ヒマラヤの雪男「イエティ」は実在する! 直立二足歩行する獣人UMAの正体とは !?/羽仁礼・ムーペディア
毎回、「ムー」的な視点から、世界中にあふれる不可思議な事象や謎めいた事件を振り返っていくムーペディア。 今回は、ヒマラヤ山脈に棲息し、多くの痕跡も確認されている「雪男」型の獣人UMA「イエティ」を取り
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誰が最初にエベレスト登頂に成功したのか? 100年に及ぶ「論争」を、山の女神の視点で再考する。
目次
世界で最も高い山が「エベレスト」であることは、誰もが知っている。では、8848メートルの高さを誇るその峰に、人類が初登頂を果たしたのはいつかご存じだろうか? 答えは、約70年前の1953年5月29日。ニュージーランド出身の登山家エドモント・ヒラリーと、シェルパ族のテンジン・ノルゲイによって果たされた。
……というのが、「エベレスト初登頂」とググった時に出てくる公式情報である。
しかし、実はそれより29年も前に、初登頂はもう果たされていた……とする説がある。
1924年6月、イギリスの登山家ジョージ・マロリーとアンドリュー・アーヴィンによってエベレスト登頂アタックが行われた。だが頂上まで残り数百メートルの場所を登っていく2人の姿は目撃されているものの、そのまま消息を絶ったため、結局登頂できていたか誰にもわからない……という状況から発生した説だ。
俗に「エベレスト初登頂の謎」とか「マロリー伝説」とか言われ、世界の登山史上最大のミステリーとして語り継がれている。人類史に残る偉業「エベレスト初登頂」の記録が、実は30年近くも巻き戻るかもしれないというこの説は、世界中の人々の胸を熱くしてきた。
そして今年、2024年は、このマロリー伝説が生まれた1924年からちょうど100周年。1世紀もの間、人類が答えに辿り着かなかった一大ミステリーに、今回はムー的目線で迫ってみたい。エベレスト周辺で暮らす現地民の宗教と、そこに棲む女神を軸に、マロリー伝説を紐解いていく。
まずはエベレストの基本情報と、人類初登頂までの流れを簡単に振り返ろう。
エベレストは、中国チベット自治区とネパールの国境にまたがったヒマラヤ山脈に連なる高峰のひとつ。その名称は、イギリス領インド測量局がヒマラヤの測量を行った19世紀に付いた英語名だ。測量局の長官を務めたイギリス人、ジョージ・エベレストから付けられた。
測量により世界一高い山と判明したことで、エベレスト初登頂をどの国が果たすかは、各先進国で国家規模のプロジェクトとなった。また、「チベットとネパールにまたがる」というヒマラヤ山脈の特徴により、地政学的な意味でも各国の思惑が渦巻く場所となる。
第二次世界大戦前までは、チベットとネパールは共に鎖国状態。当時は、アジア地域で支配力が強かったイギリスの登山隊が、チベット側からのエベレスト登山を独占する状態だった。第一次世界大戦の後遺症で疲弊していたイギリスは、改めて自らの国力を世界に知らしめる手段の一つとして、「エベレスト初登頂」を目指しており、1921年から1938年までに7回も遠征隊を送っている。
しかし第二次世界大戦の激化により、その試みは一時ストップ。そして戦後、列強各国の植民地支配の時代が終わり、世界地図が大きく変わったこのタイミングで、1950年にネパールが鎖国を解く。ここで初めてネパール側からのエベレスト入山が可能になり、それまでイギリスが独占していたエベレスト初登頂への門戸が世界中に開かれた。一方のチベットは、1950年代に中国が制圧したことで、以降は長らく中国政府から入国許可が降りない地域となる。
そして1953年、3年前に鎖国が解かれたばかりのネパール側から入山した、イギリス登山隊所属のヒラリーとテンジンによって、エベレスト初登頂が果たされた。イギリスとしても、1921年から続いたエベレスト遠征にかける悲願が達成された瞬間であった。
上述の通り、エベレスト登山は第二次世界大戦前までイギリスが独占しており、同国は1921年から幾度も登頂へ向けて奮闘してきた。マロリー伝説が生まれたのは、イギリスが第3回目の遠征を行った1924年のことだ。
しかしなぜ、これが100年経っても謎のままなのか? その理由は、大きく2つの偶然が重なったことによる。
ひとつは、当時マロリーと同じイギリス登山隊に所属した地質学者、ノエル・オデールの目撃情報である。というか、恐らくオデールの目撃がなければ、マロリー伝説は生まれていない。
説明するとこうだ。1924年6月8日、マロリーとアーヴィンが最後の滞在場所であった第6キャンプを出てエベレスト頂上へとアタックしていたその時、オデールは彼らをサポートすべく後から第6キャンプを目指して登っていた。標高8077メートル付近でふと顔を上げた時、オデールは、8848メートルの頂上へ続く最後の山壁へと進む「2つの黒い点」を見たという。
言うまでもなく、その時山壁を登っていた2つの黒い点は、マロリーとアーヴィンであろう。その場所は、頂上からわずか数百メートル手前だったという。しかし、このオデールの目撃を最後に、マロリーとアーヴィンは消息を断った……。
ここから「オデールの言うことが本当で、そこまで登れていたなら、まず登頂しているだろう」という見解を持つ者が多く、マロリー伝説肯定派が説を信じる理由の一つになっている。特に、「まだ22歳と若かったアーヴィンは無理だったとしても、経験豊富で卓越した技術を持つ天才クライマーのマロリー(当時37歳)なら、登頂があり得る」という期待が多分にあった。
もちろん当時から、オデールの目撃情報そのものに疑義を呈する意見もあり、オデールも後からその内容について変更したこともあった。だが、自身に課せられた「目撃者」という大きな役割の下、晩年は最初の目撃内容を肯定していたそうだ。
そしてもうひとつ。登頂アタック時にマロリーが持っていたはずのカメラ「ヴェスト・ポケット・コダック・モデルB」が、2024年現在に至るまで見つかっていないこと。これがもうひとつの偶然である。
もし登頂を果たしていれば、マロリーは頂上から手持ちのカメラで撮影をしているはずで、そのフィルムが見つかればエベレスト初登頂の謎が解けると考えられているのだ。コダック社も見解を出しており、「エベレストの低温環境下で、フィルムが現像可能な状態の可能性がある」という。
しかし1999年にマロリーの遺体が発見された際、期待されたカメラはどこにもなく、結論は出なかった。残された可能性として期待されるのは、同行者であったアーヴィンがカメラを託されて持っているパターンだが、いずれにしろアーヴィンの遺体は2024年現在も見つかっておらず、謎は謎のままなのである。
ちなみにこのマロリーのカメラが、ネパールの古道具屋で発見される……というストーリーで始まるのが夢枕獏の小説「神々の山嶺」だ。マロリー伝説をテーマに書かれた山文学の傑作である。
なお言ってしまうと、「マロリー登れてない説」を唱える登山家も普通に多い。それに、例え登頂できていたとしても、遭難せず生きて帰ってこそ登山成功と言えるので、「エベレスト人類初登頂」の栄誉は変わらずヒラリーとノルゲイのものであるべき、とする意見もある。ただ、後者の意見に賛同する人も、「その上で結局マロリーは登れていたのか?」と疑問は疑問として気になるわけだ。
そんなわけでマロリー伝説は、現代風に言うと都市伝説的なものなのだが、「トイレの花子さん」よりは確度の高い未解決ミステリーと言える存在である。
ではいよいよ、ヒマラヤ地域に住む現地民にとってのエベレストと宗教観について紹介しながら、マロリー伝説を紐解いていこう。エベレスト初登頂を競った欧米の先進国とは見え方の違う世界最高峰が、そこにある。
エベレストは測量される以前から、現地民に「とても大きい山」と認識されていて、地域ごとに呼び名があったようだ。現在も、中国・チベット語で「チョモランマ」、ネパール語で「サガルマータ」という呼称が伝えられている。
日本がそうであるように、人間の生活圏のすぐ近くに高い山があると、ほぼ必ずと言って良いほど山岳信仰が生まれる。エベレストを含むヒマラヤ地域も例外ではない。
エベレスト周辺の高地に住み、ヒマラヤの高峰を聖山として信仰する種族といえば「シェルパ族」。エベレスト登山のガイドを務めることで有名な現地民である。エドモント・ヒラリーと共にエベレスト初登頂を成し遂げたテンジン・ノルゲイも、このシェルパ族だ。
彼らの先祖は、かつて東チベットからヒマラヤを越えて、エベレストの南側(3450mの高地にあるナムチェ・バザールがメイン)に住み着いた。つまり彼らはチベット系民族であり、基本的に「チベット仏教」の信徒である。今回は、このシェルパ族とチベット仏教の世界観を軸に考察する。
元々はチベットの土着宗教(を総称する)「ボン教」をベースに持ち、そこに仏教が入ってきたという流れがあるのだが、チョモランマという名称もこのボン教から続くチベット仏教の世界観が基盤になっている。
チョモランマという言葉の意味は、「大地の女神」「世界の母神」「象の姿の堂々と美しい女性」など文献によって諸説あるが、いずれも女神を表す。その頂上には「ミヨラングサンマ」(チョモ・ミョランサンマ)という慈悲深い女神が棲んでいるとされ、この女神とチョモランマは同一視されている。彼女はボン教由来の女神で、途中で仏道に転向したのだという。
なお、日本の一般的な山岳信仰と異なり、ヒマラヤ周辺では基本的に登山が禁忌とされてきた。「神様の居場所である聖山に人間が入ってはいけない」という考え方なのだ。ちなみに欧米では、山は神でなく悪魔の棲む場所とされることが多く、そこに人間が入っていくことは悪魔退治という英雄的行為に繋がった。このあたり、登山への民族性が出るのも面白い。
登山を禁忌としてきたシェルパ族が、仕事(ガイド)でエベレストを登る際は、麓のベースキャンプにて「プジャ」という儀式をする。ベースキャンプに祭壇(祈祷所)を作り、そこに僧侶を呼んで祈りの儀式を行うもので、人間が聖山へ足を踏み入れるために、絶対に行わなくてはならない安全祈願だ。
また、ヒマラヤ山脈の雪は、周辺国を流れる川の源流となっている。つまり、周辺国にとっては恵みの水をもたらしてくれる聖山だ。シェルパ族の世界観では、チョモランマの山頂に棲まうミヨラングサンマがその見返りとして人々に求めるのが、自身への「信仰心」であるという。
エベレスト初登頂に成功したシェルパ族のテンジン・ノルゲイも、このミヨラングサンマを信仰していた。テンジンの息子であるジャムリン・ノルゲイの著書「エベレスト50年の挑戦 ―テンジン親子のチョモランマ」では、偉大な父親が1953年にエベレスト初登頂を成し遂げた際の状況を、細かく振り返っている。そこには、彼らがエベレスト登山にあたり「オン・マニ・パドメ・フム」とチベット仏教の真言を唱える様子が描写されている。
ここで興味深いのが、同著によれば、父のテンジンは当時、「ヒマラヤに住む仏教徒が、最初にチョモランマの頂上に達する」というお告げに導かれた(意訳)というのだ。このお告げを信じた上で例の1924年を振り返ると、マロリー伝説は不思議な色を帯びてくる。
筆者は、マロリー伝説を知った時からずっと思っていたことがある。というか、それを知る多くの人が感じていると思うのだが… スバリ、いくつもの偶然が「できすぎている」ということだ。
あの日オデールが、ちょうど「もう少しで登れそうな場所」を進む2人を目撃したこと。そして、マロリーが持っていたはずのカメラが今も見つからないこと。こんなに上手い具合に、伝説が成立する要素が揃うものだろうか? 登山に詳しい玄人ならまだしも、素人が聞いても「これは凄い伝説だ」と認識できるファクターばかりだ。
ここまで見てきて、歴史的・民俗学的に、エベレストには大きく2つの側面が存在したことがわかる。ヒマラヤ地域に住むシェルパ族の世界では、人智を超えた神の力が及ぶ場所。対して、かつてエベレスト初登頂を目指した欧米各国にとっては、人間が肉体の限界に挑む場所である。
ミヨラングサンマのルールでは、自身へ篤い信仰を捧げるヒマラヤの仏教徒が、最初にチョモランマの頂上に達する…はずであった。しかし、そんな神力すら超越し、あの日マロリーとアーヴィンが人間の限界を超えて頂上に達したのだとしたら……? ミヨラングサンマがその慈悲深さから、マロリーたちの力を後世に教えるために、神がかり的な偶然を起こしたと考えるのはどうだろうか。
日本人には、「山の女神が嫉妬してしまうから登山は女人禁制」という古の感覚があると思う。マロリーも、エベレスト登頂を成し遂げたら頂上に置こうと自身の妻の写真を持っていたというので、この行為にミヨラングサンマが怒って登頂させなかったという予想ももちろんできるだろう。
ただ筆者は、彼女が「慈悲深い女神」と言い伝えられていることが無視できない。地政学的にも複雑な歴史を辿ったヒマラヤ地域。エベレスト登頂を目指す人間の挑戦を見守ってきた彼女は、自身への信仰に対する施しのひとつとして、現地民の人類初登頂に力を貸そうとしていたのではないか。
しかし予想を超えて、人間の実力で頂上付近までやってきたのがマロリーとアーヴィンだったわけだ。慈悲深い彼女は、下山途中で力尽きた2人に敬意を表し、「登れていたかもしれない」と思わせるような姿をオデールに目撃させてくれたのではないか。もちろん人智を超えた神の力なら、時系列的に2人の登頂前に戻り、オデールにその姿を目撃させるアプローチも可能であろう。
同時にマロリーのカメラを隠し、はっきりとした結論が出ないようにすることで、「ヒマラヤに住む仏教徒が、最初にチョモランマの頂上に達する」という信心深い者たちへのお告げも両立させたのである。
そう考えると、マロリーたちが登頂できていなかったなら、ミヨラングサンマは特にカメラを隠す必要はない。登頂の証拠は元々そこに写されていないのだから。つまり……。
ちなみに筆者も、遭難せず生きて帰ってこそ登山成功と言えるので、「エベレスト人類初登頂」の栄誉は基本的にヒラリーとノルゲイのものであるべき、という考えである。しかしここまでの考察を経て、マロリーとアーヴィンにはまた別の敬意を表したい気持ちでいる。
つまりは「人智を超えた神の力」と「限界を超えた人間の力」が、エベレストという世界最高峰で初めてぶつかったのが1924年6月8日だったとするなら…それを起こした2人への敬意だ。人類史や登山史のみならず、オカルト史として非常にヒストリカルである。
そしてミヨラングサンマは今も、アーヴィンの遺体とマロリーのカメラをその懐に隠したままだ。いつかそれらが見つかった時、我々は世界最高峰で神の力と人間の力が交わった100年前の結末を知れるのかもしれない。
<参考文献>
ウェイド・デイヴィス『沈黙の山嶺(上・下) 第一次世界大戦とマロリーのエヴェレスト』白水社/2015年
ジャムリン・テンジン・ノルゲイ『エベレスト50年の挑戦―テンジン親子のチョモランマ』廣済堂出版/2003年
ヨッヘン・ヘムレブ『そして謎は残った―伝説の登山家マロリー発見記』文藝春秋社/1999年
杉浦みな子
オーディオビジュアルや家電にまつわる情報サイトの編集・記者・ライター職を経て、現在はフリーランスで活動中。
音楽&映画鑑賞と読書が好きで、自称:事件ルポ評論家、日課は麻雀…と、なかなか趣味が定まらないオタク系ミーハー。
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