ミサの最中に「聖体が増殖」! キリスト教史に残る奇跡は神の意思か、妖怪変化の仕業か?
キリスト教の長い歴史の中でも、極めて珍しい奇跡が発生したと世界中の信者を驚かせている。想像を超えた発生時の状況とは――!?
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ザシキワラシと並ぶ幸運の妖怪……いや、妖精? 精霊? UMA? とにかく、ケサランパサランに夢中になったのは、やはり女子たちからだった。
この連載で何度もしつこく書いていることだが、子ども文化(主に小学生カルチャー)における70年代オカルトブームを牽引していたのは、間違いなく女の子たちだった。
新しい旬のネタはまず女子たちの間で拡散し、彼女たちから「教えてもらう」形で我々男子の方へと伝播してくるケースが多かったのだ。これはおそらく少女マンガ雑誌などの女子向けメディアの方がオカルトネタに敏感だったことが大きいのだろう。「ホラーマンガ」はもともと少女マンガのサブジャンルだったし、大人向けメディアを考えてみても、昭和の時代の女性週刊誌にはオカルトネタが頻繁に掲載されていた。オジサン御用達の週刊誌にその種の記事が載ることはかなり稀だったと思う。
こうしたことは根本的に女子たちの「占い好き」体質に起因しているのかも知れないし、もっと根本的には社会構造的・ジェンダーバイアス的に、大昔から女性の方が多かれ少なかれオカルティックなものに接近せざるを得ない要因があるのかも知れないが、ややこしくなりそうなので別の機会に考えてみたい。
ともかくオカルト関連の新しいニュースはまず女子の間でブレイクし、後に僕らのところへ「降りて」きたのだが、しかし、これはあくまでも「心霊および呪術系」のネタのみに限られていた。
当初は(子ども文化のなかでは)女の子の恋占いでしかなかった「コックリさん」をはじめとして、「心霊写真」とか各種「おまじない」とか「黒魔術の呪い」とか「この心霊本がスゴイ!」とか「髪が伸びる人形があるらしい」とか「隣町の小学生が口裂け女に襲われた」とか(口裂け女が心霊ネタかどうかはおいといて)、そうした方面での情報収集能力において女子は男子よりもはるかに秀でていたのだ。
一方、「UFO」「超能力」「UMA」などに関心を示す女子は少数派だったと思う(いや「UFO好き」はけっこういたかな?)。この辺の線引きがどうなっていたのかはよくわからないが、心霊的な恐怖というか、自分が今夜にでも体験してしまうかも知れない身近で不可解な恐怖のようなものに対して異常に関心が高く、その他の疑似科学的ネタなどには基本的にはシラケていたという印象だ。
例えば僕ら男どもが「目黒に口裂け女を探しに行こうぜ」といった話をしていると(地元ではなぜか「口裂け女は目黒に住んでいる」ことになっていた)、クラスの女子たちは「やめなよ、そんなこと! 危ないよ!」などと不安気に心配してくれるくせに、「多摩川へツチノコ探しに行こうぜ」という僕らに対しては「あんたたち馬鹿じゃないの? 5年生にもなって恥ずかしくないわけ?」と鼻で笑われてしまうのである。「ネッシー」やら「雪男」やらにも、たいていの女子は冷笑的だったと思う。「ポマード!」と叫ぶと逃げだす設定のバケモノ女の存在は信じるのに、なぜ各種「UMA」を「ガキの戯言」として笑い飛ばすのか、当時の僕らには不可解だった。
しかし! 例外的に女子たちが猛烈な関心を示した、というか女子しか関心を示さなかった稀有な「UMA」も存在した。それこそが「ケサランパサン」なのである(いつも前置きが長くてスミマセン)。
「ケサランパサラン」とは、さまざまな種類があるともされるが、基本的には直径2~10センチほどの白くてフワフワとした「毛玉」である。名の由来についてはポルトガル語がもとになっているとか、「袈裟羅婆裟羅(けさらばさら)」という仏教用語から派生したとか、「わからないもの」を意味する東北地方の昔の方言であるとか、はたまた歌のタイトルとしても知られる「♪ケ~セラ~セラ~」(Que sera,sera/なるようになるさ)というスペイン語のフレーズから来ているなどの諸説があり、要するに正確なところはよくわらないらしい。
日本の「UMA」の話題には必ずと言っていいほど引き合いに出されるのが『和漢三才図会』だが、例によって「ケサランパサラン」(らしきもの)もこの本に掲載されている。同書で解説される「へいさらばさら」もしくは「へいさらばさる」なる「白い球」が「ケサランパサラン」なのでは?ということなのだが、記事によればこれは動物の体内から取り出される胆石・結石であり、モンゴルやオランダで薬やまじないに利用される貴重なものだったそうだ。「ケサランパサラン」とは別物のようだが、「へいさらばさら」「へいさらばさる」という名称の語源は「ケサランパサラン」と同じという説が有力で、どうも何らかの関連はあるらしい。
また、欧米で「エンジェルヘアー」と呼ばれるものと同一だという説もある。これも天から舞い降りる謎の「綿毛」であり、古くはキリスト教的奇跡によるものとされ、近代では「UFO現象」との関連が取り沙汰されている。「UFO目撃事件」の直後に観測されることが多く、以前にこの連載で紹介した「ファティマの奇跡」(1917年にポルトガルで「光の玉」が乱舞した事象。当時はキリスト教的奇跡の顕現、現在は「UFO現象」として考察されている)のときにも大量の「エンジェルヘアー」が観測されたといわれている。ただ「エンジェルヘアー」は球体というよりも繊維の束で、触れると消えてしまう、もしくは溶けてしまうという報告が多い。
ことほどさように昔からアレコレの説がいろいろ語られているのだが、ともかくこの「ケサランパサラン」なる謎の「毛玉」は、それ自体生命を宿した「生きもの」であり、フワフワと宙を舞いながらどこからともなく現れて、「所有する者に幸福をもたらす」ことになっている。「生きもの」を「所有する」からには「飼育」しなければならないわけだが、正式な「飼育方法」は下記の通り。
空気抜きの小さな穴をあけた桐の小箱に入れ、エサとして「白粉」(タルクや炭酸マグネシウム、澱粉などを原料にした粉末の化粧品。現在のファンデーション)を定期的に与える。エサを食べ続けた「ケサランパサラン」は徐々に大きくなり、さらに分裂して数を増やすこともある。「一年に一度しか見てはいけない」「飼っていることを人に教えてはいけない」といったタブーが設定されるケースもあり、これを破ると「幸福効果」は消えてしまうそうだ。
なぜこうした形で謎の「毛玉」がもてはやされるようになったのかは不明だが、先の『和漢三才図会』以外には古文書などにも関連する資料は存在しないらしく、戦後になってから流行したのではないかと考えられている。ただ、一説には発祥は山形県であり、当地の旧家などでは「ケサランパサラン」を母から娘へと「家宝」のように代々継承する伝統があったのだとか。真偽不明で詳細な資料もないようだが、先述したタブーにもあるように、これについてはあくまで内密にしておくべきもので、あまり大っぴらに語るものではなかったのかも知れない。
さて、この「ケサランパサラン」が70年代なかばに小学生女子たちの間で大ブームとなったわけだが、さもありなん、純白でフワフワの手のひらサイズの球体という、いかにもファンシーなデザイン、風に舞って漂い続けるという、どこか儚なげなイメージ、お世話してあげなければならないという「ペット感」、そしてなんといっても「あなたに幸運をもたらす!」というラッキーアイテム要素がすべて揃っているわけで、これが当時の女の子たちにウケないはずはないのだ。巧妙にマーケティングして女子ウケ要素を思いっきり盛り込んだようなズルい「UMA」(?)なのである。
うちの小学校の教室でも大流行し、ブームとしては極めて短命だったが(だいたい1か月くらいでみんな飽きてたんじゃないかなぁ)、その間はクラスの女子の何人もが「ケサランパサラン」を飼っていた、というか「飼っている」ことになっていた。
僕の周辺では「人に教えてはいけない」というタブーなどはまったく考慮されていなかったようで(なかにはタブーを守ってこっそり「飼っていた」子もいたのかも知れない)、みんな平気で学校に持ってきて自慢げに友達に披露していた。多くの子は当時のファンシーショップで購入したサンリオ製の小瓶や小さな缶に入れ、エサは白粉ではなく、小麦粉や片栗粉を与えていたようだ。「だいぶ大きくなった!」とか「増えた! 増えた!」とか騒いでいる「重症」(?)の子もいたりして、ブームが続いている間はずいぶんと賑やかだった。
そういえば、ある日などは「ケサランパサラン」のせいで授業が中断したこともあった。国語かなんかの授業中に教室の窓からかなり大きめの綿毛がフワフワと入ってきて、僕らの頭上を漂ったのである。女の子たちは大騒ぎになり、みんな勝手に席を立って綿毛を追った。一人の子が綿毛をつかまえると、担任の女教師が「ちょっと見せなさい!」と持ってこさせ、「こんなのはただの花の種です! 馬鹿らしい! サッサと席に着きなさい!」とミもフタもないことを言い放って騒動は収まった。
実際、クラスの女の子が得意顔で見せてくれた「ケサランパサラン」は、そのほとんどが「花の種」だった。なかには確かに妙に大きなものや、見たことのない感じの変なものもわずかにあったが、イヌやネコの毛玉だったのかも知れない。一般に「ケサランパサラン」の正体はブナやアザミの種、ネコなどが吐き出した毛玉、もしくは小動物を捕食した鳥が排泄した毛玉などと言われている。また、カビの一種であることも多く、小麦粉などを与えて大きくなったり分裂したりするのはカビの増殖だった可能性もあるそうだ。なんとも夢のない話である。
当時、僕を含めて多くの男子は「ケサランパサラン」にはあまり関心を示さなかった。オカルトネタならなんでも飛びつくはずの僕らも、いくらなんでもアホらしく、「ただの花の種じゃん!」としか思えなかったのだ。なんでこんなものに女の子たちはあんなに夢中になっているのか、まったく不思議だった。
しかし大人になって、少し事情が変わってきた。ベランダなどでフワフワ漂う花の種を見つけると、つい「ケサランパサラン」ブームを思い出してしまい、どうにも放っておくことができず、なんとなく「捕獲」し、ガラス瓶などに入れておく習慣がついてしまったのである。アホらしいが、懐かしいのだ。
不思議なことに、そうやって「飼って」おいた「ケサランパサラン」は(さすがにエサをあげたりはしないけど)、たいていいつの間にか消えてしまう。フタをしていない瓶から風に舞ってどこかへ飛んでいっただけなのだと思うが、空っぽの瓶を見るたびに「あれ?」と少し奇妙な気分になる。
で、なんとなく当時の女の子たちの気持ちがちょっとわかった気にもなるのだ。彼女たちはおそらく自分の「ケサランパサラン」が「ただの花の種」であることなど先刻ご承知で、しかし「それを言っちゃあオシマイよ」という前提で「ごっこ遊び」の不思議を楽しんでいたのだろう。そうした遊戯的に楽しむ不思議に、ごく稀に「本当の不思議」が紛れ込むこともあったのかも知れない……。
今年もいよいよ本格的に春らしくなってきた。そろそろ「ケセランパサラン」がベランダに飛来する季節である。
初見健一
昭和レトロ系ライター。東京都渋谷区生まれ。主著は『まだある。』『ぼくらの昭和オカルト大百科』『昭和こども図書館』『昭和こどもゴールデン映画劇場』(大空出版)、『昭和ちびっこ怪奇画報』『未来画報』(青幻舎)など。
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