君はオルタナティヴなイタコに口寄せを頼んだことはあるか?/大槻ケンヂ「医者にオカルトを止められた男」新7回(第27回)

文=大槻ケンヂ イラスト=チビル松村

    webムーの連載コラムが本誌に登場! 医者から「オカルトという病」を宣告され、無事に社会復帰した男・大槻ケンヂの奇妙な日常を語ります。

    「ムー」にお賽銭

     5月号で霊界の祖父と夢で交信しているという某さんについて書いた。「お供え物は霊界のご近所さんたちに配らなきゃいけないので詰め合わせにしろ」と、人間界にいてはなかなか気づかない霊界豆知識・現場の声を聞かせてくれるおじーちゃんとの話である。掲載号を某さんに献上したところ、とても喜んでいただけた。某さん以上に、そのおじーちゃんから。

    「今日夢にまたおじーちゃんが出てきて、そうしたら『ムー』を読んでいて、お賽銭なのか、5円玉を『ムー』の本に撒いていました。おじーちゃん嬉しかったんだと思う」

     とのメールが某さんから送られてきたのだ。恐縮である!
     本来ならこちらからおじーちゃんにナスカジャンの一着も贈って差し上げなければならない(ロゴ入りエコバッグも可愛いかと思う)のを、逆に5円玉を「ムー」めがけて撒いていただくなどとは、なんと優しきお心遣いなのか。ご縁のありますように。しかし「ムー」にお賽銭という発想はなかった。今後も「おじーちゃんの霊界だより」を楽しみに待ちたい。

     とはいえ、僕はオカルト・ビリーバーではないので、某さんが夢に見るおじーちゃんが、本当に亡くなった祖父そのものなのだと思っているわけでもない。某さんの深層心理にある想いだとか悩みだとか、ほかの諸々の要素が〝おじーちゃん〞というイメージとなって吹きこぼれたビジョンなのではないかな、ともちょっと思う。

    イタコいます

     死者と交信ができる、ということでいえば、青森のイタコが有名である。昭和の昔、つのだじろう先生の恐怖漫画でも紹介され、イタコさんがいるという霊場恐山にただならぬ妖気を想像して震え上がったものだ。またテレビのコント番組でイタコにマリリン・モンローを降霊させるというのもやっていた。イタコさんのオバちゃんが「アタスはマリリン・モンローよ〜」と思いっきり日本語で喋りだす姿にお茶の間で涙流して笑ったのも懐かしい。

     それから何十年かたって……
     今から30年も前になるが、僕は本物のイタコに会うために恐山へ旅をしたことがある。雑誌の取材も兼ねていた。あのころはそんな経費が出るほど出版界も景気がよかったんだな〜と感心してしまう。それはさて置き、行ってみると恐山は一大霊界アミューズメントパークのようであった。ゴツゴツとした岩山に湯気が立ちこめ、無数の風車が刺してあって色とりどりにクルクルと回っていた。そこを観光客や家族連れがにぎやかに行き交い、広いお寺があって、その端にはお土産屋兼食堂みたいな店もあった。そこの壁にはメニューに混ざってこんな札が貼ってあった。

    「イタコいます」

     あ、いるんだ。イタコさん、と、そのシンプルに過ぎるメッセージにたじろぎつつ「じゃ、ま、見てもらおっか、霊とかさ」と、こちらもいたって簡潔にお店の人に「あ、イタコさんいらっしゃるならお願いします」と頼んだところさらに簡単に「今いません」との即答が返ってきたので驚いた。

     え?

    「今いません。イタコさん、今日はイタコ大祭のほうに出てますんで」

     その時期、恐山ではお寺の境内で複数のイタコさんが集まって口寄せをする「イタコ大祭」が開催中とのことで、あいにく「イタコいます」のイタコさんも大祭のほうへ出張していたらしい。

     それで僕と編集者とカメラマンでイタコ大祭会場へ行ったのである。境内にいくつかのテントが出ていた。そこにそれぞれイタコさんがいるようだ。各テントの前にどれも十数人が行列を成していた。同時多発口寄せ、ということなのだろうか。なるほどこれなら霊との交信も早く多くさばけて合理的だ。
     僕らもその一列に並んだ。しばらくして僕の順番が来た。有料だったと思うが金額などはよく覚えていない。いくらであったにせよ、当時出版界も羽振りがよかったから経費で落ちたんじゃないかと思う。「経費で口寄せってのもどうなのよ」と今は思うものの、あのときは、ネイティブなイタコさんの津軽弁をなんとか聴きとろうと必死になった。

     僕に口寄せをしてくれたイタコさんは、当時で50代くらいではなかったろうか。イタコさんなので、当然女性で、僕に「だれを呼びます?」と問うた。そのころ僕は若くて父母も元気だったので「あ、じゃ、会ったこないけど亡くなったおじーちゃんを」とリクエストするとイタコさんはお経、あるいはラップのようなものをゴニョゴニョとつぶやき出した。ほとんど聴きとれなかったが多分「体を大事に、親や周りの人に親切に」というようなことをいっているのだなぁとだけわかった。

    イタコ組合

     恐山には温泉もあった。そこでひとっ風呂浴びてホカホカで車で帰る途中、僕は奇妙なものを見た。畑の端っこにマイクロバスが停まっていて、フロントガラスの真ん中に、ペタッと布切れ……台所を拭くような布切れが一枚貼ってあって、そこに何か言葉が書いてあったのだ。近づくと「イタコ」と書いていた。

     なんだろうと、そばに車を停めるとマイクロバスの扉が開いて、まだ若い女性が出てきて僕らにいった。

    「イタコいます」

     中から高齢の女性も出てきた。「どうだ? やってくか?」と尋ねる。イタコさんであるらしい。「でもどうしてこんなところでやっているんですか? イタコ大祭には出ないんですか?」と、僕が尋ねるとイタコさんは「あ〜」と、なんだか不敵に笑って答えたのだ。

    「組合に入ってねぇから」
    「組合? って……イタコの組合ですか?」

     ??となっていると若い女性が「イタコには組合に入っている人とそうでない人がいるんですよ」と説明してくれた。大祭に出ることのできるのは組合員のイタコさんのみで、組合に入っていないイタコさんの中にはこうして反主流……ロックでいうならオルタナティヴにイタコ活動をしている方もあるそうなのだ。実際はどうか知らないし約30年前だけど、そういっていた。

    「へぇ〜、じゃ、お願いします」

    といって僕はそのオルタナ系イタコさんにも口寄せをしてもらった。ネイティブな津軽弁のつぶやきラップでほとんど聴き取れなかったが多分「体を大事に、親や周りの人に親切に」というようなことをいっているのだなぁとだけわかった。

     このイタコ旅のことは何かに長尺で書いたことがあるように思う。でも不思議なことに、今回いくら捜してみても短くまとめた文章しか出てこなかった。マンデラエフェクトなのかもしれない。
     30年以上たっている。あのオルタナ系イタコさんももうご存命ではないかもわからない。もう一度お会いしてオルタナティヴの矜持を伺ってみたいとも思うが、その言葉を聞くには今ではもうそれこそイタコに口寄せしてもらうしか方法はないであろう。イタコ大祭にもう一度旅して境内で試してみようか?
     できるなら経費で。でもそうしたら「ん……その方は組合員ではなかったので、ちょっと」と組合系イタコさんの矜持でもって断られたらどうしよう。そんなわけないか。

    (月刊ムー2024年7月号より)

    大槻ケンヂ

    1966年生まれ。ロックミュージシャン、筋肉少女帯、特撮、オケミスなどで活動。超常現象ビリーバーの沼からエンタメ派に這い上がり、UFOを愛した過去を抱く。
    筋肉少女帯最新アルバム『君だけが憶えている映画』特撮ライブBlu-ray「TOKUSATSUリベンジャーズ」発売中。

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