「湯屋守様」をお焚き上げ! 「昼神の御湯」で送られる異形の神々/奇祭巡り・影市マオ
神々が憩う「昼神の御湯」レポート後編。霜月祭を踏まえた現代神事は、盛大な湯屋守様のお焚き上げでクライマックスを迎える。
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豊川稲荷で知られる狐の街・豊川市に、白い狐の集団が疾走する奇祭があった。冬至近くに行われるその祭りには、霊狐と太陽神を結ぶいにしえの信仰の片鱗が見え隠れする。
「ぎゃあああ、逃げろー!」「お願い、顔だけはやめて!」「嫌あああー!!」
昼下がりの住宅街に悲鳴が響いた。突如、鈍器のような物を持った“狐男”が襲来したのだ。不気味な狐男は、逃げ惑う人々を素早く捕らえ、次々と血祭りに上げていく。あたりは修羅場と化し、無残にも体を赤く染め、崩れ落ちる者が続出。まさか、こんな事になろうとは……。昨年末、師走の寒さ以上に震える事件……いや、奇祭が、愛知県豊川市で開催された――。
太陽の光が弱まり、北半球の1年で最も昼が短い「冬至」。古来、冬至は太陽が死に、生まれ変わると捉えられ、世界各地で光=生命力の復活を祈り祝う「冬至祭」が行われてきた。この「死と再生」を迎える季節の節目には、異界から様々な来訪神がやってくる。日本では秋田県のナマハゲや、クリスマス(冬至祭が原型)のサンタクロースが有名だが、実は愛知県にも、同様の神の使いが現れる事はご存じだろうか?
その神使とは、「どんき」の白狐と天狗である。
「どんき」は毎年12月の第3日曜日に、豊川市御津町の「長松寺」周辺で催される伝統行事。白狐と天狗に扮した男たちが、人々の体に紅ガラ(赤い顔料)を塗り付けて回るという奇祭だ。紅ガラを塗られた者は、 1年間の無病息災を得るといわれている。地元では「どんぎ」とも呼ばれ、江戸時代から200年以上続いているそうだ。
祭りの概要は一見、平和な地域交流を思わせる……が、当日の現場は、むしろトラウマ必至の恐怖が襲い、血みどろの様相を呈するという。そんなわけで、2022年12月18日の正午過ぎ――筆者は期待と不安を抱きつつ、長松寺に到着したのだった。
長松寺は、14世紀に創建された臨済宗の禅寺。三河湾に程近い下佐脇地区の住宅街に位置し、水路沿いの橋付近にその山門がある。祭りの看板などは見当たらなかったが、橋の袂には意味深なブルーシートとバケツが置かれ、ハレの日を物語っていた。
当寺の本堂内には、遠州秋葉山(静岡県浜松市)より勧請した、秋葉三尺坊大権現の分霊が祀られている。秋葉三尺坊とは、平安時代に現れたという神仏習合の神。火防(ひぶせ)の霊験あらたかとして、火事が多かった江戸時代に広く信仰され、東京の「秋葉原」などの地名の由来にもなった。
いい伝えによると、秋葉三尺坊は憤怒相の烏天狗の姿で、火焔を背負い、剣と羂索(けんさく)を持ち、白狐に乗っているとされる。かつては周国(かねくに)という名の人間の山伏(修験者)だったが、長岡蔵王権現の僧坊「三尺坊」に住んで修行を続けた結果、迦楼羅(かるら)天に変身。そして現れた白狐に乗って飛翔し、東海の霊山たる秋葉山に舞い降りたという。なお、それと同時期の大同4年(809)に、平安京で大火が起こった際は、炎が迫る御所の屋根に現れ、大きな葉団扇をふるって火を伏せ、都を救ったという伝説もある。
この秋葉三尺坊の火防大祭(秋葉祭)の行事が、「どんき」なのである。現れる白狐と天狗も“秋葉の神の使い”とされる。他の秋葉祭では護摩や火渡りなどを行うため、長松寺の開催形態はだいぶ珍しいようだ。ひとまず境内を散策すると、墓地の奥で変わった姿の石仏を発見。寺の本尊と同じ、如意輪観音像だ。この観音像には、次のようないい伝えがある。
その昔、下佐脇村は紀州(和歌山県)の熊野本宮に初穂米を献上していた。
しかし、米を取りに来る山伏の数や、求められる米の量が年々増え、我慢出来なくなった村人が、とうとう山伏70人余りを討殺。彼らの亡骸は村外れなどに埋葬されたが、後にその塚に関係した者(触れた者とも)が多数、大病にかかる事態に。
そこで宝永5年(1708)、全ての塚を長松寺の境内に集めて「山伏塚」として供養し、その上に如意輪観音像を安置したところ、人々の病気が治ったという。
今も毎年2月には、山伏の供養が丁重に行われている――とのことだが、正直この話を知った上で臨む「どんき」は、過去の凄惨な光景が重なるような気がして、より緊張感が高まるというものだ。
午後1時半ころ、関係者が集まる本堂前で待機していると、山門の外から4体の白狐が出現。火防天狗に由来する「どんき」だが、祭りの象徴的存在は、この白狐たちなのである。
“狐”と言えば、長松寺がある豊川市は、日本三大稲荷のひとつ「豊川稲荷」が有名だ。境内奥の「霊狐塚」は、1000体以上の狐像が並び、パワースポットとしても近年人気である。
狐像や鳥居は普通、神社にあるものだが、ここは仏教系稲荷(妙厳寺)の為、「稲荷」も鎮守の「荼枳尼天(だきにてん)」を指す。
荼枳尼天とは、古代インドの土着信仰に由来する仏教の女神。開運出世や商売繁盛の神だが、過去には外法(呪術)の修法を生み出し、玉藻前(九尾の狐)伝説との関係が指摘されるなど、危険な香りを漂わせる存在でもあるのだ。中世では、人の魂を食う代わりに欲望を叶えるとされ、その強大な霊験から、織田信長や徳川家康も信仰し、天下統一を願ったと言われている。
荼枳尼天は元々、ヒンドゥー教の殺戮の女神カーリーの侍女で、人の死を半年前に予知し、人肉や心臓を喰らう夜叉女「ダーキニー」だった。しかし、密教で日本に伝来後は、閻魔大王の眷属を経て善神となり、白狐(霊狐)に乗る美しい天女の姿に変化。その結果、狐が神使の稲荷神と同一視され、稲荷信仰と習合した。やがて、修験道の天狗信仰とも結び付き、秋葉三尺坊や飯縄権現などの天狗が白狐に乗る形になったという。
なお、荼枳尼天の使いが白狐になった理由は諸説あり、判然としないが、穴掘りの習性を持つ狐は、時に墓場の死体を食べたため、血生臭い夜叉神と結び付いたともいわれている(インドのダーキニーの騎獣ジャッカルが、日本では狐に置き換わったとする俗説も根強い)。
そんな稲荷の町でも、狐面・白装束姿の男達の無気味さは際立つ。もはや稲荷というより異形(いなり)である。しかも、白目と赤目の狐面が2体ずついて、事前に調べた例年の数よりも、分身の術のごとく増えているではないか。狐につままれたような気分でいると、今度は赤の鼻高天狗と青の烏天狗が出現。八つ手の団扇(うちわ)を持った強面だが、白狐よりは比較的マイルドな感じだ。
全6体の異形が本堂に入ると、太鼓の音とともに、僧侶が火防の祈祷(大般若転読法要)を開始。建物の外からは、地元の子供たちと一緒に、異形たちがおとなしく読経を聞く様子が覗き見え、少しシュールであった。
そして約30分後、ようやく祈祷が終わると、本堂から出てきた一同が行列を作り、寺の外へ出発。
地域の無火災を祈り、塩を撒いて道を清めつつ、行列(区長、僧侶、区の役員、子供、異形たちの順)は通りを練り歩く。ほどなくして、近所の古刹「明王院」に着くと、境内の一画に忌竹と注連縄の結界が張られ、その中央に井桁型の木と御幣が置かれていた。火祭りの斎場だろうか。
不思議なことに、人々はその周りをぐるっと一周し、次々に寺の外へ抜けていく。これは地元の人曰く、お祓いの意味があるそうだ。この折り返し地点を経て、行列は元来た道を戻り、長松寺に帰還した。
午後2時半、梵鐘の音を合図にして、いよいよ「どんき」に突入。まず異形たちは、橋の袂のブルーシートに集まり、景気づけに神酒で乾杯。いわば、戦闘モードになる儀式である。ここで初めて狐面の下の顔が見えたが、どうやら火防繋がりで、地元消防団の若者が扮しているようだ。
ブルーシートは彼らの休憩・補給用の基地らしく、紅ガラ(赤い食紅の液体)入りのバケツと、長さ50センチ程の筆状の棒が複数ある。
これこそ、祭りの名の由来となった「撞木(どんき)」である。攻撃力が高そうな響きのわりには、紙製の手作り棒だが、昔は鐘を鳴らす撞木(しゅもく)=木の棒が使われていたらしい。
撞木は「どうぼく」とも読めるため、それが訛って「どうぎ」、「どんぎ」、「どんき」の順で呼び方が変遷したという。撞木を手に取り、先端の布に紅ガラを染み込ませると、異形たちは足早に散開。
かくして下佐脇地区は、冒頭のような修羅場と化した――。
異形たちは長松寺周辺を徘徊し、次々と人々の顔や手に撞木を当てては、猛然と紅ガラを塗っていく。その際、ナマハゲのごとく叫んだりせず、終始無言なのが逆に怖い。
逃げる者が続出する反面、紅ガラ=無病息災の為、塗ってほしがる者も多く、特に親たちは幼い我が子を続々差し出す。そして文字通り、顔を赤くされた赤子は号泣し、周りの大人たちは満足気に微笑むのだ。一方、小学生以上の子供たちは、異形達をからかって挑発したり、自ら何度も紅ガラを塗られに行くなど、様々な反応を見せる。「少しだけ塗って!」とお願いしたのに、白狐にたっぷり塗られた女子は、しばらくその場で放心状態になっていた。
「どんき」の主な標的は子供だが、大人とて無差別に撞木で狙われ、必死の抵抗も虚しく、体が真っ赤に染まってしまう。それは塗る側の異形たちも同様で、襲撃を重ねるうちに紅ガラまみれになり、見た目の恐怖度が増す。
特に全身が白い白狐(通称:ホワイトコンコン)は赤が目立つので、獲物を求めて彷徨う姿は、まるで返り血を浴びたサイコなシリアルキラーである。人々に恩恵を与える優しさと、殺害する残忍さを併せ持つ、夜叉神の性格を受け継いだようですらある。墨などを人々に塗る伝統行事は全国にあるが、これほど事件性漂うホラーな絵面は稀有ではないか。尻尾が生えた後姿は可愛いけれど。
神出鬼没な彼らは、全力疾走で子供を追い回し、頻繁にどこかに姿を消すが、しばらくすると、紅ガラを補充しに基地へ戻る。そのたびに酒を飲むため、次第に酔ってトランス状態となり、神の領域に近づいていく。ゆえに、少年が地面に組み伏せられ、顔を塗りたくられるなど、容赦なしの場面も目立ちはじめる。さらに、それまで無傷だった者が知人の裏切りに遭い、生贄の如く異形たちの前に押し出されたり、羽交い締めにされ、紅ガラを塗られまくるという悲劇も度々発生。「おめでとう! 無病息災!」「いつもの化粧よりも美人だぞ!」といった祝福の声がいくつも飛んだ。ちなみに筆者も、白狐に紅ガラ液の飛沫攻撃を喰らい、下ろし立てのジーンズが無情にも赤く染まった。まさか、こんな事になろうとは……(なぜ履いてきたと後悔)。
人間と異形の壮絶な鬼ごっこは、神社や保育園、集合住宅の敷地など、町内のいたるところで繰り広げられ、再び鐘の音が鳴り響く午後4時頃まで続いた。その後、使命を終えた異形たちは、日暮れとともに秋葉山の方へ去っていった。猟奇的な見た目ながらも、悲鳴と同じくらい笑顔も多い祭りであった。
それにしてもなぜ、紅ガラを塗ると無病息災なのか?
現在「どんき」では、赤い食紅=紅ガラとしているが、本物はインドのベンガル地方(産地)が語源の赤色顔料。「赤」は太陽・炎・血液などを連想させ、生命やエネルギーを象徴するため、大昔から呪術的な魔除けの色であった。たとえば、神社の鳥居や社殿の朱塗り、江戸時代の疱瘡絵(赤絵)、冬至に小豆粥を食べる風習も、先人が災厄を退けるべく「赤」に祈りを託したものだ。諸説あるが、そもそも漢字の「赤」は、「大」と「火」を組み合わせた文字で、「人が火で穢れを祓う形」(火渡りなどの儀式の様子)から生まれたともいわれている。
こうした破邪退魔の意味の他、紅ガラには防腐効果があり、血の色=生命力を思わせることから、古代人は死者の再生を願い、墳墓の石室などに塗布した。
つまり、紅ガラは「死と再生」の象徴だった。従って、前述の「返り血」という印象も、あながち間違いではないのだ。
そして、撞木は恐らく、火祭りの“松明”代わりだったのではないか。秋葉の火祭りでは、秋葉三尺坊の命日とされる毎年12月16日前後の夜に、松明を持った山伏が現れ、火渡りなどを行う。火渡りには、神聖な火によって罪穢れを焼き祓う事で、人々が心身ともに生まれ変わるという意味がある。冬至に相応しい「死と再生」の儀式なのだ。そういえば、筆者が好きな映画『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』にも、邪神カーリーの血を飲んで洗脳された登場人物が、松明によって邪気を祓われ、正気を取り戻すというシーンがある。同様に、松明の火に見立てた撞木の紅ガラを塗る事で、人々の穢れや災厄を祓い、無病息災と火難除けを願ったのであろう。
天狗はもとより、全国に「狐火」伝承がある狐は火と関係が深く、松明を持つ姿にも違和感はない。
ところで、「狐の精」「白辰狐王菩薩」とも呼ばれる荼枳尼天は、神仏習合思想(本地垂迹説)において、稲荷神などの他、「天照大神」と同一視される。これに関して、鎌倉時代の仏教書『渓嵐拾葉集』では、「天照大神は天岩戸に隠れた時、“狐の姿”になった」と記されている。また、その狐は「如意輪観音の化身」とも。つまり、狐=荼枳尼天(稲荷神)=天照大神(如意輪観音)という事だ。
複雑怪奇な話だが、しかし、荼枳尼天(=天照大神)を本尊とした天皇の即位儀礼の記録や、天岩戸隠れは冬至の神話化という説もある。
こうした事から想像をたくましくすると、狐化した天照こそ、“どん狐”(どんきの白狐)の起源なのではないか? とも思えてくる。太陽神が人々を明るく照らすべく、狐の力を借りて復活する冬至祭――それが「どんき」なのかもしれない。
影市マオ
B級冒険オカルトサイト「超魔界帝国の逆襲」管理人。別名・大魔王。超常現象や心霊・珍スポット、奇祭などを現場リサーチしている。
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