興奮と幻想に包まれるインドネシア・トラジャ族の葬式に潜入! 究極の「死と生の共存」/小嶋独観

取材・文・写真=小嶋独観

関連キーワード:

    珍スポを追い求めて25年、日本と世界を渡り歩いた男によるインドネシア、トラジャ族の葬式と墓を巡る旅!(第3回)

    インドネシアのトラジャ族の「墓と葬式」 第1回はこちら
    大規模な家族と巨大な岩の墓! トラジャ族の“潔い死生観” 特集第2回はこちら

    興奮に包まれるトラジャ族の葬式

     それは突然のことだった。

     今日はどこ行こうかなー、と宿でぼんやりしていると突然「今日は葬式があるぞ!」とバイタク兄貴からのお達しが。よっしゃ、待ってました! とばかりに兄貴の後部シートに飛び乗った。トラジャでは葬式が観光のハイライトになっているので、バイタクの運転手やガイド達は何処で葬式が行われるか常にアンテナを張っているのだ。

     とはいえトラジャに来てから数日、なかなか葬式の知らせが届かず若干やきもきしていたのも事実。

     基本的に夏が多いとは聞いていたのだが、こればっかりはどこかで葬式が行われるのを気長に待つしかないのである。いよいよトラジャの葬式に立ち会えるぞ! 30分以上走っただろうか。どの辺だか全然わからない田舎町に連れていかれた。タンドゥンとナンガラの間にある村だという。とはいえ葬式会場に近づくと周辺にはバイクや車がたくさん停まっており、フェスさながらに超盛り上がっているようだ。

     遥か遠くまで車が路駐してある。

     兄貴曰く、大きな規模の葬式だという。車道から斜面を登ると会場に着く。急な坂を登ると、上の方から賑やかな音楽や人の声が聞こえてきた。

     まず最初に現れるトンコナンは、臨時の売店になっていた。食べ物や飲み物、たばこなどがたくさん売られている。これらは参列者が自分で飲み食いするだけでなく、葬家へのギフト売り場も兼ねている。

     さらに進むと、広場のような場所に出る。広場を囲むようにトンコナンを模した参列者用の桟敷がずらりと並んでいた。おおおお、凄い人数だ! ざっと見たところ数千人はいるぞ。

     見れば、結構観光客も多い。我々が案内されたのは観光客ばっかりの桟敷席だった。

     広場の周りの桟敷棟は実際にはつながっており、一つの長~い建物になっている。

     親族なのか近親者なのか判らないが、女性たちが大量の食糧を運んでいる。もちろん参列者に振る舞うのだ。各桟敷には番号が付いている。

     桟敷の番号は76番まであった。一つの桟敷には100人ほどいたから、やはり数千人規模の参列者ということになる。

     やがて桟敷棟に囲まれた広場の中央に、青いシャツを着た男たちが集まってきた。

     トラジャの伝統的な葬送のダンスが始まる。

     独特の節回しの歌に合わせて、輪になった男たちが手を叩き足を鳴らして踊る。葬式の進行は、この赤いジャケットの人が執り行っている。

     要所要所で抑揚をつけて式自体を盛り上げている。まさにMC(マスターオブセレモニー)なのだ。

     数十人の男たちによるダンスは、たとえようもなくエキゾチックな気分になる。

     何と言ったらいいのだろう、そんなに遠い国でもないのに物凄く価値観の違うところに来ちゃった感じ。いや、曲やダンス自体が珍しいわけではないのだが、この妙に明るい葬式のあり方自体が全く異なる死生観から成り立っているように思えるのだ。ちなみに、この日が葬儀初日で、参列者は2日目の方が多いのだとか。墓への納棺は4日目に行われるそうだ。かように何日もかけて葬儀を行うのだ。

     祭壇の前に神輿のように小さなトンコナンが運ばれてきた。

     これまで幾度となく墓で見かけてきた、棺桶を納めるための龕(がん)だ。若い衆が会場の上座にあたる祭壇のようなところの前に龕を置いた。

     次に若い衆が龕に集まってきて、おもむろに解体し始める。

     一体何が起こるのかと思っていると、次々に龕を解体していき、中の棺桶が見えてきた。

     棺桶は2つあった。夫婦一緒の葬式だったようだ。手際よく龕を解体していく。

     で、棺を取り出す。ん? 何をするのだ? と思う間もなく、もう一つの棺も取り出す。棺はどちらもティアドロップ型の断面の棺で、トラジャでは一般的なカタチらしい。

     そうこうしているうちに、若い衆が祭壇の上に解体した龕の一部を持ち上げ始めた。

     かなり急な竹の梯子を人海戦術で押し上げている。

     若い衆の迫力に唖然としていると、今度は棺桶も運び上げているではないか!

     大丈夫か? その急角度! ゴロンでびちゃー、てな事にはならないのか。

     つまり、この葬式の主賓である故人を特等席に据えることで本格的に葬儀がはじまる、ということなのだろう。

     大勢の若い衆が夫の棺を持ち上げている。

     何なんだこの情熱、このパワー。これは我々が思い描いている葬式とは全く別のものだ。ひたすらパワフルでひたすら熱い。日本で言えば浅草の三社祭のような、モッシュ系の祭りに近い。そうだ、これは葬式という名の祭りなのだ!

     無事、夫婦の棺が祭壇に納まった。

     ここでMC赤ジャケが棺が無事納まったことを参列者に報告(多分)。この後もガンガン盛り上がろうぜー! 的な煽りMCをばんばん入れてくる。コトバなんて判らないが、雰囲気で何となく判りますとも。

     すると、おもむろに白い布を纏ったおじさんがマイク片手に現れる。

     恐らく宗教者か導師のような類の人で、呪文のような祝詞のような歌のようなコトバを発し続けている。この後しばらくおじさんのワンマンショーが続く。先ほどの葬式ダンスや棺桶モッシュに比べると若干お休みモードに入ったようだ。参列者もややまったりモード。軽食タイムになっている。

     祭壇近くには多くのパネルが並んでいる。夫婦の写真と贐の言葉。

     桟敷席も数日間の葬式のための仮設施設とはいえ、手は抜かない。普通の住居と同じようなクオリティのトンコナンハウスが建設されるのだ。本当に自分たちが住む家と同じか、それ以上の仮設桟敷を作るその精神性は何なんだろう、ホント不思議だ。

     会場の片隅には豚が放置されていた。

     己の運命を知ってか知らずか、ピクリとも動かない。案外諦観しているのかもしれない。

     そうこうしているうちに、おじさんの祝詞タイムも終わり会場全体が妙な熱気を帯びてきた。客は桟敷から出てきて広場の中央に集まってきた。それにつられて観光客もビデオやカメラをセットし始める。

     そこに水牛が連れてこられた。

     にわかにどよめく参列客。牛のグレードや大きさを評価しているのだろうか。先日、牛市場を視察した、にわかトラジャ水牛評論家こと私の判定によれば白い部分が混ざっている水牛なので、中の上、といった辺りだな。石柱の前に一旦繋がれた水牛。しかし、すぐ綱は解除される。

     そこへおもむろに現れた青チェックシャツの男。どうやら彼が牛を手にかけるようだ。慣れた様子で牛をなだめつつ首筋を点検、恐らく専門の人なのだろう。

     首筋をチェックすると間髪入れず手にした小刀を振り上げる。そして何の前触れもなく水牛の喉笛を……しゅっ!っと斬る。

     その瞬間、何があったのか良く判らなかった。今首斬ったの? それとも軽く試し斬り? 水牛の方にしても同様だったらしく、一瞬驚いて身を捩じらせたものの、しばらく様子が判らずキョトンとしていた。その間に、首切りの男は大成功とばかりに誇らしげに牛から離れていく。

     死者のために生き物を捧げる事の是非はここで論議しても何の意味もないが、くわえ煙草で喉笛を掻っ切る姿はある意味衝撃的だった。彼にしてみれば一服しながら行うほどカジュアルな行為なんだろうか。

     何が起こったのか判らない水牛だが、なんとなく様子がおかしいのだけは察知したようで、とりあえず走り出す。喉笛からどうどうと鮮血を流し、それでも「あれ? 何か変。喉元がヒューヒューしてるよ、ボク」といった感じの落ち着きっぷり。

     びっくりするくらい大量の血が喉からほとばしった後、まさに力がふにゃふにゃと抜けていくように水牛がへたりこんだ。この時点でも水牛は「あれあれ? 何かおかしいぞ」くらいにしか思ってない様子。

     死が目の前に迫っている緊迫感など微塵も感じていないよう。どちらかというと市場で竹に縛られる豚の方がはるかに死に直面しているように思えた。それだけ男のテクニックが見事だったんだろう。咥え煙草だったけどな。

     へたり込んでもなお、喉元からはバケツをひっくり返したかのような出血が続く。

     そこで初めてこれはヤバい! と感じたのか、水牛が声にならぬ声と共にぶるん! と首を大きく振った。

     その姿勢のまま、水牛は絶命した。

     喉笛を切られてから数十分間は経過したと思っていたのだが、後でデジカメのデータを見るとわずか2分足らずの出来事だった。

     驚くほど大量の鮮血を首から流し、水牛は死んだ。

     そして流れた血はみるみるうちに赤い大地に吸いこまれてしまうのであった。

    ……産まれて初めて生贄というものを見た……いや、ここまで大型の生物が死ぬ瞬間を見たのも(人間以外では)初めてかも知れない。繰り返すが、生贄の是非をここで問うつもりは毛頭ないし、トラジャの社会がこうやって成立していることも理解してこの地に来たつもりだった。それでも多分、生き物が殺されるのを目の前で見たら悲しくなるのだろうなあ、と漠然とした予感はあった。

     ところがどうだ。

     この血がたぎるような興奮。恐らくその場にいた全員が同じ想いだったに違いない。観光客としてその場に居合わせた一見リベラル面をしたヨーロピアンも含めてだ。興奮度を徐々に高めるダンスや棺のモッシュ、そしてその後、一瞬にして訪れるカタルシス。式次第自体が知らず知らずのうちに人々を興奮させるように仕組まれていたのだ。

     人間は特殊な状況に閉じ込められ集団幻想に陥ったら、いとも簡単に感情をコントロールされるのだ、ということを身をもって知った。もちろん今、冷静になって考えてみればその興奮状態はその場の雰囲気に呑まれたからだ、ということは理解できる。

     ただし。

     例えば自分がもし戦場に行って、この葬儀のような集団ヒステリーの真っただ中に身を置いたら狂ったように人を殺すのだろうか? そう思ったら恐ろしくて仕方がなかった。

     絶命した水牛同様、自分がどうなっているのか良く判らない状態で唖然としていると、もう一頭の水牛が運ばれてきた。すわ、また生贄か! と思っていたらさらにもう一頭の水牛がやってきた。

     すると参列者たちは急に後ろを向き、桟敷を挟んで広場とは逆側の水田に向かって陣を取り始めた。

     しかも皆、超盛り上がっている。今度は生贄ではなく、闘牛だった。

     収穫後の水田で泥まみれになりながら、水牛同士が角を突き合わせている。

     そのガツッ! ガツッ! という音に参列者は嬌声をあげ、興奮している。一試合終わると、また次の水牛がやってくる。こうして何度も闘牛が行われ、参列者は先ほどの水牛の生贄のことなどすっかり忘れたかのように目の前の娯楽にのめり込んでいるのだった。

     闘牛の興奮の中、ふと桟敷の陰を見ると先ほどの豚が内臓だけ抜かれて丸焼きにされていた。

     丸焼きといっても鉄棒を刺して焚火でぐるぐる……といった情緒的な雰囲気ではなく、いきなりガスバーナーで直接ベイク。

     毛とかそのままでいいのか。とは思ったが、そういえば食堂で食った豚とか牛のカレーもロクに毛抜きしてなかったなー、と思い出した。ワイルドすぎる野焼きで豚の丸焼きを作るのであった。

     最後に会場のやや上にある墓所を見させてもらった。数日後に迫る納棺に向けて墓の内部を掃除している。入口にはキリストとマリアの肖像画が掲げられている。あくまでも表面上はキリスト教を信仰しているが、葬式や墓といった基本的なベースは祖霊崇拝であるアルクトドロという民族宗教の影響が色濃く残っている。まあ、表向きの宗教とルーツの宗教を使い分けるのはトラジャだけじゃないですからね。トラジャの民族的アイデンティティを完膚なきまでに見せつけられた一日だった。

    絶景! スアヤ村のタウタウ人形

     今日はトラジャの南部の墓巡り。向かったのは、スアヤという村の墓。ここも比較的観光化されているようで、数名の外国人観光客の姿がちらほら見えた。墓地の入口には土産物と食料を取り扱っている売店&入域料を徴収する小屋があった。トラジャのメジャーな墓や集落は、大抵観光客から入場料を徴収している。もちろん墓や村のトンコナン維持のために入場料を払う事に異論はないが、金払って無名の人の墓を見に行くなんてトラジャ以外ではあまりないよなー、などと思ってしまう。

     スアヤの墓は切り立った岩壁にある。

     トラジャにとってまるで「墓にして下さい」と言わんがばかりの岩壁。こんな理想的な物件をトラジャの人々が放っておくわけがないのである。もちろんバッチリ墓穴が掘り込まれているよ。竹の足場が組まれている。どうやら新しく墓穴を掘っているようだ。

     岩壁にはタウタウ人形がずらりと並んでいた。どれも風化が激しく、衣装も顔も色が抜けてしまっている。人形を並べるスペースがなくなってしまったから、新しい人形を奉納するのを止めてしまったのか。それとも、ある一時期に一斉にタウタウ人形を奉納したのか。ボロボロの衣装をまとい、白っぽくなった顔をしたタウタウ人形。まるで人形まで死人になっちゃったみたいだ。

     人形はかなり高いところにあるので、その表情が読み取れない。上で作業してる兄ちゃんに身振り手振りで登っていいか? と聞くと、おぉ、来いや! との返事。ではお邪魔しますっ!

     竹の梯子は思いのほか、ぐわんぐわんとしなる。ついでに言うと、梯子や足場を縛っている紐とか、かなり細くてあちこち切れたりほどけてるんですけど……。下を見ると、落ちたら確実にこっちがタウタウ人形にされちゃうレベル。うわ、大丈夫か? 俺。

     手元と足元と下しか見ていなかったが、ふと横を見ると目の前にタウタウ人形が並んでいた。

     おおお! 絶景かな絶景かな。みな一様に手を天に差し伸べているぞ。やはり人形はかなり風化している。しかし、間近でみるとその表情は様々だ。

     人形は目玉の部分だけ後付けされているので、その目が取れてしまうと洞穴のような目になってしまうのだ。そうなると人形から生気が失われ、死体っぽくなっちゃう。中には目が剥がれかけて縦になり、面白い顔になった人形もあった。

     すぐ脇には新しいタウタウ人形が奉納されていた。

     やはり新規のタウタウ人形を奉納するにはこうして新しく穴を掘らなければならないのだ。

    タンパガロ村の墓に感じる“死と生の共存”

    タンパガロはスアヤからさらに南にある農村だ。

     水田の広がる景色の中に、こんもりとした山が現れる。その中に墓があるのだ。

     墓に行くのには石橋を渡っていく。小さな川だが少しスリリングだ。

     タンパガロの墓は洞窟の中にある。

     洞窟、といっても浅い岩陰のようなところなので、比較的明るい。

     したがってこれまで訪れた洞窟墓に比べて空気もカラッとしている印象だ。

     遥か頭上に棺桶が浮かんでいた。

     棒を渡し、その上に棺桶を安置してあるのだ。遺体を天に少しでも近づけるため、あちこちで涙ぐましい努力をしている。

     洞窟の上の方には、タウタウ人形も並んでいた。近年のリアルなタイプでなく、オーソドックスなスタイルのタウタウ人形だ。岩陰にあるため劣化が少ない。

     一方、やや日当たりのいい場所のタウタウ人形は劣化が進んでいる。

     ここの墓はたまに観光客が訪れるようだが、特に入場料金を請求されるわけでもなく、ローカルな雰囲気だった。

     思いのほか、立体的で複雑な洞窟だ。だからこうして上の方まで棺桶を持ち上げられるのだが。

     地面にはびっしりと頭蓋骨が並んでいる。

     トラジャに来て1週間。もはや、人骨は何一つ珍しくない存在になっている。

     ここでは死と生は対立概念ではなくゆったりとした時間軸の中で共生している存在なのだ。

     だから煙草も吸うんだな。

    乳児の「木葬」が物語るトラジャの本心

     怪しく楽しかったトラジャの旅もそろそろ帰国の時が迫ってきた。トラジャを離れる前日、南部のカンビラという村にある乳児の墓を見に行くことにした。あまり交通の便が良くないので、近在の村まで乗り合いタクシーで行き、そこからは徒歩で移動した。

     実はこのカンビラの墓を見る前にも、幼児の墓には何度か遭遇していた。

     そのひとつはボリで。

     墓地の片隅に大きな木があり、そこに乳児を埋葬するのだという。

     歯の生えていない乳飲み子は一般の墓には安置せずに、こうして木の中に埋めてしまうのだ。世にも珍しい木葬である。

     樹の幹に四角い穴を開け、そこに乳児の遺体を納める。

     乳児はゆっくり、ゆっくりと樹に飲み込まれていくのだ。

     なぜ、乳児だけが樹に埋葬されるのかはわからないが、成人の死者と区別されるにはそれなりの理由があるのだろう。

     パナの墓にも乳児の墓があった。

     こちらは木の洞のようなところに埋葬するようで、特に穴を塞ぐような事はなかった。

     穴は小さく、乳児とはいえ埋葬するのにはあまりにも小さな穴だった。

     もしかしたら埋葬した後に樹が成長し、穴自体が小さくなってしまったのかもしれない。

     中はよく見えないのでコンパクトカメラだけを突っ込んで撮影したもの。

     乳児の姿は見えなかったが、無数の布が折り重なっていた。何とも悲しげな光景である。

     タンパガロ郊外のサラプンにあるリアンビラ(乳児の墓)。

     ここの乳児墓は特に大きな樹で、鬱蒼とした林の中で異彩を放っていた。

     乳児の墓へ至るまでは、このような木の根を跨いで行かなければならない。

     大きな木の幹には無数の穴が開いている。

     穴は四角く穿たれている。

     そしてシュロの皮のようなもので覆われている。

     ここは成人の墓はなく、林の中にこの巨木だけがぽつんと立っていた。

     親や先祖と同じ墓に入れずに、乳児だけで入る墓。少しかわいそうな気もするが、木の成長に合わせて少しでも天に近づいて欲しい、という親心の表れなのだろう。

     もし自分がこの伝統的な社会に生まれ育ったら、自分の子供を何の迷いもなくこの木に埋葬するだろうか。いくら考えても仮定の仮定な話だけに結論など出るはずもない。

     で、カンビラに到着。

     お目当ての乳児の墓。

     ここの木はさらに大きく、幹も太い。まさに木葬に持ってこい、の木なのである。

     この木は白い樹液がでるという。それを母乳に見立てて、この墓に入れば木がミルクを与え続ける、と信じられている。

     つまり、亡き子はこの木が面倒みるから、安心しなさい、的な意味なのだろう。

     穴を塞ぐシュロの皮の蓋は、四隅と中央を木の釘でとめられていて呪術的な雰囲気がなきにしもあらず。こんなに穴を空けられて大丈夫なのだろうか? 木。

     トラジャでの滞在中、幾多の墓を見てきた。その中でもこの乳児の墓は抜群に心に迫るものがあった。それは極めてエモーショナルな葬送習俗だからだろう。

     トラジャの人々にとって墓や葬式は社会システム上特別なもので、立派な葬式を出して立派な墓を作らないと死者が天に行けないという義務感に満ちている。だから、一般の墓は困難な場所にわざわざ穴を穿ち、タウタウ人形を奉納する。

     ところが乳児の墓は「木に埋める」という特異点を除けば、成人の墓のような「気張った」感覚があまり感じられないのだ。死を感情的なものでなく、儀式の過程の中で認識していくトラジャの墓や葬式を見てきた私はいつしか「死んだことへの悲しみや痛み」はどこに行ってしまうのか? といった疑問をずーっと持ち続けていた。葬式も墓もとにかく死者を天に送るためのシステムであって、実際に家族が死んだ悲しみはどう解消していくのかがよく見えなかったのだ。

     でも乳児の墓は直観的だ。そこには子を亡くした親の悲しみがミニマルな埋葬方法の中にも滲み出ているのだ。

     トラジャでは死者も葬式をあげるまでは「生きている人」として扱う。だから葬式まで(場合によっては数年間かかる)は居間に死体を置いておくし、毎日食事も供える。でも、それはあくまでも彼らの社会通念上の「お約束事」であって、彼らだっていくら食事を供えたところで死んじゃってることは判っているのだ。その建前と感情のギャップが今一つ理解出来なかった。

     でも、この乳児の墓を見たら、彼らの死生観の本質が何となく理解できた。人の死を木に転化させることで、その魂のようなものを再生させようとしているのだろう。仏教の輪廻転生とはまた違った意味で、木の生命力を以って生命を繋いでいこうという希求の表れが感じられる。

     木の根元には小さな人形が供えられていた。

     何を意味するかは見る人によって様々な解釈があろうが、これを奉納した人の想いはたったひとつなはずである。

     街までの帰り道、学校帰りの子供たちと一緒に水田のあぜ道をトボトボと歩いた。

     君たち、生きてて良かったな。

     これにてトラジャの葬式と墓の話はおしまい。「死ぬために生きている人たち」を見て「死」とは何か? ということを何度も考えさせられた旅であった。

    ~おわり~

    (2014年8月訪問)

    墓と葬式に命を懸けるインドネシアのトラジャ族を大特集! 第1回はこちら
    トラジャ族の“潔い死生観”と凄まじく多彩な墓の数々! 特集第2回はこちら

    小嶋独観

    ウェブサイト「珍寺大道場」道場主。神社仏閣ライター。日本やアジアのユニークな社寺、不思議な信仰、巨大な仏像等々を求めて精力的な取材を続けている。著書に『ヘンな神社&仏閣巡礼』(宝島社)、『珍寺大道場』(イーストプレス)、共著に『お寺に行こう!』(扶桑社)、『考える「珍スポット」知的ワンダーランドを巡る旅』(文芸社)。
    珍寺大道場 http://chindera.com/

    関連記事

    おすすめ記事