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大河ドラマ『どうする家康』で話題沸騰中の徳川家康の謎に迫るシリーズ。正史からは消された逸話・エピソードに注目しつつ、戦国覇者のタブーに光をあてる。
徳川家康といえば、天下を制した戦国の覇者として、そしてまた江戸幕府初代将軍として、日本人ならば誰ひとり知らぬ者はいない。その家康が、当初は三河の国(愛知県中部・東部)の一城主にすぎず、徳川ではなく松平を称していたということもまた、多くの人の知るところだろう。
ところが、その松平家の歴史となると、不明な点が非常に多く、謎も多い。そもそもそのルーツからして、わかっているようでいて、じつはよくわかっていない。
たしかに、徳川や松平に関する史書の多くは、こう説明する。「松平家は、上野国新田郡(群馬県太田市とその周辺)に本拠を置いた清和源氏の一流・新田氏、すなわち新田源氏の後裔である」と。だが、これがすこぶる眉唾物なのだ。
松平新田源氏後裔説を記す最古の史書と目されるのは、元和8年(1622)成立の『三河物語』である。旗本大久保忠教が主家松平・徳川家の事績をまとめたもので、後年数多く書かれた徳川伝の種本となった。
ここでひとまず、同書によって松平の草創伝承をみておこう。
徳川の先祖は源義家の後裔新田氏の一族で、上野国新田郡徳川郷に住して「徳川」を称し、鎌倉幕府を討った勇将、新田義貞に従っていた。しかし、義貞が室町幕府を起こした足利尊氏に敗れると、徳川郷を出る。以後、一族は各所を放浪しつづけた。
10代ほどをへると、この一族に「徳」なる人物が現れ、彼は念仏を勧進する時宗の遊行僧となって「徳阿弥」と称した。そして三河国に立ち寄ると、加茂郡松平郷(愛知県豊田市松平町)の土豪の娘婿となり、還俗して太郎左衛門親氏と名乗って同地に住み着いた。これが松平家初代である。
親氏は武芸で郷民を服属させたが、一方で慈悲心もあつく、鎌や鍬を手にして山中の道を広げ、橋を架け、あるいは道を作るなどしたため、信望も得た。やがて家督を2代泰親に譲り、泰親は松平郷を出て岩津城(愛知県岡崎市岩津町)を手に入れて居城とし、これを3代信光に継がせた。
こうして松平家は徐々に三河で勢力を伸ばしてゆき、7代清康は岡崎城に入ってついに三河国を統一。8代広忠がこれを継ぎ、そして彼の嫡男として生まれたのが竹千代、のちの家康であった――。
しかし、『三河物語』を含め、江戸時代に書かれた徳川伝には松平始祖の親氏・泰親に関する記述に曖昧な点が多く、生没年もはっきりしない。両者の関係についても、兄弟とするものもあれば、親子とするものもある。それに、親氏(徳阿弥)以前のおよそ10代は諸所を放浪していたとする『三河物語』の記述は、「親氏の素性はよくわからない」と白状しているに等しい。
したがって、「家康が新田源氏の子孫であるという伝承は、家康と徳川家を権威づけるために行われた後世の付会であり、史実ではない」というのが現在では学界の定説となっているのだ。
この見方を裏付けるような史料が、近年見つかっている。
それは明治14年(1881)編纂の『松平村誌』に付載されていた「松平氏由緒書」である。同書は稿本のままついに刊行されることはなかったが、個人宅に所蔵されていた稿本が昭和46年(1971)に発見され、以後その内容が紹介されるようになった。
そこには、次のようなことが記されていた。
三河国加茂郡松平郷の中桐という屋敷に信森という人物が住んでいた。彼の嫡男は郷名を冠して松平太郎左衛門尉信重と称したが、富貴有徳、慈悲満行の念仏行者であり、諸人にしたわれ、武芸をもたしなみ、また歌道にも心得があった。
あるとき信重は連歌の会を開こうとしたが、筆録する者がいない。困っていたところ、見知らぬ旅人が見物している。尋ねて筆役を依頼すると、その旅人、徳翁斎信武は見事な筆跡をみせた。信重は「ご先祖はどちらか」と訊くが、徳翁斎は「諸所流浪の者でして、お恥ずかしい次第です」と答えるばかりだった。
その年の春夏を信重の屋敷で過ごした徳翁斎がまた旅に出ようとすると、息子のいない信重はこれを留め、娘婿になることをすすめた。徳翁斎は思案の末、信重の娘と結婚し、二男一女をもうけるが、にわかに病死。そこで徳翁斎とともに旅していた弟、祐金斎が跡をついで2代となり、3代目は徳翁斎の二男信光が継いで領地を広げていった。
「松平氏由緒書」そのものの成立年代は不明だが、その内容から大坂夏の陣(1615年)からあまり隔たらないころに成立したと推測されている。つまり『三河物語』よりも成立をさかのぼる。徳翁斎信武と祐金斎が、世上に流布した徳川伝にみえる徳阿弥親氏・泰親と同一人物なのかどうかはよくわからないが、注目すべきは、「松平氏由緒書」に、新田源氏後裔説の痕跡が全くみられず、鼻祖を時宗僧とする言及もないことだ。
松平家、そして徳川家の始祖は、氏素性のつかめぬ遍歴の旅人、正真正銘の放浪者(バガボンド)だったのである。
(月刊ムー2023年2月号より転載)
東山登天
歴史ミステリーを追いかける謎のライター。
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