「ベントラ」呪文と砂漠のコンタクティ/昭和こどもオカルト回顧録
昭和の時代、少年少女がどっぷり浸かった怪しげなあれこれを、“懐かしがり屋”ライターの初見健一が回想。 今回は、UFOを呼ぶときの定番フレーズ「ベントラ」をふりだしに、宇宙とのコンタクト文化を振り返る。
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UFOや宇宙人を呼び出す“呪文”として知られている「ベントラ」。特に昭和世代の読者の中には、子どもの頃、実際にUFO呼ぼうとして「ベントラ」を唱えたという人もいるかもしれない。いつ、どこで、この謎めいた言葉は生まれたのだろうか?
かつて日本に「宇宙友好協会(CBA)」という民間UFO研究団体があった。
この団体は1957年8月に、松村雄亮、久保田八郎、橋本健といった諸氏が設立したものだ。松村は世界的な航空雑誌「インタラビア」の日本代表として航空情報にも詳しく、それ以前から「空飛ぶ円盤研究グループ」という独自の研究団体を主催していた。久保田はのちにジョージ・アダムスキーの支持団体「日本GAP」を設立、日本初のUFO雑誌「UFOと宇宙」を創刊するなど、いずれも日本のUFO史に名を残す人物だ。橋本は東京大学卒業の電気工学者ながら、心霊現象やUFOといった超常現象にも深い関心を持っており、「日本空飛ぶ円盤研究会」の会員であると同時に、宗教団体「生長の家」の熱心な信者でもあった。
1960年には、CBA会員の一部が「地軸が傾く大変動が迫っている」として準備を呼びかける文書を作成し、これがマスメディアに漏れたため、一種の社会問題にまでなった。いわゆる「CBA事件」あるいは「リンゴ送れ、C事件」である。
この事件で一部会員が追放され、その後反アダムスキー路線を打ちだしたり、「生長の家」と対立したりしたため、久保田、橋本も離脱、最終的には、友好的な宇宙人「ブラザー」とコンタクトしたと主張する松村による一極指導体制ができあがった。
しかし、CBAが躍進したのはこの時代である。会員数は全盛期で2,000人ともいわれ、理事には漫画家・手塚治虫や、絵物語作家・山川惣治といった著名人が名を連ねた。
そして、太古の昔に宇宙人が地球を訪れていたという、いわゆる「宇宙考古学」方面の活動に軸足を移し、1961年には「宇宙考古学」の元祖ともいうべきアメリカのUFO研究家ジョージ・ハント・ウィリアムソンを招いて講演会を行っている。
1963年からは、アイヌ伝説の文化英雄オキクルミはブラザーであるとして、北海道沙流郡平取町にオキクルミの記念施設である「ハヨピラ」を建設しはじめた。
さらに、従来からの機関誌「空飛ぶ円盤ニュース」に加えて、中学生以下のジュニア向け機関誌「ジュニアえんばんニュース」や、英文機関誌「Brothers」など、何種類もの出版物も発行しはじめた。中でも「Brothers」は、主として海外の研究団体との情報交換用に作成されたもので、日本国内ではほとんど見つからない希少なものとなっているが、海外の研究家の中には今でもその記事を引用する者もいる。
天宮清の著書『日本UFO研究史』によれば、CBAは1973年ごろ公式に解散したという。しかし会員の中には、その後もUFO界で活躍し、一定の影響を残す者が少なくない。
前述の天宮は、現在も独自に活動を続けているが、テレパシーで宇宙人とコンタクトし、のちに『竹内文書』の研究をライフワークとした高坂和導こと高坂克美もCBA会員だった。
また、渡辺大起は「CBA事件」後に追放されたとはいえ、その後も宇宙人から得たメッセージを発信しつづけた。ほかにも、橋野昇一は日本の地名をUFOと関係づけて説明しようとしたし、変わったところでは、国士舘大学教授を務めていた岩間浩もハヨピラでの建設作業に参加していた。
さらに、遮光器土偶が宇宙人を象ったものだという説もCBAが広めたものだし、数人で輪になって手をつなぎ、「ベントラ」という言葉を唱えてUFOを呼ぶやり方もCBAが始めたものだ。
そもそも「ベントラ」とは何のことだろう。これは、アメリカのコンタクティーであるジョージ・ヴァン・タッセルが友好的な宇宙人から受けたメッセージに登場する言葉で、彼らの言葉で「宇宙船」を意味する。
ジョージ・ヴァン・タッセルは、1950年代に何人も登場したアメリカのコンタクティーのひとりだ。ヴァン・タッセルは高校卒業後、ダグラス社とヒューズ社、ロッキード社などに技師として務めた後、1947年、カリフォルニア州にある「ジャイアント・ロック」と呼ばれる巨岩の近くにあった飛行場跡地を借り受けると、あらためて滑走路を整備し、その横にカフェを設けたり、岩を掘って部屋を作り、中にソファや椅子、ピアノなどを置いた。
そして1951年、この場所で瞑想中、惑星シャンチャの「7つの光評議会」なるものからテレパシーによるコンタクトを受けた。
翌年、彼は『私は円盤に乗った』を著した。この本の冒頭、出版社による解説部分には宇宙人が用いる用語の説明もある。たとえば、宇宙人の言葉で「シャン」は地球を意味し、「シャレー」は宇宙にあるUFOの基地を意味する。そして、「ベントラ(ventla)」については「宇宙船」のことだと解説している。
この書物には、ヴァン・タッセルが「司令官アシュター」をはじめとする多くの宇宙人から受けたメッセージの内容が掲載されているが、「ベントラ」という言葉は、1952年7月18日に「ポルトラ」という宇宙人が送ってきたメッセージに初めて登場する。そこには、司令官が乗った「ベントラ」が太陽系に近づきつつある、と書かれている。つまり7月18日は、「ベントラ」という言葉が初めて地球に現れた「ベントラ記念日」なのだ。
さらにこの言葉は、CBAが1959年に翻訳出版したジョージ・ハント・ウィリアムソンの『宇宙語宇宙人』によって日本に伝えられた。翻訳版の320ページでは、ヴァン・タッセルが1952年9月12日にアシュターから受けたメッセージが全文引用されており、訳語にも「ベントラ」という言葉が使われている。
この言葉がいつごろから、宇宙人やUFOを呼び出す呪文として使われるようになったかについては、正確にはよくわからない。
前述の天宮の著書でも、「CBA会員の間にはいつのころからか『ベントラ』という文句が広まり、円盤への呼びかけ文句として使われるようになった」とあるのみである。
他方、CBAの機関誌「空飛ぶ円盤ニュース」のバックナンバーを精査してみたところ、1962年6/7月号に、6月24日付「北海道新聞」の切り抜きが転載されているのを発見した。この記事は、前日の6月23日、鈴木敏正が代表を務めるCBA北海道総支部が札幌市の愛宕山で、「ベントラ、ベントラ。宇宙の兄弟、姿を見せてください」と呼びかけたという内容であった。
実際には、これ以前からCBA会員の間で「ベントラ」の呼びかけが使われていた可能性もあるが、公式に確認できるのはこの記事が最初である。だとすると6月23日は、第2の「ベントラ記念日」ということになる。
手をつないで「ベントラ」と唱えるこのやり方がCBA外部にも広まったのは、1960年代の終わりから1970年代のことらしい。呼びかけについてもいくつかバリエーションが生じ、「ベントラ」という呼びかけの後に「スペースピープル」とか「スペースマン」などとつける場合もあり、自分たちの現在地の位置情報を伝えることもあったようだ。
かつてのブームは去ったものの、「ベントラ」という言葉は漫画やアニメ、バラエティなどで生き残り、宇宙人を呼びだす際のギャグネタとして、今でもときおり使用されている。
かくいう「ムー」が参加する各種イベントでも「ベントラー!」は定番である。
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