赤池の鯉を食べてはいけない! 村を焼きつくす淡水魚「鯉右衛門」/黒史郎・妖怪補遺々々

文・絵=黒史郎

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    ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪遺々々」! 今回は、〝祟りで村を焼き尽くす大きな鯉〟を補遺々々します。 (2020年2月12日 記事)

    「鯉の刺身が食べたい」

     山で見つけたカラフルなキノコ。未開の地で出された異形の魚の刺身。
    世の中には、食べてはいけないものがたくさんあります。
     それらを食べてどうなっても自己責任。覚悟がおありならチャレンジするのもいいですが、想像もしていなかった代償を払うことになるかもしれません。

     京都府京丹後市久美浜町海士に【赤池】と呼ばれる池があります。
    ここにも、食べてはいけないものが棲んでいました。

     これは天文年間の出来事です。
     ふたりの六部が海士の村にやってきました。13歳の左近という者と、その母親です。
     親子が池の付近を通ったとき、突然、母親に異変が起きました。
     急な病によって倒れてしまったのです。
     その後、海士の人たちによって介抱を受け、左近も懸命に母親を看病しましたが、病状は思わしくありません。これでは廻国など無理です。

     そんなときでした。

    「鯉の刺身が食べたい……鯉の刺身が食べたい」

     母親がしきりにそういいだしたのです。

     鯉を食べたら元気になってくれるかもしれません。なんとか母親の願いを叶えてあげたい左近は、池に行って3尺ほどの大きな鯉を捕まえてきました。
     ところが、母親は鯉を口にすることなく、死んでしまったのです。
     そして左近もまた、その驚きと悲しみで気を失い、そのまま死んでしまいました。
     海士の村人たちは「大鯉の祟りに違いない」と、池に鯉を放します。
     すると、池の水が真っ赤になっていくではありませんか。
     それ以来、ここは赤池と呼ばれるようになったのだそうです。

     この大鯉と同じものかはわかりませんが、赤池には主がいるといわれていました。【鯉右衛門(こいうえもん)】と呼ばれている大鯉です。 

    滅びの鯉

     これも昔むかしのお話です。

     ある日のこと、海士の村人が赤池にやってきて、なにやらセッセと作業を始めました。
     魚を獲るため、池の水を替え出そうというのです。
     セッセ、セッセと水替えをしていますと――。
    「あ、あれは……?」
     村人は呆然としました。海士の村のほうで煙が上がっているのです。
     どうやら、村で火事が起きているようです。
     その火は見る見る広がっていき、大火事へとなっていきます。
    ーー大変だ!
     村人は慌てて海士の村へ走ります。
     ところが、村に帰ってみますと――これはどうしたことでしょう?
     不思議なことに、村では火事など起こっていません。1本の煙も昇っていないのです。
    「なあんだ、狐狸の仕業か」
     村人はすぐに引き返し、池の水替えを再開します。
     するとまた、村のほうで煙が立ちのぼり、火が出て、大火事になっていきます。
    ーーもう、だまされないぞ。かまわずに水替え作業を続けます。
     やがて、日が暮れて、池の魚をたくさん獲った村人は村へと帰ります。
     そこには、信じられない光景が広がっていました。
     海士の村が、焼け野原になっていたのです。
     人々は鯉右衛門の祟りだといって怖れたそうです。

     赤池の名の由来は諸説あり、朱壺を洗った水が流れてきたので水が赤くなり、赤池と呼ぶようになったという説、坂井城の殿様・赤井家の所有地なので「赤井の池」が約まって「赤池」になったという説があります。
     海士の人々は、赤池と俵野の「丹池」とは底が続いて繋がっていると信じており、俵野の「丹池」に棒を投げ入れたら、数日後に海士の赤池から浮かび出てきたといい伝えています。

    参考資料
    井上正一『ふるさとのむかし ―伝説と史話―』
    井上正一「奥丹後物語 草稿」『季刊 民話』創刊号

    黒史郎

    作家、怪異蒐集家。1974年、神奈川県生まれ。2007年「夜は一緒に散歩 しよ」で第1回「幽」怪談文学賞長編部門大賞を受賞してデビュー。実話怪談、怪奇文学などの著書多数。

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