たった一夜で全住民が姿を消し、誰も住めなくなった呪いの現場! インドに伝わる恐怖の村伝説を追う
一夜にして村民全員が姿を消した村があるという。村からの“夜逃げ”の直前、人々はこの村には二度と人が住めないように呪いをかけたというのだ――。
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荒野に仰向けになり眠るように亡くなった初老の男性はいったい誰なのか――。ほぼ間違いなく自殺と思われるこの人物を調べてみると、孤独で哀しいミニマリストの人生が浮かび上がってきたのだ。
2015年12月12日の午前10時50分、イギリス・マンチェスターの東にあるサドルワースの丘で自転車を漕いでいたサイクリストが男性の遺体を発見した。当初、サイクリストは丘の斜面で男性が仰向きに寝て休んでいるだけだと思ったが、確認すると確かに息絶えていたのだった。
男性の身元を特定する捜査が行われ、監視カメラの映像などから確かにこの男性が12月11日に電車を乗り継いでこの界隈にやってきたことがわかった。
すぐに地方行政当局によって身元不明の遺体は確保された。死因はストリキニーネ中毒、つまりは服毒自殺であった。ストリキニーネは、かつては殺鼠剤として使われていた時期もあったが、2006年からEUで禁止されている化学物質であり、通常では手に入らない。
携帯電話、時計、クレジットカードなどを持っておらず、パスポート以外の身分証明書も持っていなかった男性の服装は、冬のアウトドアを楽しむには薄着で、靴はローファーであった。右ポケットには10ポンド紙幣が13枚、左のポケットには前日の日付の電車の切符が3枚あった。切符の1枚はイーリング・ブロードウェイ駅からユーストン駅への片道切符で、2枚はイーリング・ブロードウェイ駅とマンチェスター・ピカデリー駅との間の往復切符であった。
また発見の同日、現場から最も近いパブに入っていたことが店主の証言で明らかになっている。この男性は店主に“山”を登る道順を聞いていたという。ちなみに地元の人間はサドルワースの丘を“山”と呼ぶことはない。店主は、行くのであれば日が暮れないうちに戻ってくるように忠告したのだという。
他殺の可能性は低いと考えられているが、ホテルを5泊分押さえていたことや、イーリング・ブロードウェイ駅とマンチェスター・ピカデリー駅との間の往復切符を購入し復路が未使用である点など、不可解な点もある。
男性のコートのポケットの中には小さく青い薬箱があり、甲状腺機能低下症の治療に通常使用される薬であるチロキシンナトリウムの表記が、英語とウルドゥー語の両方で印刷されていた。
サドルワースの丘の現場近くにはダブストーン貯水池があることから、当局はこの人物を手続き上、ニール・ダブストーンと名づけた。
3回目の検死では左大腿骨に骨折治療のために取り付けられたチタンプレートが発見されたのだが、普通はついているシリアル番号がなかった。その代わりに製造会社名が記されており、調べてみるとパキスタンの会社であることがわかった。ちなみにパキスタンではストリキニーネは合法である。
なぜ彼はサドルワースを“死に場所”に選んだのかについては謎のままである。オーストラリアのニュースサイトは、彼が国際的なスパイである可能性を示唆したが、それを裏づける証拠は今のところ発見されていない。
パキスタンに関係があることが示唆されているニール・ダブストーンだが、この仮名はやがてお蔵入りになった。身元捜査に1年以上を費やした時点で、ニール・ダブストンの本名がデビッド・リットンであることが突き止められたのだ。死亡時のリットンはパキスタンから帰国したばかりであった。
リットンは1949年4月21日にロンドン在住のユダヤ人の両親であるシルヴィアとハイマン・ローテンバーグの間に生まれた。授けられた名前はデビッド・キース・ローテンバーグであったが、1986年6月に姓を変えている。
リットンはきわめて学業が優秀であったということだが、父親と折り合いが悪く、20代で大学を卒業することなく家出をした。ロンドンで金融ディーラーやパン屋、地下鉄の運転手などのさまざまな仕事をして自活していたのだが、25歳のある日、体調を崩してロンドンの路上で倒れた時に看護師のモーリーン・トゥーグッドに助けられた。
これをきっかけにリットンとモーリーンの交際がはじまることになる。1980年代にモーリーンはリットンの子供を妊娠し、カップルは幸せの絶頂期にあった。しかし2人には不幸な展開が待ち受けていた。モーリーンは妊娠4カ月目に流産してしまったのだ。これにリットンは大きなショックを受けて塞ぎ込むようになり、2人の関係は一気に冷えていったのだった。
2006年10月まで2人は一応の交際関係にあったが、リットンが最後にモーリーンに会った3日後、彼女には何も告げずにリットンは長年の友人であるサリム・アクタールとパキスタンへと旅立ったのだった。この旅立ちの直前には住んでいたロンドンの住居を売り払っていたのである。
ニール・ダブストーン(として)の遺体から見つかったチタンプレートは、パキスタン滞在中の2012年に転倒して左大腿骨を骨折した際に埋め込んだものだ。
リットンはなぜパキスタンへ行き、パキスタンで何をしていたのか。そこにはイスラム教に改宗する考えもあったようだが、リットンの真意を今となっては知る術はない。長期滞在の意志のあるリットンを残し、アクタールは先にロンドンへ戻っている。
パキスタン滞在中のリットンはビザの問題で何度もトラブルを起こし、少なくとも2回は拘置されていたという。
ビザが切れるまであと1週間だった2015年12月10日、リットンはイギリスへの片道航空券を購入していったん帰国の途に就いた。67歳になっていたリットンはロンドン・ヒースロー空港に到着し、アクタールに出迎えられた。ひとまず滞在するロンドン市内のホテルでのチェックイン時、リットンは5泊分の料金を現金で払っている。
そしてホテルで一夜を明かした翌11日、サドルワースへの旅に出た。知人らの話によれば、サドルワースはリットンに縁もゆかりもない土地で、それまで一度も訪れたことがなさそうであるという。
リットンの行動は、人との縁を深めず、ひたすらに孤独を選んでいったようにも見える。国際スパイ疑惑もあるが、関係を切り捨てていったリットンには、最後まで誰にも言わなかった秘密があるはずなのだが……。
【参考】
https://mysteriousuniverse.org/2023/03/The-Strange-and-Mysterious-Case-of-Neil-Dovestone/
https://www.theguardian.com/uk-news/2017/mar/14/fundamental-questions-remain-after-david-lyttons-death-says-coroner
https://www.vice.com/en/article/wjbwam/the-mystery-of-the-man-found-dead-on-saddleworth-moor
仲田しんじ
場末の酒場の片隅を好む都会の孤独な思索者でフリーライター。興味本位で考察と執筆の範囲を拡大中。
ツイッター https://twitter.com/nakata66shinji
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