怪談プレーヤーの拡大は豊穣か混沌か? 実話怪談の2023年トピック/吉田悠軌
怪談研究家吉田悠軌さんが、2023年の実話怪談・呪物の界隈を振り返る。
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昨夏放送のお宝鑑定番組で大注目された、みんな大好き(?)荒木家所蔵の妖怪絵巻。そこには、妖怪というよりもUMAでは……?と思われるような、あまりに具体的な目撃談が多数記されていた!
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2023年夏、某お宝鑑定番組にて紹介された荒木家所蔵の妖怪絵巻。そこに描かれた未だかつて見たことのない妖怪たちの姿に界隈が騒然となったのも記憶に新しい。実はこの絵巻、地の文もみっちりと記されており、いわゆる妖怪図鑑というよりも未確認生物(UMA)に遭遇した体験をまとめた実話怪談拾遺&論考集といった趣があるのだ。縁あって同人誌「BeːinG」にてこの絵巻を取材させて頂いた、はおまりこ・かわかみなおこの両名が、そんな絵巻の中から「これは!」と思う怪異遭遇譚をご紹介する。
まず今回は、はおまりこが担当。絵巻の作者にならって妄想的考察を添えつつご紹介していく。
伊豆出身で博多・対馬小路に滞在していた「伊豆どん」と呼ばれる男が故郷を思い出して語った話である。弘化3年(1846年)の4月1日のこと、伊豆大島に、ある危険生物への注意喚起の札が立った。「銭蛇」と呼ばれるその生物、生態としてはいわゆる毒蛇なのだが、問題は人の心の弱みにつけ込むようなその姿である。貫銭(ぬきぜに/穴を通してまとめた小銭の束)が道端にひっそりと落ちている……そんな見た目をしているものだから、まんまと拾い上げた結果咬まれて死ぬ者が続出し、ついにこんな札が立ったという。
一 当国で銭が落ちていたら決して拾わないように
一 百姓も町人も、旅人を見かけたら銭蛇のことをかたく申し伝えよ
それを聞いた博多者たちは、ヒラクチか反鼻(はんぴ)では?(どちらもマムシの別名)と口々に言うのだが、そんな名の蛇は伊豆にはいないとの一点張り。ちなみに銭蛇は別名・恙(ツツガムシ)ともいう、と話す伊豆どん。作者は「道二翁道話」の講釈や字源を引いて、「恙」はもともと「它」と書くからすなわち蛇であり反鼻(マムシ)の事を示すのだが……との注釈を挟みつつも、大崎の銭蛇は反鼻とは別種であるようだ、と彼の主張を尊重する形で論争を締めくくっている。
まるでツチノコを信じる青年を嗤う人々を見るような、オカルト好きとしてはほのかに胸が痛む場面である。いつの世も、異形の蛇を見たといえば「マムシじゃないの」と言いわれるのは通過儀礼なのかもしれない。ただ、よくよくこの「銭蛇」図を見てみると、体の節々に足が生えていて、小さな顔が覗いているではないか。これはヘビというより、昆虫のヤスデの姿にそっくりである。
「蛇」という漢字からも分かる通り、古くは爬虫類という分類はなく蛇は昆虫の一種とされていた。伊豆どんの思うベーシックな「蛇」がヤスデのような多足類の姿だったとしたら、説明された反鼻の姿とイメージが合致しなかったのもうなずける。とはいえ、本来ヤスデには毒性はないので、毒ヤスデが存在したのならそれも立派なUMAである事に間違いはないのだが。
「丹波と丹後(京都の南北)の国境にある寝物語の里というところに、昔からある「異人」が訪ねてきたという。常に古鏡と剣、皮袋を携え訪れる彼は、名を「大学」というのだが、人々は「山黒様」と呼んで敬っていた。寡黙な気質で、人々が交易したいというと答えないが、大小ヶ洞という1里3丁(約4キロ)山へ分け入った所に住んでいると語った。
大学という名は誰が名付けたのかと問うと、先祖の名だという。先祖を尋ねると山の殿の一の臣だという。山の殿とは酒吞童子かと問うと、それには答えずに「荊大学」と名字を含めて名乗った。時には、両国の吉凶を5、6日前に告げることもあった。
肌はまるで猪の毛を纏っているようで、そのせいか服を着たがらない。年を尋ねると400歳くらいだと語る。よくオナラをしては「莞爾莞爾(笑って笑って)」とおちゃらける一面もあり、陰茎はさながら犬のようだった。」
そう語ったのは、日本全国を行脚した僧である。寛永2年(1790年)武蔵寺にて、聞き取った内容をもとに描かれたのがこの絵だという。僧は、同類と思しき存在を伯耆大山(鳥取県)でも見たことがあると続ける。その異人は女で子供を抱いていたらしい。この異人について、大江山の図に登場する荊(木)童子・熊童子という鬼か、その子孫ではないか、との作者の考察が最後に添えられている。
実はこの逸話、作者の思い込みによる誤表記と思しき箇所がある。それが「丹波と丹後(京都の南北)の国境にある寝物語の里」という部分だ。「寝物語の里」という地名は、美濃(岐阜県)と近江(滋賀県)の境、現在の滋賀県米原市に残っている。全く別の2箇所がなぜ混同されたのか不思議に思ったのだが、答えは「酒吞童子」にあった。
平安の御代、京を襲った鬼の頭領・酒吞童子。その配下の筆頭には荊木童子等の鬼がおり、「荊大学」という名からして山黒様はその子孫であると思われる。童子はその悪行ゆえに、武将・源頼光によって首を切られ討伐される事になるわけだが、その武勇伝を綴った絵巻物が厄介な事に、登場人物・エピソード・舞台設定などの違いで、いくつも存在している。
その便宜的な大別として、童子の住処を丹波国大江山とする「大江山系」と、それを近江国伊吹山とする「伊吹山系」があるのだ。この伊吹山は現在の滋賀県米原市。寝物語の里の北に位置している。おそらくこの僧がもともと聞いたエピソードはこの伊吹山系の酒吞童子説話に基づいたものだったのだろうが、某から僧、僧から作者と伝聞されるなかで、酒吞童子=大江山だろうとの思い込みから場所を誤って修正してしまったのではないか。収集した話を編纂するにあたり私自身も注意せねばならない事故であるものの、この物語を繋いできた人間の仕事の手触りも感じて嬉しくなる発見であった。
この逸話については、山黒様の持ち物である鏡や剣から伊吹山の八岐大蛇説話が透けて見えたり、伯耆大山の同類には異人としてのまつろわぬ民が見え隠れしたりと、深掘りしたらとまらなくなりそうなので、また別の機会に譲ることとしよう。
享保11年(1726年)丹波国何鹿郡(現在の京都府綾部市)花形村小篠ヶ谷でのこと。
刈り取った草を敷いて昼寝していた男の上に、突如黒い渋紙(紙をはり合わせ柿渋を塗って乾かした頑丈な紙)のようなものが現れた。空から飛来したそれは、覆いかぶさるように男の肩に喰らいつく。その大きさ、およそ8畳(15㎡)。
都合4人がその下敷きとなったが、3人が自力で逃げ出して棒や鎌で応戦し、肩を咬まれた男をようやく救出できた。だが、深手を負ってこれ以上の抵抗も出来ず万事休す……というところに村の男4人が駆けつけ、総勢7人で捕獲し村に持ち帰ることができた。
しばらくは見世物にしてかなりの金を儲けたそうだが、その後あっけなく死亡。試しに食べてみたらなかなかの珍味であり、かつ妙薬にもなったという。
その効き目は凄まじく、子のなかった女に子供を授け、傷、発作、結核、流行り病など万病の治療に有効で、怖がって食べなかった村人はいたく後悔したらしい。
噂を聞きつけて方々から譲ってほしいという人が訪れたが、塩漬けにして保管したものでは効き目がなく、皆、肩を落として帰っていったそうである。
考察などは一切なし、実に臨場感に溢れるエピソードが王道のUMA遭遇譚らしい逸話である。飛行系の妖怪・UMAで人を襲うものといえば日本では一反木綿などが浮かぶが、生物としての存在感と凶暴性はモスマンを思わせる。
渋紙といえば、実は先日大阪のタクシー運転手にこんな話を聞いた。
「早朝に大阪の街中を走ってたら、黒い四角に尻尾が生えたようなやつがさ、スーッて滑るように道路を走り抜けて行ったんだよ。あれ、何かの妖怪だと思うんだよね」
渋紙が男たちの前に現れたのは京都。隣県の大阪なら生息域である可能性も高い。現在もなお、関西に渋紙は生き続けているのかもしれない。
文政4年(1821年)、河内国讃良郡(現在の大阪府四條畷市)左衛門川の上流の落合で珍しい生き物を捕えた2人。それを「星蝙蝠」と名付けて見せて回るなかで、ある武士役人と備前(岡山県)の月見で出会った。その武士、なんと腰に提げた信国(という刀匠)の脇差と交換してくれないかというのだ。2人は声が出ないほど喜び、「もし取り戻したいとおっしゃるなら十両のお金頂きますからね」と固く約束をして交換をした。武士役人はどこの家中の者とも名乗らなかったが、
「私がこの蝙蝠を所望したのは他でもない。昨年の春に主人の用事で京都へ行った際、万里小路中納言殿の御殿にて恩地左近から楠木正行へ送る書簡を添えた箱を見た。その中にこのような破軍七曜星の文様を持った蝙蝠が在った。それこそが楠木正成陣中第一の宝物だったのだ。それを見つけた以上、宇佐信国ごときの短刀が惜しいことがあろうか。天からの賜り者、私の仕えるお家の繁栄の礎となるだろう」
と一礼を述べて別れたそうである。
現在もツチノコに高額の懸賞金を懸けている自治体もあるが、そんなふうに時にUMAがとんでもない価値を持つ事がある。これはそんな話だ。「信国」とは信国派の祖とされる南北朝期の名工。その脇差となればかなりの名刀だったはずだ。だが、この星蝙蝠はそれすら惜しくない程の宝らしい。
恩地左近から楠木正行へ送られた箱の中に「在った」としか書いていないため、それが絵なのか、ミイラなのか、形態は不明であるが、とにもかくにも記憶に焼き付いたその姿を武士役人は見逃さなかった。あっぱれな忠義心である。ちなみに、この星蝙蝠が捕獲された四條畷は、「四條畷の戦い」で絶命した楠木正行の最期の地である。楠木家陣中に在った星蝙蝠が行軍最期の地で解き放たれ繁殖し、その遠い子孫である星蝙蝠が、祖先の姿を追い求めた男と出会ったのだとしたら。なんとも運命的なものを感じざるを得ない逸話である。
禁狐という生き物は、山城国(現在の京都府南部)平安城御公家山という高山に生まれ、日本国中を昼夜徘徊して何でも食べる。特に金と衣服を好むという困った性質故に、将軍家より退治の命が下るが、中々上手くいかない。
ある時、紺かすりの衣類に銀鎖のたばこ入れを提げ、白足袋を履き、紫浅黄紺縮緬の帯を身につけて友人を訪ねた男が、禁狐退治があると聞いて参加した。家を四方から取り囲み、持っていた鞭で戸を破って打ちかかったら、苦しい声を出して逃げ出し、そのまま天窓から生い茂った麦畑に入って見失ってしまった。
禁狐が見つからないまま日が過ぎたが、ある夜闘鶏の鶏を捨てた掃き溜めをよく調べたら、果たしてこれを見つけ出した。左の丸3つの模様の方がきんぎん羽根、右をめくり(おいちょかぶの株札と思われる)羽根という。初めてこれを見たが見事な狐であった。
丁半博打のツボとサイコロが顔になっているのが印象的な禁狐。逸話の中には丁半の記述はないが、闘鶏のシーンがあるため賭場を訪れたのだろう。そこで丁半道具、おいちょかぶの株札、チップ代わりの碁石などをつまみ食いしたところを発見されたようである。
明記されてはいないがおそらく何でも食らい、食べたものの姿に化ける類の狐なのだろう。
せっかくのバッチリ決めた男の衣装には目もくれなかったようだが、食べたもの次第でまたさらなる奇っ怪な姿に変化するのかもしれない。
いずれも収集した作者のワクワク感が伝わるエピソードばかり。そして、間に考察や概論が挟まれたりと読者を飽きさせずに知を共有する工夫に満ちている。まるで現在のオカルト本や実話怪談本の精神そのもので、怪異を探求し楽しむ心は今も昔も変わらないのだな、と嬉しくなるのだった。荒木家妖怪絵巻がより多くの人の目に触れ、令和の世にも興奮の渦を巻き起こしていく様をこれからも見守りたいと思う。
*はおまりこセレクトの前編から、かわかみなおこセレクトの後編に続く!
Be:inG(びいいんぐ)
怪異とあそぶマガジン『BeːinG』びいいんぐ。はおまりこ、かわかみなおこの2人ユニットで、怪異・妖怪・怪談をテーマにZINEを編集制作している。
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