あのウィークリーワールドニュース集大成!「世界は奇妙なことであふれてる」/ムー民のためのブックガイド
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カエルや魚など、本来空から降るはずのないものが降ってくる事象を「ファフロツキーズ現象」と呼ぶ。今回はお江戸の空から降ってきた怪獣たちの図版をながめてみたい。
カエルや魚など、本来空から降るはずのないものが降ってくる事象を「ファフロツキーズ現象」と呼ぶ。台風や竜巻を原因とするなど合理的な仮説も提唱されているが、現在でも解明には至っていない謎現象である。そしてお江戸の町には、現代よりもずっと奇怪なモノがわらわらと降り注いでいたようだ。
今回は空から降ってきた怪獣たち、大江戸ファフロツキーズたちの図版をながめてみたい。
江戸に降ってきた怪獣たちのなかでも、ひと目見たら忘れられないインパクトを持つのがこちら。天保4年(1833)に谷中(現在の台東区)に降ってきたという2体の「怪物」だ。この図自体は明治から昭和初期の本草学者・白井光太郎がかき写したものだが、原本は江戸期に描かれたものだと思われる。右の文字にはこうある。
八朔大風雨の時降りし怪異の図
天保四年八月朔日大嵐之中
谷中瑞林寺に落て死す怪物二疋
各長五尺余之といふ
天保4年八朔(8月1日)の嵐は歴史的にも有名で、巨大台風に襲われた関東各地で甚大な被害が出たことが知られている。江戸でも倒木や船の損壊などさまざまな被害があったが、その激しい嵐のなかで降ってきたのがこの2匹の怪物なのだという。
一見して人魚のようでもあるが、その上半身は「人」とよぶにはあまりにも異形だ。上に描かれた怪物はおおきな尾びれらしきものを持ち、鼻面はやや長く、たてがみのような毛が生えているようにみえる。
いっぽう下に描かれた怪物は、全体的には上の怪物と似ているものの、尾はタツノオトシゴを彷彿とさせる形状で、頭部はまるで耳のないネコのようだ。「ネコ人魚」とでも呼んだらよいのだろうか。絵師がどのような意図で描いたのは不明だが、その瞳はまるでスヤスヤと眠る様子を描いたマンガ表現にもみえてくる。また、拡大するとどちらも口元は微笑んでいるようで、見ているうちに全体的な不気味さを相殺するほどかわいらしく思えてくるから不思議だ。ただし長さは5尺、およそ150センチというから、かわいくみえても相応の圧はあったことだろう。
怪獣が落下したとされる「谷中瑞林寺」とは、台東区谷中に現存する日蓮宗の寺院瑞輪寺のことだろう。開基の日進上人は徳川家康が幼少の折に学問の師をつとめたという僧で、その経緯から徳川ゆかりの寺として栄え現在も谷中に広大な寺域を構えている。
有名なお寺に怪獣が落ちてきたというのだから当時も話題になったであろうことは想像に難くないが、不思議なことに瑞輪寺には「ネコ人魚」とはまた別種の怪獣の出現情報も残されているのだ。
江戸後期の武士藤川整斎が残した『天保雑記』のなかに、そのもう一種の怪獣の姿をみることができる。「谷中怪獣瓦版」と題されたそこには、獣とも鳥ともつかない奇妙な絵とともに、怪獣出現の経緯が記されている。内容を簡単に訳すと、
当月二十日の夜、谷中ずいりんじの門前にふしぎなけだものが舞い下がった。
顔は獅子のごとく、からだは飛龍に似ている。
七、八寸も灰をかぶり、不思議なけだものである。
たまたまそこに通りかかった名僧が何者であるかと問うと、
答えて曰く「我は富貴を願うケモノなり」と。
そしてその姿は消えてしまったということだ。
「顔は獅子、体は飛龍」とある通り、その姿は飛龍(応龍)の体に獅子の顔をあわせ持ち、おまけに二本のツノまで生やした合成獣。それだけでも他に類をみない珍しさがあるが、「私は富貴を願う獣」と一言だけ残して消えてしまうというのもなんとも奇妙だ。コロナ禍で一躍有名になったアマビエのように「これから病気が流行するが、我が姿をかき写しておけば逃れることができる」と告げる予言獣はいくつか知られているが、ただ自己紹介だけして姿を消す怪獣、結局何が目的で人間の前に姿を現したのだろう。
この瓦版の「当月」とは天保7年(1836)6月のことであるといい、合成怪獣はネコ人魚の数年後に、偶然にもまったく同じ寺に落ちてきた(降りてきた)ことになる。瓦版というからには速報的なものだったろうから、肝心の日時が3年も間違えられたとも思えない。天保4年の話題に味をしめ二匹目のドジョウを狙った読売(瓦版屋)がいたのだろうか。それとも天保時代の谷中には、異界を飛ぶ怪獣たちを引き寄せてしまう磁気のようなものが働いていたのだろうか……。
谷中の怪物たちは見るからに「一属一種」の孤高の怪獣だが、各地で目撃される同種の怪獣もいる。それは落下が宿命ともいえる種族、雷とともに地上に落ちる「雷獣」である。
この図はなにかイヌ科の生き物を写生したようなリアルな絵だが、添えられた文章にははっきり「雷獣」と描かれている。
「元文二年丁巳七月十七日武州埼玉郡岩槻領掛村雷雨時捕之獣」との説明書きを信じれば、江戸中期、元文2年(1737)7月の雷雨の日、現在のさいたま市岩槻区あたりの農村で捕らえられた雷獣ということになる。雷獣は落雷とともに地上に現れるとされる獣で、必然的に落下のタイミングで捕まる「確率」も高くなるのか、捕獲情報、目撃情報はそれなりの数がある。この図にしても、その細密描写ぶりをみると、本当に雷の日に捕まえた何らかの獣を描いたのではないか……とも思えてくる。
江戸の街では、地震、火事とならぶ不可抗力的災害として恐れられた雷。幕末安政の大地震のあと、鹿島明神や江戸の人々がナマズを懲らしめる様子を描いた「鯰絵」が大量につくられたことはよく知られるが、数こそ少ないものの「雷への仇討ち」とばかりに雷獣が懲らしめられる図が描かれることもあった。
嘉永3年(1850)の夏には江戸市中100カ所以上に被害をもたらした大規模な落雷が発生したのだが、当時の摺物には、地に落ちた雷獣に馬乗りになり拳を振り上げる男が描かれている。雷獣は地震ナマズと同様に、畏怖されつつ恨まれる存在でもあったようだ。
上記2図はどちらも雷獣をイヌ型の怪獣として描いている。六足三尾の異形のオオカミのような姿のものもあるが、それらイヌ型と勢力を二分するのが、ビジュアル的にはさらに奇妙さを増したムシ型の雷獣たちだ。そんなムシタイプのなかでも比較的珍しい、彩色された雷獣図を一点ご紹介しよう。
ムシ型の雷獣は、芸州(現広島県)の広島近在、五日市塩竈なる場所に落下したものとされる。見つかったのは享和元年(1801)の5月13日で、毛は鼠色との詳細な記載もある。カニかクモを思わせるビジュアル、手足についた巨大な爪あるいはハサミのようなものが目をひくが、この図が他のムシ型雷獣図と大きく異なっているのは、真っ赤な顔とつぶらな瞳の部分だ。色味だけをみるとサルのようでもあるが、手足の付け根のウロコなど怪獣ぶりは谷中のそれにも引けをとらない。目方は8貫弱、およそ30kgとなかなかの大物である。
人魚、キメラ、雷獣と、江戸時代のファフロツキーズはじつに多種多様だったようだ。
図版出典一覧
谷中のネコ人魚『諸家随筆ぬきがき』(国立国会図書館デジタルコレクション)
谷中怪獣瓦版『天保雑記』(国立公文書館デジタルアーカイブ )
武州の雷獣『[鳥類図譜]』(国立国会図書館デジタルコレクション)
組み敷かれた雷獣『火水風災雑輯』(国立国会図書館デジタルコレクション)
カニ型雷獣『希品図会』(国立国会図書館デジタルコレクション)
鹿角崇彦
古文献リサーチ系ライター。天皇陵からローカルな皇族伝説、天皇が登場するマンガ作品まで天皇にまつわることを全方位的に探求する「ミサンザイ」代表。
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