新発見が相次ぐ「ナスカの地上絵」の基礎知識 ゆるい絵と巨大絵には時代の違いがあった!

    近年でも新発見が相次ぐナスカ平原の巨大オーパーツについての基礎知識をお届け!

    ナスカ平原に描かれた動植物や幾何学模様

     だれが、どうやって、なんのために描いたのか。発見から数十年がたっても謎が多く、また近年は「新発見」の絵も話題になる「ナスカ」の地上絵。ここでは基本情報をおさらいしていこう。

     まず、ナスカの地上絵がある場所は、ペルーのナスカ平原。広大な平原の中、約300平方キロメートルの台地部分に描かれている。範囲は東京都23区の半分くらいで、南北に約15キロ、東西に約20キロ程度。
     ここに紀元前200年~紀元500年にわたって描かれていったと考えられる。

    GoogleMap

     ナスカ台地で発見されている地上絵は890点以上。資料によっては1000以上とある。

     サルで50-60メートル、コンドルみたいな鳥が285メートル以上。一筆書きで書いた絵で、動物が多いと思われているが、樹木の絵や巨大な手なども。また渦巻や非常に長い直線など、実は幾何学模様も多い。

    画像=Wikipedia
    画像=Wikipeedia
    画像=Wikipedia
    羽仁礼氏が現地取材の際に受け取った地上絵分布図。https://web-mu.jp/history/797/

    航空機での発見から衛星画像の解析へ

     発見の歴史は1940年前後から。アメリカの考古学者ポール・コソック夫妻が航空機から発見。研究を開始したことで世界的に知られるきっかけとなった。ちなみにコソック夫妻とともにナスカの地上絵を研究したマリア・ライヘさんの家は今でもナスカの博物館になっている。

    画像=Wikipedia

     最近は「ゆるい絵」も発見されている。観光施設の修理中に発見された巨大ネコは大きな話題となった。これはナスカよりちょっと古い時代の絵だという。

     新しい地上絵といえば、「オカッパ頭の人」とか「ぐねぐねのなんだかよくわからない絵」も発見されている。これらは山形大学のナスカ研究所の調査で発見されたもの。

    山形大学ナスカ研究所のHP https://www.yamagata-u.ac.jp/nasca/

     酒井正人教授を中心に2012年からナスカを研究しているグループで、直近だと2022年12月に168点を発見、これまでで358点も新発見している。これらの絵が新発見となった、逆にいえば今まで見つけられなかったかのはなぜかというと、線が薄く細く、また山の斜面に描かれているなどして見つけにくかったから。

    山形大学ナスカ研究所のHP https://www.yamagata-u.ac.jp/nasca/

     山形大学ナスカ研究所はドローンを使った撮影のほか、レーザーで地表の凸凹を調べたり、衛星画像をAIで分析したりして「人工的なのでは?」という線を推定し、それを現地で確認するという調査手法で、新しい地上絵を発見している。この「新発見」では5メートル以下の小さな絵も多く、一筆書きの線ではなく、広く面で描いた絵も多い。一筆書きの動植物などとは、そもそも描いてる手法が違うから。

    台地を削って線や面を描いた

     そもそもどうやって書いているかといえば、地面を削って書いている。小学校などの校庭に足でガリガリ削って線を引いたのと同じといえば同じ。酸化して黒くなった地面を削ると白い土が出て見やすくて、乾燥した砂漠なので、現在にも残っている。

     そんなナスカの地上絵のどこが謎かというと、まず「でかすぎる」。地上からは何が書いてあるかわからないほどでかい。小さな絵を拡大して描いたという手法が推定されているけど、元になった小さい絵は発見されていない。
     ランドサット衛星の画像では上空900キロから確認できる図形もある。長さ10キロの三角形、でかい!

     そして「多すぎる」。数百年にわたって1000点にもなる。画風もバラバラ。だれがどうやって書いていたのかわからない。

     やはり最大の謎は「目的が謎すぎる」こと。描いた人たちは何のために描いたのか? 地上からは見えないので絵としての意味はない。謎すぎて、宇宙考古学者などから「UFO着陸の目印や滑走路」「宇宙人と関連がある」という説まで指摘されている。

    フクロウ人間と呼ばれるもの。宇宙人、宇宙飛行士という指摘もあるが……。

    ナスカ平原を旅するための「目印」だった?

     宇宙人のために天空に向けて描いた、と考えれば考察終了なのだが、もう少し地に足をつけて考えてみよう。
     地上絵を描いた目的は、ナスカ平原の南北を行き来するための旅の目印だった、という説がある。ナスカ台地の北にはベンティーヤ神殿、南にはカワチ遺跡という祭祀場の跡がある。ここの行き来に地上絵が必要だったと考えることもできるだろう。道しるべとして描いているうちに進化して絵になっていったのかもしれない。

    カワチ遺跡 http://nephicode.blogspot.com/2018/06/the-north-countries-part-vi.html
    GoogleMapでもナスカの地上絵の範囲と遺跡の位置関係が確認できる。

     地図で見るとアンデス山脈と川に囲まれた地域が地上絵のエリア。範囲は限定的なのだ。
     山形大学ナスカ研究所の調査では、線の周囲に割れた土器などが発見されていて、なんらか、儀式を行っていた可能性もあるらしい。雨乞いなどのために動物を生け贄に捧げるかわりにでっかい動物を描いたのか、とは想像しすぎだろうか。

    「地上絵」文化の担い手が交代した

     そもそも数百年にわたって描かれているけど、画風が変わっているのである。面で描いた小さめのゆるい絵から、線で描いたでかい絵へど、紀元100年で入れ替わっている。ナスカ文化とひとくちにいっても、担い手が変わっている。

    パラカス文化の長頭人 画像=Wikipedia

     なにしろナスカ文化の前に栄えていたパラカス文明には、宇宙人を思わせる長頭人の遺物がある。この姿が宇宙人、地球人類以外の存在の影響を受けていたとしたら……? ナスカにはやっぱり、宇宙人の影響があったのではないか、と考えたくなるのである。

    解説動画はこちら!

    〇参考文献
    「神々の遺産オーパーツ大全」(並木伸一郎)
    「世界不思議大全」(泉保也)
    「世界のオカルト遺産調べてきました」(羽仁礼)
    山形大学ナスカ研究所
    日経サイエンス 2023年3月号

    webムー編集部

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