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毎回、「ムー」的な視点から、世界中にあふれる不可思議な事象や謎めいた事件を振り返っていくムーペディア。 今回は、古代秘教や魔術の失われた知識を復興、再構築した「近代魔術の父」として知られる大魔術師を取りあげる。
フランスのエリファス・レヴィ(1810〜1875年)は“19世紀最大の魔術師”と評されている。近代西洋魔術の歴史の中で、彼ほど大きな影響を残した人物はほかにいないだろう。レヴィ以降の魔術体系は、彼の理論なしではなり立たないほどである。
しかしレヴィは、最初から魔術師を志したわけではない。その前半生では、司祭となるべくカトリック神学を学び、社会主義運動にも傾倒する一方、いわゆる小ロマン派の詩人や挿絵画家としても活動した。
魔術師として名声を確立するまで投獄されること三度におよび、母親の自殺や妻の出奔といった家庭的不幸にも見舞われてきた。
エリファス・レヴィことアルフォンス・ルイ・コンスタンは1810年、パリのフォセ・サンジェルマン・デプレ通り(現在はアンシャン・コメディ通りと改名されている)で、貧しい靴屋の父ジャン・ジョゼフ・コンスタンと母ジャンヌ・アグネス・ボークールの子として生まれた。
子どものころのコンスタンは、病気がちだったが頭脳明晰であったため、頭の良さを教区司祭に認められて宗教教育を授ける初等学校に入った。当時のフランスでは、教会や修道院が貧しい家庭の子弟に教育の場を提供していたが、この学校に入れるのは一部の頭の良い子どもに限られていた。
15歳になると、サン・ニコラ・デュ・シャルドネ中等神学校に進学した。成績は優秀だったらしく、この時代にラテン語やギリシア語、さらにヘブライ語まで習得、『旧約聖書』を原語で読んでいたという。
その後もイシーの神学校を経て、パリのサン・シュルピス上級神学校に学び、将来カトリックの僧侶となる道を順調に歩んでいた。
サン・シュルピス神学校では副助祭に任じられ、1833年からはその学識を見込まれて、少年少女たちに初歩的なキリスト教の教理を教えるカテキズム学校の教師となった。
ところがコンスタンは、自分の生徒のひとり、アデル・アランバックという少女に恋心を抱くようになってしまった。
コンスタンも聖職者であり、教師でもある自分の立場は十分わきまえていたので、この想いは口に出さず、完全にプラトニックなものとして心奥にとどめていたつもりだったが、その態度から周囲にも感づかれてしまい、ついには教区の信者の口にも上るようになったという。
コンスタンは1835年には助祭になり、さらに翌年の1836年4月には念願の司祭に叙任される予定だったが、この恋愛に思い悩んだ末、司祭に叙任される1週間前に神学校を辞めてしまった。
それを知った母親のジャンヌは大いに嘆いた。すでに夫を失い、身体も不自由になっていた彼女は、息子アルフォンスが聖職者として立身することだけを望みに生きていたのだ。その願いを息子自らの手で断ち切られた母親は、ほどなくして自殺してしまった。
聖職者としての前途を断ち、母親も収入の道も失ったコンスタンは、以降は旅芸人一座の役者、挿絵画家、シャンソン作家、教師など、さまざまな職業を点々として何とか食いつないでいった。
こうした生活の中、女権運動家のフロラ・トリスタンやアルフォンス・エスキロス、預言者マパことシモン・ガンノーといった社会主義運動の活動家とも交流を持つようになった。
1839年には、一度断念した僧侶の道を再び模索すべく、ソレムのベネディクト派修道院に滞在するが、結局修道院への入院は認められなかったため、ジュイリー村にあるオラトリオ神学校の生徒監督となる。
しかし、ここで1841年に書いた『自由の聖書』が「聖書の教えを不法に誤り伝えた」ものとして告発され、サント・ペラジーの刑務所に収監されることになった。 彼がスウェーデンボルグについて知ったのはこの獄中のこととされており、以後はさまざまなオカルト関係の著作も読み漁るようになる。
出所後の1843年には、エヴリーの司教の世話でボクールと名を変えて助祭を務めるが、地元紙に出自を暴かれ、結局パリに戻る。
この間、『女の昇天あるいは愛の書』『神の母、宗教的人道主義的叙事詩』『涙の書あるいは慰安者キリスト』といった著作を発表している。
発禁となった『自由の聖書』も含め、この当時のコンスタンの著作では、キリスト教の教えや聖母崇拝、社会主義革命思想が渾然と混じり合っており、イエス・キリストの真の教えは革命思想であり、イエスこそ真の革命家であるというような主張となっている。
1846年には、教え子であった女子学生ノエミ・カディオと結婚する。じつはこの当時、コンスタンにはユージェニー・シュヌヴィエというもうひとりの愛人がいたのだが、当時17歳のノエミは両親の反対を無視してコンスタンのもとに押しかけたため、父親は結婚しないなら未成年者に対する強姦罪で訴えるとコンスタンを脅かしたのだった。
しかしこの同じ年、コンスタンが書いた『飢餓の声』が問題となり、翌年再び投獄された。
1848年2月22日には、世界史に名高いフランス2月革命が起きる。旧知のエスキロスらと急進社会主義の政治党派「山岳クラブ」を結成していたコンスタンもこの蜂起に参加し、活発に政治活動を行って国会議員を目指した。
しかし、彼が議員に選ばれることはなく、革命の結果成立した第2共和制もナポレオン3世のクーデターで終了する。
このころ、失意のコンスタンが出会ったのが、ポーランド出身の神秘主義的哲学者ユゼフ・マリア・ハーネー=ウロンスキーだった。ウロンスキーは数学者としても知られ、数とその特性が全宇宙の万物の根源的な基盤になるという特異な考えを持つ神秘思想家だった。
コンスタンはウロンスキーとの出会いから魔術師を志したといわれることもあるが、ウロンスキーはコンスタンと出会った翌年、1853年に死亡しており、彼がこのわずかな期間に魔術に関する膨大な知識を得たとは考えにくい。実際には、魔術に対する関心は彼の心の中で長くくすぶっていたと見るべきだろう。
サント・ペラジーの刑務所でスウェーデンボルグの著作を知る以前にも、すでにサン・ニコラ・デュ・シャルドネ中等神学校時代に魔術への関心を抱いたともいわれているし、ソレムの修道院でも、静寂主義者ギュイヨン夫人や隠修士などの神秘主義的蔵書を読み漁っていた。
ただ、ウロンスキーから何らかの触発を受けたことは確からしく、このころから代表作『高等魔術の教理と祭儀』の執筆に取りかかる。
ところが、自らも政治的雑誌に執筆していた妻のノエミは、夫のこの転向が気にいらなかったらしく、1853年に愛人と出奔してしまう。
翌1854年春、コンスタンはイギリスを訪問し、紀元1世紀前後の魔術師ティアナのアポロニウスの招霊を行っている。また小説家のエドワード・ブルワー=リットンと知り合い、リットンの属している薔薇十字協会に加入して帰国する。
そして帰国後、エリファス・レヴィの筆名で『高等魔術の教理と祭儀』第1部「教理編」を出版する。魔術師エリファス・レヴィの誕生である。この筆名は、本名のアルフォンス・ルイをヘブライ語風に読み替えたものである。
1855年には皇帝ナポレオン3世を古代ローマ皇帝カリグラになぞらえるシャンソンを作って生涯3度目の投獄を経験するが、以後『高等魔術の教理と祭儀』第2部「祭儀編」(1856年)、さらに1859年の『魔術の歴史』をはじめとする魔術書を次々と刊行し、魔術師としての名声を不動のものとする。
彼の代表作とされる『高等魔術の教理と祭儀』は、古代の秘儀や『聖書』、カバラやヘブライ文字、タロット・カードなどさまざまな事物に隠された秘密を明らかにし、「霊光」や「磁気」といったレヴィ独自の原理を用いて、錬金術や当時フランスで流行していた「テーブル・ターニング」(数人でテーブルを囲んで行う降霊術の一種)、心霊現象までも、統一的に「魔術」として説明する内容であり、ある意味では不思議現象の百科全書のような内容となっている。
彼の数々の著作は、パピュスやスタニスラス・ド・ガイタといった、同じフランスの魔術師だけでなく、「ゴールデン・ドーン」系統のイギリスの魔術師にも影響を与え、レヴィの魔術理論は彼らの体系に組み入れられた。
魔術師だけでなく、シャルル・ボードレール、オーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダン、ステファーヌ・マラルメ、アルチュール・ランボー、アンドレ・ブルトンなどの詩人や文学者、クロード・ドビュッシー、モーリス・ラヴェルといった音楽家までも、レヴィの影響を受けているといわれている。
また挿絵画家でもあったレヴィは、一連の著書でさまざまな魔術的イラストを自ら描いており、そうしたものの中には、出自が知られないまま現代もあちこちで用いられているものも多い。
中でも、『高等魔術の教理と祭儀』「祭儀編」でレヴィが描いた、ヤギの頭をした悪魔バフォメットの肖像は、アメリカの悪魔教団でも採用されたばかりか、日本の漫画やアニメ、ゲームにもしばしば登場するアイコンとなっている。
なお、レヴィの愛人だったユージェニー・シュヌヴィエは、1846年に彼の子を私生児として産み落としており、その子孫たちは今もヨーロッパに健在ということだ。
●参考資料=『ムー特別編集事典シリーズ6 魔術』(学研)、『高等魔術の教理と祭儀 教理篇』(エリファス・レヴィ著/人文書院)、『オカルティズム』(大野英士著/講談社選書メチエ)
羽仁 礼
ノンフィクション作家。中東、魔術、占星術などを中心に幅広く執筆。
ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)創設会員、一般社団法人 超常現象情報研究センター主任研究員。
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