病を引き取る「肉付きの面」の霊験と希望/奈良妖怪新聞・「面」厳選

文・写真=木下昌美

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    奈良県の伝説、オバケ話を調査・発表する『奈良妖怪新聞』100号刊行を記念した、妖怪文化研究家・木下昌美さんによる奈良の伝説5選。第4弾は、これまた歴史を感じさせる「お面」にまつわるふしぎな話。

    華麗に変身! ふしぎな「面」伝説の数々

    「面」は被るだけで、すぐさま違う何かに変身できる優れものだ。能や狂言、また祭りやヒーローにも欠かせない重要なアイテムであることは言わずもがな。子どもの頃、縁日で自分の好きなキャラクターの面を買ってもらったことがある人も、少なくないだろう。

     今回ご紹介するのは「肉付きの面」ほか。全国各地に「肉付きの面」の名で呼ばれる面はあるが、奈良のものは話の傾向が異なり土地柄を反映したものになっている。

     奈良県と京都府の境あたりに、奈良豆比古神社(ならづひこじんじゃ、奈良市奈良阪町)という神社がある。そこには「翁面(おきなめん)」という面が伝わっており、この面がとても興味深い。時代としては室町のものではないかということで、普段は奈良国立博物館で大切に保管されている。ただし年に一度、実際にこの面が使われる機会がある。その機会とは10月8日に同社で行われる「翁舞」。この日のために何日か前より面は神社に戻され、当日は神社資料館にて公開もされる。

    奈良豆比古神社。

     同社の翁舞は千歳(せんざい)、翁、三番叟(さんばそう)の構成となっていて、千歳の舞の後に1人の翁の舞があり、その後翁の両側に脇の翁が並び立って3人の翁の舞になり、3人の翁が退場して三番叟の舞になって終わるというものだ。能楽の原点ともされるもので、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

     歴史の深さがうかがえる翁舞を、無事に奉納できるよう支えてきたのが、地域の人びとにより形成される翁講だ。寛政3年(1791)の記録で講について確認できるため、18世紀には彼らによって演じられるようになっていたのだろう。平成15年(2003)には翁舞保存会が作られ、後継者の養成なども視野に入れ、活動を行なっている。

    奈良豆比古神社の翁舞。

    つけただけで病を癒す「肉付きの面」

     さて、こちらの面について『増補版 大和の伝説』などにはこんな話がある。

     昔京都にひとりのハンセン病者があった。北山十八間戸(奈良市川上町)に入り、阿閦如来を信仰していた。ある時京から使いの者が来て「この面をかぶってお帰りください」といって、ひとつの面を差し出した。その面をかぶり北に向かい奈良坂まで行ったところ、病におかされた顔の肉がすっかり面に付いて取れてしまい、病の前の顔にもどった。その肉付きの面が今の奈良坂の氏神明神のご神体の翁面である。

     冒頭に書いた通り「肉付きの面」の話は各地に存在する。その多くが邪な心を持ったものが面をかぶる、または面をかぶって悪事を働くなどするとその面が取れなくなるというもの。時に、面が顔の皮とともにベリっと剥がれてしまうこともあるという。それが奈良の場合は逆で、面が病を一緒に剥がしてくれて事態が好転するところが特徴的だ。

     話に出てきた北山十八間戸(きたやまじゅうはっけんこ)は、ご存じの方も多いだろう。鎌倉時代に忍性(にんしょう)という僧侶がハンセン病や難病患者を救済するために建てた施設のこと。当初は奈良の北山、般若寺(奈良市般若寺町)の北東にあったが焼失し、江戸時代に現地に移されたという。奈良豆比古神社、北山十八間戸のどちらも奈良坂沿い、またはその付近に建っている。

    北山十八間戸。

     奈良の肉付きの面の話はこうした土地柄あってこそと考えられ、そしてまた神社の祭礼行事とも結びついている点においても、なかなかほかに類例を見ないといえるだろう。

     ちなみに『奈良市民間説話調査報告書』には、金春(流の人)が奈良豆比古神社の翁面を偽物の面とすり替えた話が掲載されている。金春は能楽の流派のひとつだが、奈良と京都との境に金春塚があったという。面をすり替えた金春は殺されてしまったのだとか。

     筆者が翁舞保存会のメンバーに話を聞いたところ、肉付きの面や金春塚について「昔から言い伝えのようにして、誰からか聞いていた」と話してくれた。また噂によれば社には肉付きの面について触れた縁起や講の人たちによる記録があるそうだが、現段階ではそれらを確認できていない。

    なぜ……? ネギといっしょに降ってきたお面

     もうひとつ、面に関する話を紹介しよう。奈良県内には、空から面が降ってきたという場所がいくつかあるのだ。最も知られているのは川西町のものだろうか。

    『奈良県磯城郡誌』にはこう記載されている。
    「字園前にあり、古昔翁の面此塚に降りしことありと云ふ、面は観世家に伝え、後絲井神社に蔵したりしが、今其所在を明にせず、或云ふ、奈良春日神社に存せりと」
     翁の面が園前という場所に降りてきて、その面は能で知られる観世家に伝えられたとのだとか。

     『増補版 大和の伝説』などでは、こちらのものから一層内容が膨らんで、エンターテイメント性あふれるものに仕上がっている。曰く、川西町結崎という集落に結崎清次という能楽師がいた。観世流の元祖である。京都で御前演能のあった時、清次は糸井神社に日参してその成功を祈った。ある日の夢で、天から能面とネギ一束が降って来た。その夢に教えられてこの塚を作ると、やはりそこに面とネギが落ちていた。清次はその面をかぶって出演し、首尾よく大役を果たしたという。

     こちらに関連する話として『奈良県史13 民俗下』に、このような話がある。同町には昔女神がおり、ある時帰国しようにも女ではできなかった。そのため能面を作り、被って男となり帰国した。その折、急に空かき曇り雷雨となった。村人は皆逃げ帰り、雨が晴れるのを待ち野に出ると、能面とネギが一束落ちていたという。村人は女神のお告げと考え、ネギを畑に栽培するとよくできた。結崎ネブカ・結崎ネギとして大和国中に広まった、とする。

     面はひとまず置いて、なぜネギが……と思う人もいるだろう。これは、話にあるように川西町という街が結崎ネブカという葉ネギの産地であるからだ。江戸時代の地誌『大和志』には「土産 葱 結崎荘味甚美」と記録されていて、古くより美味しいネギであったことが窺える。一時は栽培が衰退していたそうだが、改良がなされ平成17年(2005)に大和野菜に認定。今や県内外で親しまれるネギになった。街を歩くと至るところでネギを育てていることがわかり、これは空からネギも降ってくるかもしれないな、という気になる。

    能楽の歴史からも重要な「面塚」

     話を面に戻そう。同町には「面塚」と記された石碑が実際に建っており「観世発祥之地」と刻まれている。塚が建ったのは1036年といい、河川の改修に伴って1967年に現在の場所に移されたそうだ。観世座は室町将軍家の庇護を受け発展し、定着した大和猿楽四座のひとつ。大和猿楽四座は結崎・外山(とび)・坂戸(さかど)・円満井(えんまんい)の四座を指し、後に、それぞれ観世・宝生・金剛・金春(こんぱる)と改称している。

     元祖観阿弥結崎清次が伊賀国(三重県)名賀郡小波多に創立した猿楽座が大和国(奈良県)結崎村に居を構え地名を取り、結崎姓を称したことが「観世発祥之地」の所以であるのだという。先の『奈良県磯城郡誌』『大和の伝説』の内容はともに観世座のはじまりを示すものであり、そこに能にとって必要不可欠な面が効果的に用いられていることが認められる。
     またこちらの川西町以外にも大和郡山市と田原本町にも面が落ちてきたという話があるのだが、いずれも能に関する話となっている。

    面塚。

     さて、駆け足で肉付きの面と空から降って来る面を紹介したが如何だっただろうか。いずれも能と関りが深く、その点だけでも重要なエピソードであるように思う。加えて、面にその土地らしい特色が付与されていることも興味深い。冒頭で面は違う何かに変身させてくれると書いたが、逆にいうとその面が取れたときに、隠れていたものを見せて気付かせてくれるアイテムでもあるのかもしれない、と思ったりした次第である。

    〇本文でとりあげた資料
    奈良県童話連盟修、高田十郎編『増補版 大和の伝説』1959/大和史蹟研究会
    竹原威滋代表編著『奈良市民間説話調査報告書』2004/奈良教育大学教育学部
    『奈良県磯城郡誌』1915/奈良県磯城郡役所
    『五畿内志 中巻』「大和志 13」https://dl.ndl.go.jp/pid/1179437/1/64

    〇参考文献
    ・『奈良市民俗芸能調査報告書-田楽・相撲・翁・御田・神楽-』1990/奈良市教育委員会
    ・山路興造「奈良市奈良阪町奈良豆比古神社の翁舞」『大系 日本歴史と芸能7』1990/平凡社
    ・文化庁国指定文化財等データベース https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/302/730
    ・『川西町史』2004年/川西町

    木下昌美

    奈良県在住の妖怪文化研究家。月刊紙『奈良妖怪新聞』を発行中。『日本怪異妖怪事典 近畿』(笠間書院、共著)ほか『妖怪(はっけんずかんプラス』(学研)、『妖怪めし』(マックガーデン)など監修した妖怪ブックも多数。

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