西郷隆盛の不死伝説/MUTube&特集紹介  2026年10月号

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    西郷隆盛にまつわる数々の謎と伝説をめぐる歴史ミステリーの深層とは。この記事を三上編集長がMUTubeで解説。

    西郷は本当に城山で果てたのか?

     明治10年(1877)9月24日、未明──西南戦争で官軍の総攻撃が始まった。号砲は夜空を切り裂き、追いつめられた賊軍は包囲され、弾薬も尽き、兵もわずかしか残っていなかった。そこには被弾し、歩くのもままならない西郷隆盛の姿もあった。
    「晋どん、晋どん、もうここらでよか」
     西郷はそういって、別府晋介に介錯を依頼し、自決した。
     賊軍の将として非業の死を遂げた明治維新の英雄の死によって、日本における最後の内戦・西南戦争はここに幕を閉じた。
     薩摩が生んだ巨人、西郷隆盛は歴史の表舞台から姿を消した。享年49……だが、西郷の「最期」は本当に、史実として伝えられているものだったのだろうか。
     西南戦争終結の直後から、民衆の間では奇妙な噂が囁かれ始めた──西郷は死んでいない。
     城山が陥ちる前、密かに包囲網を突破し、薩摩半島西岸へ落ちのびた。さらに和船で甑島へ渡り、待機していたロシアの軍艦に乗り込み、ウラジオストクへ向かった。ほかにも、
     西郷が馬賊・反乱勢力と合流して清に渡った──。
     南西諸島・台湾経由で南方へ逃れた──。
     など、「西郷生存説」には、いくつかのバリエーションがあった。荒唐無稽な流言、いまでいう「都市伝説」として笑い飛ばすのは簡単だ。しかし、この生存説は一時の与太話では終わらず、西郷の死後も長く語り継がれ、年を経るごとにディテールが加えられながら増幅・増殖し、人々の想像力を刺激しつづけてきた。
     西郷は謎が多い人物だ。幕末・維新史を語るうえでの最重要人物でありながら、「顔」=「写真」が存在しないのである。肖像画は複数残されている。東京・上野にも鹿児島・城山町にも銅像が立っている。だが、いずれも同じ顔には見えない。そして、真正と断定できる写真は今日にいたるまで、一枚も発見されていない。顔が定まらず、死の輪郭も曖昧、しかも国家によってそのイメージが作り替えられていった(後述)英雄──謎多き西郷という人物であればこそ、「どこかで生きている」という物語が説得力と生命力をもって広がったとしても不思議ではあるまい。
     西郷は本当に城山で果てたのか。もし死んだとしても、なぜこれほどまでに「生きている」と信じられたのか。そして、彼を討ったはずの明治政府は、なぜその死者をかくも丁重に祀り直したのか。西郷の最期の現場から、首実検をめぐる謎、ロシア亡命説、封印された写真、そして国家が怨霊として恐れ、鎮めようとした西郷──この巨人のさまざま伝説をめぐる歴史ミステリーの深層へ分け入ってみたいと思う。

    (文=斎藤充功)

    続きは本誌(電子版)で。

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    webムー編集部

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