人気モデルのプライベート機がUFOとニアミス! 各地で民間人に接近する挑発的UFOが続々と出現
4月になり、非常にアグレッシヴなUFOとの遭遇事件が各地で相次いでいる。航空機とニアミス、目撃者の記憶を奪い、窓の外までやって来た例も!
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明らかに異常なことが起きているのだが、目下の任務のためにそれ以上は追求できないジレンマに陥るケースもある。戦時中のUFO目撃はその典型例の1つだ。この機会に戦場でのUFO目撃事例を紹介してみたい。今回はその【前編】である。
あらゆる手を尽くし敵を撃破するための作戦を遂行するのが戦時下における各部隊の目的であるが、一瞬たりとも気の抜けない状況にあるだけに、“空の異常現象”に敏感になるのも当然だ。
記録に残された「戦場でのUFO目撃報告」の最初期のものは、アメリカ南北戦争の時代にまでさかのぼる。
1952年に創設されたアメリカのUFO調査組織「Aerial Phenomena Research Organization(APRO)」の会報第32巻に掲載されたレポートによると、南北戦争の最中である1863年10月、晴れた雲ひとつない日に、バージニア州グリーンブライア郡ルイスバーグから西に数キロの地点で兵士と民間人によってUFOが目撃されている。
報告書によると「脱脂綿または煙に似ている」無数の飛行物体が、「美しい秩序と規則性で」上空を高速で横切っていくのを見たと目撃者は証言している。
そして、これら数千もの飛行物体が目撃者たちの上空を通過した後、事態はさらに奇妙な展開を見せたのだった。
現場の地形は眼下に深い谷が伸びていたのだが、30~40メートルほど深い谷底を、数千人もの正体不明の兵士らしき存在が隊列を組みながら素早い足取りで整然と行軍していたのだ。もしも敵軍だとすれば一大勢力となる恐るべき軍団である。
その軍団の個々の体格は小さい者から大きな者までかなりバラつきがあり、動きは厳格に統制されていて脱落者などもいなかった。すべての人員が、白いシャツに白いズボンのユニフォームを着用していたのだが、銃や刀などの武器のようなものは何も持っていなかった。したがって、軍の部隊ではない可能性もあった。
目撃者から真北の方向を速やかに進んでいた彼らは、谷を通り抜け、険しい山道を越え、最後には見えなくなった。上空を飛行していた数千のUFOで地球に着陸した後、ヒューマノイドとなって集団で陸地を移動したということなのだろうか。
1936年から1939年にかけて起きたスペイン内戦中にもUFOが目撃された記録が残されている。
1938年2月5日、グラナダ県の北にあるペニョン・デ・ラ・マタの陣地の守りを固めていた第76旅団の兵士は、上空にきわめて奇妙な飛行物体を目撃した。
当時の「ABC Andalucia」紙の記事によれば、高度200メートルほど上空で、アルミニウムの色をしたメキシカンハットに似た飛行物体がゆっくりと飛行していた。太陽の光が表面に反射してメタリックな輝きを放っており、真下から見上げると車輪のような形であることも確認できた。機体の側面には黒く丸い窓のようものもあったという。
直径約3メートルのそのUFOは、反時計回りに回転しており、側面から蒸気のようなものを放出していた。
兵士は最初、攻撃を受けて爆発した勢いで飛ばされたトラックのタイヤなのではないかと思ったというが、物体はいつまでたっても落下せず、それ自体が意思を持って飛行していることは明らかであったという。
1950年から1953年にかけて起きた朝鮮戦争の戦地から報告されたUFO目撃事件がある。
1951年の春、鉄原(チョルォン)の近くに拠点を築いていた米陸軍のある兵士は、ハロウィンの“カボチャ提灯(jack-o-lantern)”のような光る飛行物体が素早く上空を横切っていくのを目撃した。
村に向かって飛行するこのUFOに対し、近くの部隊から直ちに対空砲火が浴びせられたのだが、1発として命中することはなく飛行を遮ることはできなかった。
そのまま村へと向かうのかと思いきや、進行方向を変えたUFOはなんと兵士(報告者)たちのほうへ向かってきたのだった。
近づいてくる青緑色の眩い光を放つこのUFOに対し、兵士はM-1ライフルに徹甲弾を装填して発砲したのだった。
命中したことを示す金属音が鳴り響き、UFOは挙動を乱したかのように見えたのだが、次の瞬間、発砲した兵士に向かって謎の光線を放った。光線を浴びせられた兵士は全身がヒリヒリする熱を感じ、掩蔽壕の中へと避難した。
上空をホバリングしていたUFOは再び辺り一帯に向けて光線を放ち、その後に飛び去っていったのだった。
この一件の後、不幸なことに部隊の兵士のほぼ全員が体調不良を訴え撤退を余儀なくされた。その多くは赤痢にかかっており、医師の診断では兵士たちの白血球の数が増加していたことが確認された。報告者の兵士も、その後は記憶喪失などの不調に悩まされ軍務に復帰することはなかったという。
1954年から1962年にかけて主にフランス領アルジェリアで起きたアルジェリア戦争でもUFOの目撃報告が記録されている。
レポートによると、1958年3月にアルジェリアのブアママにある外国人部隊キャンプでのこと。夜間に歩哨の任務に就いていた兵士が、夜空にきわめて巨大な円盤型UFOが、今まさに着陸しようとしているのを目撃した。
巨大なUFOの直径は350メートルほどもあり、機体の底から地面に向かってエメラルドグリーン色の光線が照射されていた。
あまりにも異常かつ壮大なこの光景に呆気にとられていた兵士だったが、その後でUFOは上昇をはじめて北西の方角へと急激に速度を上げて飛び去っていったのだった。
兵士はこの後、目撃の一部始終を部隊に報告したのだが、彼はパリの軍病院に送られて1週間拘束され、精神鑑定を含む各種の精密検査を受けさせられたのだ。
兵士の脳波は異常を示しておらず、肉体的にも精神的にも健康であった。任務中に何らかのトラウマを負った形跡もなく、また彼には飲酒習慣もなかったのだ。しかし、彼の報告内容が公式に認められることはないまま戦争は終結した。
UFOが着陸したとされる現場は徹底的に調べられたのだが、何の証拠も手がかりも見つからず、実際に何が起こったのかは謎のままである。
ベトナム戦争中の1966年6月、南ベトナムの海岸線に位置する地方都市ニャチャンにあった米軍の後方基地で、夜間に真っ赤な閃光に続いて上空を飛行するUFOが目撃されている。
UFOは高度7000メートル以上の上空から急降下し、高度120メートルほどまで来るとピタリと静止してホバリングした。UFOは強烈な輝きを放っており、周囲は昼間のように明るくなったという。
空中で静止していた眩いUFOは、その後すぐに猛スピードで上昇をはじめ、わずか2、3秒で見えなくなったのだった。
まったく不可解で不気味な出来事であったが、この時、基地のすべての発電機が停止して一帯は真っ暗になった。発電装置だけでなく、車両や航空機のエンジンもストップしてしまったのだ。また、ここから800メートルほど離れた空軍基地でも発電機が停まり、滑走路が機能不全に陥った。
翌日からは徹底的な調査が行われたのだが、NICAP(アメリカ空中現象調査委員会)の捜査官であるレイモンド・ファウラー氏は、電磁パルス攻撃の可能性を指摘している。はたしてこの一件はUFOによる電磁パルス攻撃だったのだろうか。この時代のソ連陣営側の秘密兵器であった可能性を探ろうにも、不気味な挙動に鑑みれば可能性はきわめて低いと言わざるを得ないだろう。
【参考】
https://mysteriousuniverse.org/2023/01/Bizarre-Cases-of-UFO-Encounters-on-the-Battlefield/
仲田しんじ
場末の酒場の片隅を好む都会の孤独な思索者でフリーライター。興味本位で考察と執筆の範囲を拡大中。
ツイッター https://twitter.com/nakata66shinji
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