語られ書かれて生まれる実話怪談というジャンルを語り合う「教養としての怪談」対談/吉田悠軌・蛙坂須美

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    各種メディアにとりあげられ、すでに重版出来の話題書『教養としての最恐怪談』。先日開催された発売記念イベントでは、実話怪談をめぐるあつい議論が交わされた……!

    「実話怪談」を読み解く

     7月18日に発売された吉田悠軌の新刊「教養としての最恐怪談 古事記からTikTokまで」。作家、オカルト研究家、そして実話怪談プレイヤーとマルチに活躍する著者が、神話から現代までの「最恐怪談」を厳選し、歴史や資料を駆使してその怖さの源泉に迫った意欲作だ。この発売を記念して、7月27日、三省堂書店池袋本店のイベントスペース、池袋コミュニティ・カレッジにて吉田悠軌さんと怪談作家・蛙坂須美(あさかすみ)さんの対談イベントが開催された。
     蛙坂さんは『怪談六道 ねむり地獄』などを発表する怪談作家にして、世にでる膨大な怪談本をほぼすべて読んでいるという生粋の怪談フリークでもある。蛙坂さんがイベント前に投稿したSNSのコメントからも、対談にむけてほとばしる熱量がうかがえる。

    「実話怪談」という文化を多角的に捉え、互いに一家言あるふたりによってどんな対談が繰り広げられるのか……?!

    きょうはバチバチの議論になりそうですね…と意気込む吉田悠軌(右)蛙坂須美(左)両氏。

    『教養としての最恐怪談』のココがすごい!

     イベントはまず、著者による『教養としての最恐怪談』(以下『最恐怪談』)の狙い、PRポイントの説明で口火を切った。
    「教養としての」とうたっているように、本書は怪談マニアではない一般層にもリーチする入門書として書かれたもの。神話から現代まで厳選された「最恐怪談」が紹介されているが、ユニークなのはそれらの怪談が吉田悠軌の手を介してリライトされている点だ。
    「リライトできるのが怪談の強み」とは吉田さんの主張でもあるが、このリライトには蛙坂さんも衝撃を受けたという。

    蛙坂須美「たとえば第一章の1話目『イザナミ』ですが、イザナミの夫イザナギを『怪異を体験した人』として捉えなおし、吉田悠軌が神様にインタビューをするという体裁で書かれています。これは実話怪談ならではのリライト。最近は古事記の口語訳を発表している作家も多いのですが、こういうパターンはこれまでになかった。衝撃的です」

    吉田悠軌「イザナギイザナミの神話を、実話怪談のフォーマットに落とし込んでみたものです。本書では神話のほか『今昔物語集』などの古典からも怪談をとりあげていますが、実話として書かれたものなのだから実話怪談のフォーマットでいけるじゃないか、と考えてやってみました」

    『教養としての最恐怪談』より、蛙坂さんも衝撃を受けた「イザナミ」の冒頭。

    蛙坂「おなじ第1章の『ザシキワラシ』も同様ですよね。佐々木喜善が吉田さんにインタビューされる人物として登場している。本書は全体を通して、リライトの作品としてもとても読み応えがあります」

    吉田「『今昔物語集』などは実話怪談としてよくできているな、というのは私もリライトしていて再認識しました。たとえばよく出される例ですが「Aさんがひとりで心霊スポットにいったら幽霊に殺されてしまった」というような話は、死んでしまったならだれが伝えたんだよ、と実話としては構成が破綻している。
     そういう破綻はいま「実話怪談」として発表されている作品でもたまに見られるんですが、『今昔物語集』はそこがきちんと成立するように場面によって話者の視点が切り替えられていたり、とてもうまく構成されています。当時『実話怪談』という概念があったとは思えませんが、ちゃんとできてている。そんな発見もあり、古典の怪談はリライトのしがいがありました」

    ーー「誰かが体験したことを聞き、再構成して発表する」という流れは実話怪談の核ともいえる部分。吉田さんは以前からリライトや再構成が好きだったそうで、リライトの名手が実話怪談界の第一線で活躍しているのはある意味必然といえるのかもしれない。

    近現代怪談のテーマは「子殺し」

    ーー『最恐怪談』は、「母子」「江戸」などテーマごとにわけた8つの章で構成されているのだが、本書全体を通奏低音のように貫くより大きなテーマがある。そのひとつが「子殺し」だという。

    蛙坂「現代人が一番怖いと思うのは『子殺し』だ、というのが吉田さんの主張ですよね。これは、怪談が子殺しの物語をあえて目指しているわけではなく、語られているうちにテーマが子殺しに近づいていってしまうということですか?」

    吉田「近現代怪談のいちばんのテーマは「子殺し」でしょうね。それ以前、古代から近世(江戸時代)までの長い長い間、怪談のテーマはずーっと仏教的な『因果因縁』でした。「怪談牡丹灯籠」など多くの怪談を手がけ、近代落語の祖ともいわれる幕末〜明治期の落語家・三遊亭圓朝(さんゆうていえんちょう)ですら、因果因縁をネタにしています。
     現代人からすると怪談を語るのにどうしてそこにフォーカスするの?と思ってしまうんですが、江戸時代までは『因果因縁』こそがリアルな恐怖だったんでしょう。それを明治になって改変したのが小泉八雲です。因果因縁から子殺しへと、『そっちのほうが怖いだろ?』と怪談のキモを切り替えたといえます」

    蛙坂「子殺しが怖いというのは、つきつめると「私」という自我がゆらぐ恐怖です。その恐怖自体は近代以前からあったけれど、小泉八雲によってそこが怪談の最前面に出されるようになったということですね?」

    吉田「そうでしょうね。江戸時代までは、自分が因果に絡めとられていくことこそが最大の恐怖だった。だが明治を迎えてガラッと世の中が変わり、因果にとらわれるという体験がなくなる。そこで一番怖いものとして新たにフォーカスされたのが、親子関係、そして子殺しだったんでしょう」

    蛙坂「私は、子殺しの怪談で殺された子の性別は、男の子だと思っているんです。小泉八雲は母性信仰がすさまじかったし、柳田國男、折口信夫など近代の民俗学者にも母性信仰者がすごく多かった。作家だと泉鏡花もですね。こうした母性を求める男たちによって作られてきたのが、近代日本の民俗学です。だから怪談の子殺しは「母乞い」というテーマと一対になっているんじゃないかと思うんです」

    吉田「母性を求める裏返しとしては、現在でも『いまの母親は母性を喪失している』という『〈母性神話の崩壊〉神話』が根強く残っていますね」

    ーー「現代は母性が失われてしまった時代だ」という考え方そのものが現代的神話である、という吉田さんの主張は本書の「コインロッカーベイビー」などでも詳しく解説されている。

    「コインロッカーベイビー」(一部)

    増加する新世代怪談ファンと実話怪談のありかた

    ーー実話怪談は文芸なのか、そうでないのか、という大きなテーマも議論の対象に。

    蛙坂「吉田さんの怪談では、体験者から聞いた話を『語り、しゃべり』の感覚で書いていきますよね。いっぽう文芸・小説では、個々の文体をより大切にします。作家としていかに固有の文章を表すか、そこを追求するのが文芸寄りの作家です」

    吉田「私が怪談を書くときには、取材したコミュニケーションのありようを大切にしていますが、そうすると実話怪談は必然的に小説とはちがってきます。小説では、小説家という書き手は透明な存在になりますよね。いっぽうで、私は実話怪談を書く時には俯瞰的な視点ではなく、すべて『私・吉田が書きましたよ』という目線にしています。そのあたりは文芸派である蛙坂さんはどうしているんですか?」

    蛙坂「そこはあまり変わらないんじゃないかなと思います。ただ、小説と比べると実話怪談の文体って情景描写が少ないんです。一般的に描写をセリフですませてしまいがち。だから、小説慣れしている人からするとスカスカに読めてしまうこともある」

    ーー『新耳袋』や『超怖い話』を黎明期とすると、すでに四半世紀近い歴史をもつジャンルになっている「実話怪談」。その間にはさまざまな試行錯誤があり、小説っぽくならないようあえて描写を抜いて書くのが実話怪談のトレンドだった時代もあったそうだ。蛙坂さんは、そうした歴史を経て、現在の実話怪談シーンには方法論に自覚的ではない新しい世代が登場しているという。

    蛙坂「いま実話怪談界は、『超怖い話』や『新耳袋』の孫世代どころかひ孫世代くらいの後進がどんどん育ってきていますが、最近の実話怪談はふわっと文芸寄りになってきているのかなと感じます。意識的にではないのでしょうが、小説的な怪談の書き方をしている」

    吉田「今は語り専門としての怪談プレイヤーもものすごく増えています。そして新規のお客さんもかなり増えている。そういうお客さんは怪談本よりyoutubeなど語りのほうから入ってくるわけですが、『実話怪談』というジャンルをそれほど深く知りません。『新耳袋』も知らないし、怪談は作り話だと思っている人も多い。そうした層が語り手の「推し」として怪談を聞きにくるんです」

    蛙坂「昔は怪談読んでるのなんてヤバいやつばっかりでしたからね(笑)。今はリテラシーのありようが多様化しています。怪談が創作であるか、実話であるかに重きを置いていない。実話怪談もカッコ付きの「実話」として楽しんでいる人たちがいますね」

    吉田「取材して怪談書いているというと驚かれることまであるくらいです。怪談でリアルを押したいなら、取材して書いたほうがはるかに楽なんですけどね。体験者が怖い出来事だと思っていなくても、聞いてみると『それすごい怖いじゃないですか』ということもありますし。実話怪談と小説の関係性でいえば、実話怪談が小説のジェネリックでいいのかという問題もあります」

    蛙坂「小説とは違うものだから、ジェネリックを目指してもしかたない。実話怪談は取材したからこそ書ける部分に注力していくということですね」

    ーーほかにも議論は尽きず、予定の対談時間はあっという間に終了。つねづね「怪談とは人と人のコミュニケーションのありようそのものである」と主張する吉田さんから、「怪談は、読んで、語ってください!」との締めのひとことがでたところでお開きとなった。
     開幕前には「きょうはケンカになりますね……」とアクセルをふかしていた両者だったが、ふたをあければ終始知的な空気がただようまさに「教養として」怪談を深掘りするイベントに。トーク後には来場者のほぼ全員がサインを求める盛況のうちに閉幕となった。

    対談の模様は動画でも公開!

     なお、イベントにあわせて三省堂書店池袋本店には『最恐怪談』とムーの特設ブースも登場。猛烈に暑いこの夏、涼と教養とミステリーを求めに書店に足を運んでみては?

    平積みの『教養としての最恐怪談』。ずらりとならぶとやっぱり怖い…!
    三省堂書店池袋本店に登場した「ムー」特設ブース。
    『教養としての最恐怪談 古事記からTikTokまで』
    吉田悠軌・著/四六版244ページ/本体価格1600円+税/2024年7月18日発売予定/発行:ワン・パブリッシング

    webムー編集部

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