想起させる。そういえば、テレビシリーズのイエス役は、本県出身の松山ケンイチであったなぁ……

     ついでに、この新郷村が出てくるという小説と、ツボってしまった家人のたっての願いで、ハッカ飴も買った。どこからどう突っこんでいいかわからないぐらいネタが渋滞している。

    この写真の右端にある野草は、青森では「みず」と呼ばれている「ウワバミソウ」で、家人が周辺で収穫した。塩昆布和えにしてよく食べられる。下記の写真中央がそれ(今はツキノワグマが出没して危険なので、皆さん山には入らないでください)。ちなみに右下は、津軽のミネストローネともいえる粥の汁(けのしる)。どちらも青森県に来たらぜひ食べていただきたい、地味だが止みつきになる郷土料理である。

     このキリストの墓と祭りが、イスラエル大使館のお墨付きであることは昨年のレポート含め方々で何度も語られているのだが、ふざけているとしか思えなかったこの飴の説明に、そっとパレスチナ解放を願うメッセージが印刷されているのを目の当たりにし、売り手のガザへの痛切な想いを知って、胃の腑を抉られるような衝撃を受けた。

    ナニャドヤラ食の祭典にキリストラーメンまで登場

     食べ物の話ついでと言ってはなんだが、今年の《キリストっぷ》周辺は「グルメ大集合! ナニャドヤラ食の祭典」と銘打って出店が充実していた。鶏めしは昨年もあったようだが、酪農・畜産が盛んな新郷村らしく、何種類かのソーセージや鴨肉ローストがジューシーでおいしかった。三年連続グランプリの小麦の奴隷カレーパンも嬉しい。

     そのなかでも、目玉と言えるのがキリストラーメン。

     地元の繁華街の《えびす屋》というラーメン屋さんの出店だが、ダビデの六芒星はお麩で、その下に焼き長芋の台座がある。キノコ、わらび、ヒメタケなど旨味トロみのある山菜に、青紫蘇と梅干の酸味が、思いのほかさっぱり醤油味のスープとバランスよく、あっという間に完食してしまった。梅肉というぐらいだから「食べなさい、これは私の肉である」ということだろうか? いや聖書ではあれはパンをさしていたから、お麩がそうなのだろうか?

    本題はこちら……キリスト慰霊祭

     ……などとぼくが愚にもつかぬことを思索している間に、読者諸氏は「もうお腹いっぱい」と思っているかもしれないが、いやいやキリスト祭の本編に関して、まだ何も言っていないではないか。反省。

     実は、これら出店は《キリストの里公園》のふもとにあり、キリストの墓は220メートル先の山頂にある。まずはつづら折りの坂を登って行かねばならない。

     そんな軽い登山を終えると、そこは思いのほか神聖な会場であった。

     墓所へ向かう階段のとば口に、神式の祭壇が設えられている。右手には議員さんほか来賓各位。手前には神楽の奏者。左の実行委員会のテントでは、山の神を祀る付近の御嶽神社からいらっしゃった神職が控えておられる。

     今年の「キリスト祭」は、今までもあった「慰霊祭」だけでなく、第二部として「ナニャドヤラの祭典」が加わっていた。あらかじめ決められたスケジュールにしたがい、儀式はおごそかに進んでいく。

     そう厳粛な儀式なのである。英語でも「Jesus Christ Memorial Service」とあるとおり、ここで亡くなった(とされる)イエス・キリストおよびその弟イスキリの二人の御霊を鎮めるため、参列者は黙祷し、一礼する。

     「かけましくもかしこき……」で始まる神職の祝詞が流れる。口ずさまれる八百万の神々の名のなかで、イエス・キリストの御名がひときわ響き渡る。気づくと我々は、丘の上の大きな十字架から見下ろされている。

     玉串奉納の後は、地元の田中の獅子舞奉納だが、こちらも見たことがないユニークなものである。まず獅子なのに、ぼうぼうの前髪で獅子頭が見えない。そして何度も、まるで蛇か竜のように、自身の体に巻きつく舞いをする。終盤、頭を逆さに向けて初めて、顔が確認できた。何かの受難を表しているようにも思える。

     そして地元の御婦人たちの選抜によるナニャドヤラ舞いの奉納。ふたつの十字架の周りを歌い踊りながら巡る。ずっと意味不明な(ヘブライ語だとも言われる)掛け声ナニャドヤラを繰り返すなあと思っていたら、終盤、意味のある歌詞になり、ここでも驚かされた。

     合間に各種のあいさつなどもあったものの、気持ちがざわめいて落ち着かないまま、基本的に慰霊祭はこれで終了。

    郷土史と古代史が融合する「キリストの里伝承館」

     第二部が始まるまでの少しの準備時間に《キリストの里伝承館》に駆けこむ。

     この地の由来/伝承、風習などをまとめて展示してある施設で、最近では「ムー」も色々協力しているが、ここでまた我々は新たな驚きに遭遇する。

     売店の品ぞろえが《キリストっぷ》と全く違う! しかも「考えるな、踊れ!」と脳みその芯に語りかけてくるのである。クラクラしながらネットに写真を上げると、友人たちから次々に「欲しい」「くれ」「買え」との脅迫じみたレスポンスが止まず……。銘菓・生キャラせんべいとともにステッカー大量買いですとも、ええ。

     他にも独特の絵馬とか売っていたりして、それは伝承館わきのピラミッドに納めるのがその道のツウらしい。

     もはや神仏習合どころの話ではない。たぶん、こういうのを全部合わせ吞むことができるのは、神道をベースとする日本人だけではなかろうか……。

    考えるな、踊れ! ナニャドヤラの祭典

     そんな感慨深いピラミッドが見下ろす広場では、着々と第二部「ナニャドヤラの祭典」の準備が進められている。

     正直「さっきも奉納したばかりなのに、二度も何をするんだ?」と思っていた。ところが周辺にたむろするのは、衣装の異なる団体が複数。司会である八戸から来たイサバのカッチャ(魚市場のおばちゃん)に扮する十日市秀悦が、色々と説明してくれる。

     そもそもナニャドヤラとは、青森県南西部、岩手県北部(および少し秋田県北部)をふくむ南部地方に伝わる盆踊りで、場所によって節も、歌詞も、踊りも微妙に違う。今回は踊り比べ、その違いをみなで味わったり、参加して楽しんだりしようというコンセプトである。

     だいたいお囃子というものは、別にナニャドヤラに限らず、ほとんど意味不明ではないか。「えんやこーら」の語源を知っている者はいるのか? ねぷたの「ヤーヤドー」も、ねぶたの「ラッセラー」も語義未詳である。何でもかんでもヘブライ語というわけではあるまい。

     ちなみに「どっこいしょ」は仏教用語の六根清浄、修験道系の「サーイギサイギ」は懺悔懺悔だと判明している。

    こちらは青森県階上町 田代盆踊愛好会。
    岩手県洋野町 大野婦人会。
    岩手県二戸市 ナニャトヤラ保存会。
    そして地元の青森県新郷村 ナニャドヤラ保存会。

     今回はこの四団体だが、大会によっては十団体前後参加することもあるという。ともかく無理矢理ひとつにまとめず、地域ごとに伝統が守られているのは喜ばしい限り。

     四団体の演舞は30分ほどで終わり、そこからは全団体入り混じりつつ「みんなで踊ろう ナニャドヤラ」ということで、初心者も振り付けを教わりながら一緒に踊って、あっという間に幕となった。

     そんな山頂付近には、救世主をも癒したとされる薬草が植えられている。

    十字の道しるべを設置したのは誰なのか?

     さて「山を下りるか」となったが、実は道はもう一つある。この裏手が、なかなか深緑が壮観で、けっこう急な階段である。

     それでも清々しい渓流の音に癒される。

     下りきったところは、バスストップ越しの《キリストっぷ》。元の場所まで戻ってくることができたが……

     待てよ、何だ、奥のあの青い道標らしきものは?

     え?

     え? え?

     思わず人生の進行方向さえ間違えかねない標識群だが……

     実は……

     日本有数の縄文遺跡・三内丸山のすぐ近くにある、奈良美智の「あおもり犬」でも有名な青森県立美術館が「美術館肥沃化計画」などと銘打って、ここ新郷村と組んで仕掛けた一大アートだった!

     いや、わざとやっているわけだが色々とまぎらわしい! いいぞ、もっとやれ!

     そんな色んな気持ちを持て余しているところ、地元の人たちや観光客は、シャトルバスなどに分乗して次々と現場を去っていく。予定の2時間を切ると撤収モードに突入し、終わりかたも実に潔い。

    謎史跡から巨石遺構をハシゴする

     けれどぼくは、この祭りの後の、あまりにも情報過多かつ消化不良でモヤモヤとした気持ちを、どこへ持って行けばいいのかわからなかった。

     そこでである、早速血迷ったのである……

     すぐさま付近にある「大石神ピラミッド」まで足を延ばした。

     同じ思いの観光客らしき数人が、同じコースを辿っていた。

     石や木をご神体として祀る、原始神道の趣がある。

     入口からすぐ、太陽石と方位石が出迎えてくれる。

     方位石は、例によって東西南北が意識されて設置されているという。

     祠がしつらえられた星座石の下には、玄室のような組み石の空間があった。

     ぐるっと鏡石まで回ってみた感想としては……これは巨石遺構だ!

     ピラミッドとか言っている場合じゃなく、飛鳥の石舞台古墳のごとく、きちんとした遺跡である可能性を考慮しつつ調査したほうがいい。仮に自然石だとしても、なかなか興味深い体内回帰を感じさせる場所である。

    謎の史実を受けいれる新郷村

     そんな感想を抱きつつ帰路に就くものの、どうせなら土地の物産を見たいと、道の駅にも立ち寄る。

     新郷村の乳製品、山菜、そして『ムー』のミステリー・キャンプに関連する物品が色々並んでいる。

     そこで少し買い足し、実はラーメン以外は満足に食べられていなかったので、キリスト祭での戦利品を広げて舌鼓を打っていると……

     ふと、併設されている建物の壁の絵に視線が吸い寄せられた。何かがおかしい……

     ソフトクリームを食い漁る野生動物に、襲い掛からんとする親ソフトクリーム。

     リアルに炙られているっぽいマグロ?

     マトリョーシカからのシマウマからの直立寿司(こぼれイクラ)。

     すべてはここに掲載しないが、こんな絵がまだまだある。

     まったく新郷村には、最後の最後まで飽きさせずに楽しませてもらった。しかもこれで、まだ午後の早い時間である。

     ぜひ皆さんも一度現場を訪ね、ぼくと同じような色んな気持ちになってほしい。他では絶対に味わえない体験であることは保証する。

    郷土・青森県は謎だらけだった

     お気づきかと思うが、当の筆者は青森県生まれである。隣町には大釈迦という地名があり、奥羽本線の停車駅にもなっているが、なんでそういう地名なのかは、推して知るべし。

     平泉で朽ちたはずの義経も、南部・八戸経由で、竜飛埼(龍馬山・義経寺)から北へ渡った。
     東北町には「日本中央」と記された「壺の碑」がある。
     ヤマトタケルも、正史では遠征経路に入っていないにも関わらず、十和田湖に来たことになって祀られている。
     坂上田村麻呂は、一時期までねぶたの開祖のごときあつかいを受けていた(最近では、ほぼ否定されている)。

     何事もかくのごとくであるからして、当然イエス・キリストも来ている。そういう話である。まあ実際にはイエス本人ではなく、ユダヤ色が強いネストリウス派のキリスト教徒集団とかが来たのではなかろうか、と思う。もっと古い話をすれば、ユダヤには失われた十氏族という伝説があり、その末裔が日本人ではないか……というのが、いわゆる日ユ同祖論だ。

     まあ、ユーラシア大陸を東へ東へと逃げてくれば、ベーリング海峡経由で北米に渡るか、南経由で東南アジアからオセアニアに渡るか、その間の日本で落ち着くしかない。しかも南ルートの場合、黒潮に乗ってやっぱり日本に着いてしまう。

     日本史にしても、正史は西から東への征服/進出である。中央権力から逃げて安全な場所があるとしたら、その権力が及ばぬ蝦夷地の北東北であった。都落ちの先が今の青森県というのは理にかなっている。

     言われていることを、すべて丸々呑みこむ必要はないが、頭から切り捨てるのも違うと思っている。新郷村を起点とした本格的な調査によって、今後、歴史や地域文化と有機的につながることを願ってやまない。

    健部伸明

    青森県出身の編集者、翻訳家、ライター、作家。弘前文学学校講師。

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