人間を殺人鬼に変える「悪魔の風」と映画「フェノミナ」/昭和こどもオカルト回顧録
昭和の時代、少年少女がどっぷり浸かった怪しげなあれこれを、“懐かしがり屋”ライターの初見健一が回想。 今回は無気味な風の伝説と、それをもとにした映画の思い出です。
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文=大槻ケンヂ 挿絵=チビル松村
78年末から79年、それは突如、日本全国に出現した。 全国の下校時間を恐怖に彩った「口裂け女」は、当然、大槻家のそばにも迫り……。 医者によって「オカルトという病」を宣告された男・大槻ケンヂが、その半生を、反省交じりに振り返る。まさかの連載コラム。 オーケン VS 口裂け女、その顚末やいかに!
先日、岐阜でライブをやってきた。会場は最寄り駅から歩いて30分はかかるところにポツンとあって、駅への最終バスはライブ中に出てしまう。
「これ、お客さんどうやって帰ってるんですか?」
現地のお店の方に尋ねると
「え? あ、バスのダイヤ変わったんですね? 知らなかった」
地元のお客さんは多くが自車で来ているので、特に指摘もなかったのだそうだ。
『東京とは距離感が違うのだな』と妙に感心したものである。
岐阜といえば昭和オカルト・ファンにとっては「口裂け女」だ。70年代の後半に小学生を中心に大流行した都市伝説で、ウワサの発祥をたどると岐阜県本巣郡で起こった小さな事件が元になったらしい(諸説あり)。農家のお婆さんが無気味な雰囲気の女を目撃したという記事が岐阜の地方新聞に載った。これがなぜか口裂け女の伝説と化して一挙に全国へ広まったというのだ(諸説あり)。
もちろん僕の住んでいた東京都中野区野方にまで、だ。
「賢ちゃん、口裂け女が出たわよ!」
わが家のオカルト速報番である母からその情報を聞いたのは小学校高学年のころ、79年だったかと思う。岐阜の地方新聞も79年だからその拡散の速さには驚くしかない。
「マスクをした髪の長い女が『私きれい?』と聞いてきて、きれいというとマスクを外して口が耳まで裂けているのよ」
すでに話の形もできあがっていた。
「『きれいじゃない』と答えると包丁で刺されるそうよ」
いろんなバリエーションがあったが、中野のあたりではそんな恐ろしいことになっていた。さらに、最も恐ろしいのは口裂け女の“距離感”であった。
「もう沼袋まで来ているらしいわよ!」
沼袋、とは僕が住んでいた西武新宿線野方の一つ新宿寄りの隣の町のことだ。
「近っ‼」
沼袋→野方間は西武線なら3分、チャリでもすっ飛ばせば10分で着く距離であった。
ーー今、目前まで来ている死の危機。
これが当時の子供たちの共有した口裂け女への恐怖感であった。
それにしても沼袋とは、近すぎる! 僕はあわてふためき、その日は塾へ行くことになっていたのだけど、図工で使う彫刻刀やボンナイフ(子供用カッター)をカバンに詰めて出かけた。もし口裂け女が野方にたどり着いていて電柱の陰などから出てきたら、『ひと思いに先にぶっ殺してしまおう!』と思ったのだ。
「イヒヒヒッ、あ~た~しきれぇ~……ぐえ‼」
「死ねぇ口裂け女ぁぁ! 死ね死ねぇぇっ‼」
口裂け女よりもよっぽど恐ろしい武装小学生である。
幸いにも口裂け女には遭遇しなかった。もしかしたら快速に乗ってしまい野方を通り越して鷺ノ宮まで口裂け女は行ってしまったのかもしれない。岐阜から来て東京の私鉄のダイヤは難しいであろう。
というか、そもそもなんでわざわざ岐阜から野方に来るのか? そもそも口裂け女って死ぬのか? わからないことだらけだが、塾でも口裂け女の話で持ち切りだった。
「ポマードポマードポマードって3回唱えると口裂け女は逃げていくらしいぜ」
そんなことをいう他校の生徒もいた。
70年代、子供たちに都市伝説が広まるとき、塾が情報共有の大きな役割をしていたという説があると聞く。まったくそのとおりだった。他校の生徒たちが塾に集い、口裂け女についてそれぞれの説を語り合い、また自分の通う学校へ各説を持ち帰り、そうやって口裂け女の伝説ができあがっていく過程を昭和の昔に塾や小学校でリアルに見た。
その伝説は、不意な熱病に浮かされたように、ワッとある時期ピークを迎え、またサッと不意に消えた。“僕らの伝説”が消えたころ、僕らはもうすぐ中学生になろうとしていた。
岐阜といえば、口裂け女以外にもオカルトな思い出が個人的にある。
映画「リング」の貞子の母のモデルとされている、透視・念能力者の御船千鶴子。彼女を研究していた福来友吉という学者がいた。その福来博士が所蔵していた超能力者の研究資料を常設展示しているところ(*1)が飛騨高山にあると聞き、見にいったことがあるのだ。
30年くらい前、僕がオカルトにどハマりしていた時期で、ツアーにくっつけたとかではなく、ただ念写写真などを見るためだけに飛騨高山まで旅に出た。しかし行ってみると、資料館は八畳くらいの小さなスペースで、入るなりすべての展示物が全部いっぺんに見えてしまったのであった。仕方ないので一つ一つの資料をジーっと長いこと見つめたものの、それでも30分ももたなかった。
「こ、これだけのためにここまで……」
ちょっと愕然としたものである。どうしよう? と思い、ハッと『そういえば隣の飛騨国府という町に福来博士の信奉者の方々がおられるとオカルト雑誌で見たな』行ってみよう! と決意した。(*2)
で、実際に行ってみたらごく普通のお宅で、不審そうに出てきた方に『福来博士の念写実験は偽りのない真実だ』みたいなことが書いてある紙を一枚渡されて「じゃあ」といって玄関をピシャッと閉められたんだが当然である。いきなり長髪の若者がノーアポで訪ねてきて「あの~、時間余っちゃったんで寄ってみましたぁ……」なんてことを言い出されてもそれは無気味だし怪しいし僕だって門前払いを喰らわすであろう。なんか当時の僕はオカルト好きにたまにあるコミュ不全なアレで、オカルティックなものに興味のある人たちは皆同族、みたいな変な仲間意識があったのである。いやいや、福来博士の信奉者は福来博士の研究をオカルトではなくて科学だと信じているわけだし、根本的に間違った訪問といえた。……とにかくあのころの僕はつまり人との距離感を理解していなかったのだ。
本当にいろいろ距離感に疎かったのだ。
現地の方なら驚いてくださるであろう。あのとき、僕は飛騨高山から飛騨国府までなんと歩いていった。これはかなりの距離だ。ついつい西武新宿線の感覚で『隣の駅なら歩いて20分』のつもりで行ったら高山本線での隣駅はモーレツに遠かった。途中でのたれ死ぬかと思ったもんね。
そして今こう思うのだ。
「逆にあの日、西武新宿線に乗った口裂け女は、一駅間のあまりの短さに戸惑ったのではないか? それで気づけば野方を通過し鷺ノ宮でも降りれなくて、終点の本川越でやっと降りてそこで『あ~た~しきれ~い~』とやって……」
そして本川越の武装小学生に彫刻刀でグサッ!とやられて、距離感のない口裂け女は消えたのだ。これオーケン発「令和の口裂け女」新伝説。絶対バズらないやつ。
大槻ケンヂ
1966年生まれ。ロックミュージシャン、筋肉少女帯、特撮、オケミスなどで活動。超常現象ビリーバーの沼からエンタメ派に這い上がり、UFOを愛した過去を抱く。
筋肉少女帯最新アルバム『君だけが憶えている映画』特撮ライブBlu-ray「TOKUSATSUリベンジャーズ」発売中。