カエルが人間に戻る儀式!? 奈良・吉野山の奇祭「蛙飛び行事」を目撃!/奇祭巡り・影市マオ

文・写真=影市マオ

関連キーワード:
地域:

    七夕の日、奈良県吉野町の金峯山寺蔵王堂で繰り広げられる奇祭「蛙飛び行事」を徹底レポート! その熱気、そして歴史と由来に迫る!

    修験道の聖地で再現されるカエル男の故事

    「えーらいやっちゃ!えーらいやっちゃ!」

     猛暑の中、威勢の良い掛け声や太鼓の音とともに、男たちの担ぐ神輿が激しく上下に揺れている。七夕笹と提灯が付いた布団太鼓――その上に乗っているのは、なんと“巨大な青ガエル”。いや正確には、着ぐるみでカエルに扮した男が、口をパカパカさせつつ、必死に欄干にしがみついているのだ。

     確かに「えらいやっちゃ……」とでも言いたくなる、シュールな光景である。だが、別に夏の幻や白昼夢ではない。これは先般、奈良県吉野町の金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂で繰り広げられた奇祭、その名も「蛙飛び行事」の一幕なのである。

     毎年七夕の7月7日に、同寺の法要「蓮華会(れんげえ)」の一部として催される「蛙飛び行事」は、
    室町時代から600年以上続く伝統行事で、次のような伝説に由来するものだ。

     平安時代後期、白河天皇の延久年間(1069年~1074年頃)のこと。ある傲慢な男が修験者を侮辱したところ、たちまち大鷲にさらわれ、断崖絶壁の上に置き去りにされる、という仏罰が当たった。男が大声で助けを求め、改心を誓ったため、通りがかった高僧は憐れみ、法力で男をカエルの姿に変える。するとカエル姿の男は、崖の壁を這い降り、地上へ脱出に成功。しかし、高僧だけでは元の姿に戻せないため、カエル男を金峯山寺の本堂・蔵王堂に連れ帰る。その後、一山僧侶の読経の功徳によって、男を人間に戻したという――。

     まさに最近流行りの「蛙化現象」である(類似の童話が語源)。この修験道の故事を再現し、本尊・蔵王権現の威徳をたたえる儀式こそが「蓮華会・蛙飛び行事」なのだ。

     そして筆者は、儀式でなされる「蛙飛び」、すなわちカエル男が僧侶に許しを請う姿を見届けるべく、寺の建つ世界遺産・吉野山へ訪れたのであった。

    役小角の母と一つ目ガエルの伝説

    「蓮華会」は当日の午前10時、吉野山(吉野町)から離れた大和高田市にある奥田の捨篠池(弁天池)で、山伏が清浄な蓮を摘む「蓮取り行事」より始まる。この辺りは、修験道の開祖・役小角(役行者)の生誕地とされ、捨篠池は彼の産湯として使われたと言われている(隣の御所市が生誕地とする説も)。

     また池付近には、役小角の母・刀良売(とらめ)の墓があり、彼女と“一つ目ガエル”にまつわる次のような伝説が残っている。

     7世紀のある夏の朝、刀良売が捨篠池の畔の神社に詣でると、蓮の茎が伸びてきて、開いた白い花の上で輝く金色のカエルが出現。そこで何気なく、刀良売が1本の篠を投げると、あろう事か、そのカエルの目に突き刺さり、水中に落ちてしまう。すると、途端に周囲が暗くなり、やがて浮き上がってきたカエルの姿は、片目で土色の体と化していた。以後、この池のカエルは一つ目となり、それを気に病んだ刀良売は、重病になって42歳で命を落とす。母を失った役小角は、この悲劇を契機に発心し、金峯山(吉野山から山上ヶ岳に至る連峰)で修行中に蔵王権現を感得。こうして彼は修験道を開き、金峯山寺蔵王堂を創建、さらにカエルを祀って追善供養したという――。

     諸説あるが、つまりカエルは修験道の発端的存在とも言え、吉野山の“地霊を示す動物”と見做されているのだ。高僧が男をカエルの姿に変えたのも、恐らくこうした所以によるものと思われ、「蛙飛び行事」は一つ目ガエルとの深い関わりが指摘されている。

     なお「一つ目」と言えば、妖怪や神の姿として知られ、鍛冶師の職業病(失明)を表すと見る説もあるが、実は捨篠池にも“製鉄”との繋がりが伺える。『大和高田市史』によると、同地は出雲系の農耕神にして鉄の神、「アジスキタカヒコネ(味鉏高彦根命)」の荒魂を祀った場所で、老翁姿のその神と役小角が邂逅したとする異説もあるという。色々な想像を掻き立てる蓮池である。

    カエル神輿が山内を飛び跳ね回る

     さて、午後12時半になると、主役のカエル男を乗せた太鼓台が出発。地元の青年ら20人以上が担ぎ手となり、吉野山の参道を賑やかに練り歩く。このユーモラスなカエル神輿は、祭りを盛り上げるべく、今から約70年前に始められたものらしい。

     しかし、先導する警察の交通整理もあってか、まるで罰当たりなカエル男の公開処刑の如き印象だ。もっとも、太鼓台の上で揺られるカエル男に、あまり反省の色は伺えない。むしろ何だか上機嫌で、頻繁に人々に手を振り、休憩中は記念撮影や握手にも応じるなど、人気者気取りのようですらあった。果たして彼は、今年もちゃんと人間に戻れるのだろうか……?

     余談だが、筆者はこのカエル男を見ると、アメリカのオハイオ州で目撃されたUMA「ラブランド・フロッグ」を思い出す。へっぴり腰で少し情けない立ち姿など、UMAの目撃スケッチと似ている気がするのだ。

     差し詰めこちらは、「ナラランド・フロッグ」といったところか……などと考えているうちに、太鼓台は山門を通り抜け、午後2時過ぎ、折り返し地点のロープウェイ山上駅(吉野山駅)に到着した。

     するとここで、蓮入りの桶を持つ山伏達と合流。彼らは刀良売の墓参りや大護摩供などを経て、捨篠池から帰山してきたのだ。

     その後、太鼓台は蔵王堂へ向かって坂道をUターン。

     午後3時頃、寺の石段前に着くと、男達は覚悟を決めた様子で呼吸を整え、約2トンの重さを担いで一気に駆け上がった。そして頂上の鳥居を潜ったかと思うと、冒頭の掛け声を上げ、カエルが飛び跳ねるかの如く、太鼓台を何度も上下に揺らしたのである。この祭りにおける見所の1つで、周囲からは歓声と拍手が巻き起こった。

    カエル男が読経で人間に還る

    「蛙飛び行事」の会場となる蔵王堂は、修験道の根本道場に当たる国宝で、東大寺の大仏殿に次ぐ巨大木造建築だ。堂内には、日本最大の秘仏本尊である「金剛蔵王大権現」、すなわち蔵王権現の巨像が3体祀られている。

     そんな蔵王堂の正面には、ただならぬ十字架型の舞台が設けられ、紅白幕と注連縄で囲まれていた。これこそ、カエル男が人間に戻るためのランウェイなのだ。

     先回りして境内で待っていると、午後3時半頃に太鼓台が到着。カエル男は担ぎ手に直接背負われて、蔵王堂の奥へ連れていかれた。

     それに続くように、一山の僧侶と山伏らも大勢集結。やがて「蓮華会」の法要が始まり、蔵王権現に108本の蓮が献上されると、舞台脇の山伏達が一斉に法螺貝を吹き鳴らし、周囲は熱気と興奮に包まれた。

     ちなみに翌日には、山伏達が10時間程かけて山上ヶ岳・大峰山寺(天川村)まで歩き、蓮の花を道中の拝所に供える事でカエルを供養するという。

     この法要の後、カエル男が今度は歩いて再登場し、舞台端の壇上にちょこんと正座。蔵王権現の宝前だからか、先程までとは打って変わり、かしこまった態度である。

     こうして午後4時、いよいよ「蛙飛び行事」が開始された。奇しくも儀式に突入した途端、カエル男を後押しするかのように雨が降り出し、クライマックス感が漂う。

    「バアーン」というドラの音を合図に、カエル男は壇上から降り、ゴザの敷かれた細道を飛び跳ねて進んでいく。ただ厳密には、「ピョンピョン」という感じではなく、突き出した両腕を支えにして、正座したまま両足を前に引きずる動きなので、彼の体は床からほぼ離れていない。

    「果たしてあれは飛んでいるのか……!?」と思いつつ見守っていると、まずカエル男は蔵王堂正面の石段を上り、回廊に座る大導師の前へ移動。僧侶と山伏が読経を行う中、土下座の如く頭を垂れて懺悔し、人間の姿に戻して欲しいと願う。

     しかし、一度では許してもらえず、元の位置まで一旦戻される。

     次にカエル男は再び飛び跳ねて(這って)、今度は舞台の左右の壇上に座る、竹林院と喜蔵院(吉野山にある古刹)の僧侶の前に赴く。

     そこで、やはり頭を垂れて改心を誓い、両僧侶から人間に戻る為の“呪”を授かる。もはや「蛙飛び」というより「蛙詫び」だ。

     そして最後に、カエル男は改めて大導師の前に行き、必死に反省を示す事で“戒”を授かる。これによって、ついにカエルの被り物が脇僧に外され、中の人(おじさん)の顔が露出した。

     めでたく人間に戻れたというわけである。観衆から笑いと拍手が起こる一方、僧侶と山伏はあくまで神妙な面持ちで、読経と法螺貝の音が境内に響き渡る。厳粛さと滑稽さが交差する宗教劇であった。

     ちなみに、カエル役の男性は地元和菓子屋の店主で、約20年にわたり毎年演じているベテランらしい。どうりで太鼓台の激揺れにもゲロゲロせず、ケロッとしている訳だ。彼は深々と一礼すると、すぐに堂内へ引っ込んでしまった。……体はカエルのままだが、良いのだろうか?

    「蛙飛び」は修験者の験競べだった

     江戸時代の文献によると、「蛙飛び」は元々、修験者が峯入りで身につけた法力を競う“験競べ”だったという。

     つまり、ある者をトランス状態にし、自分をカエルだと思い込ませ、飛び跳ねさせたりして自在に操る事で、その力の凄さを示していたようである。むしろ、人間をカエルに変える意図であったものの、長い歴史の中で現在の祭りに変容したのであろう。

     また興味深いのは、「日本最古の漫画」とされる平安・鎌倉時代の絵巻『鳥獣戯画』丁巻に、験競べをする僧侶達の場面があり、そこに“カエルのふりをした者”が描かれている事だ。

     その者の姿は、なんとカエルの被り物を装着しており、吉野山のカエル男を彷彿とさせるのである。これが直接結び付くかどうかは不明ながら、「蛙飛び」の起源を偲ばせる存在の一つと言えよう。

    ――吉野山からの帰路、雨が横殴りの本降りへと変わった。祭りによる雨乞いの霊験だろうか。これまた、「えらいやっちゃ……」と思わずにはいられなかった。

    影市マオ

    B級冒険オカルトサイト「超魔界帝国の逆襲」管理人。別名・大魔王。超常現象や心霊・珍スポット、奇祭などを現場リサーチしている。

    関連記事

    おすすめ記事