播磨陰陽師の末裔が運命を切り拓く呪術を公開!! 保江邦夫の陰陽道開運術/歴史編

監修=保江邦夫

関連キーワード:

    理論物理学者の保江邦夫氏は、かつて播磨陰陽師の首領として活躍した眞殿氏の末裔であるという! そんな自覚のないまま幼少期から教え込まれた知識や技術が、大学時代の恐怖体験をきっかけに開花した。

    保江邦夫氏の祖先は播磨陰陽師だった

     理論物理学者として知られる保江邦夫氏が、播磨陰陽師の末裔であることを明確に自覚したのは、十数年前だという。
     播磨は、兵庫県の南西部に当たる。7世紀初頭に編纂された日本最古の地誌『播磨国風土記』にもその名が示されているとおり、この地では古くから人々の生活と文化が息づいていた。
    「僕は岡山市で生まれ育ちましたが、本当のルーツは兵庫県にあります。〝保江〟という姓は、江戸時代に松之廊下刃傷事件が起こってからのものです。それ以前は〝眞殿〟で、播磨陰陽師の首領の家系でした」
     松之廊下刃傷事件とは、赤穂藩主・浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかり、ケガを追わせた事件である。両者の間になんらかの遺恨があったといわれているが、その詳細についてはいまだに決定的な説がない。
     この事件により浅野内匠頭が切腹を命じられたため、浅野家は断絶。赤穂藩は取り潰しとなったが、一方の吉良は咎めなしだった。これに反発した赤穂藩の家臣が吉良邸への討ち入りを表明。筆頭家老・大石内蔵助以下47名の浪士が事に及んだ。
    松之廊下刃傷事件を描いた浮世絵。赤穂藩主・浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかった。
     保江氏の見立てでは、もともと江戸幕府は赤穂藩の消滅が狙いで、刃傷事件はそのために仕組まれたのではないかという。
    「幕府は、大勢の陰陽師を召し抱える赤穂藩を警戒していました。陰陽師を使い、京都の天皇と結託して倒幕を企てているのではないかと疑ったのです。陰陽師という脅威を排除するには、まず赤穂藩を取り潰しにして、彼らが散り散りになったところへ隠密を放ち、ひとりずつ抹殺すればよい。そんなシナリオを描いたのでしょう」
     しかし、赤穂藩の取り潰しを知った陰陽師たちは、赤穂浪士の討ち入りより前に各地へ逃げた。そして、陰陽師の首領であるがゆえに、真っ先に命を狙われるはずだった眞殿氏は、大石内蔵助の伝手で備前藩主・池田綱政に庇護された。ただ、姓がそのままでは危険だということで、保江姓を賜ったそうだ。
     保江というのは備前国和気に代々つづく古い家柄だが、この時点では断絶していた。それを再興するという名目で、以後、保江一族は和気に移り住み、陰陽道のさまざまな技法を密かに伝えていった。

    晴明や道満をはじめ、播磨には陰陽師が多数

     少し補足すると、ご存じのように陰陽道とは、古代中国で成立した陰陽五行説をもとに、日本で独自の発展を遂げた自然科学・天文・暦・呪術の体系だ。
     陰陽五行説そのものは6世紀までに朝鮮半島経由で伝来し、少しずつ国政に取り入れられていった。7世紀後半には天智天皇によって陰陽寮が創設され、陰陽師という言葉が使われはじめた。当初、陰陽師は陰陽寮に6名、大宰府に1名とされていたが、のちに鎮守府や治安の不十分な辺境諸国などにも置かれたという。
     おそらく播磨は、そうした国のひとつだったと思われるが、安倍晴明と蘆屋道満という2大スターに加え、陰陽頭を務めた阿保人上や滋丘川人、陰陽助であった日下部利貞など、播磨出身または播磨で活動した陰陽師は数多い。そのため播磨は「陰陽道の聖地」「陰陽道のふるさと」といわれることもある。
     とくに晴明と道満については播磨国にゆかりの地が点在している。たとえば、病気平癒をかなえる「セイメイさん」、晴明が亡霊を封じ込めたという「晴明ゆかり石」、晴明の墓といわれる「いぶし晴明塚宝篋印塔」。「いぶし」とは「猪伏」で、この地の古名だと考えられている。晴明の墓とされるものは複数あるが、保江氏の直感は、これが本物だと告げているそうだ。
     道満に関しては、生誕地を示す「道満碑」、式神を封じ込めていた「道満井戸」、道満の放った式神が衝突したために傾いたといわれる「こけ地蔵」、道満の墓といわれる「道満塚宝篋印塔」などがある。
     播磨陰陽師は、このような環境下で育まれたのだろう。

    化け物の絵が満載の和綴じ本で英才教育!?

     さて、保江氏に陰陽道の手ほどきをしたのは、同氏が赤ん坊のころから手塩にかけて育ててくれた祖母だったという。少しばかり余計なことをつけ加えるなら、保江氏の母親は、実家で保江氏を出産後、生後3か月になったわが子だけを婚家へ帰し、自身は戻らなかった。いろいろな事情があったのだろう。
    「僕は小学校2年生まで祖母と一緒に寝ていました。物心がつき、言葉を理解しはじめたころ、祖母は毎晩、手描きの和綴じ本を僕に見せながら、物語を聞かせてくれたのです」
     その和綴じ本には、幼い子供に語り聞かせるにはおよそ不似合いな場面が詰まっていた。化け物や妖怪が跋扈し、ときに赤子をかじるといった、おどろおどろしい内容だったのだ。本のどこにも文字はなかったそうだが、祖母の口からは淀みなくストーリーが語られたという。
     そんな物語を寝しなに聞いたら悪夢を見るのではと心配になってしまうが、じつはこれこそが英才教育であった。
    「物語の結末では、必ず平安装束に身を包んだ若者が登場し、化け物を退治するのです。あの魔物が攻めてきたら若者はこう立ち向かうと、祖母は退治法を事細かに解説してくれました。
     そういう体験をしたせいか、僕はひとりで寝るようになってからも、頭の中で空想する癖がつきました。化け物が出てきても、こうやって退治するんだ、などと妄想しながら眠りに就いたものです」
    河鍋暁斎による「百鬼夜行」。祖母が幼い保江氏に見せてくれた和綴じ本には、こうした化け物や妖怪が満載だったという。
     やがて地元の高校を卒業し、東北大学に進学した保江氏は、仙台の下宿で金縛りに遭った。両目は開くのだが、真っ黒な化け物にのしかかられて動けず、唸り声を上げるのが精一杯。
     このとき保江氏の脳裏に、黒い魔物に組み伏せられた若者が裂帛の気合いを発する場面が甦った。それにならって保江氏が「うお〜っ!」と腹の底から大声を上げると、真っ黒な化け物はスーッと消えたという。
    「この恐怖体験によって、僕は祖母が寝しなに聞かせてくれた物語の意味を知りました。それはただの物語ではなく、化け物退治のノウハウを具体的に伝える教育だったのです」
     さらに長い時をへて、保江氏は、それが播磨陰陽師の伝統的な幼児教育だったと気づくことになる。われわれはもはや幼子ではないが、播磨陰陽師が用いた術のなかには、大人になった今からでも実践できるものがいくつもある。次ページからは、具体的にご紹介していこう。
    保江邦夫氏の著書『秘伝和気陰陽師 現代に活かす古の知恵』(青林堂/本体1700円+税)。同氏が祖母から受け継いだという陰陽道の全貌が明らかにされている。

    保江邦夫

    理学博士。ノートルダム清心女子大学名誉教授。専門は理論物理学・量子力学・脳科学。湯川秀樹博士による素領域理論の継承者であり、量子脳理論の治部・保江アプローチの開拓者。冠光寺眞法・冠光寺流柔術創師・主宰。

    関連記事

    おすすめ記事