語られ書かれて生まれる実話怪談というジャンルを語り合う「教養としての怪談」対談/吉田悠軌・蛙坂須美
各種メディアにとりあげられ、すでに重版出来の話題書『教養としての最恐怪談』。先日開催された発売記念イベントでは、実話怪談をめぐるあつい議論が交わされた……!
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文=シークエンスはやとも 構成=倉本菜生 イラスト=ネルノダイスキ

霊界と芸能界、そして都市伝説界隈から世界を見る芸人が、気になる噂のヴェールをめくる。今回のテーマは「実話怪談」のブームについて。なぜ今、怖い話を求める人が増えたのか?
都市伝説を愛してやまない吉本興業所属の霊能者、シークエンスはやともです。今回は「実話怪談ブーム」について語っていきます。
今は「怪談といえば、実話怪談」といわれる時代です。単なる怖い話ではなく、「友だちの友だちが体験した話」など、生々しさが求められています。僕も怪談イベントによく出演していますが、そこで語られるのは語り手自身の体験談や、実際の事件・事故に由来する話ばかり。創作よりも「リアル」が求められていると感じます。
なぜ実話怪談が人気なのか。
それは、人々が「創作を楽しむ余裕」を失っているからではないでしょうか。かつては『ほんとにあった!呪いのビデオ』や映画『ノロイ』のように、真実を装った作品が人気でした。作り手は「これはノンフィクションだ」として提示し、視聴者は半信半疑でもそのまま楽しんでいたのです。
嘘を嘘として楽しむには、心のゆとりが必要です。暮らしが厳しくなると、心の余裕も失われていきます。そこにインターネットやSNSの普及が重なって、噂話や都市伝説の拡散が日常的になりました。
「嘘を嘘として楽しむ文化」よりも「リアルを徹底的に追求する」社会へ。ホラーや怪談を楽しむにも身近に感じるためのリアリティが必要になりました。
フィクションだけれどリアルとして提示するモキュメンタリー作品では、『近畿地方のある場所について』が大ヒットしたのは記憶に新しいですよね。成功の理由は、原作が活字で、しかもウェブ連載、断片での発信だったことにあると思います。あの作風を文字で読むと、「本当かもしれない」と想像力をかき立てられ、独特のゾクゾク感を味わえる。
YouTubeのような「身近で個人的な語りの場」も、独特のリアリティがあります。そこでだれかが淡々と語る話には、親近感もあいまって、妙な「本物っぽさ」がにじむ。
実話怪談は、映画やドラマほど作り物っぽくないし、ニュースやドキュメンタリーのような硬いリアルでもない。その狭間にあるからこそ、「作り話みたいだけど本当かも」と思わせる余地が残り、人々を強く惹きつけているのでしょう。

実話怪談ブームが行きつく先はどこか? 僕自身は、このままいくと縮小していく気がしています。なぜなら、今の怪談はトークの技術よりも「ネタのインパクト」に依存しているから。不可解な死や事故、事件といった素材に頼っている部分が強くて、語り手が磨き上げるべき「話芸」が育たない。ただ、そこは「実話を生々しく語る」うえで、洗練されすぎないくらいがよかったりもするので難しいところです。
自分を含めて芸人が怪談をやる機会や現場も増えましたし、怪談師、怪談を語る人が増えて、界隈がにぎわいを見せているのはいいことだと感じています。
でも怪談の世界には、「だれもが憧れるレジェンド」と呼べる語り手がいません。業界を代表する大御所は存在しますが、その人の「鉄板の怪談」をみんなが知っているかというと……ちょっと怪しいですよね。「この人といえばこの話」という定番が欠けていると思います。
実話怪談は「新しい話じゃないと客が来ない」という状況が続いているんですよね。落語や漫才なら「あのネタが来た」とお客さんが喜ぶ場面があります。演者と観客が「定番」を共有しているからこそ、積み重ねや洗練が生まれる。けれど怪談にはその仕組みが、いまのところない。ネタの過激化や倫理観の逸脱に走ってしまうのは、新ネタを求めすぎるジャンルの特徴が影響しているのではないでしょうか。
そこに重なるのが、時代の空気。今は「一撃で人の興味を引くもの」が好まれる世の中。ショート動画が流行り、音楽もサビから始まるものが多くなった。お笑いでも「つかみ」が弱いと減点されるようになりました。怪談も同じで、一瞬で強烈な違和感を与える話が好まれています。
ただ、インパクト頼りにも限界もあります。たとえばお笑いなら、「天然で面白い人」にはだれも勝てません。狙っていないのに面白いという存在に、技術でやっと肩を並べるのがプロの世界です。
怪談の場合、「天然の怖さ」にあたるのが呪物でしょうか。由来のある呪物は、その存在だけで人に恐怖を与えられる。語らなくても成立するし、語れば語るほど「これは本物だ」と思わせられる。こうした呪物に匹敵するほど「話芸」を極めた怪談師は、まだいないのが現状です。
人は不安を感じると、だれかと共有したくなったり、共感してほしくなる生き物です。今の怪談やホラーに「死」「病」「自殺」といった陰惨な題材が多いのは、先の見えない世の中で、「死への恐れ」を抱えている人が増えているからかもしれません。怪談を通じて死や恐怖を疑似体験したい。それで「生きている自分」を確認し、ある種の安心感を得ているのだと思います。
そして、今年はホラー系の展示や体験型イベントが人気を集めています。一撃のインパクトよりも、「自分の中に事実として入ってきた」と錯覚するような高い没入感への反応も強いですね。
怪談の世界も、没入型の語りができる人が登場すれば、また別の方向へ進化していくでしょう。「過激なネタ頼り」で先細りしきってしまう前に、聴き手を没頭させ、巻き込んでしまうトークスキルと経験を持つ怪談師が現れれば、状況は一変すると思います。「あの人の怪談は別格だ」とだれもが認める存在が出てきたとき、実話怪談はジャンルとして一気に成熟するはずです。
僕らが今やっているのは、そのための種まきなんだと思います。YouTubeで怪談を発信し、視聴者の若い世代に「自分ならもっと怖く語れる」「自分の体験を入れたほうがやばい話になる」と感じてもらう。そして彼らが怪談語りにどんどん挑戦してくれたら、その中から新しいスター怪談師が生まれるんじゃないか。
今の自分の仕事でいえば、ライバル登場に期待、ということになりますね。今回の話は、怪談も語る芸人としての巨大ブーメランです!
(2025年 月刊ムー11月号)
シークエンスはやとも
1991年7月8日、東京生まれ。吉本興業所属の〝霊が視えすぎる〞芸人。芸能界から実業界、政財界にも通じる交友があり、世相の表も都市伝説も覗いている。主な著書に『近づいてはいけない いい人』(ヨシモトブックス)、『霊視ができるようになる本』(サンマーク出版)など。
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