端午の節句に振り返る! 子供の想像の中に潜む「お化け」の姿/黒史郎・妖怪補遺々々

文=黒史郎

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    当連載に季節感を忘れず心がける筆者が、5月といえばーーのお題で「子供の日」から、今月は子供だからこそ〝出会える〟「お化け」を補遺々々しましたーー ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」だ!

    子供とおばけ

     前回、「おばけ」という存在を利用した、鹿児島の子供たちの悪戯エピソードをご紹介しました。
     悪ガキたちが年下の子供たちを脅かすため、出るといわれている、いかにも出そうな場所で、今にも出そうな空気を作りだし、そして、「おばけ」が出てきた演出をして見せたのです。本物の「おばけ」が現れずとも、子供たちの頭の中では、怖い「おばけ」の像が立ち現れたはずです。

     このように、遊戯や悪戯のなかで現れた「おばけ」。
     不安や怖れにより引き起こされる錯覚で〝体験〟する「おばけ」。
     親からの戒めや注意喚起のために聞かされる「おばけ」。
     昔の子供たちにとって「おばけ」は、とても身近なものだったと思われます。

     さて、5月のイベントといえばゴールデン・ウィーク——でもあるのですが、ここはやはり、端午の節句、子供の日でしょう。そういうわけで今回は、子供だからこそ出会える(?)、そんな「お化け」について書きたいと思います。
     ではさっそく、こちらの画像をご覧ください。

     大正16年発行『幼年倶楽部』に掲載された、童画画家・本田庄太郎の描いた「おばけ」です。この絵には、次のようなストーリーがあります。

     そこには、5軒の家が並んでいました。
     そのいちばん端の家に、「おばけが出る」という噂が立ちました。
     外で遊んでいた子供たちは、夕方になるとあたりも暗くなるし怖くなって、早々に家へ帰ろうとします。
     でも、ある10歳の男の子は、怖さよりも怒りの感情のほうが強くありました。
     なぜなら、この男の子はその「おばけが出る」といわれている家に住んでいたからです。
    「そんなことあるものか」
     でも念のために、男の子は水鉄砲に水を仕込んでから帰ります。さっそく、おばけが目撃されたという、自宅の書斎の窓を見ますと……。
     なんということでしょう。
     窓の障子に、ぼんやりと大入道の影が映り込んでいるではありませんか。
    「こいつめ!」
     男の子は水鉄砲で水をかけました。鉄砲とついても、放たれるものは、ただの水。
     しかし、これが効いたようで、大入道はくるくる回って、ぱったり、庭に落ちました。
     噂のおばけを仕留めたぞと、男の子は大いばり。帰ろうとしている友だちを呼び止め、退治したおばけの姿を彼らに見せようとしました。
     みんなで、恐る恐る近寄ると、それは大きな「てるてる坊主」でした。
     男の子のお姉さんが運動会のために作ったもので、桜の木に吊るしたまま忘れていたのです。桜の花が散り、枝が見えだしたころ、吊るした坊主の影が月明かりによって窓に映り込んで、それが、おばけの正体だったのです。

    恐怖心が見せるおばけ

     いくつもの偶然が重なり、そこに不安、恐怖心、興奮といった精神状態が加わると、「おばけ」は現れるようです。とくに影と「おばけ」は相性が良いみたいです。夜がまだ暗かった時代、目撃された「おばけ」の何割かは、何かの影を見間違えたものだったのではないでしょうか。また、植えつけられた恐怖が後になって頭の中で芽吹き、花開いて、頭の中に「おばけ」となって出ることもあります。

     7、8歳ぐらいまでの子供がなりやすい、「夜驚症(睡眠時驚愕症)」という病気があります。睡眠障害の一種で、眠りが浅く、突然、何かに怯えたように起きたり、泣き出したり、パニックになったりします。昭和10年発行『夏の小児病醫典』には、「眠る前に怖い話を聞かされる」「怖い絵を見せられる」など、強い恐怖心を与えられたことが原因となり易いとあり、このような挿絵があります。

     怖いものを見聞きした後、そこで生まれた恐怖心は頭の中でジッとうずくまって鳴りを潜め、眠ってしばらく経ってから、急にムクリと立ち上がって襲いかかるのです。目覚めた子供は、自分がなぜ起きたのかも覚えていないことが多いようです。
     この「おばけ」は子供の頃にだけ、しかも、頭の中にのみ現れるものなのです。

    遊びとおばけ

     子供たちの遊びの中にも「おばけ」はたくさん現れます。
    「鬼ごっこ」「目隠し鬼」「高鬼」「かくれんぼ」の中には、子供たちを追いかけ、捜しまわる〈鬼〉がおります。『遊び図鑑』には、鬼が人の親から子を取ろうとする「子とろ子とろ」という遊びや、カラスウリを使った「おばけちょうちん」の作り方などが紹介されています。
    「大入道」となって子供たちを脅かしていた「影」という現象も、子供たちの前では立派な「おばけ」となります。
     おばけ屋敷では、障子に映る人影の首がポロリと落ち、女の人の首がニョロニョロと伸びるといった、見事な恐怖演出が見られました。リアルな造形で見せる「おばけ」もいいですが、シルエットだけで見せる怖さは格別の「らしさ」がありました。
     お化け屋敷に行かずとも、誰でも手軽に、本格的な影の「おばけ」を出すことができる玩具もありました。昭和三〜四十年代に売られていたと思われる「おばけ花火」です。

     ダンディな晒し首、ほんとに痛そうな表情の幽霊、怖がらせる気の皆無なコミカルお化けと絵柄は色々ありますが、中身はほぼ同じです。

     線香花火に幽霊形の紙がついた、こういう物が出てきます。遊び方も書いてありました。
    『ローソクに火をとぼして……障子のかげにおき、デンキを消して、くらいところで障子にうつす』
     すると、このような影が現れます。

     かなり怖いです。

     これらは、子供に「おばけ」を見せたくて、「おばけ」として作られたものですが、まったく「おばけ」じゃないのに、子供たちが「おばけ」の姿を想像してしまうーーそんな遊びがあります。
    「なぞなぞ」です。

    《お父さんとお母さんとマリちゃんで山へ行きました。お父さんが「しまった! 【一つ目でも、絵が上手なヤツ】を持ってくるのを忘れた!」といいました。お父さんは何を忘れたのかな?》

     これは、なぞなぞの本にあった問題です。
     答えがわかりましたか?
     問題のタイトルは「絵のうまい一つ目小僧」ですが、当然それが答えではありません。
     答えは、カメラです。
     でも、答えを考えている間、頭の中に浮かんでくるのはカメラなどではなく、キャンバスに筆をすべらせている「一つ目小僧画伯」の姿ではないでしょうか。
     このように、なぞなぞの中には、そのまま想像したら「おばけ」になるようなものもたくさんあるのです。

     また、なぞなぞ本の中には、問題をイラストによって可視化しているものもあり、見たこともない「おばけ」の宝庫です。たとえばーー。

    《六個の顔に、目が二十一個もついているものなーに?》
     こんな問題の横には、頭が六つ、目が二十一個の見たことのない無気味なクリーチャーが描かれています。
     これらは、なぞなぞから生み出された、「おばけ」ではない、そして、なぞなぞの答えでもない、この時にだけ生み出された、消えるべき「おばけ」たちなのです。

     続けましょう。
    《雨の日が大好きな骨と皮の一本足、なーんだ?》
     潤いを求めているミイラの化け物しか思いつきませんがーー。
     答えはなんと「傘」。

     次も、なぞなぞ本にあった問題です。
    《その大男は僕の体を左手に握ると、手に力を入れた。「ギャーッ」僕の腹と背はくっつき、口からは臓物が一気に飛び出した。その男は平気な顔で、吐き出した僕の臓物を自分の口の中に入れた。ああ、なんという残酷な男だろう。ところで僕はなに?》
     なにって、被害者ですよ。
     もっといえば、「怪力で人喰いのヤバい男」に捕まった可哀そうな犠牲者です。
     問題の横に描かれていたのは、子供を握りつぶしている、見るからに話の通じなさそうなヤバイ化け物です。でも答えは「歯磨き粉」なんです。

     子供のころのことを思い出してみてください。
     きっと、いろんな「おばけ」と出会っているはずですから。

    【参考資料】
     『幼年倶楽部』大正十六年一月一日
     「夏の小児病醫典」『婦人倶楽部』七号付録
     山梨賢一『母と子のなぞなぞあそび』三興出版
     田淵秀明『決定版 なぞなぞ1515問』
     

    黒史郎

    作家、怪異蒐集家。1974年、神奈川県生まれ。2007年「夜は一緒に散歩 しよ」で第1回「幽」怪談文学賞長編部門大賞を受賞してデビュー。実話怪談、怪奇文学などの著書多数。

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