異様な興奮がショック死を招いた! 「マラカナンの悲劇」/サッカー都市伝説(1)

文=中野雄二

    世界最大のスポーツの祭典にまつわる、ウソのような本当の話。

     サッカーW杯はもともと「フットボール世界選手権大会」という名称で開催される予定であった。しかしこれに強硬に反対したのは、〝W杯の生みの親〟として知られるフランス人のジュール・リメ氏だ。彼は会議でこう訴えた。
    「これは単にフットボールが世界一強い国を決める大会ではない。世界中の人が一緒になって楽しむフットボールの祭典なのだ!」
     リメ氏の熱い夢は結実した。
     1930年、ウルグアイにおいて初のW杯が開催される。それ以来100年近く、世界に類例のない壮大な祝祭空間としてW杯は人々に愛されつづけている。

     単純なスポーツ大会ではない。サッカーの祭典なのである。そこには歓喜がある。夢がある。そして興奮がある。ただし〝興奮〟にはハプニングがつきものだ。そしてハプニングの先には、ときに悲劇も待ち受けている。

     1950年7月16日。
     後に「マラカナンの悲劇」として語り継がれる恐ろしい事件は、決勝戦となったブラジル対ウルグアイの試合で起こった。
     世界最大の収容数を誇るマラカナン・スタジアムには、母国ブラジルの優勝を信じて疑わない観衆が詰めかけていた。後半2分にブラジルが先制点をあげると、勝利を確信した20万人の観衆の興奮はピークに達する。
    が、信じられないことに、ウルグアイはその後立てつづけに2点を連取。だれもが予想だにしない逆転劇であった。
     試合後、スタジアムは大混乱に陥った。あちらこちらで悲鳴と怒号が飛び交う。
     やがて肩をがっくりと落とした人々が立ち去っても、スタジアムには椅子に座ったまま微動だにしない観客が4名いた。彼らは呆然としたまま座りこんでいたのか? いや違う。彼らは母国のまさかの逆転負けに耐えられず、その場でショック死していたのである!

    1950年7月16日、W杯ブラジル大会。画像=Wikipedia
    1950年7月16日、W杯ブラジル大会決勝で、ゴールを決めてブラジルを絶望へと突き落としたウルグアイのギジャ選手。画像=Wikipedia

    月刊ムー 2018年7月号より

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