崖に向かって、押しつづける者とは…… ヤースー「喜屋武岬の霊史継承」/吉田悠軌・怪談連鎖
今もなお戦争の傷跡を色濃く残す島、沖縄。激戦地跡で、ユタの血を引く霊感芸人が体験した怪異とは。その記憶は世代を超えて受け継がれ、連鎖していく——。
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世の中の怪談ブームで、〝怖い〟怪談が溢れかえっていますが、そこは曲者・黒史郎!! 今月は〝怖いは怖い〟けど、見た目ほっこりな怪異を補遺々々します。 ーーホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」だ!
日本は空前の怪談ブームです。今日もどこかでイベントや動画配信が行われ、身の毛もよだつ恐ろしい話が語られています。
夜道に佇む濡れ髪の女、廃屋に浮かぶ血塗れの老人、夜の神社を走り回る顔の無い子どもーー。怪談の主人公といっても過言ではない幽霊たち。その姿は様々です。
彼らは、見る者、聞く者を脅かせる、おぞましい姿で現れますがーー。
すべての幽霊が、そうとは限りません。
昏く、寂しく、静まり返った深夜の街路。
その通りの真ん中を、お化けじみた姿の〈雌鶏〉が攻撃的な様子で進んでいく。
雌鶏が後ろに従える〈ヒヨコ〉は、歩くごとにどんどん大きく恐ろしくなっていき、通りを横切ろうとする不用意な人間を脅かす……。
これはベネズエラに伝わる幽霊の一種です。
お化け鶏と巨大ヒヨコの深夜の行進ーー微笑ましい光景しか浮かびませんが、彼らも立派な幽霊、その土地の人たちには、とても怖い存在なのです。
このような、見た目は思わずほっこりしてしまうけど実はとっても怖い、そんな幽霊の話は日本にもあります。
金城朝永「琉球妖怪変化種目」に【アフィラーマジムン】という名前が載っています。
「アフィラー」はアヒルを指す方言で、「マジムン」はお化け・幽霊のこと。
これは沖縄県に伝わる、アヒルのお化けなのです。
お化けといっても、人面アヒルだとか、血まみれだとか、鋭い爪や牙があるとか、外見に際立った怖い特徴はありません。おそらくその見た目は、普通のアヒルとほぼ変わらないと思われます(片足のアヒルである、という話もあるそうですが)。
想像してみてください。
暗く寂しい夜道を、ひとりとぼとぼと帰っている時。
前方の暗闇から、薄ぼんやりと白いものが現れ、あなたに向かって近づいてくる。
おそるおそる明かりを向けるとーー。ツンと尖った尻を振りながら、1羽のアヒルがヒョコヒョコと歩いてくるではありませんか……。
恐怖心など一瞬で吹き飛んで、すっかり癒されてしまいますね。
でも、油断は禁物です。
それがもし、本物のアヒルではなく、マジムンのアヒルなら、あなたに命の危険が迫っています。
このお化けアヒルに股の下をくぐられてはいけません。
くぐられると、魂(マブイ)・精気を取られ、死んでしまいます。
沖縄・鹿児島には、この「股潜り」によって人間に害をなす妖怪が大変多く語られています。代表的なものは豚の姿をしたマジムンですが、このアヒルのマジムンも南島ではよく知られた危険極まりない妖怪なのです。
これと出遭ってしまった時の回避法があります。
股の下をお化けにくぐられないよう、足を交差させるのです。
でも、こんな話もあります。
ある農夫が、しきりに股をくぐろうとしてくるアヒルと出遭ったので、潜られては大変だと石を投げてぶつけたところ、アヒルはたくさんのホタルとなって農夫の周りを飛び交い、鶏の声と共に消え去ったといいます。とにかく、股下をくぐらせなければいいみたいですね。
沖縄県宜野湾市に【アヒラービラ】という場所がありました。
名称の意味は「アヒル坂」。
『北谷町史』によると、戦前までこの坂は【アヒラーマジムン】が出るという事で有名な場所でした。こんな話が残っています。
ある気丈な性格の男性が、酒の勢いで「噂の妖怪」の正体を突き止めようとしました。
夜更けになるのを待ってアヒラービラに行きますと早速、「クワァクワァクワァ」と1羽のアヒルが現れます。
出たな、妖怪。男性は恐れず、威嚇しながらその脚を掴んで縄で縛り、松の木に括りつけて帰りました。
翌朝、アヒラービラに戻って松の木を見ますと、縄の先にアヒルはいません。
代わりに、「ミシゲー(杓文字)」が括りつけられていました。
坂に現れるアヒル妖怪の正体。それは古い杓文字が化けたものだったのです。
人々を脅かしていた「噂の妖怪」にしてはちょっと冴えない正体ですが、沖縄では杓文字は化ける道具として知られており、妖怪談では頻繁に目にする道具です。
悪い人が死ぬと【ヤナムン(魔物)】となって「ナビゲー(杓子)」に化けるという、古道具が化けるのではなく、死霊が道具に化けていたという例もあります。
またアヒルの幽霊は「根性の悪い人」が死んで化けたものだという話もあります。アヒルに見えるけど人間の死霊なのです。これは夜道を歩いていると前方から現れ、通行の邪魔をしてきます。もし出遭ったなら無理に進まず、その場に座って、懐に石を入れると消えるといいます。『具志川市史』には、はじめは人の姿で現れ、近づくと突然アヒルの姿に変わって消えてしまうマジムンの目撃談があります。
これらの例を見ると、アフィラーマジムンの正体がひとつではないことがわかります。悪いモノがこの世に顕現するための形のひとつがアヒルなのです。
先のアヒラービラは、米軍基地のキャンプ瑞慶覧(キャンプ・フォスター)の中にあった、普天間と安仁屋を結ぶ場所だったそうです。宜野湾市教育委員会文化課発行の『市史だより がちまやぁ』によると、この坂は「毛遊び(モーアシビ)」のおこなわれる場所でした。これは若い人たちが夜遅くまで外で集まって遊ぶ習慣のことで、昔の沖縄にはそういう場所がいくつもあったそうです。
このような場所は男女の出会いの場となっていましたが、妖しいモノと出遭ってしまう場でもありました。アヒラービラも、北谷の男性が普天間の女性を待っている間につい眠ってしまい、アヒラーマジムンに噛まれて「マブイ(魂)」を奪われてしまう、といったことがよくあったそうで、大人も子供も怖がって夜は歩きたがらない場所だったといいます。
またこの妖怪は、悲恋伝説のある熱田マーシリー、宜野座村宜野座と大久保屋取の間などの道にも好んで現れたそうで、『日本怪談集 妖怪編』によると、同校の運動場の前は淋しい谷底のようになっていて、よく「出た」という話を聞いたそうです。
『和漢三才図会』によると、アヒルの脳血は解毒作用があり、あらゆる中毒症状を治し、「溺死者も蘇らせる」という驚きの効能があるそうです。さすがに死者蘇生は無理ですが汁にして食べると風邪や喘息などに効能があるようで、医食同源の沖縄では昔からアヒルは薬膳として食されておりました。
沖縄市口承文芸学術調査団が平成元年から平成2年にかけて行った調査の資料に、とても興味深いアヒラーマジムンの記録がありました。
ある人が1羽のアヒルを捕まえました。食用なので下処理で羽を抜いていると、どういうわけか、抜いた羽がアヒルとなり、「クワクワクワー」と鳴きだします。構わず抜くと、その羽もアヒルになります。
アヒルが増えたので、それならこれもやってしまおうと、その脚を掴んで羽をムシムシと抜きますと、その羽もみんなアヒルになってしまいました。
この人が食べようとしていたアヒルは、どうやらマジムンだったようなのです。
こんな話もあります。
ある人が滋養の為にアヒルを食べようと、山へ捕まえに行きました。
アヒルはあちこちにいて、「クィークィークィー」と鳴いていました。
たくさんいるので父親を呼び、捕まえて血抜きをしようとしましたが、どういうわけか、まったく捕まえられません。アヒルはそこまで機敏な動きの動物ではないのに……。
実はこれも本物のアヒルではなく、アヒルの幽霊だったのです。でも、鳴いて逃げ回るだけで、人間に危害は加えないものだそうです。それなら、ちょっと騒がしいだけですね。
辺野古では、アフィラーマジムンは数がどんどん増えていくもので、身に着けている褌を外して振りまわすとマジムンは逃げていったといいます。この褌振りまわし行為はアフィラーマジムンに限らず、他のマジムンにも効果のある方法です。
新里幸昭「沖縄の妖怪」によると、【アフィラーマヂムン】(辺土名・許田・辺野古・松田・佐敷・屋比久)、【アヒラーマヂムン】(西新町・大里)、【アピラーマヂムン】(振慶名)と、地域によって微妙に呼称が変わりますが、いずれも同じもののようです。
お隣、中国にもアヒルの妖怪がおりましたので追記します。
衢州(くしゅう)という地は、夜更けになると誰も出歩きませんでした。ここには【衢州三怪(くしゅうさんかい)】と呼ばれる、3つの怪しいものが現れたからです。
ひとつは、鐘楼の上に現れる1本角の鬼。ひとつは、城内の池のそばに現れる白い布の姿をした怪異。そして、その池のほとりが静かな夜に無気味な鳴き声を発する、【あひるの鬼】です。この声を聞いた人は、たちまち病気になってしまったそうです。
どんなにかわいくても、夜のアヒルには無警戒に近づかないほうがいいでしょう。
【参考資料】
P・カルバリョ・ネト他『南米北部の民話』(新世界社)
金城朝永「琉球妖怪変化種目(二)」『郷土研究』五巻三号
新里幸昭「沖縄の妖怪」『沖縄文化研究』
今野圓輔『日本怪談集 妖怪編』(教養文庫)
崎原恒新「沖縄の妖怪変化」『南島研究』第三十九号
沖縄市教育委員会『沖縄市の伝承をたずねて 東西部編』
崎原恒新『琉球の死後の世界』(むぎ社)
増田渉・松枝茂夫・常石茂訳『聊齋志異』(平凡社)
『北谷町史 第三巻 資料編2民俗 上』
『具志川市史』第三巻
宜野湾市教育委員会『市史だより がちまやぁ』第九号
黒史郎
作家、怪異蒐集家。1974年、神奈川県生まれ。2007年「夜は一緒に散歩 しよ」で第1回「幽」怪談文学賞長編部門大賞を受賞してデビュー。実話怪談、怪奇文学などの著書多数。
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