火だるまの子供が現れたら火事に注意! 災いの前に兆しあり/黒史郎・妖怪補遺々々

文・絵=黒史郎

    災いは突然訪れるのではない、事前に何らかの〝兆し〟があるものーーなかには、背筋も凍るような不可解なものが現れる! ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」だ! 

    災いの前触れ

     今もなお人々を混乱させている世界的な流行病、文明を瞬時に崩壊させる巨大地震、罪なき人たちが無意味に殺される戦争、豪雨による土砂災害や河川の氾濫、通り魔殺人に交通事故、国民をじわりじわりと疲弊させていく大不況——ここ10年、私たちはたくさんの災いを見てきました、あるいは、見舞われてきました。
     災いは、何の前触れもなく、ある日突然やってくるという印象があります。ですが、必ずしもそうではありません。兆しという形で、事が起こる前に告げてきた例も数多く記録されています。
     今回は、とくに無気味な形であらわれた兆しを、いくつかご紹介いたします。

    燃える子供が転がり歩く

     山形県の中央に坐する出羽三山、そのひとつ羽黒山の本社が不審火で焼けたことがあります。この火事が起こる1週間ほど前、堂番(仏堂を守る当番の僧)が、異様なものを目撃していました。
     それは、火達磨になった「カブキリ子」。
     カブキリとは「冠切」、髪の毛を結ばずに垂らし、髪先を切りそろえた子どもの髪型のことで、「切禿(きりかぶろ)」ともいいます。
     火に包まれたカブキリ頭の幼い子どもが、仏前を転がったり、歩いたりしていたのです。
    「火達磨のカブキリ子」を見た堂番は、その異様な光景から、これは近く本社で火事が起こる兆しだろうと考えました。そして、それも天運ならしかたがないが、できればどうか7日間の猶予を与えてくれないかと祈ったのです。
     すると、火達磨の子供はかき消すように見えなくなり、この1週間後、火災が起きたといいます。なぜ、堂番が1週間の猶予を求めたのかはわかっていません。

     岐阜県揖斐郡徳山村の櫨原にも、火難にまつわる無気味な子供の話があります。
     村で大規模な火災のあった当日、奇妙な稚児が村内に現れたといいます。その稚児が川下から「ホウイホウイ」と呼びかけると、村から出火し、ほとんどの家を焼き尽くしたのだそうです。
     火災の前に現れる謎の子供——何とも無気味な存在です。

     随筆「閑窓自語」には、《火に包まれた法師》が登場します。
    「日野一位資枝卿家怪異語」に書かれた【あか坊主】です。
     江戸時代の歌人・日野資枝(ひの・すけき)が若きころのこと。酒を飲みながら夜更けまで、家の子に物語を聞かせていると、突然、屏風の後ろが明るくなり、その裏側を紙燭を持った人の歩いている気配がありました。屏風のそばに寄って後ろを見てみると、火焔の中に赤い法師が立っています。驚いて人を呼びましたが、それはすぐ消えてしまったそうです。
     前例からも火事の起こる兆しのように思えますが、この家ではこの【あか坊主】が現れることは吉事、つまり良い事のある兆しなのだそうです。ならもう少し優しい感じに出てきて欲しいものですね。

     それから羽黒山に伝わる火事の兆し譚が、もうひとつ。荒澤寺には、荒澤大聖不動明王——臂切不動と水板不動——が安置されておりますが、このうちのひとつ水板不動尊は、弘法大師が影見川で水行をされた際、川底に埋もれている朽ちた板切れの上にあったのを感得されたという由来があるのだそうです。
     この不動尊の御影の掛け軸をかけて信心すれば、近く、火による災いがある時に、墨摺りの御影が2、3日前から真紅になったといいます。
     掛け軸の絵が突然、真っ赤に変わったら、ゾッとしたことでしょう。

    不幸の兆しとなる生き物

     私たちは、動物の行動から吉凶をみることもあります。その生き物が普段と違う行動、異常な行動をとったとき、それを凶事や吉事の兆しととるのです。
     これは、昭和に採集された、沖縄在住の夫婦の体験談です。

     夫婦はクロという犬を飼っていました。
     ある日、クロが門のところでしきりに立ち鳴きをしています。
     立ち鳴きとは、遠吠えのこと。
     夫は仕事が休みで友人と碁を打っており、あまり気にしませんでした。
     しばらく経ってから、門のあたりで、バチバチという音が聞こえてきました。
     何だろうと出てみると、そこには知り合いの16歳の男の子が、燃えながら立っていました。着ている服がメラメラと燃えているのです。バチバチという音は、男の子の親が懸命に火を消そうと燃えている服を叩いている音でした。
     ——その男の子は2日後に亡くなりました。
     いったい、何があったのでしょう。
     男の子の家は鍛冶屋で、ふいごの風で服に飛び火してしまったのです。
     火を消そうと海に向かって走ったのですが、気が動転していた男の子は逆方向のこの家に来てしまったのです。
     昔から犬の遠吠えは、身近な人の死など、不幸の兆しとされて忌まれました。この夫婦も、クロの遠吠えがそうだったのだと思ったようです。

     次は、かなりグロテスクな不幸の兆しです。

     秋田県仙北郡田澤村のお話。
     大ブガという、村でいちばん深い澤で、ある人がウサギ狩りをしていたときのこと。
     大きなウサギを見つけたので、ぜひ狩っていこうと、これを鉄砲で撃ちました。
     ウサギはぴょんと跳ねると、雪の上に真っ赤な血の跡を引きずって逃げていきます。
     破れた腹からぶらさがった腸が、後ろ脚に絡んだまま、ぴょん、ぴょん。
     その後を追いかけますと、ウサギはようやく、ドボンと水穴に落ちてしまいます。
     水からウサギの死体を引きあげてみますと、鉄炮の弾はウサギの鼻から口に入って、口から心臓、心臓から腸を貫通し、大腸が裂けていました。こんな状態で逃げていたことに驚き、これは何か悪いことがあるに違いないと不吉に思っていましたら、ある家の婆さんが檜木内村のクヅカケ澤という場所で、中風により死んでいたという報せがあったそうです。

     最後にご紹介するのは、ある一家が見舞われる壮絶な不幸を知らせた兆しです。
     山梨県北巨摩郡落合村。種繭製造業の一家に起きたことです。
     種繭(たねまゆ)とは、蚕の種の製造を目的として飼育された、蚕の繭のことです。
     この家は代々、種繭の製造を営んでいましたが、ある年、事件が起きました。
     どういうわけか、1畳ほどの広さに何十匹もの蚕が、絹地のように厚く真綿を営繭(えいけん:繭を作ること)したのです。家人も村の人たちもこれを見て、今年は何か悪いことがなければよいが……と不安に駆られました。
     その年、この家の祖父と、その息子が死に、分家の長男の子どもが自殺。その後、どんどん運が傾いて、家系はほとんど死に絶えたといいます。

    参考資料
    戸川安章「羽黒山夜話(四)」『旅と伝説』通巻百九十号
    武藤鐡城「玉川部落の話」『旅と伝説』通巻百七十八号
    坂木敏雄「落合村の吉凶俚諺」『民間伝承』通巻百八号
    「妖怪特集」『南島研究』第二十九号
    『日本随筆大成』第二期 八巻

    黒史郎

    作家、怪異蒐集家。1974年、神奈川県生まれ。2007年「夜は一緒に散歩 しよ」で第1回「幽」怪談文学賞長編部門大賞を受賞してデビュー。実話怪談、怪奇文学などの著書多数。

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