幽霊の片袖が伝える母娘の絆…瀬戸内の新居大島・願行寺に幽霊伝承を探る/寺田真理子
新居大島の願行寺には、母の亡霊が娘に託した着物の片袖が残っている。あやしくもかなしい、その伝説とは……。
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修験の山、石鎚山から連なる石鎚山系の奥深くにある「神の庭 笹倉湿原(さぞうしつげん)」。そこは神々が遊んだ地なのか、それとも……。人里離れた沢のほとりに現れる「五右衛門風呂の釜」の謎などを現地取材。地元の方々の貴重な証言や当時の日記をもとに、その謎を紐解く。
四国山地西部、ナイフのように鋭く切り立った姿でそびえる石鎚山(1,982m)は、飛鳥時代に修験道の開祖・役小角(えんのおづぬ。「役行者」とも)が開山したと伝わる修験の山。この「役小角」の正体は、日本八大天狗に数えられると同時に別格とされる「石鎚山法起坊(いしづちさんほうきぼう)」だったという説もある。
そんな天狗伝説が伝わる石鎚山から連なる筒上山の奥深くに「神の庭」と呼ばれる秘境、笹倉湿原がある。
愛媛県久万高原町 旧面河村(おもごむら)エリアにある石鎚スカイラインの中腹、標高約1,000m地点にある金山林道から笹倉湿原へ向かう。入り口にしか道標がない上、間違えやすいポイントもいくつかあるため、安全を期してルートを熟知した山岳ガイドさんにご同行いただいた。「登山レベル中級程度と考えておいた方が安全ですね」とのこと。
なだらかな山道と急峻な登り坂を繰り返すルートをひたすら進む。標高約1,400m地点にある笹倉湿原へ、休憩を含め約2時間の道のりだ。
休憩しながら登るも疲れが……。足元ばかり見ながら進んでいると、突然白い奇妙な物体が視界に飛び込みハッとする。白装束の幽霊のような姿が怪しい「ユウレイソウ」だ。ギンリョウソウ(銀龍草)とも呼ばれ、木陰に生え光合成を行わず、地中に形成された菌根を通して菌類などから養分を得る「腐生植物(菌従属栄養植物)」に分類される不思議な植物だ。
あと少し……あと少し……気持ちを奮い立たせながら進んでいると、目の前に奇妙な木が立ちはだかった。隣り合って伸びる木に、まるで腕か脚を回すように絡みついて立っている。登山者の間では「セクハラの木」と呼ばれている奇木だ。
ずいぶん登ってきた。まもなく笹倉湿原というあたりで、パッと開けた場所に出る。
この人里から遥かに離れた地点にあるのが、「五右衛門風呂の釜」と思われる謎の物体。しかし、あたりに家屋の痕跡はない。力を込めて持ち上げようとしてもびくともしないほどの重量物だが、一体誰が何のために運んだのか。そしていつからここにあるのだろう。
思いめぐらせながら森を抜け、ついに辿り着いた「神の庭 笹倉湿原」。異世界のような光景に息を呑む。笹に囲まれた中に、緑の絨毯を思わせるウマスギゴケの群生が美しい。
面河(おもご)山岳博物館 学芸員 矢野真志氏の調査研究によると、この地が発見されたのは1940年代ともいわれているが、正確な時期は不明。1958年(昭和33年)の石鎚山系総合学術調査の様子が愛媛新聞紙面で紹介されたことで、湿原の存在が初めて一般に知られるようになった。1970年(昭和45年)の石鎚スカイライン開通後も現地までのルートを知る者は少なく、「石鎚の秘境」としてその姿は謎に包まれたままだったという。
発見の状況や成り立ちなどに多くの謎を抱えながら、人里離れた奥山にひっそりとたたずむ神秘的な姿から、いつしか「神の庭」と呼ばれるようになった笹倉湿原。風に揺らぐ木々の擦れ合う音と、鳥の声が響く静寂……。神々のささやき声が聞こえてきそうな錯覚を覚える。
下界では蒸し暑く感じる日もある5月下旬だったが、時折ひんやりとした風が吹き抜け、みるみる汗が引いていく。じっとしていると半袖では寒いくらいで、急いで上着を羽織る。
五右衛門風呂の謎を追って「昭和33年の学術調査以前」を知る人を探したところ、大正時代からの杣人(そまびと)たちの記録を日記として克明に書き遺した故菅藤蔵(かん とうぞう)氏のご子息、顯一(けんいち)氏にお話を伺うことができた。
当時、高知営林局(現:四国森林管理局)にお勤めだった藤蔵氏の日記に初めて「笹倉(さぞう)」の文字が登場するのは昭和8年のこと。「柳原写真館を雇うて笹倉へ行く」とあり、後の造林事業に向けての調査依頼があったと思われる。杣人たちは人跡未踏の地に分け入り、大雨が降ると断たれてしまうルートを避け、何度も回り道をしながら道を拓き続けた。麓の若山集落から現地にたどり着くには5〜6時間を要する険道であった。筆者は、整備されたたった2時間の道のりに音を上げそうだったのに……。
藤蔵氏の日記には植林や除伐・下刈りに何度も赴いた記録が丁寧に綴られている。その中に、あの謎の「五右衛門風呂の釜」に関する記述が!
昭和9年 笹倉へ風呂釜を運ぶ 草原山から 菅清三郎
今からおよそ90年前に、故菅清三郎氏が若山集落から草原山を経て、なんとあの五右衛門風呂の釜を背負って人力で運んだという記録。顯一氏が、昭和17年に撮影された貴重な写真を見せてくださった。五右衛門風呂の釜を運んだ菅清三郎氏は中段右端。「細いけんど、なかなかの豪傑だったそうです」と顯一氏は誇らしげに微笑んだ。
藤蔵氏が詠んだ句が残っている。
人嫌う 笹倉の山越え二度来れば またも降りつぐ初秋の雨
(昭和17年9月5日)
今回取材にご協力くださった菅顯一氏は、高知営林局に勤務されていた当時、現在の金山林道から「神の庭 笹倉湿原」へのルートを切り拓いた方でもある。深山へ分け入った杣人たちが、山中で天狗に遭遇するようことはなかったのだろうか。訊ねてみると、思わぬ証言が。
「昔、三斗丸(さんどまる)という所に小屋があって、そこに毎晩毎晩天狗が来て脅すんで、三日三晩柄鎌(えがま)を研いで、天狗の脚を切ったという伝説があります」
天狗をも凌駕した屈強な山の民。しかし、そんな杣人たちも忌み嫌う存在があった。
「杣(そま)さんは『猿』という言葉を忌み嫌い、『猿』と聞いたら、絶対その日は山に行かんかった。僕らも小さい頃、親から『猿と言われん! 大ごとじゃけん!』と聞いて育った。なので『猿谷』という地名も『さんだに』と呼んでいました。忌み嫌った訳はハッキリとは分からんのじゃけどね」
杣人たちが山で猿を見ることは滅多になく、遭遇するのは稀だったというが、人間に似た未知の生き物…… 知性すら感じる野生の猿はさぞ恐ろしかったことだろう。それは異世界の怪物? 妖怪? あるいはUMA的な存在だったことも想像できる。もしくは、さる……「いなくなる」という意味もある。山へ入った杣人たちが無事に戻ってくるよう、忌み言葉とされていたのかも知れない。さらに顯一さんは続けた。
「他の地域にも猿を嫌った話はあると思いますが、ここらの猟師も、猟銃を向けたら猿が手を合わせて拝んだというてね。ほじゃけん猿は撃てんかった。でも、僕はそんな猿よりも、大きなノコや手斧を持った杣さんの方が恐ろしかったね(笑) 」
「笹倉湿原」に至る山道を行きながら植物たちや奇木、沢を伝う清らかな水音に触れ、知らず知らずのうちに体内の邪気がすっかり取り払われ、現地にたどり着く頃にはすっかり生まれ変わったかのような心持ちになれた。危険を顧みず深山へ分け入った杣人たちの足跡が、「神の庭」へと導いてくれたのだ。
一方、インターネットなどの普及で現地への情報が入手しやすくなり、登山客たちが容易にたどり着けるようになった昨今、自然環境の変化から湿原の面積縮小が加速していることも懸念されている。面河山岳博物館の矢野学芸員は、雨が降らない日が続くなど乾燥状態が続くとウマスギゴケのエリアにササが侵入しやすくなると言い、登山者の踏み付けによる乾燥化も湿原の面積縮小の原因の一つであると警鐘を鳴らす。
忘れてはならぬ。ここは「神の庭」である。
【笹倉湿原 Googleマップ】
寺田真理子
ライター、デザイナー、動植物と自然を愛するオカルト・ミステリー研究家。日々キョロキョロと、主に四国の謎を追う。
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