煙鳥「声優学校の降霊」怪談/怪談連鎖

監修・解説=吉田悠軌 原話=煙鳥  挿絵=Ken Kurahashi

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    怪談を聞き、語ることで新たな怪談が集まってくる。人が怪を求めるかぎり、連鎖しつづける恐怖のつらなりが途絶えることは、ない。

    天井を歩く足、舞台袖の腕声優学校にあらわれる怪

    「大御所の声優Nさんが創立した、とある養成学校での話です」
     煙鳥さんが怪談を語りだす。

     その学校はかつて東京の中央区にあったのだという。N氏の方針として、声優のトレーニングのみならず演劇やダンスパフォーマンスなど多方面で活躍できる人材を育成しようとの趣旨で運営されていた。
    「そこに僕の知り合いの女の子が通ってたんですよ。声優とか役者とか目指していた人で、今は引退してるんですが、深夜アニメの脇役くらいはやってましたね」
     仮に冬子としておこう。彼女が新潟から上京して入った学校が、いろいろと怪談の噂が多い場所だったというのだ。
     たとえば衣装部屋から衣装がなくなったと思うと、数週間後にいきなり泥まみれになってクローゼットに戻っているとか。だれもいないのに、屋上のほうから人の足音がするとか。そこで上を見上げると、逆さまになった足が天井を歩いているとか……。みなが口を揃えていうには、音は屋上から聞こえるのだが、足が出てくるのはなぜか屋上へ通じる階段の天井らしいのだ。
     冬子自身はなにかを見たことはないものの、足音なら聞いている。セリフを覚えるため、ひとりで学校の階段を歩いていたときのことだ。脚本を持ち、そこに書かれた言葉をぶつぶつと呟きながら、2階から3階へと昇っていく。するとペタペタという音が聞こえてきた。人がいるはずのない、3階から屋上へと続く階段あたりで響いている。
     見上げると、その先は真っ暗闇。そして闇の奥から、素足で床を歩くような音が行き来している。怖くなった冬子は、そのまま2階の練習室へと走って戻っていったのだという。
    「その建物ではとにかく変なものを見たり聞いたりしている人たちが多くて。スタッフさんや講師の人たちから、生徒はひとりだけで遅くまで残らないように、と注意されていたそうですよ」
     そうこうするうち、年に一度の発表会が催される時期がきた。冬子より上の期のとあるクラスは、N氏が脚本を書いた演劇を行うことになった。昭和の子どもたちを主人公とした群像劇だったようだ。
     そのリハーサルを見学するため、冬子は学校の地下に併設された劇場へと出向いた。そして客席からリハーサルの様子を眺めていたのだが。
     ふと気づくと、舞台袖から奇妙なものが見えている。タオルだ。幕の裏のやや高い位置から、ひょろりとタオルが差し出されている。
     ……リハーサル中なのに、だれかがふざけているのかな。
     そう思いながら凝視するうち、タオルが上下にはためきだした。パンパンという音が聞こえてくるほどに勢いよく振られている。さすがにお遊びが過ぎるだろうと、怒りの感情が湧いてきた。
    「だれかが舞台袖からタオルを出してたよね? ああいうのってよくないと思う」
     終演後、同期の生徒たちに意見を述べたところ、予想外の反応がかえってきた。彼らにも舞台袖から出ているものは見えていたそうなのだが「タオルじゃなくて手だった」との意見が多数だった。出演者が手をひらひらと出していたように見えたのだ、と。また、さらに奇妙なものを見たという人もいた。
    「……顔だったよ」
     幕から人の顔だけが飛び出していた、というのだ。それもやけに長く伸びた顔が。
     最初は演出の一部なのかと思った。だが作中でいっさい触れられないし、その長い顔がグネグネとうねるように動き出した。映像や小道具を使ってできるような仕掛けには見えなかったのだという。

    ケガ人続出の公演、その原因は……

     そして本番を迎えたのだが、初日からトラブルが続出する。時代設定が昭和のため、コックリさんをするシーンが劇中に挟まれる。そこでいつも空気が変わるのだ、と出演者たちは口を揃えた。
     また公演中にケガ人が続出し、それらはすべてコックリさんの場を担当する役者たちだった。なかにはケガの具合がひどく、続行が不可能となる演者までもがひとりふたりと出てしまう。
     ダブルキャスト公演のため出演陣が2組に分けられていたのだが、AキャスとBキャスが入り混じるという異例の事態となる。それでも強行突破で千秋楽を迎えた日には、3人目の脱落者まで出ていたのだった。
     後日、キャストやスタッフその他による打ち上げの飲み会が催され、冬子もそこに参加した。ケガでリタイアした3人も同席しており、残念がりつつもそれなりに楽しく酒を酌み交わしていたのだが。
     宴席が進むうち、突然、リタイア組の3人のうちのひとりがフラフラと立ちあがりだした。脇に座っていた冬子がトイレにでもいくのかと見ていた次の瞬間。前触れもなく、その体が横向きに倒れこんだかと思うと。
     これまで聞いたことのない、鈍くて嫌な音が響いた。
     そこは安居酒屋のため内装が雑で、鉄骨がむき出しになっていた。まるで狙いすましたように、その鉄の塊へと頭部をしたたかに打ちつけてしまったのだ。
     騒然となった店内から救急車へと運ばれていく先輩を見送りながら、冬子は胸の中で呟いた。
     ……いくらなんでも、おかしなことが続きすぎでしょう。
     不審感を抑えきれなくなった冬子は、それとなく先輩女優に近づき、話を振ってみた。例のコックリさんのシーンに上がっていた役者のひとりである。
    「すいません。失礼ですけど、やっぱりコックリさんのシーンって、緊張とかあって難しかったですか?」
     この女優は、訓練生のなかでも特に安定感のある演技に定評があった。そんな彼女がいざコックリさんの場となると、逆に必ずセリフが飛んだり、あやふやになってしまう。この奇妙な事態については彼女自身も言及していたので、後輩ながらも本人に質問できたのである。
    「緊張というより、怖かったのよ……」
     本番中、コックリさんを行なうたびにあるものを見てしまっていたからだというのだ。
     コックリさんの演技をしながらひとかたまりになって座っていると、自分たちの周りをなにものかが取り囲む。視線を落とし、見ないように心がけながらも、ついチラチラと横目で確認してしまう。
     黒い人影、に見えたそうだ。黒一色の人型のシルエットが3体。互いに手を繋ぎ合いながら、自分たちの周りをぐるぐるぐるぐると回りだす。コックリさんを行っているあいだ、3体の人影はずっと、かごめかごめの遊びをしているかのように回り続けていたのだという。
    「ほら、リタイアした人たちもちょうど3人でしょう……。今だってあんなケガしちゃったし……」
     私もう、怖くてしょうがないよ。女優の青ざめた顔を見て、冬子も背筋を震わせたのだった。
     一連の出来事を受け、同公演はもう二度と行われないことが決まった。脚本を書いた声優N氏の判断だったという。たった一度きりで終わったその芝居について、それがなぜここまでの災厄をもたらしたのかについて、N氏はなにか知っていたのだろうか。

    煙鳥(えんちょう)
    ニコ生怪談配信のパイオニアのひとりであり、現在も「VR 怪談」など新たな恐怖の表現を模索しつづける覆面怪談師。共著書に『会津怪談』、怪談提供・監修をつとめた『煙鳥怪奇録』シリーズなどがある(ともに竹書房)。

    原因は演目なのか、あるいは土地の記憶か

    「……そんな体験をしたのが、冬子さんが20歳あたりのことです。もう20年ほど前になりますね」
     N氏ももはや逝去しており、件の養成学校は10年近く前に閉鎖されている。ただ建物自体はまだ残っており、煙鳥さんから聞いた住所をGoogleマップに打ち込むとその外観を確認することもできた。
     コックリさんにまつわる怪異は演目に原因があるような印象を受ける。演技として自らの意識で10円玉を動かすことも、参加者以外に大勢の観客がいる前でそれを行うというのも、交霊術としてのルールに反しているからだ。祟りめいた現象が発動する、あまりよろしくない行為をしていたのではないか、と煙鳥さんは主張している。
     ただそれとは別に、学校が建つ土地・建物のいわれなども絡んでいるような気がする。特に屋上へ続く階段で、足音や逆さまの足という「足」にまつわる怪異が頻出していたのはなぜなのだろうか。どうにも要因をひとつに絞りきれない怪談だ。
    「建物は昔のまま残ってますからね。今でも似たような噂があるのかどうかは、ちょっとわからないですけど……」
     実は中央区のこの土地について、私はまた別件の調査をしていたことがある。数十年前、人形町に住んでいた「ねずみ仙人」という人物についてだ。戦前に浜町で生まれた女性のブログを読むと、夏祭りに現れるねずみ仙人の様子が述懐されている。
    「ちょんまげ姿で上半身裸、赤いけだしをヒラヒラさせて、縦横無尽に派手に踊りまくる、ヤケに脂ぎったオジサンが現れます。踊っている女の子達はキャーキャー云って逃げ回ります」
     なぜその中年男がねずみ仙人と呼ばれたのか。ブログ主によれば当時、各家庭で捕まえた鼠を持っていくと、ねずみ仙人が1匹10円で買い取ってくれるとの話が囁かれていた。なぜなら、鼠こそが彼の主食だからだ。出征中、戦地で食料がなかった彼はやむなく鼠を食べて飢えをしのいでおり、それが病みつきになってしまったのだ……。そんな噂が、当時の人形町や浜町で流れていたそうだ。

    花街、遊郭、水路……横たわる街の記憶

     ただ私としては、同ブログに書かれたまた別の情報にこそ由来があるのでないか、と感じた。

    「『ねずみ仙人』は人形町に住んでいました。アパートを持っていて、住人のほとんどが、当時『パンパン』と呼ばれていた娼婦の女性達。その女性達からオジサン オジサンと慕われている様子はよく目にしました」

     つまりねずみ仙人の職業は、戦後の路上に立つ街娼たちを束ねる女衒だった。そして遊郭の芸娼妓または道端の夜鷹が男客を誘う際、ちゅうちゅうと鼠の鳴き声を真似るのは江戸時代からの作法で、これを「鼠鳴き」という。その連想から、彼に「ねずみ仙人」のあだ名がつけられたのではないか。
     そもそも人形町は、明暦の大火によって吉原遊郭が現在地に移る前の「元吉原」があった土地だ。江戸期が過ぎた後もなお、その名残は周辺地域に残っていた。明治には私娼を集めた置屋が軒を連ねていたと永井荷風が記しているし、花柳街については現在も細々とではあるが続いている。
     件の養成学校の建物は、元吉原のすぐ傍に位置している。江戸時代につくられた水路が戦後に埋め立てられた、その川筋に沿った場所に。裸足の足音、逆さまになった足、そしてコックリさんとともに現れた3体の人影。それらは元吉原の時代から続くこの町の記憶、この町に生きていた女性たちの残影ではないだろうか。

    (月刊ムー 2024年12月号)

    吉田悠軌

    怪談・オカルト研究家。1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、 オカルトや怪談の現場および資料研究をライフワークとする。

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