黒史郎が案内する川崎の禁足地「開かずの不動」怪談/吉田悠軌・怪談連鎖
怪談師たちが収集した珠玉の怪異を、オカルト探偵・吉田が考察。今回は、神奈川県川崎市に残る「禁足地」にまつわるタブーと信仰の謎を追う!
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内容が似通っているわけでなくても、奇妙な関連性を感じてしまう怪談がある。怪異の連鎖は人だけでなく、土地、時間、道具、さまざまなモノにひもづいて起こっていくのだろうか。
「千葉県にまつわるお話が、ふたつあります」
深津さくらさんが怪談を語りだす。
いずれの体験者も千葉には住んでもおらず、ほとんど関わりのない人々だそうだ。それでもやはり、これから語る2話はともに“千葉の怪談”なのだという。
「1話目の体験者は兵庫県在住の、シュウさんという中国国籍の人です」
シュウさんは長らく日本に住んでおり、兵庫で高校教師をしているため日本語も達者だ。
2005年の夏だったという。シュウさんは夫と子供ふたりとともに千葉県市川市へと出向いた。彼女の叔母さんの家へ遊びにいくためである。
しかし夏休みのせいで高速道路が混雑しており、予定が大幅に遅れてしまう。ようやく叔母の家に着いたのは深夜0時を過ぎていたそうだ。
その家には駐車場がないため、少し離れた本八幡駅のほうへ車を置きにいかなくてはならない。もう寝てしまった子供ふたりは叔母のもとに預け、シュウさん夫婦は大通りを南下していった。
駅前のコインパーキングに車を停めた後、今度は徒歩で叔母の家を目指すこととなる。まっすぐ北に歩けば20分ほどの距離だ。
「ちょっと裏の道を通っていこうか」
なんとなく、シュウさんはそう提案した。叔母の家には何度か遊びにきているので、このあたりの地理は把握している。いつものように大通りを引き返すのではなく、並行して走る住宅街の道を歩きたくなったのだ。
深夜の路地を10分、20分と進んでいく。そろそろ叔母の家の近所に出るはずなのだが。
「これ、道に迷っちゃったかな?」
一本道をまっすぐきただけなので間違えようがない。しかしいっこうに見覚えのある風景に辿りつけないのだ。
「困ったなあ」
当時、ヤフーやグーグルの地図サービスは開始していたものの、モバイル版への対応はまだ少し先。現在のようにスマホで周辺マップや現在地を確認できる環境ではなかったのだ。
「あ、そこのお婆さんに訊いてみない?」
ちょうど道の向こうから老婆がひとり歩いてくるのが見えた。地味な色合いのダボついたワンピースを着て、藤の籠をぶら下げている。なんだか古めかしい格好だな、と感じつつも「すいません」と声をかけてみる。
「昭和学院ってどっちのほうにありますか?」
叔母の家の近くにある学校名を出すと、老婆は無言でこちらをじいっと見つめてきた。この聞き方では伝わらなかったのかな。そう思った矢先、相手は目をそらさずに自らの背後を指差した。
「……ありがとうございます」
ひと言も発さないまま、老婆はシュウさん夫婦の脇を通り過ぎていった。なんだか気味悪いが、この道で合っているということだろう。
しかし進めば進むほど住宅はまばらになり、代わりに水田がちらほらと目についてくる。おかしいぞと思っていると、また向こうから男が歩いてきた。先ほどと同じように道を尋ねてみたところ、やはり男も無言で後ろを指差し、そのまま通り過ぎていったのである。
「とにかく、もう少し進んでみよう」
気づけば、あたりに家は一軒もなくなり、ひたすら水の張った田んぼばかりが広がっていた。穏やかな水面には月がくっきりと映りこみ、その向こうでは黒々とした山並みがそびえている。市川市のど真ん中で、こんな風景が眺められるはずがない。
「……おかしい」
それまでなにもいわなかった夫が、怯えたような声を出した。
「これ、なにかおかしい。戻ったほうがいいよ」
夫は徹底的なまでの現実主義者である。彼がこのような言動をしている様子は、これまで見たこともない。ここでシュウさんにも恐怖の実感が湧きあがり、もときた方向へいそいそと引き返していったのである。
するといくらも歩かないうちに住宅やビルが現れ、すぐに駅前へと戻ることができた。
「次はちゃんと知っている道でいこう」
いつもの大通りを進んでいくと、今度はすんなり叔母の家に辿り着いたのである。
そして翌日、不思議に思ったシュウさん夫婦は昨夜の道を捜しあてようとした。しかしいくら歩き回っても、あの田園風景はどこにも見つけられなかったそうだ。
「2番目のお話は、私の母親の体験談です」
それはまた、深津さんが人生で初めて聞いた実話怪談でもあるのだという。
「25年前、母は茨城県の水戸市にある小さな写真店に勤めていました」
当時はまだフィルムカメラが主流で、現像プリントを請け負う個人店も各地に残っていた。そこで働く母によれば、一日何百枚も現像とチェックを行っていると、いわゆる“心霊写真”を発見するときもままある。そうした写真は客に渡さないよう現像できなかったと嘘をつき、処分する決まりになっていた。
「でも母たちスタッフは面白がって、捨てるはずの写真をこっそり店内に保管して、皆で回し見ていたそうです」
それらのなかにはピンボケ手ブレ、被写体ブレによって心霊めいた写り方をしているものも多くあっただろう。その点、皆が使っていたインスタントカメラ「写ルンです」ならシャッタースピードが140分の1に固定されているのでブレは起こりにくい。ただしフラッシュを焚き忘れて暗い画像となってしまうことはよくある。実際、“心霊写真”は夕暮れ時の風景が多かったらしい。
ただ、そうした合理的説明がつかないものもまたあって。
とあるカップルが持ちこんだ写ルンですには、千葉県の某有名テーマパークの写真が連なっていた。うち一枚は、夕方にランドマークの城をバックにした記念撮影である。よく見かけるシチュエーションだが、奇妙な点がひとつ。
「カップルの後ろに、全身セピア色の女性がぼうっと写っていたそうです」
あらぬ方を向いている女。その女だけ明らかに周囲と比べて色味がおかしいし、半透明のようにも見える。母はまた“心霊写真”がきたぞと嬉しくなり、スタッフたちに回覧させた。
「あのランドにも幽霊いるんだね、とそのときは面白がっていたのですが」
一か月ほど経った頃、同僚が母に一枚の写真を見せてきた。同じテーマパークにて、夕暮れの城をバックにした家族の記念撮影である。そこにはやはり、あのセピア色の女が立っているではないか。
ただし女は前回よりも色の濃さや輪郭がはっきりしているように見えた。またカメラの方へ顔を向けかけているようにも。
「それを境に、忘れたころになると同じような写真が店に持ち込まれるようになったんです」
写ルンですで撮影された、あのパークのあの城の写真。夕暮れ時の城を背景に、被写体が笑顔で写っている。そして必ず、どこかにセピア色の女が立っている。
そんな写真が一枚また一枚と増えていく。そのたびに女の姿はくっきり明確になり、カメラとの距離も狭まっていく。女は明らかにレンズに顔を向け、だんだんと近づいてきているのだ。女が目指しているのは写真を撮っているカメラマンの方なのか、それとも写真を見ている私たちの方なのか。
最初は笑っていた母や同僚たちも、次第に強く怯えだした。客は全員、関係のない他人である。それなのになぜ同じ女が写っている写真を撮影してしまい、この店に持ってきてしまうのか。これはもう撮影者の問題ではないのでは。もしかして私たちが話題にしていることが、この女に伝わっているのではないか?
「母はそれからすぐ店を退職しました。それまでの間、ランドの写真が持ち込まれたときは、作業中も直視できなかったそうです」
深津さくら(ふかつさくら)
作家、怪談師。怪談最恐戦2023で見事優勝、6 代目怪談最恐位の栄冠を手にした"怪談と結婚した女"。著書に『怪談まみれ』『怪談びたり』(ともに二見書房)。チビル松村氏ら4人の怪談大好き仲間とYouTube チャンネル「おばけ座」を運営。
確かに、2話とも紛れもなく“千葉の怪談”だ。しかも体験者が地元民ではなく別地域の人間だという点が面白い。彼らの視点は、千葉を自分たちの生活空間から少し離れた異界として捉えている。そしてふたつの怪談はそれぞれ、遠近さまざまな異界との距離感が混ざり合った話であることに注意したい。
1話目は中国出身で兵庫在住のシュウさんが千葉で体験した話である(近い異界)。そして多くの読者が察しているだろうが、彼らの訪れた本八幡駅前には「八幡の藪知らず」が佇んでいる。それほど広くない竹林ながら、一度入れば祟りによって二度と出てこられないとされる、有名な禁足地だ(遠い異界)。不思議な空間に迷いこんでしまった体験なのだから、どうしても関連を想起してしまう。
ただ中国出身で兵庫在住のシュウさんは、八幡の藪知らずについていっさい知らなかったそうだ。いやむしろわれわれのような知識や先入観がなかったからこそ、彼らなりの異界体験を成したのではないだろうか。
月が水田に映りこんでいたということは、田植え前もしくは稲苗が短い季節だったはずだ。つまり遅くても初夏であり、夏休みという体験時期と辻褄が合わない。もちろん過去の本八幡周辺を訪れていたのだ、といった考察は思いつく。しかし遠くに山並みを望む風景というのが海岸低地である同地とはそぐわない。となると時間のみならず空間も超越したと考えるべきだろう。
もしかしたらシュウさんたちは、自らのルーツである中国の田舎の風景を、彼らの心に残る心象風景を顕現させたのではないか。もちろんこれは勝手な推測に過ぎない。しかし兵庫と千葉、謎の禁足地という遠近の距離感とはまた別に、中国という距離感が代入されていることが、この怪談を味わい深くしているように感じるのだ。
2話目もまた、遠近さまざまな異界が幾層にも重なった怪談だ。水戸から見た千葉であること、夢の国とされるテーマパークであること、他人の撮影した写真であるということ。
夕暮れ時のあのランドのあの城を背景とした撮影は、おそらく日本で最も多い記念写真のシチュエーションだろう。さらにいえば全員が同じ写ルンですで撮影し、撮影ポイントも同じだろうから、被写体以外はそっくり似通った写真ができあがるはずだ。時間も人も無関係なのに大量生産された同一画像。それがこの怪談における目立たないけれど重要なポイントなのではないか。店に持ち込まれた写真を並べてみたら、まったく同じ風景のなか、セピア色の女がだんだん近づいてくる連続撮影のように見えることだろう。
夢の国という人工の異界を、たくさんの他人が撮った写真によって覗く。しかも夢の国の象徴たる城を、同じ時間帯、同じ場所、同じ画角と同じ焦点距離32ミリのレンズにて撮影された写真によって。1話目とは逆に、異なる時間がすべて同一に均質化されてしまったような、奇妙な歪みを感じてしまう。
この時間の歪みに呼応するかのように、セピア色の女が出現した。セピアは写真にとって、長い時間経過を連想させる色だ。それらの写真はもはや、現在と遠い過去とが混在する異界そのものとなってしまった。こうして異界がどんどんこちら側へ近づき、危うく繋がりそうになったという、そんな怪談ではないのだろうか。
(月刊ムー2024年2月号より)
吉田悠軌
怪談・オカルト研究家。1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、 オカルトや怪談の現場および資料研究をライフワークとする。
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