南信州の「霜月祭」と「昼神の御湯」で八百万の神々が生まれ清まる!/奇祭巡り・影市マオ
「遠山の霜月祭」の後、神々が滞在する湯治の温泉街を訪問! 湯屋守様が出迎える「昼神の御湯」へ向かった。
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世界中の神話を研究する神話学者が「怖い家」の謎を読み解く。「家」とはどんな場所なのか? そのヒントはあの名作アニメに隠されていた!
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事故物件住みます芸人・松原タニシさんの活躍をはじめ、事故物件ブームの勢いがとまらない昨今。一番の安らぎの場であるはずの自分の家がヤバい場所だったらこれ以上恐ろしいこともないわけだが、そもそも「家」は、本当に安心できる場所なのか?
神話学者の沖田瑞穂さんは、著書『怖い家』で、世界中の神話や伝承、さらに現代のホラーなどにあらわれる家にまつわる神話、家の怪異譚を考察している。古今東西の「怖い家」の分析からみえた「家」の正体とは……? 気鋭の神話学者にたっぷり話を伺った。
——沖田さんの著書『怖い家』では、神話や創作に登場する怖い家を手がかりに、そもそも「家」とはなんなのかが分析されていました。神話学の視点からみたとき「家」とはいったいどんな場所なのか、教えていただけますか。
(沖田)私が『怖い家』でまとめたかったのは「家の働き」ということです。神話学的に捉えると、家には、「生み出す家」「育む家」そして「生命を呑み込む家」という3つの異なる働きがあるんです。
いくつか例をあげながら説明してきましょう。
「生み出す家」というのは、たとえば昔話の「おむすびころりん」を思い出してみてください。おむすびを追いかけて穴に落ちたおじいさんが地中にあるネズミたちの家にたどりつき、やがて富を得て地上に戻ってくるという話です。
神話では大地は女神としてあらわされることが多く、植物を生み出し動物を養う大地は女神の子宮を象徴します。地面の下にあり富を与えるネズミのお宿は、まさに女神の子宮としての「生み出す家」だといえます。
次に「生命を呑み込む家」。日本神話では、原初の女神イザナミが死んで黄泉の国にいく場面がありますが、夫のイザナキが追いかけてゆくと、そこには御殿があり扉がある、という描写があります。つまり黄泉の国にも家がある。
そして、北欧神話でも死の女神ヘルは冥界の屋敷に住んでいて、ギリシャ神話にも女神ペルセポネが冥界の家に連れ去られてしまうという話があります。世界的に神話にみられるこうした冥界の死の家は、「生命を呑み込む家」であるといえます。
——神話学では、神話だけでなく童話や民話なども研究対象になるんですね。『怖い家』では現代の作品やアニメーションに出てくる家も幅広く考察されています。
現代の作品であっても、そのなかで作者が神話を意識する、あるいは無意識に神話的表現をしてしまうということはありますし、それは創作のうえでとても興味深いことで、神話学的に考察できると私は考えているんです。
童話で例を挙げると、グリム童話に「トゥルーデおばさん」という話があります。ある女の子が森のなかにあるトゥルーデおばさんの家にくのですが、このおばさんは実は魔女で、女の子は殺されてしまいました……という身もふたもない話ですが、これも「生命を呑み込む」という家の働きをあらわすものです。
そして家にはもうひとつ「育む」という機能があるんですが、それがよくあらわされている現代の作品が、スタジオジブリの『ハウルの動く城』です。
『ハウルの動く城』では、魔法使いハウル、主人公の少女ソフィー、ハウルの弟子マルクル、そして火の悪魔カルシファーの4人がハウルの城に住んでいます。
ソフィーは荒れ地の魔女に呪いをかけられて90歳のおばあさんになってしまった少女なのですが、映画をみていると、ソフィーが眠っているところをハウルが覗くと少女の姿に戻っていたり、逆に急に老け込んでしまうシーンがあったり、どうもソフィーの年齢がはっきりしていません。
90歳の老婆にされてしまったソフィーは、ハウルの城に暮らし、生活するなかで老いを超越したなにかになっていると思うんです。つまり、あの家のなかで「呪われた老婆」とは別のものに再生している。ハウルの城という家に育まれているわけです。
ハウルの城は物語の最後に解体されますが、その後ずいぶんコンパクトになってふたたび家の形を取り戻します。そして再生された城(=家)でソフィーもハウルも幸せに暮らしていくという最後が暗示されますが、その機能はまさに「育む家」であり「生み出す家」でもあります。
——ハウルしかり、家というと家主は男性というイメージが強いですが、神話的な解釈では家は女性、女神なんですね。
そうですね、ハウルの城は、ハウルが作った城ではあるんだけど、自律的に生きている城でもあります。そしてハウルもまた、主ではあるけれど、城=家に育まれている存在、生命のひとつだったということになるんじゃないかと思います。再生する家、母としての家のなかでハウルも暮らしている。
また、家には建物という以上に広い意味があるんです。生命が住む場所という意味では、住宅も家だし、家族も家です。いっぽうで、主に男性にとっての家には、自分の血統を存続させていく場所としての家、カタカナで「イエ」とかく、家社会があります。女性的な家と、男性的なイエ。『怖い家』では、このふたつの「いえ」についても考えています。
「家」と「イエ」という家の二面性をみるのには、『天空の城ラピュタ』がいい例になります。
物語の敵役であるムスカ大佐にとってのラピュタは、ラピュタ王家の血を存続させるためにあるもの、つまりイエです。ラピュタの城内でシータが捕らえられる場面がありますが、ここでムスカは「当分ふたりきりでここに住むのだからな」とシータに言い放ちます。これはかなり性的なことを暗示していますよね。王家の血統、イエとしてのラピュタを守ろうとするのがムスカです。
でも同時にラピュタは「家」でもあるんです。それは、シータとパズーの通過儀礼の場としてのラピュタです。死を覚悟したふたりが成長し、困難を克服してやがて巣立っていく。その場合のラピュタはハウルの城と同様に「育む家」でもあるのです。ふたりはラピュタという家に育まれ、出ていくんです。
ところで、シータは天空のラピュタ王の末裔という血筋に産まれながら、城を離れ大地に降りることを選びますが、じつはインドの神話『ラーマーヤナ』のヒロインはシーターという名前です。シーターは神話の最後に、大地の女神に願ってみずから大地のなかに消えていくという運命をたどるのですが、このシータとシーターの類似は、偶然ではないだろうと思います。
ジブリ作品を観ていると、宮崎監督は相当神話に詳しくて、意識的に作品に取り入れているんだろうなと感じられるんです。神話をかなり調べているなというのがわかるんですよ。
『ラーマーヤナ』のシーターは、いちど敵にさらわれて夫がそれを取り戻し、最後に大地に消えてゆくんですが、この流れはラピュタにおけるシータの展開に重なります。だからシータという名前は確信的に取り入れて、シーターのもつ性格を変化させているんだろうと思っています。
もちろん、神話を調べて取り入れるのがよくて、考えずに神話のオマージュになっているのがよくない、ということではありません。先ほどもいったように、創作のなかで無意識に神話的表現をしてしまうのもとても興味深いことだと思います。ただ、宮崎監督は相当神話を調べていますね。
そのように、ジブリ作品は全体的にかなり神話的なもの、異界的なモチーフが取り入れられているのかなと感じます。たとえば『となりのトトロ』にはさまざまな都市伝説があることが有名ですが、これも監督の意図を超えて作品が神話的な意味に読み取られているためかもしれませんね。
『となりのトトロ』の異界性について私が気になったところは、バス停の場面です。主人公のサツキはお父さんを待つバス停ではじめてトトロに出会いますが、バス停というのはふたつの世界の境目、境界的な意味を持つ場所です。そういう場所は死の世界、異界とつながるんだという暗示があるようにも思えます。
——ジブリ作品には異界を思わせるものが多いというのはおもしろいお話ですね。
ジブリ作品のなかでも、異界性が最も強い作品のひとつが『千と千尋の神隠し』ですね。まず冒頭から、千尋親子がトンネルを抜けて湯婆婆たちの世界にいってしまう。トンネルはもちろん「境界」です。
その後トンネルの向こうの世界で、千尋の両親は屋台の食べ物をたべてブタになってしまいますが、異界の食べ物を食べるとそこの人間になってしまう、というのは世界共通の神話的な手法です。
日本では女神イザナミが、黄泉の国で食事をしてしまったため地上に戻れなくなったと語る「ヨモツヘグイ」の神話が有名ですが、千尋の両親のブタ化はまさにそのモチーフです。
それから千尋も、ハクに初めて会ったときに口に飴玉を入れられますよね。千尋の体がうっすら透けてきてしまったときに、「これを食べないと消えてしまう」といってハクに飴玉を渡されます。この場面は「異界のものを食べることによってその世界にいることを許される」という神話的な表現です。裏を返せば、その世界のものを食べないとそこに居続けることはできないということ。ふたつの考え方が同時にあらわされているわけです。
そしてさらに物語がすすむと、千がハクにおにぎりをもらって食べるシーンがありますね。ここでは、「おにぎり」つまりコメだということが重要です。コメは、かまどで煮炊きしてつくりますよね。ヨモツヘグイ系の神話では、まさに「煮炊きしたもの」を食べることが重要なんです。千尋はおにぎりを食べることでやっと同じ釜の飯を食う湯屋の仲間になる、なってしまうということです。飴玉もおにぎりも、ハクから渡されたものを食べることでその世界での存在を許される、という一時的な救済でもあるのですが、同時にとても怖いシーンなんです。
また、物語のエンディングでもとの世界にかえる千尋に、ハクは「振り返ってはいけないよ」と声をかけますが、振り返りのタブーというのも世界の神話にしばしば出てくる話です。ギリシャ神話では、オルペウスという英雄が死んだ恋人を黄泉まで取り返しにいく話がありますが、どうしても心配になったオルペウスはあと少しでこの世界に戻れるというところで振り返ってしまい、恋人を永遠に失ってしまうのです。
——そうすると、千尋はやっぱり死んでいるんでしょうか?
はっきりは言えませんが、異界ですからうっすら死の匂いがある、ということはできるかなと思います。また「怖い家」という観点でいえば、あの湯屋もまさに湯婆婆の城、家なんです。湯婆婆という魔女の家ですから、トゥルーデおばさんや、ロシアの民話にでてくる、森の家に住みやってきた人間を食べてしまう魔女バーバ・ヤガー、あるいは日本の山姥のような「怖いおばあさん」の系譜にある家ですね。
しかし湯屋は、怖いだけの「命を呑み込む家」ではなく、千尋を育てて最後には送り返す「育む家」でもあるんです。
・・・
神話学的にみた「家」とは、命を生み出し、育て、そして命を呑み込む場所であるーー。事故物件に限らず、家はもともと人間が安心して暮らせる場所ではなかったのかもしれない。
また、ジブリアニメは神話学的にもおもしろい作品だった! ということが判明。次回はさらに神話学からみたジブリの「ツボ」を深掘りしてもらう。(つづく)
沖田瑞穂(おきたみずほ)
神話学者。専門はインド神話と比較神話。 著書『怖い家』『怖い女』『マハーバーラタ入門』『世界の神話』『インド神話』『すごい神話』など多数。
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